289(Reverse) HE_IS_OUR_HOPE
二階に上がり、さらに少し突き出した窓から身を出して屋根の上に出る。見上げると屋根の一番上にローグが座っていた。
「そこ、未来じゃ俺と親友の特等席だったんだけど」
言いながらアーサーも完全に身を乗り出して昇っていき、彼の隣に腰を下ろした。最後にここに座った時よりも、見える景色が少し高くなっている事に奇妙な気持ちになった。
「……過去でサクラに会ったんだろ? 何か言ってたか?」
先に口を開かれた事に少し驚きながら、アーサーはサクラとの会話を思い出しながら答える。
「これといってアンタにする事は無い個人的な話だよ。ただ一つ感じた事は……まるで近い内に自分が死ぬ事を悟ってるみたいだった。もしかして母さんは病気だったのか?」
「……まあ、遠からずって感じかな」
何かを濁した感じだった。アユムやクロノもよくやる隠し事だろう。その部分を深く掘り下げるつもりはアーサーには無い。そもそも今の目的はそれでは無いのだから。
「大切な人を失った苦しみは分かる。俺だって、妹や育ての親を殺された」
「だから気持ちは分かるって?」
同情されていると思ったのだろうか。ローグは鼻で笑ってから続けて、
「いいや、お前は何も分かってない。あの大戦を経験してない二〇歳かそこらの若造に、俺の苦しみは絶対に理解できない。体は老いないのに……心だけは廃れていく気分が」
一方的に告げてローグは立ち上がった。それからまるでアーサーから逃げるように窓の方に向かって行きながら、口だけは止めずに言葉を吐き出し続ける。
「ここに来たのは間違いだった。悪いな、アーサー。お前をここに送ったのはクロノの間違いだ。そして五〇〇年前の俺の失敗だ。俺はもう前に進めない。……もう、会う機会も無い」
「ああ、そうだな」
アーサーの口から出てきたのは肯定の言葉だった。それが背中に突き刺さったローグの足が止まり、振り返ってアーサーの方を見た。
アーサーは肩を竦めてから立ち上がり、ローグの方に下りていく。
「アンタの言うのように俺は若造だ。本当なら五〇〇年前にアンタ達と一緒に戦った人が来れれば良かったんだけど、生憎と『時間』の改変に伴う記憶の維持が出来るのが俺達しかいなかったから、消去法で俺が来るしか無かった」
そして、アーサーはローグと再び目線を合わせた。
月下で五〇〇年ぶりの再会を果たした親子は、すでに息子が父親に言葉を贈る側になっていた。
「俺は明日、一度失敗してる。同じ失敗をしないとは言い切れないし、アイツに勝てる算段だって立ってない。でも俺はもう諦めない」
「どうしてお前は……」
「母さんに『希望』だと言われた。それに……」
一度大きく息を吸って、それを一気に吐き出してから続ける。
「実は俺も少し前に……いや、ずっと未来で停滞した。多くの命を救う事ができなくて、目の前の理不尽を見て見ぬフリをしようとした」
『リブラ王国』の一件で、思い出しても自分をぶん殴りたいほど無様に停滞した。あの時はああするのが最善だと思っていたが、そうじゃないという事を教えてくれた人達が周りにいた。
だからこそ、アーサーは今もこんな場所に立っているのだ。
「だけど、ある人が俺の心を開いて、こんな俺にも何が出来るのかを教えくれた。ずっと戦って来た俺が、何をするべきなのかを。そうして立ち直らせてくれたんだ。……だけど俺にはあの人と同じ事をアンタには出来ない。そう、俺には。……でも、出来る人を知ってる」
それが誰かを明かす事なく、アーサーは自分の肩を叩いて言う。
「触れろ。クロノを介して会話ができる」
「……。」
僅かに躊躇しながら、ローグはゆっくりと手を伸ばしてアーサーの肩に手を置いた。
その直後、彼の意識が別の場所に跳ぶ。
◇◇◇◇◇◇◇
ローグの意識は一〇年後へと跳んでいた。意識だけだが体はあるし地面に足も付けている。ただし周りの『時間』は停止しているようで動いてはいなかった。目の前にいた、ある一人を除いて。
ローグは何かを覚悟しながら、彼女に近づいて声をかける。
「……もしかして、アナか?」
「……ええ。本当に久しぶりですね、ローグ君」
目を閉じていたアナスタシアは目を開いて答える。
五〇〇年前、確かに死んだ女性。実はローグにとってのアナスタシアはサクラと同じくらいに大切な人だった。サクラが最愛の女性なら、アナスタシアは姉のような存在だった。この世界に来た時に初めて関わったのがアナスタシアだった、というのも大きな理由だろう。
思わず泣き出しそうになるのを誤魔化すように、辺りを見回して言葉を漏らす。
「……まさか本当に世界がこんな風になるなんて。俺達のせいで……」
「この世界にいる人達が戦い続ける限り大丈夫です。アーサー君や、彼の仲間達がこの世界をより良くしていきます。私達に出来なかったことをやり遂げて」
「……まだ信じるのか?」
五〇〇年前、まだ『ディッパーズ』と名乗っていた頃の彼らは多くの人と対立した事もある。正直、ローグはほとんどの人間を信用していなかった。
それに対して、彼の正面にいるどこまでも真っ直ぐなアナスタシアは、ええ、と言って頷きながら。
「人が人を佐けて何度でも困難に立ち向かって行く。それが私達の最大の武器である『希望』です。……本当にそっくりですね。アーサー君にも同じ事を言いましたよ?」
「……アイツは真っ直ぐ育った。何の打算もなく人を助けたいと思える優しいヤツに。サクラに似たな……俺じゃない」
自虐的な笑いと共にローグは吐き捨てるように言った。そして両手を前に出しながら懺悔するように続ける。
「最期の瞬間、サクラに触れて全てを感じたんだ。多くの声が聞こえて……その多くの声が苦しんでた。だから俺は……ああする事でしか、世界を救えなかった。アユムやナユタの事を言えないよ、本当に」
「……アーサー君は良い子です。サクラだけじゃなく……ローグ君にも似て、本当に優しい人に育ちました」
アナスタシアは両手をローグの肩に置いて、彼の目を射抜くように真っ直ぐな瞳でじっと見つめた。
「この未来の為や、多くの人の為に戦ってくれとは言いません。ただ目の前にいる貴方の息子のために、誇れる父親の姿を見せてあげて下さい。それだけでアーサー君には十分に伝わりますから」
「……どうして分かる?」
「分かりますよ。ローグ君よりも長い時間、私はアーサー君を見ています。彼は……間違いなく私達の『希望』です」
ローグは何かを言い返そうとして、口を開くだけに留まった。言葉に詰まったというよりは、何を言って良いのか分からないという感じだった。
瞳の中の揺らぎを明確に捉えて、アナスタシアは懇願の言葉を告げる。
「だからローグ君もお願いです。今一度、その『希望』に懸けて下さい。……貴方に『希望』を、持って欲しいんです」
「……お前に頼まれて、ノーとは言えないよ」
ローグの答えにふわりと笑って、アナスタシアは肩に置いた手を離した。しかし離された瞬間、ローグはすぐに手を掴み返した。
突然の行動にアナスタシアは驚いたように大きく目を見開く。
「……この体は私のものではないので、強引なのは困ります」
「茶化さないで俺の話を聞いてくれ。五〇〇年、ずっと言いたかった事だ」
弱り切った顔ではなく、真面目な顔でローグは静かに口を開いた。
あの日、死んでしまった彼女に言いたくても言えなくなってしまった言葉を伝えるために。
「あの日、初めてこの世界に来た日、最初に会えたのがアナで良かった。……ずっと、言いたかったんだ。ありがとうって」
「―――っ」
本当に珍しく、アナスタシアの顔が真っ赤に染まった。それから何度もどもりながらようやく言葉を発する。
「……そういうのはサクラに言って下さい。やっぱりアーサー君はローグ君似です」
「じゃあその俺に似た息子の所に戻るよ。……アイツも『担ぎし者』なんだろ? だったらロクな要件じゃなさそうだし」
「ええ。アーサー君をお願いします」
◇◇◇◇◇◇◇
意識が戻るとローグの目の前にはアナスタシアではなくアーサーがいた。彼の変化を確信しているのか、見透かしたような笑みを浮かべていた。
「戻ったか?」
「……ああ」
小さく頷きながら、ローグは答える。
「元に戻ったよ」
ありがとうございます。
次回は293話の(Reverse)です。




