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村人Aでも勇者を超えられる。  作者: 日向日影
第一五章 未来とは決められたものなのか? Slaves_of_Fate.
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287 F.在るべき世界を取り戻すため

 今回はまだ私が『翔環(とわ)』でもなく、特別な力も持っていなかった、元居た世界のただのナユタだった頃に読んだ、ある絵本の話をしましょうか。


 その物語は、共に五〇歳で死んでしまう二人の少年の物語です。


 一人は生まれた時から全てを持っていました。貴族という裕福な家柄、恵まれた体格、勉学や武道の才能にも秀で、指導者も完璧。幼き頃から相思相愛だった許嫁と結ばれ、尊敬できる両親や愛すべき妻、そして最愛の子供達に囲まれ、これ以上無い幸せを最初から授かっていた少年。


 もう一人の少年には何もありませんでした。両親は物心がつく前には死んでおり、顔すら知らない天涯孤独の身。見ている方が痛々しいくらいの骨が浮き出ている貧相な体つきに、生まれつき不自由なのか目は片目しか開いていません。当然頼れるような友人は一人もおらず、食事はゴミ捨て場を漁って一日一食あれば良いという生活。まさにこれ以上無い不幸を生まれつき背負っていた少年。


 同じ国にいながら正反対の二人。

 しかし彼らが二五歳の時に起こった戦争が全てを変えました。


 戦争の舞台となったのはその国の中で、貴族である彼は戦士として戦い、獅子奮迅の戦いぶりを見せるものの破れ、手足を一本ずつ無くすという大怪我を負いました。さらには貴族である家族も狙われ、両親や妻、そして子供達は一人残らず殺され、貴族の資格どころか家そのものまで失いました。そして五〇歳で死ぬ時、彼の周りには誰一人としていませんでした。


 貧困から脱するために志願兵として参加した少年は、戦争の中で初めての戦友を得、幾度となく剣を振るい、武勲を立てる事でのし上がっていきました。さらに戦火の中で愛しい女性と結ばれ、子供も授かり、戦後は裕福とは言えないまでも幼少期に比べたら夢のような穏やかな生活を死ぬまで送りました。最期の時は妻や子、かつての戦友達に囲まれながら逝きました。


 共に人生の半分ずつを幸福と不幸で生きた二人。

 どちらの方がより幸福な人生だったのだろうか? この絵本の最後はそんな風に、読者への問いかけで締めくくられています。


 その答えについて賛否はあるでしょう。

 けれど私は、この絵本を思い返す度に思うのです。


 結局一番不幸なのは。

 何も無かった不幸な者が全てを手に入れ、また全てを失うことではないか、と。





 ◇◇◇◇◇◇◇





 全てが変化した世界。

 しかし、そんな世界にも当たり前のように普通の時間が流れていた。

 無論、最初の方は混乱があった。次第に誰も騒がなくなったのは、アレックスがレミニアの事を忘れていたように、誰もが変化する前の事を忘れ始めていたからだ。

 個人差があるのか、記憶が残っている者も少なからずいたが、大多数の意見に流されるのが人間の性なのだろう。次第に薄れゆく記憶よりも今に目を向けて歩き出していた。

 だが、記憶を維持した少数派の中にはまだ諦めていない者達がいた。

『イルミナティ』。光に照らされるもの。

 彼らは今、『ポラリス王国』に集いつつあった。


「……なんか、思ったよりもパサパサでモソモソするな」

「知らないで頼んだのか? ポップコーンってのはそういうものだよ。まあ一般的に朝食から食べる物では無いだろうけど」


 適当な喫茶店のテーブルで、二人の少年は顔を突き合わせて呑気な雰囲気で朝食を取っていた。別に諦めている訳ではない。ただ単に他のメンバーが集まるのを待っている間、腹ごなしをしているだけだ。


「やっぱだめだ」


 観念したように呟いたのは、どこにでもいるごく普通の少年、アーサー・レンフィールドだ。彼はそう言うやいなや、店員を呼んでミルクを注文し、運ばれてくるとすぐにそれをポップコーンのある器の中に流し込んだ。

 それを信じられないように若干引いて見ていたのは、異世界から勇者という役割で来た異邦人、ヘルト・ハイラントだった。


「おいちょっと待て。どうしてミルクなんか入れてるんだ!?」

「いや、水分を加えたらマシになるかなって。あ、すいませーん! スプーン貰えますかー?」


 ちなみにスプーンを持って来た店員も、アーサーの目の前にあるメニューに無いはずの皿を見て驚いていたが、そんなもの今更気にする異端児代表アーサー・レンフィールドではない。受け取ったスプーンでミルクの中のポップコーンをすくって口に運ぶ。


「うん、さっきより断然美味い」

「うそ、だろ……?」

「いやいや本当だって。キャラメルがミルクに溶けて良い感じだし、モソモソ感もなくなったし」

「いや、舌馬鹿すぎるだろ……。とりあえずポップコーンに謝れ、それはそうやって食べる物じゃない。そんなにミルクをかけたいならシリアルでも食ってろ」

「はっ! ルールに縛られる。それがお前の限界を表してるよ、新米勇者。もっと広い視野と柔軟性を持たないからお前はダメなんだ。というか、そもそもこれは俺が注文したものだ。食べ方はこっちで決める」

「そういう話じゃない。料理ってのは作った人が決めた美味しい食べ方ってものがあるんだ。それを守らないのは料理への冒涜だぞ。食べられれば良いってものじゃないんだ!」

「だ・か・ら、俺にとってはこれが一番美味しい食べ方だって言ってるだろ。俺の食べ方に文句があるなら、この世にある全てのアレンジ料理を根絶してからにしろ!」

「それを言ったら戦争だ! 今この場で白黒つけてやる!!」

「上等だこの野郎! 『魔族領』の時の俺と一緒にするなよ!!」

「―――いい加減にしろッ!! お前ら今の状況を分かっているのか!?」


 今にも取っ組み合いを始めそうになっていた水と油に、怒声を発したのは空いた席に座っていたクロノだった。


「どうしてお前らはこう仲が悪いんだ。くだらない言い争いはそこまでにしろ」

「「くだらなくない!!」」

「……もしかしてお前ら、案外仲が良いんじゃないか?」


 息の合った怒声にそう呟くと、二人は揃って笑い、


「おいおいクロノ、冗談はやめてくれよ。こいつと仲が良いなんて有り得ない」

「そうだ有り得ない。ポップコーンにミルクをぶっかけて食うくらい有り得ない」


 しばしの沈黙の後、


「「ああん? やんのかコラァ!!」

「……やはり仲良いだろう貴様ら」


 再びいがみ合う二人をみてクロノは溜め息を吐いて呆れた。


「……クロノも大概流されていますよ?」

「それより、ワタシは『イルミナティ』だっけ? その説明すらされてないけど。どうして仲の悪いアーサーとヘルト・ハイラントが合流してるの?」


 乾いた笑いを漏らしながら言うのは、クロノの正面に座るラプラスだった。さらにアーサーのもう一つの隣に座っている近衛(このえ)結祈(ゆき)も、事の成り行きを黙って見ていたがようやく口を開いた。


「あー……それは」


 勝手に説明する訳にもいかないので、ちらりとクロノの方を確認すると首を横に振られた。結祈には話すなという事だろう。


「……悪い結祈。ちょっと説明が難しくて……今度ちゃんと説明するから」

「今は説明できないって……?」

「……そうなる」

「……分かった。じゃあ席も外すよ。話が終わったら連絡して? アーサーが何も言わずに力を貸せって言うなら貸すから」

「……悪いな。虫の良い話で」

「別に良いよ。アーサーが素直に力を貸してくれっていうこと自体が珍しいし。それにワタシだって、みんなを取り戻したいんだから」


 それだけ告げて、本当に結祈は席を立った。アーサーは申し訳ない気持ちだったが、結局最後まで引き留めるような言葉は言わなかった。


「……マスター」

「大丈夫。必要な事だから」


 心配そうな声音で話しかけて来たラプラスに強い語気で返す。

 迷いは無い。世界を守るために『イルミナティ』という装置が必要だと言うのなら、どれだけ自分の心や周囲の世界に背いても構わないと。


「いいや、正直見直したよ。君が何も言わずに見送った事にはね」


 突然発せられた声の方を見ると、アーサーには見覚えのある円形の穴から数人がこちらに出てきた。

 そこから出てきたのは、トランプのジョーカーのようなふざけたお面を付けたスーツの男、ハッピーフェイス。車椅子に座った金髪の女性、エレインおよびアナスタシア・セイクリッド。さらに一時別行動を取っていた銀髪ショートカットのセラ・テトラーゼ=スコーピオンがいた。


「『接続魔術』って事はダイアナは無事なんだな。協力して貰ったのか、セラ?」

「あいつも『シークレット・リーグ』だからな。混乱状態の国があるからここには来れなかったが、状況が状況なだけに無理を言って送って貰った。おかげで早急に集まる事ができた。クロノ、後の説明は任せるぞ」

「任された」


 短く返事をしてクロノは立ち上がる。そして他の『イルミナティ』の面々である六人をぐるりと見回してから、言葉を発する。


「現在の状況は過去の改竄によるものだ。変化は波のように訪れる。第一波で大勢が消えて世界が変化したように、この後も第二波、第三波と襲いかかってくる。対象になれば消えるだけでなく、記憶を失ったり、今いる場所から消えて別の場所に別人として再出現する事だってあるだろう」


 クロノの言葉で周囲に緊張が走る。彼らにはすでにその脅威が分かっているからだ。成す術なく目の前で仲間が消えるその無力感が何よりも。


「『時間』の力である記憶保持能力を持つ私、『担ぎし者』のアーサー、そして異邦人のヘルト・ハイラントは物理的にならともかく、この手の類いで記憶を失う事は無い。だが他の者は別だ。どちらにせよ時間が無い。迅速に動くぞ」

「迅速に動くのは賛成だけど、具体的にどう対処するんだ? ぼくらも過去に行くとでも?」

「その通りだヘルト・ハイラント。私達も過去に行く」

「あっ、もしかして前に使ったあれか?」


 アーサーが思い出していたのは『ピスケス王国』での出来事だった。あの時ノイマンに足止めされ、クロノが時間を遡っていなければあの結末には辿り着けなかった。アーサーが追いついた時には、もっと血みどろの結末が待っていたはずだ。

 起こってしまった事実を前提から嘲笑うかのように覆す力。それがクロノの操る『時間』なのだ。


「いや、今回は無理だ。アレは使えない」


 しかしアーサーの予想に反してクロノは否定した。疑問顔を向けるアーサーにクロノは溜め息を吐きながら、


「仲間を失って自慢の思考が止まっているぞ、アーサー。『ピスケス王国』の時も数十分で魔力がギリギリだった。『無限』の魔力を保有するレミニアがいれば話は違っただろうが、その程度戻った所でこの事態は覆せない」

「じゃあどうやって過去に……」

「だから別の方法を使う。ヘルト・ハイラント、頼んでいたモノは?」

「……ああ、持って来たよ」


 うんざりしたように呟きながら掌を上に向けて手を掲げると、異空間から掌サイズの球体を取り出した。その球体はガラスのように透明で、中心に納められている石が薄い青の光を放って輝いていた。


「……おい、ヘルト。それはもしかして……」

「『W.A.N.D.(ワンド)』じゃ『スフィア』なんて呼ばれてるけど、ご察しの通り『箱舟』のノアの『魔神石』だ。まったく大変だったよ。まさか長官になってまで盗人みたいな真似をするとは思わなかった」


『箱舟』のノアは、ほぼ無限のエネルギーを供給する。『ホロコーストボール』や『ウラヌス』へとエネルギーを供給してもなんら変化がない程に。その性質を利用して『W.A.N.D.(ワンド)』はその昔、初代長官ブルース・スミスの時代からエネルギー源をそれに頼っている。こうしてここにある状況は、ヘルトがどれだけ無理をしていて今回の件に真面目になっているのかの証明でもあった。


「一応言っておくけど、扱いには気をつけてくれよ? 凄まじいエネルギーを秘めてる石だ。外側が砕けたらどれだけの威力が生まれるか分からない」

「分かっている。それを渡せ」


 クロノに催促されるままヘルトは『スフィア』を渡すが手を放そうとしなかった。二人で『スフィア』を掴んだまま、ヘルトは浅く息を吸ってから、


「……過去に戻ったとして、本当に元通りになるのか? もしかしたら今よりもっと酷い事になる可能性もあるんじゃないのか?」

「今の言葉で『時間』に対してお前がどういう認識なのか分かったが問題無い。お前の懸念は見当違いで無駄だ」

「根拠は?」

「秘密だ。悪いが『時間』には制約が多くてな」

「……それで納得しろって?」

「お前に取り戻したい人がいるならな」


 そこまで問答を繰り返してこれ以上は無駄だと悟ったのか、ヘルトは『スフィア』を手放した。クロノは『スフィア』の中心にある『魔神石』を見つめながら、


「……過去に行くのはアーサー、お前だ。準備は良いか?」

「ちょっと待て。過去に行くのは一人だけなのか? それにぼくじゃダメなのか?」

「二人以上は魔力が足りん。それにこっちでも過去を改竄した装置を破壊しなければイタチごっこだ。どちらにせよ二手に分かれる必要がある。そして過去には私という安定の戦力があるが、こちらの障害は未知数だ。いざ装置があった時に『分解』の力があるお前の方が何かと便利だ。異論はあるか?」

「……ま、納得はできるかな」


 まだ何か引っかかっているようだが、クロノの説明に対して明確な否定が思い浮かばないのか、ヘルトは腕を組んで椅子に座り直した。


「―――それでクロノ。すぐにでもアーサー君を過去に送るんですか?」


 すっと車椅子から立ち上がったのはエレインではなく、その体の中に魂だけで存在しているアナスタシアだった。真っ直ぐな瞳で放たれる言葉に、クロノは首を横に振って、


「いや、問題が一つある。ラプラスの演算能力を持ってしても、過去のどの地点で改竄が行われたのか正確には分からない。それを探す手段が必要だ。……アーサー、お前なら知っているはずだぞ?」

「……おい、まさか」


 知らない情報をくれる者に、アーサーは一人だけ心当たりがあった。

 そして、その相手の事を頭に思い浮かべた瞬間、横合いから声が放たれた。


「という訳で、呼ばれて登場クロネコだよ」


 ばっ、と全員の視線が一点に注がれる。先程まで結祈が座っていた椅子に、いつの間にか黒いローブでフードを顔が見えないくらい深く被った誰かが座っていた。

 これだけのメンバーが揃っていて、誰一人としていつからそこにいたのか分からない。そんな異常事態に対してクロネコはあっけらかんとした態度で、


「久しぶり、アーサー。最近頼りにしてくれないから寂しかったよ」

「……悪い。最近ちょっとごたごたしてて。本当に久しぶりだな、クロネコ」


 突然の登場に驚きこそしたが、何だかんだ言っても古い友人だ。久しぶりの再会に嬉しくない訳がなく、こんな状況だというのに自然と頬が緩む。


「おほん。マスター、こちらの方は?」

「あっ、そうか。ラプラスは初めてだったな。情報屋のクロネコだ。俺の一番古い友人でもある」

「クロネコだよ。よろしくね、ラプラス」

「……はい。よろしくです」


 よろしくとは言いつつも、何か値踏みをするようにラプラスはクロネコの事を見ていた。まあ顔も見せない相手なのだ。警戒するのは当然だろう。

 しかしアーサーの知り合いという事で一応は信用したのか、深くは事情を尋ねようとしなかった。


「それでクロネコ、聞きたい事があるんだ。ああ、その前に。この世界が変化している事には気づいているか?」

「勿論、気付いているよ? アーサー達がそれを修正しようとしてる事もね」

「っ、……だったら話は早い。クロネコ、過去のいつ、どの時間で何が原因で世界が変わったのか教えてくれ」


 質問に対する答えを導き出し、報酬と引き換えに教えてくれるのがクロネコだ。

 しかし何故か、今回は歯切れが悪かった。


「うーん……過去のいつ、どの時間で改変が行われたのかは教えても良いけど、原因については厳しいかな」

「厳しい?」

「うん。『時間』関連の情報は色々とルールが複雑なの」

「……って事だけど、クロノ」


 今回も独断で判断する訳にはいかないので、再びアーサーはクロノの方を見る。すると彼女は溜め息交じりに。


「まあ、問題無い。原因はこっちで探ろう。それで日時は?」

「日時は一〇年前の今日だね。あ、報酬はアーサーが作ったそれで良いや。メニューに載ってない食べ物ってロマンがあるし」

「冗談だろ……」


 心底信じられないといった調子で呟いたのはヘルトだった。実は彼のこういう状態は珍しいのだが、彼と親しい者がいない中では特に誰も気にしていなかった。クロネコも特に気にしないまま、アーサーが作った特製ミルクインキャラメルポップコーンを口に運んで美味いと一言感想を放つ。ヘルトはなお一層信じられないといった風に弱々しく首を横に振っていた。


「とにかく日時は分かった。こっちに来い、アーサー」


 クロノが差し出してきた手をアーサーは握る。その傍らにはラプラスが付き添っていた。ただし触れていると彼女まで巻き込まれてしまうので、触れないようにすぐ近くの位置で留まっただけだが。


「アーサー、お前と私は回路(パス)で繋がっている。だから会話は可能だが、戦闘中など会話に応じられない時もある。極力控えてお前の判断で動け」

「分かった。異常があった時にだけ連絡する」

「それと良いか、今回は時間の巻き戻しではなくお前自身を過去に送る。だから流れる時間は違うが、それでもなるべく急いで行動しろ。別の時間の人間が長く留まるのは好ましくない」

「過去に戻って急いで行動する、だな。それから?」

「お前が過去に戻ったら近くに一〇年前の私がいるはずだ。すぐに触れるか触れさせろ。それで私が直接協力を取り付ける。その後で過去にいる際の注意事項を聞け。それと最後に大事な事だが、過去にはお前の知っているヤツらがいる。行けば分かるが、ヤツらは今とは違う。忍耐強く接しろ。私やアナ達がお前にやった事を、ヤツらにもやってやるんだ」

「……まあ、なんとかやってみるよ」


 ヤツらとクロノが呼んだのが誰なのか、何となく予測はできるが確認はしなかった。わざわざ濁したという事はそれなりの理由があっての事だと思ったからだ。

 注意事項はそれで終わりだと言わんばかりに、クロノは一層強くアーサーの手を握り締める。


「じゃあ送るぞ。リラックスして心を穏やかに」

「は……? 何だって?」

「今回は私が付き添えないし、戻る時間が長い。精神状態が不安定だと目的の時代に飛ばせず、間の時間のどこかで彷徨う羽目になる。そうなったら私でも探し出せなくなり、二度とこの場所に戻れなくなる」

「お、オーケー。心を穏やかにだな。……セラピストでも呼んでくれたら楽なんだけど」


 おどけるように苦笑いで呟くアーサーを叱責するように、クロノはさらに手を強く握った。そして鬼気迫るような視線でアーサーを射抜く。


「侮るなよ。時間旅行にはそれだけリスクが付きまとうという事だ。過去にいる間、お前の行動は未来を変える。この世界の現状はお前以外の誰も知らない、全てが白紙の状態だ。慎重に行動し、大人しく指示に従え。肝に命じろ、向こうの私の言う事を必ず聞くんだ」


 まるで初めておつかいに行く子供に何度も注意事項を言い聞かせている母親のような様子だった。いつも冷静沈着なクロノがそれだけ慎重になっているという事は、時間旅行には本当に危険が付きまとうのだろう。

 ごくりと唾を飲み込むアーサーの返事をクロノは待たなかった。


「『直列次元・時間遡行(ノア・クロノス)』」


 彼女の持つ『スフィア』が眩い光を発し、二人の足場に魔法陣が広がる。そして繋いだ手から『魔神石』二つ分の力が流れ込んで来て、アーサーの意識の線が細くなっていく。


「マスター!」


 次第に白くなっていく景色の中で、傍らにいた少女の声だけが耳に届いて来た。


「過去には制約が多いです! きっと、変化を気にして迷う事もあるでしょう。ですがそんな時は、心の中のコンパスに従って……っ!!」


 言葉は最後まで聞こえなかった。

 でも聞こえた部分だけで十分だった。

 返事ができなかったのが心残りだが、そうしてアーサーは一人、全てを取り戻すために過去へと旅立った。

ありがとうございます。

時系列的には第一三章の続きとなる第一五章です。

今回は三〇話ほどになりますが、お付き合い頂ければ幸いです。

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