296(Reverse) ONE_MORE_TIME
五〇〇年前から帰って来たアーサーがいたのは、一〇年前の世界ではなく現代の世界だった。
光が晴れて目を開いた時、アーサーの前にはクロノ(子供サイズ)と結祈、そしてヘルトの姿があった。
「……やってくれたな」
一番最初に飛び込んで来た言葉はヘルトの恨みがましい声だった。それでアーサーは全てを察する。
「……説明の必要は無いみたいだな」
「ぼくには理解できないよ。きみにだって取り戻したい人が大勢いるはずだ。それなのに過去の死んだ人間相手に入れ込んで、世界をこんな風にするなんて……」
「お前の言いたい事も分かるけど……目の前に助けたい人がいたから動いた。俺は今までだってそうやって来たんだ。お前だってそうだろ?」
「限度があるよ。一人の命と全人類の命。天秤に掛けるまでもない」
「天秤に掛けるっていう発想自体、根本から間違ってる」
「最悪だな。きみは甘さにも限度が無いのか?」
ヘルトが呆れるのも分かる。アーサーだって自分が間違った行いをしているのを自覚しているのだ。
アーサーはチラリと結祈に視線を向けた。かつて運命を踏破すると約束した少女がいて、その子が見ているのに運命だからなんて理由で諦める訳にはいかなかった。いいや、仮にその誓いが無かったとしても、目の前で理不尽に奪われようとしている命をどうしても見捨てる事ができなかったのだ。
「どの命も……重さは同じだ」
ヘルトに視線を戻して言葉を吐き出すが、彼の心には響かないようで首を左右に振りながら、
「そんなの詭弁だよ。じゃあ極端な話、きみは顔も知らない凶悪犯罪者とそこにいる近衛結祈の命の重さも同じだって言うのか?」
「罪は償うべきだ。でも命の重さは変わらない。どんな人でも」
「じゃあきみ自身のは? 少し前、きみはぼくに頼んで集束魔力砲を撃たせた。『スコーピオン帝国』と共に散る事を覚悟して。そんな人間に命の重さは同じだなんて説教はされたくない」
「今回は選択肢がある。あの時とは状況が違うんだ」
揺るがないアーサーの姿勢に嫌気が差したのか、ヘルトはあからさまに大きな溜め息を吐きながら首を大きく振って、
「すぐにそうやって誤魔化す。きみは消えた仲間の前でも今と同じ事を言えるのか?」
「言えるよ。……呆れられようと、怒られようと、見限られようと構わない。それでも俺は、理不尽な運命を前に死ぬ事しかできなかった人を助けたい」
「じゃあワタシが肯定するよ」
二人の言い合いに割り込み、言葉に詰まったアーサーの代わりに答えたのは結祈だった。ヘルトだけでなくアーサーにも驚いた顔を向けられた彼女は肩を竦めながら仕方がないといった感じで、
「アーサーが人の命が関わると自分勝手で無茶をするのは嫌っていうほど知ってるから。今さら止めたりしないよ。それに……アーサーが停滞した時に、これから先どんな時もアーサーらしくあれるように支えるって決めてるから。ここに残ったのがワタシじゃなくてサラやラプラスだったとしても同じ事を言ったはずだよ」
「ごめ……じゃなかった」
謝ろうとして、今はここにいない銀髪の少女の言葉を思い出してとどまった。それから改めて言い直す。
「ありがとう、結祈。いつも佐けてくれて」
「ううん、これくらいなら大した事ないよ」
結祈はそんな風に謙遜するが、それがどれほどアーサーの支えになっているか分かっているのだろうか? 自分でも心の底から正しいとは言えない行いを、どこまでも信じて信頼してくれる存在がいかに大きいのかを。
数的に不利になったヘルトは再び溜め息をつきながら、
「今回の件が成功したら、多分近衛結祈も含めてほとんどの人から記憶は消えるんだろうけど、それでもきみは全員に感謝するべきだね」
「分かってるよ。勿論、お前にもな」
「……だから甘いって言われるんだよ、きみは」
ヘルトが後ろを向いてアーサーから距離を取ると、入れ替わるようにクロノが近づいて来た。色んな時代で三人ほど出会ったが、やはり自分の『時間』にいるクロノを前にするのが一番落ち着いた。
「俺が一〇年前の世界じゃなくてこっちに戻って来たのは理由があるんだよな?」
「一〇年前の私では『箱舟』を使えないからな。『直列次元』じゃないと未来は変えられない。お前が会話したサクラも別の次元の話だ。世界はそういう風にできている」
「……その程度の説明で全部は理解できないけど、一〇年前に戻せるなら説明は全部後で良い。頼む」
「……、」
クロノはアーサーの頼みに応えるように近づいていき、『時間跳躍』の準備を整える。二人の足場に何度目かになる魔法陣が浮かび上がった。
「私はお前に全てを秘密にしていた。そしてまだまだ秘密はある。お前や……他の誰にも話せない秘密を。この孤独は共有できないし、するつもりも無い。これから先もお前を連れ回し、多くの戦いに誘う事になる。今回以上の絶望や無力感を味わう事になり、その度にお前は運命の大きさを知って絶望する。もしかしたらそこに『希望』は無いのかもしれない。それでもお前は一〇年前に戻るのか?」
「戻るとも。戻らないと。俺はまだ何も果たせていないんだ」
クロノのそれは脅し文句のような言葉だった。あるいはそれは、彼女自身が絶望したからこそ確かな現実味を持っているのかもしれない。
変えられない確定した『未来』。ラプラスはそこから解放されたが、クロノは決して抜け出せない。だからこそ『カプリコーン帝国』や『スコーピオン帝国』であそこまで死に拘ったのだろう。アーサーが今回抱えている葛藤を五〇〇年前から抱えているとしたら、そう思うのは仕方が無いような気もしてきた。
(……お互い辛い立場だな)
苦笑しながらアーサーは思う。
もしかしたらクロノの状況も『担ぎし者』の呪いが関係しているのかもしれない。もしそうなら、五〇〇年前から続くこの呪いについていい加減深く考えた方が良いような気もしてきた。
だけど、少なくともそれは今では無い。アユムも直接伝える事はできないと言っていた。できるのはせめて、いつか知るその真実を前に絶望しない準備をしておく事くらいだろう。
今はただ、今回の事件と自分勝手な人助けに終止符を打つ事だけを考える。
「私に残った魔力は往復一回分だけ。これが最後のチャンスだ。お前を最初に跳ばした時間より少し前に跳ばす。向こうで過ごした二日間を思い出し、最善の準備を整えろ。私やラプラスが最初に過去に送った時に言った言葉も忘れるな」
「えっ、ちょっと待ってクロノ。それって本当に大丈夫なの……?」
クロノに確認するように言ってから、視線はアーサーに向けられた。結祈達はアーサーがいない間にクロノから色々と聞いている。この場にさっきまでいたはずのシエルがいない事も、アーサーには知らされていない事情がある。
その全てをアーサーに言って良いのか迷っている結祈を尻目に、クロノは握手を求めるようにアーサーに対して右手を前に出した。
多くの不安や謎をアーサーは知らない。結祈の言葉で何か隠し事をされている事もアーサーは察している。その中で何かを試すように、クロノはアーサーに最後の確認を取る。
「私を信じるか?」
「もちろん」
アーサーは一瞬たりとも迷わなかった。
差し出された手を握り返し、魔法陣が光り輝く。
そして彼は全てをやり直すべく、再び一〇年前の世界に跳んだ。
ありがとうございます。
次回から再び一〇年前に戻り、288話の(Reverse)になります。