29 そして新たな国へ
『タウロス王国』には一人のお姫様がいました。
いた、という変なニュハンスなのは、今はいないからです。
一年前、当時の王様が死去して跡目争いが激化していた時期のある日、忽然と姿を消したお姫様。そのお姫様は華々しく、太陽のような少女で、国中のみんなに好かれていました。変装したうえで王宮を抜け出し、ロクな護衛も付けずに国を歩き回る事だってしょっちゅうだったそうですよ?
だからお姫様が消えた直後は国中が騒ぎになりました。彼女を疎ましく思った誰かが消しただとか、王家の跡目争いに巻き込まれて国外に追放されたとか、当時は色々な噂が流れたものです。特に『タウロス王国』には王家が所持する『オンブラ』という親衛部隊がある事も相まって、その噂の信憑性は増していきました。
しかし人は忘れる生き物で、一月もすればほとんどの人がその話題から離れ、新国王の誕生の話題へと意識が逸れていきました。さらに追い打ちをかけるように他国にも宣伝されて本格化した闘技大会の『竜臨祭』もあって、一年も経った今ではお姫様の話は食卓の話題にも上がらなくなりました。
今ではお姫様が失踪した理由も、その裏で何があったのかも、国民の誰にも分からないでしょう。生きているのか、死んでいるのか、それすらも分からないのでしょう。もしかしたら興味すら無くなっているのかもしれません。
ただ、どうあれ時代は進みます。
お姫様の件が関係あろうとなかろうと、『タウロス王国』は新たな体制を築きました。
後に戻る道はもうありません。先が奈落の底でも進むしかありません。お姫様の存在は永遠に人々の記憶の片隅に追いやられて、やがては消えていくのでしょう。
ただ、その輝きを忘れられない人達もいました。
彼女の事を忘れるのは仕方がないのかもしれません。けれど、ヒマワリが太陽の方を向こうとするように、彼女の輝きが生きがいだった人達もいたという事ぐらいは、覚えておいても良いかもしれませんね。
◇◇◇◇◇◇◇
アーサー達が辿り着いた国、『タウロス王国』は『ジェミニ公国』とは国風がまったく違う。
『ジェミニ公国』は小さな首都の周りに国中を点々と小規模な村や町が囲んでいる。地面も舗装などされておらず、砂の大地の上に家を建てただけで開発の手の行き届いていない『ゾディアック』一の時代遅れ国だ。それに対して『タウロス王国』は首都の周辺に森はあれど村や町はなく、首都一つで国として成り立っている、というかその部分は『ジェミニ公国』が例外なのだ。さらに首都の様子も全く違い、橙色や茶色といった明るい色が基準の壁で木組みの家に、大地は石畳が敷き詰められている。メインストリートには多くの店が立ち並び、喫茶店や料理店は広いメインストリートに机や椅子を出して外でも食事が出来るようにしており、常に街中が賑わっている。だというのに騒がしい訳ではなく、不思議とゆったりとした時間の流れが感じられる優しい国風だ。
そんな国に着いたのだから、すぐにでも回りたいと思うのは必然だった。しかしアーサー達にはそれよりもまずやらなければならない事があった。
「へい大将、これでいくら位?」
それは素材の換金だった。
人が生きていくのに必要なものは数あるけれど、基本的にはどこの世界でもお金が無いと生きてはいけない。まあジャングルの奥地で文明が数千年前から止まっていれば話は別だが、この『ゾディアック』では大半の人間がなんかしらの方法のお金を稼いで暮らしている。
一つは国に仕える仕事。騎士や文官などはこれに該当する。給料は国民の税金から支払われるので、国が滅びない限りは安泰な仕事と言えるだろう。
二つ目に自営業やそこでの雇用者。これは自分で仕入れたものや作ったものを売って生活する人達だ。当然、収入は安定しないし、立ち上げてもすぐに潰れるなんてのはザラだ。
三つ目は野獣を仕留め、その部位を売って換金する方法だ。これには面倒くさい前準備やこれといった規則もないので、かなり自由だ。しかもレアな素材を手に入れれば、それだけで数ヶ月何もせずに生活できる可能性もある。ただ命の危険はつきもので、運が悪ければ死ぬ。命よりもお金に天秤が傾いた人や、それ以外に何もできない人達が選ぶ道だろう。
このようにお金を稼ぐ方法や大きく三つ程あるのだが、アーサー達は三つ目の方法でお金を稼いでいた。今も『ジェミニ公国』からこの『タウロス王国』に来るまでに仕留めた獲物の素材を換金しに来たところだ。
アーサーが交渉に入って十数分。無事に換金し終わった所で、アレックスは恨み言のように呟いた。
「……納得がいかねえ」
彼が言っているのは換金された金額の事ではない。金額については想定していたよりも多く貰えたので、文句を言う箇所がないのだ。
では彼が何について不満を漏らしているのかというと、
「そもそも野獣を仕留めたのは全部俺と結祈じゃん! なのに何で金額が全員で折半なんだよ! せめて何割かくらいは俺達の方をかさ増しにしてくれても良いんじゃないですかねえ!?」
アレックスの物言いに、アーサーは溜め息をつきながら、
「仕方ないだろ、こういうのは適材適所だ。俺がやっても良いけど、俺のやり方だと獲物は木っ端みじん。とても換金できる素材は残らないよ」
ひらひらと手を振り、アーサーはそれに、と続ける。
「換金の交渉は俺がやってるんだ。そのおかげで普通に換金するよりは数割多く受け取ってる。これは三人の功績だろ?」
「そりゃそうかもしれねえけどよお……」
「大体、俺は『モルデュール』を作るのに素材を買わないといけないからお金を使うけど、お前は何に使うんだ? てっきり俺は万が一お金を落とした時に一気に全部なくさないように分けてるんだと思ってたんだけど」
「そりゃ美味いもん食ったり美味いもん食ったり美味いもん食ったりに決まってんだろ」
「……お前は食う事しか頭にないのか?」
「他に何があるんだよ。せっかく『タウロス王国』まで来たんだぞ、急ぐ旅でもねえし美味いもんでも食いてえだろ」
アレックスは心の底から分からないという風に首を傾げる。
「……まあ別に良いけどさ。くれぐれも無駄使いはするなよ? お金ってのはいつ必要になるか分からないんだからさ」
「彼女ができた時のデート代とかか?」
「お前にそんな相手がいればの話だけどな、それ」
「けっ、そんな心配のねえ野郎は好い気なもんだぜ」
「それどういう意味だ? 俺にだってそんな相手はいないぞ?」
「自覚がねえのがさらにタチ悪いぜ」
なおも頭を傾げるアーサーに、この話は不毛だと判断したアレックスは溜め息を吐いて視線を移す。
『タウロス王国』は商業と闘技が盛んな国で、他の国からも色々な人達が集まっている。その様子は結祈と初めて会った町に似ていたが、メインストリートは比べ物にならない程の多くの人で賑わっている。
アレックスはその中でもやはり料理店に興味を引かれたらしく、メインストリートへと足を向ける。
何かに導かれるようにふらふらと歩いて行くアレックスをアーサーは焦りながら止める。
「おいアレックス、勝手に行くなよ。この人だかりだぞ? せめて待ち合わせ場所か時間を決めないと、二度と会えなくなるだろ」
「む……まあ確かにそうだな。やっぱ何か連絡手段が無えと不便だな。おちおち別行動も取れねえ」
「それならマナフォンでも買いに行く? 換金した分のお金があれば買えると思うよ」
「マナフォン?」
結祈の提案したものは、アーサーもアレックスも聞き覚えのないものだった。結祈はそんな二人の反応を見てマナフォンの詳細の説明を始める。
「マナフォンは一般に流通してる短距離連絡手段で、自分の魔力で相手のマナフォンと魔力の回路を繋ぐ事で、安いやつでも同じ国内くらいならどこでも通話ができるものだよ。消費魔力は微々たるものだから、アーサーでも使えると思うよ」
「そんな便利なものがあるのか。どうだアレックス、買いに行くか?」
「そうだな。あって不便なもんじゃねえし、今後の事を考えたら必要だろ」
方針を決めると早かった。結祈の案内でマナフォンの売っているお店まで行き、性能云々よりもまず丈夫さを基準にして選ぶ。アーサーは白、アレックスは黄色、結祈は黒の色違いの同じ機種を選んで会計を済ませる。
マナフォンは二つ折りになっており、それを開くと一から九、そしてゼロの数字が書かれている。それぞれの番号ごとに相手の機種を設定し、ボタン一つで相手と通話できるという訳だ。ちなみに通話をする時には相手の番号がディスプレイに表示され、誰からかかってきたか分かるようになっている。アーサーは試しにアレックスと通話をしてみるが問題なく使えた。
「じゃあ集合はマナフォンで連絡を取り合うって事で。テメェもせっかく村の外に出たんだから、カロリーチャージばっかりじゃなくてちゃんとしたもん食った方が良いぞ」
それだけ言い残して、アレックスは多くの人が行きかう雑踏の奥へと消えていった。