288 P.時間を遡るという事
夢の中で、テレビでも見ているような感覚だった。
白い壁と天井。それはどこかの病院だった。銀に青を混ぜたような色合いの髪を持つ一〇代半ばくらいの少女は、必死な形相でその廊下を走っていた。そして勢いを殺さないままどこかの扉を開け放ち中に飛び込む。
部屋の中では、顔に白い布を掛けられている女性がベッドの上に横たわっていた。肩で息をしながら、彼女はベッドの上の女性に近づいて顔の布を取った。その顔は窺えないが、布をめくった少女の顔色でどういった状態なのかは分かった。
「……どうして、お姉ちゃんが……」
すぐ傍で椅子に座っている母親と思われる女性に、少女は目からは涙を流しながら詰め寄るように尋ねた。母親はベッドの上の女性の手を優しく握りながら答える。
「……子供を助けたからだそうよ。車に轢かれそうになっていた子供を、自分の身を挺して……。子供は助かったけど、×××は……」
声にノイズがかかって上手く聞き取れなかった。しかし母親の方には違和感は無いのか、ごく普通に口を動かし続けていた。
「……運転手の人は、いきなり飛び込んで来てブレーキをかける暇も無かったって……この子は独りで息を引き取ったの。誰にも看取られずに……」
限界だったのだろう。母親は堰を切ったようにベッドの上の女性にすがりつくようにして泣き出した。
途端に意識が遠くなる。
目が覚める時に似た感覚だった。
◇◇◇◇◇◇◇
次に目を開いた時、アーサーが見飽きたと言っても良い森の中だった。何か夢を見ていたような気がするが、今は頭を横に振って気を引き締める。
転移した先に過去のクロノがいるという話のはずだったが、近くに人の気配が無い。試しに『天衣無縫』の自然魔力感知を使ってみるが、やはりクロノの魔力は感じられなかった。
(……ん? 一つだけ魔力反応があるぞ?)
だがクロノにしては弱すぎる。やはり違うだろうが、今にも消えそうな魔力反応を無視できる訳がなかった。すぐに地面を蹴ってそちらに向かって走る。
そもそもが範囲の小さい魔力感知なので、場所はそれほど遠くなかった。ものの十数秒で目的の場所に到着すると、そこには服とも呼べないようなボロボロの布切れを身に着けた、ぼさぼさの白い髪の少女が倒れていた。歳は五歳くらいかもしれないが、なにせ全身の線が細すぎて正確には分からなかった。
「おい、大丈夫か? おい!?」
耳元で呼びかけてみるが反応が無い。口元に手を近づけると弱い息が当たるので、一応は呼吸をしているらしい。
死んではいないようだが意識が無いのも確かだった。アーサーは迷わず少女を抱えて持ち上げる。その体はビックリするくらい軽かった。
(ここがどこかは分からないけど、とにかく人がいる場所に速く行かないと……っ!!)
そして少女を揺らさないように慎重に一歩目を踏み出した所で、再び魔力感知に何かが引っ掛かった。それも腕の中の少女と同じような、今にも途絶えそうな小さな反応を。
「っ……ああもう!」
一体何が起きているのか分からなかったが、とにかく歯噛みした後すぐにそちらに向かって走った。案の定、そこには少女が倒れていた。今度は長い金髪の少女だったが、やはり体の線が細く、意識が無いようで倒れていた。
「……さて、どうしたものか……」
歳は腕に抱きかかえた少女と同じくらいだろう。しかし意識の無い少女を二人運ぶにはどうすれば良いのか。脇に抱えるのが一番手っ取り早いのだが、死にかけの少女をそんな風に雑に運んで良いのだろうか?
そんな疑問を抱えていると、また魔力感知に何かが引っ掛かった。
しかし今回は弱々しくはない。強大な魔力がこちらに一直線に向かって来る。
(この魔力は……っ!?)
その正体に気づいたアーサーはウエストバッグから短剣を取り出す。
その直後、葉は宙で止まり、頬を撫でる風の感覚が消える。周りの時間が止まった世界で、なお動き続けるアーサーは集束魔力剣を展開させて真っ直ぐ前に伸ばす。するとこちらに向かって駆けてきたその人物も開いた手の先に魔力の剣を伸ばしており、丁度互いに突き出した剣の切っ先を喉元に向けあう形で静止した。
「……まったく、手荒い歓迎だな、クロノ」
目の前にいたのは、一〇年前の『時間』のクロノスだった。その姿は今のような子供の姿ではなく、初めて会った時のような大人バージョンだ。
僅かに笑みを浮かべるアーサーに対して、目の前のクロノは怪訝な表情で、
「……なぜ私の名を知っている? それに時間停止中に動けるなど……お前は誰だ?」
「俺の体に触れてくれればすぐに分かるんだけど、先に言っておくぞ。俺はお前の力で未来から来た。変化した世界を元に戻すために」
「……お前の名は?」
その問いに対して、アーサーは敵意が無い事を示すために先に剣を仕舞ってから、
「アーサー・レンフィールドだ」
「……、なるほどな」
何かに納得したように呟くと、クロノも手刀の魔力剣を引っ込めた。そしてアーサーの肩に手を置く。
『お……少し時間のズレがあったようだが、上手く私に接触できたようだな。その頃の私は用心深かったはずだが、流石の女誑しぶりといった所か』
「ふむ……本当に私の声だな。しかしその言葉、自分に放っているという事を分かっているのか?」
「……二人とも仲が良いのは結構だけど、早く本題に入ってくれ」
居心地の悪いアーサーがそう催促すると、未来にいるクロノはわざとらしく咳払いをしてから、
『その時代で未来が大きく変わる何かが起きる。時間は明日だ。原因はこちらでも調べている。分かり次第伝えるから阻止してくれ』
「……ちなみに阻止しなかったらどうなる?」
『世界の人口が激減するくらいか。あとはそうだな……居場所を失う』
そう言われて、今のクロノはアーサーへと視線を移した。しばしの間見つめ合うと、クロノはふんっと鼻を鳴らして、
「一〇年後か……少し楽しみだな。その変化する前の世界ってやつが」
パチン、と指を鳴らすと停止した世界が動き出す。正直停止したままの方が二人の少女の容態が変化しないので助かっていたのだが、魔力の問題もあるだろうし言葉にはしなかった。
クロノはアーサーが担げない金髪の少女を抱き上げて先に歩いて行く。
「付いて来い、案内する」
「どこに?」
「来れば分かる」
相変わらずの秘密主義だった。アーサーは一度腕の中の少女の様子を確かめながら、なるべく揺らさないように慎重な足取りでクロノの後を付いて行く。
「ところでお前、未来の私からどれくらい注意事項を聞いている?」
「……心を穏やかに?」
色々言われたが、脅された事もあって一番印象に残っていた言葉を返すとクロノは前を向いたまま分かりやすい溜め息を吐いて、
「それは時間遡行時だけだ。つまり何も聞いていないんだな? まあ詳しくは追々説明していくが、とりあえずここでは極力本名を名乗るのは控えろ」
「どうしてか聞いても?」
「『直列次元・時間遡行』で来たんだろ? ならここにいないはずの人間が存在している時点で問題なんだ。例えばお前自身に会ったらどうする?」
「そりゃ……俺の事だし、ありのままを伝えても大丈夫だと思うけど」
「では聞き方を変えよう。お前は一〇年前、未来から来たお前自身に会っているのか?」
「……」
「そういう事だ。ここでのお前の行動が未来にとって良い方向に変わるとは限らない。それを肝に銘じろ」
そんなクロノの言葉を反芻しながら歩くこと一〇分程。彼女の目的地は遠くなかった。というより、アーサーにも見覚えのある場所だった。
「ここは……」
『リブラ王国』の郊外。かつて心折られた少年が、立ち直る最初の切っ掛けを得た場所。そして同時に『ディッパーズ』というチームを最初に意識した場所でもあった。
「もしかして、ここには……」
「知っているのか。そう、翔環アユムの住処だ」
さらっと答え合わせをすると、クロノは遠慮なく足を使ってドアを強引に蹴って開けた。両手が塞がっているとはいえ流石にどうかと思ったが、この家の家主である彼はそんなに気にしていないようだった。
「……まったく、きみは相変わらず遠慮が無いな。それに住処っていうのもどうかと思うけど」
「ぁ……」
呆れ顔で喋っているのは一〇年後と容姿の変わっていない翔環アユムだった。だがこの瞬間は向こうにとっては初対面なので、それを意識しながら緊張した面持ちでクロノに続いて家の中に入る。相変わらず物の少ない生活感のない家だった。
「それで、わざわざきみが来るなんて何の用だ? 単なる子供の保護っていう訳じゃないんだろう?」
「ああ、勿論だ。こっちの男は未来から来たんだ。なんでも、過去を変えられたらしい」
「……まさか、そんなの有り得ないってきみならぼく以上に知ってるだろ」
アユムが呆れた笑いをしているのを見て、アーサーは口を挟む。
「……あなた達は『ディッパーズ』として五〇〇年前に『魔神石』を使って『一二災の子供達』を造った。それが世界に平和をもたらすと信じて疑わずに。そしてそれらを奪い合う『第零次臨界大戦』が起きてローグ・アインザームと袂を分かった。……合ってるだろ?」
あの時言われた話をざっくりまとめて話すと、笑っていたアユムが真剣な表情になってアーサーを睨んだ。
「……誰にも話してないはずだ」
「今はな。でもいずれ話す、未来で」
「……なるほどね。未来から来たっていうのは本当らしい。『時間跳躍』じゃなくて『直列次元・時間跳躍』かな、状況的に」
「話が早くて助かるよ。丁度良いし、手伝いを……」
「断る。悪いけど、世界に関わるのは止めたんだ」
緊張を解くようにふっと笑みを作って告げ、アユムは踵を返してキッチンの方へと向かっていく。
「ま、久しぶりのお客さんだしもてなしくらいはするよ。もてなすだけだけど、ね」
「……」
彼が背中を向けているのを確認しながら、アーサーはクロノに小声で話しかける。
「未来でも積極的とは言えなかったけど、一体何があったんだ?」
「……私の口からは言えない。だが協力は期待しないことだな」
「でも未来でお前に立ち直らせろって言われたんだけど……」
「それはまた無理難題を吹っ掛けられたものだな」
「いや、その張本人がお前なんだけど……」
くつくつと笑いながらクロノは金髪の少女をベッドに寝かせるためにベッドの方に向かった。アーサーも白髪の少女を同じように寝かせるために付いていく。すると彼女は一度だけ振り返って笑いながら、
「ま、頑張れ」
「他人事だからって全く……」
ありがとうございます。
今回の章では過去と未来が行き来するので、題名の最初に未来の話には『F』、過去の話には『P』をつけています。
では、次回はアーサーを送った未来での話です。