299 P.一度目の失敗
ローグ・アインザーム。
そう自己紹介をされて、アーサーは驚きを隠せなかった。
「……どうして、このタイミングでアンタが……」
「クロノに呼ばれたんだ。俺だって来なくて良いなら来なかったが、どうしても来なくちゃいけない理由ができた」
クロノの名前が出た瞬間、アーサーは生じた葛藤を全て頭の隅に追いやり、ローグに対して警戒心を最大にして構える。
「アンタもアユムさんみたいにシエルさんを狙ってるのか?」
「……アユムか。懐かしい名前だな」
何となく気まずそうな反応だった。ただしそれはアーサーの言っている事が的を得ているからではなく、あくまでアユムという名前についてのみの話だったが。
「けど、それが目的ならそもそも助けてない。あっちと協力してお前を倒してただろ?」
「……まあ、そうだよな」
彼の言った通り、初めからそこまで深く疑っていなかったアーサーはあっさりと警戒を解いた。
「それなら、アンタがここに来た目的は何なんだ?」
「あいつに言った通りだ。話し合う『時間』が欲しかった……俺とお前じゃなく、お前と彼女の」
「俺とシエルさん?」
「どうせロクに話し合う暇もなく逃げ出して、あいつに襲われて戦ってたんだろ? お前達には話し合う『時間』が必要だ。場所は……開発放棄地区が良いな。まともな人間は誰も来ないし、戦闘で迷惑もかからない」
二人の意見など聞かずにさっさと全てを決めて、ローグはシエルの方に意識を移した。
「シエルだったな。これを受け取れ」
そう言ってローグが彼女に手渡したのは掌に収まるサイズのケースだった。アーサーにはそれが何なのか分からなかったが、中身を見たシエルはすぐに気づいたようだった。
「これって……」
「今回の件はどっちが正しいって話じゃない。俺は中立を貫く。だからそれを使うも使わないもアンタの自由だ。……ただ一つだけ、後悔はしないようにしろ。これは五○○年生きてきた教訓だ」
「……、」
ローグの用事は本当にそれだけだったようで、彼は一足先に割れたショーウィンドウから外へと出ていった。アーサーはそんな背中に躊躇いがちに声をかける。
「……ローグ・アインザーム。本当はアンタと色んな話がしたかったんだけど……」
「いや、遠慮する。俺はお前の生きてる『時間』とは別の『時間』を生きてるローグ・アインザームだ。だから話はいつか未来で聞く」
振り向きもしない彼は、自分に待っている未来を知らない。
だけど、アーサーは知っていた。
「……ああ、未来で」
それでも、その未来を教えるような真似はしなかった。
きっと彼もそれを望んでいると、何となく感じたからだった。
◇◇◇◇◇◇◇
結局、アーサーとシエルはローグの言う通りに動いた。
誰もいない廃ビルで、いつかと同じような一面が全面ガラス張りの部屋。外の景色を見下ろしながら、アーサーは小さく息を吐いた。
(……そういえば、前にここに来た時も『新人類化計画』関連だったな)
時系列なら今の方が先なのが何とも不思議な感覚だった。前はここでラプラスと戦い、アウロラを逃がした。そしてそのアウロラはヘルトが助け、『新人類化計画』は阻止されたのだ。
(それにしても、ヘルトのヤツは順調にやってるのか? まあ、何だかんだでやるヤツだからそこまで心配はしてないけど……)
思えばここまで『未来』からの連絡は無い。今のアーサーの状況を掴めていないのか、それとも掴んだ上で何もしていないのか。過去にいるアーサーには伺い知れない事だった。
「アーサー君」
後ろから声をかけられてアーサーは意識を切り替えた。今はローグが作ってくれた僅かな話し合いの時間だ。それをするために景色から視線を切って振り返る。
そうして振り返った時、突然飛び込んで来たシエルの顔が間近にあった。そして首に腕を巻き付けて来たかと思うと、強引に唇を奪われた。
「……っっっ!!!???」
いきなりの事に困惑していると、唇の間を縫って柔らかい何かが口内に侵入してきた。そして何かが押し込まれ、アーサーは反射的にそれを飲んでしまった。
それが逆にアーサーに冷静さを取り戻させた。シエルの両肩を掴んで自分の体から剥がす。
「しっ、シエルさん!? いきなり何を……っ!?」
言葉の途中、アーサーの体が横に崩れ落ちた。足に力が入らず立っていられなくて、倒れてから体が動かせなくなっている事に気づいた。
まだ動く目をシエルに向けると、その手には先程ローグが渡していた何かのケースが握られていた。それが薬品を入れる物だと気づくのが遅すぎた。
「なっ、にを……飲ませた!?」
「即効性の麻痺薬。口は動かせるけど体の自由は効かないはず。少なくとも数時間はそのままだね」
アーサーに顔を見せるためか、シエルはしゃがみ込んだ。その顔には悲壮感と共に揺るぎない決意の色が見て取れた。
それは、アーサーのよく知っている表情だった。そういう顔をした男が、自分の命を犠牲にしてまで何かを守ろうとしたのを誰よりも知っていたから。
「……本当は分かってた。最初から解決策は一つだけだよ。色々手を尽くしてくれたのにごめん、アーサー君。でも最適解に飛び込むのは研究者の本能なんだ」
「ふざ……っ、そんなのはダメだ!!」
唯一動く口で大声を発する。しかしシエルの様子は穏やかなままで、怯んでいる様子は一片も感じられなかった。
「……キミは本当に不思議だね、アーサー君。キミは未来を元に戻すためにここに来て、本来ならアタシを殺さなくちゃいけない立場にいるのに、どうしてそんな傷だらけになるまで……」
「助けたいから助ける。当たり前の事だろ、そんなの!!」
「それを当たり前だと言ってしまえるキミは、やっぱりどこか普通とは違うんだろうね」
「だとしても! 絶対に死なせない、死なせてたまるか!! シエルさんが死んだ上に成り立つ平和なんて……未来なんて、意味が無いんだ。俺にはそれが、どうしても認められない……っ」
最後の方は弱音に近かった。あるいは懇願だったのかもしれない。彼女の覚悟を前に行くなとは言えなかったアーサーなりの、精一杯の制止の言葉。届かないと分かっていても、言わずにはいられなかった。
「……きっとキミは未来でも、そうやって当たり前のように誰かのために戦って来たんだね。多くの人に間違いだと指をさされながら、それでもごく少数の世界に見捨てられた人達のために。……本当、狙ってやってるなら罪深すぎるよ」
「シエルさん……?」
「……うん、でも、当事者だと嬉しく思っちゃうんだから、女って勝手な生き物だよね」
自虐的に呟いて、シエルは立ち上がった。
もう話は終わりだという合図だった。
「キミの事が好きよ、アーサー君。だからアタシも、キミを守りたい」
シエルが部屋を出て行ってしまう。
対してアーサーは無様に寝転がったまま動けない。
だけど、何かアクションを起こさなければと思ったのだ。
「俺は……俺は絶対に諦めないからなァ!!」
去っていくシエルの背中に、アーサーは大声で叫んだ。
それが負け惜しみだと、頭のどこかで自覚していながら。