290 P.過去の翔環アユム
「あたしはアインハルト、七歳よ! 長いからハルって呼んでくれて良いわ」
「……フィリア。五歳……ふあ」
暖かいベッドでひと眠りし、食事を取ると拾って来た二人の少女はすっかり元気になっていた。
金髪の少女は紫紺の瞳を爛々と輝かせて元気一杯に、銀髪の少女は欠伸混じりに若草色の瞳が半分だけ除く目を擦りながら眠そうに、対照的な自己紹介をした。
二人はアユムが用意した服で身だしなみを整えていて、アインハルトは長い金髪をツインテールでまとめ、白いワイシャツにチェック柄の短いスカート、黒いブレザーの制服のような恰好を。フィリアはぼさぼさだった髪をラフに切り揃え、服装は白いスカートに黒い長袖のタートルネックの服装に着替えていた。
ちなみにアユムが何故子供用の服を持っていたのか気になってクロノに聞いた所、即興で作ったとの事だった。どうやらそういう力を持っているらしい。
「俺はアーサー。今は一七歳だから、ハルとは同い年だな」
「あれ? お兄さんは一七歳なんだから、あたしとは一〇歳差じゃないの?」
「まあ普通はそうだけど、俺は一〇年後の世界から来たんだ。だから俺が来た時代だとアインハルトは一七歳で、フィリアは一五歳になるんだ」
さらっと未来から来たと言った直後、いきなり後頭部をぶっ叩かれた。犯人は勿論クロノだ。
「お前はさっき言った注意事項をもう忘れたのか!? 不用意な発言は控えろ馬鹿。本名は名乗るなと言ったはずだが?」
「……あ。そういえばそうだった」
「……未来の私がどれだけ苦労しているか分かるな」
「言っておくけど苦労かけられてるのは俺も同じだからな。お前絡みで二度も死にかけてるんだ」
とはいえ今回は完全に自分が不用意な発言をした事も分かっているので、すぐに訂正する事にした。
「えっと……とりあえずさっきの自己紹介無しで。アーサーじゃなくてレンって事で一つよろしく」
「え、ええ……」
「……ん」
再び名乗る機会があるとは思っていなかった偽名を再び名乗る。当然のように不審がるが何かを感じ取ったのか、深くは突っ込んで来なかった。この辺り悟い子達なのだろう。まあフィリアの方は眠かっただけかもしれないが。
「それにしても、何だって二人は倒れてたんだ? 何なら家まで送り届けるけど……」
その直後、再び後頭部をぶっ叩かれた。犯人はまたしてもクロノだ。
「って、今度は何だよ!?」
「デリカシーが無いのかお前は」
一瞬、何を言われているのか分からなかったが、さっきまで眠たそうにしていたフィリアも入れて、正面の二人の表情があからさまに曇っていたのだ。
クロノは溜め息混じりに、
「今のご時世、別に珍しい話じゃない。戦争孤児だよ、こいつらは。大方抱えきれなくなった孤児院から捨てられた口だろう?」
言われた二人は無言で肯定を示した。デリカシーが無いと言っていたのはどの口なのか。あるいはすでに傷ついた相手に対しては配慮する必要はないと考えているのか。どちらにせよわざわざアーサーの問いに応えてくれる辺り、一〇年後との違いがあまり見られなくて親近感を覚えた。そして同時に自分の不甲斐なさを殴り飛ばしたくなったが。
(戦争……よく考えれば、この時代は『第二次臨界大戦』の終結から七年くらいしか経ってないんだ)
自分だって家族を失っている身の上なので、二人の気持ちが分からない訳ではない。しかし自分にはアレックスがいたし、アンナやオーウェンもいて一人っきりになった事は無い。そう考えると自分よりもずっと過酷な環境だと容易に想像できた。
「……ごめん、ハル、フィリア。謝って済む問題じゃないけど、本当にごめん」
ずっと年下の子供にまで誠意を持って謝れるのは、意外と難しい事だ。大人になると舐められたくなかったり変な見栄があったりして、謝っても口先だけになる事がある。
それが簡単にできるのは彼がどんな相手も対等に見ているからだろう。それはシルフィーやセラみたいなお姫様や王女様から、アインハルトやフィリアのような子供まで。その中で尊敬すべきだと思えば敬語になっていくし、敵だと思った相手には敵意や警戒を示す。
「……そんなに気にしてないわ。貴方はあたし達を心配してくれたんだから。それに倒れてた所を助けてくれたんだから、むしろ感謝してるわ」
「ん……ありがと」
謝ったはずが感謝されてどうにもくすぐったい。そんな視線から逃げるように顔を背けると、こっちを見ていたクロノと目が合った。
彼女はアーサーの心境を察してか溜め息交じりに、
「それで、これからどう動くつもりだ?」
「……そうだな。具体的に動くのは未来にいるみんなからの情報待ちだけど……アユムさんはやっぱり付いて来てくれないのか?」
視線をアユムに向けると椅子に座っていた彼は大仰に肩をすくめて、
「悪いね。きみ達に付き合うつもりはない」
「俺の知ってるアユムさんも積極的ではなかったけど、それでも今起きている事を見過ごすような人じゃなかったはずだ。特に親しい人であればなおさら」
向こうからすれば初対面の相手に知ったような口をきかれて気分を害したのか、少しムッとした表情で、
「……きみがぼくの何を知ってるんだ?」
「未来を。あなたが俺に立ち直るきっかけをくれたんだ。『ディッパーズ』だって、アユムさんの助言があったから結成できたんだ」
「……待ってくれ。『ディッパーズ』? きみがか?」
『ディッパーズ』という単語に反応し、アユムは値踏みするようにじっとアーサーの顔を見つめて何かを思案し始める。しばしの間そうして考え込んだかと思うと、不意に納得したように何度か細かく頷いて、
「……なるほど、そういう事か。きみは『担ぎし者』なんだな?」
「どうしてそれを……」
今度驚いたのはアーサーの方だった。しかし彼の疑問にアユムは明確な答えは返さず曖昧に笑って、
「……未来のぼくは、きみに全てを託したんだね」
「全てっていうか、『ディッパーズ』の再建を遠回しに示唆されただけなんだけど……」
「それは少し違う。……まあ、いずれ分かるよ。未来のぼくがどれだけきみに期待しているのかがね」
どちらにせよ、今のアーサーにはよく意味の分からない言葉と共にアユムは椅子から背を離して立ち上がった。
「じゃ、未来のぼくに免じて力を貸すよ。本当に微力だけど」
急な意見の変更を怪訝に思わなかった訳ではないのだが、下手に突いてまた気が変わってしまうのも嫌だったので何も言わない事にした。何はともあれ協力者が増えたのだ。滑り出しとしては上々だろう。
「それで、未来からの情報はいつ来るんだ?」
「そんなに遠い話じゃないはずだ。それまでの間に、とりあえず『ポラリス王国』に向かおうと思う。単なる勘だけどあそこが『特異点』になってると思うんだ」
「ま、大きな問題が起こるならあそこだろうね。どちらにせよ中心にいれば対処はしやすいし、良いと思うよ。……で、その場合そっちの二人はどうするつもりなんだ?」
アユムが言っているのはアーサーが連れて来たアインハルトとフィリアの事だ。無論、中途半端に手を伸ばしてその後を放置する訳には行かない。助けようとした以上は最後まで責任が伴うのだ。
「……まあ、とりあえず『ポラリス王国』に連れて行くよ。っていうか二人ともさっきから何かを察して両足にしがみついて離れないし、他に選択肢が無い」
その言葉を聞いて置いて行かれないと安心したのか、アインハルトとフィリアはアーサーの足から手を離した。軽くなった足を意味もなく動かす。
「随分懐かれてるね」
「思考レベルが同じだからだろ」
「……言いたい放題だな二人とも」
まあ、子供に好かれるのは悪い気がしないので別に良いが。
それよりも重要なのは今後の動きの方だ。早速向かうために外に出る。
「私は少し別行動を取る。未来から連絡が入ったらアユム、お前に連絡する」
「……どこへって聞かなくても何となく分かるのが嫌だな」
「良い機会だ。いい加減腹を割って話し合え」
苦笑いのアユムを残してクロノは『ポラリス王国』とは逆方向へと歩いて行った。アーサーは追った方が良いのではないかとも考えたが、二人の会話を聞いて深く立ち入るのは止めた。どうにも五〇〇年間の色々が関わっているように思えたからだ。
「じゃ、ぼくらも行こうか」
そう言ってアユムが掌を上に向けた手で何かを持ち上げるように上に動かすと、それに連動するように四人の立っている辺りの地面がくり抜かれて浮かび上がった。さらにパチン、と指を鳴らすと球形の透明な膜のようなものが周りを囲む。
「これは……」
「知ってるはすだ。『物体掌握』だよ。地面の一部分を操って浮かばせて、こっちが見えないように周りに反射パネルを創って張った。これでスムーズに移動ができる」
「こんな事ができるなんて……」
「きみはぼくの能力の全てを知らない。ぼくらの戦いの全てをね。当然だよ」
分かりきっていた事だが、改めてそう突きつけられると何とも言えない気分になった。『リブラ王国』での話を信じるなら、これでも全盛期の力には程遠い。それなのに彼らは『第零次臨界大戦』で失敗したと言った。アーサーは彼らと同じ『担ぎし者』だ。いづれ同じ道を辿るかもしれないと思うと気が気じゃなかった。
「ねえねえ、レン兄! これどうやって飛んでるの!? この人の魔術? 凄い魔術ね!!」
「ん……凄い」
足元でテンションの高い二人を見ると少しだけ気が緩んだ。そして半ば無意識に胸のロケットに手が向かう。
(……大丈夫、大丈夫だ。俺には頼りになる仲間がいる。それさえあれば、どんな困難だって……)
その仲間を取り戻すために、今はここでやるべき事をやろう。
アーサーは改めてそう誓った。