274 最凶の魔法
アーサーが伸ばした手はギリギリ届かなかった。それは魔法が発動するまでに、というだけでなく、魔法が発動した後もだった。
理由はたった一つ。
「なっ!? こ、これは……!!」
驚きの声は自然に漏れた。
それは起きた現象が、あまりにも現実離れしていたからだ。
「横に落ちる!?」
ぐるん、と意識が変わる。
今まで立っていた大地が壁に、それ以外が足場の無い奈落へと変わる。
(冗談じゃないぞ!! 下に落ちるなら地面があるけど、横に落ちるならどこまで落ちるんだ!?)
永遠にこのままなのは流石に嫌なので、横に生えてる木に向かって必死に手を伸ばすが届かない。とはいえここは森だ。木が一本という訳でもないので、すぐに落下方向にある木に着地した。そして同じように近くの木に着地したラプラスとクロノの方を見る。
「この魔法の効果は分かるか!?」
「……まあ、『重力操作』と言っていたくらいだからな。効果はその通りなんだろ、う……!?」
クロノの回答の最中だった。
今度は体が上に落ちる。折角得た足場からまた離れ、地面という名の天井を見上げながら終わりの見えない空へと落ちていく。
今度は木なんていう足場は無い。このままでは確実に死ぬ。
「二人とも掴まれ! 俺が『幾重にも重ねた小さな一歩』で……っっっばあ!?」
今度もそれは突然訪れた。
体を両側から押し潰されるような衝撃が走り、口から苦悶の声が漏れる。するとすぐに空への落下が収まり、今度は地面の方へと落ちていく。そして丁度押し潰された辺りで体がピタリと停止した。
「こ、れは……何だ?」
「……能力の限界地点、でしょうか。上から下の重力と、下から上の重力が干渉し合っているんです。となるとノイマンの魔法の効果範囲はざっと半径一〇〇メートルといった所ですか……」
「無論、もっと広くなる可能性もあるがな」
「……とりあえず手でも繋いでおくか? 次、いつ来るかも分からないし」
などと言っていた直後だった。
次が来た。今度は真っ当な下方向に、ただしいつもの三倍の重力が。
「ごッ……ァ……!?」
もはや声を発する余裕も無かった。横殴りにされたような衝撃と共に体が地面へと落ちていく。手を繋ぐ暇も無かったので、三人揃って効果範囲外へ逃げるという選択肢も無い。
(しかも葉のせいでノイマンの位置が分からない! こうなったら数だ!!)
『鐵を打ち、扱い統べる者』を使い、アーサーは槍を精製する。それも数え切れない量を、ほぼ隙間なく敷き詰めるように。
(その名の通り槍の雨だ! どこにいるか知らないけど、食らえノイマン!!)
初速だけはアーサーが与え、後は三倍の重力が槍を落としていく。槍は空気抵抗が少ない分、アーサー達よりも早く落ちる。向こうには『予測演算』があるので躱される心配もあるが、きっとヤツはそうしないとアーサーには分かっていた。ここに来て先程のコンフリクトの利用が活きて来る。
だがノイマンの対処も迅速だった。
重力の向きが再び変わる。ただし今回は上下左右のどちらでもなく、空中のある一点。そこに向かって全てが吸い寄せられていく。
(あいつの魔法、重力の方向を変えるだけじゃなくて、重力の中心点を作る事もできるのか!?)
となると状況は変わる。ノイマン目掛けて下に放った大量の槍が、重力に従い中心点へと集まっていく。
(くそッ!! 手順変更、存在回帰!!)
自分で創り出した槍を自ら消す。全ての槍を操るという選択肢もあったのだが、それを行うには集中力が必要であり、時間も無かった。
それを見ていたのか、槍が消えた途端に重力が元に戻る。三人はその当たり前の重力の向きを不気味に感じながら着地する。
視界の先にはノイマンが立っていた。
「うーん、どうにも落下死とかは狙えそうにないか。やっぱり直接叩く方が私好みでもあるし」
瞬間、ノイマンの体が掻き消える。
魔力感知にも引っ掛からない速度で消えたノイマンは姿を現さなかった。ただ突然アーサーの体が後方に吹っ飛んだのだ。
「マスター!?」
「チィ―――『時間停止』!!」
クロノの力で時間が止まる。が、『カルンウェナン』によりアーサーだけはその世界に入っていた。クロノは胸を抑えてうずくまるアーサーに駆け寄る。
「おい、アーサー! 無事か!?」
「げほっ、がはッ! く、クロノ……今のは、何だ……!?」
胸を抑えてえづくアーサーだったが、思ったよりもダメージの無い事にクロノはほっと息を吐く。
「……悪いが停止限界だ。時が動き出したらラプラスを含めて話す」
「……は? 待て、短すぎ……」
アーサーの言葉の途中で時間停止が終わった。世界の時が再び動き出した瞬間、アーサーは何かを感じ取ってクロノの体を押し飛ばすようにぶつかっていった。
しかし回避の行動は意味を成さず、今度は顔面を何かに殴り飛ばされたような挙動でアーサーの体が海老反りになる。
(あ……ぐッ、『その意志はただ堅牢で』のおかげで、ギリギリ意識は、保ててる……っ)
奥歯を噛みしめて、か細く残った意識の糸を繋ぎとめた。
「くそ……『天衣無縫』の感知すら追いつかない。何だよあの攻撃は!!」
「……ローグとの雑談で聞いた事がある。人間に流れる時間は重力によって変わるらしい」
時間停止中に言っていたように、ラプラスがこちらに駆け寄って来たのを確認してからクロノは話し出す。
「この星の重力を1Gとして、重力が重かったり軽かったりするほど、1Gで暮らす人間とは時間がズレていくんだ。それも重くなればなるほど遅くなる」
「つまりあいつが速くなってるんじゃなくて、こっちの重力が重くなってるって言うのか? でも別に体は重くなってないぞ!?」
「相手は魔法だぞ? 今言った理屈は無理矢理当てはまるというだけで、本来理屈など関係無い。現実にヤツの速度は私達の感知能力を越えている。問題はそこだけだ」
「……そいつも問題だけど、こいつと戦ってるだけでみんなだけ先に大人になってくなんて流石に嫌だぞ? 大丈夫なのか?」
「その辺りは問題なさそうです」
アーサーの不安を解消しようと発言したのは、クロノではなくラプラスだった。
「周りの木々は枯れていません。これはシンプルにノイマンだけが加速していると考えた方が良いでしょう」
その一言でアーサーの懸念は吹き飛んだ。
敵を打ち破る事、それだけに思考を回して答えをすぐに出す。
「それなら後は簡単だ。クロノ、時を止めてくれ。あいつがどれだけ速かろうと、時を止めれば関係無い」
今さっき、時を止めている時は攻撃してこなかったように。
どれだけ速かろうと、彼女が移動するのに時間は必要だ。それがゼロコンマ一秒以下だろうと、時間停止中の経過時間はゼロだ。絶対に越えられない。
しかし、ここでアーサーの知らない問題が一つ。
「かつてならそうだろうな。だがラプラスには伝えたが、『オンリーセンス計画』の影響で今の私は数秒しか時間を止められない。停止時間数秒でヤツを倒せるか? 近くにいる時に止められるならまだしも、遠くにいた場合は? 時を止められるのはナユタと繋がっているヤツも当然知っているし、もし外せばインターバル中に確実にやられる」
「……停止限界時間は?」
「九秒、といった所だな。二ケタの壁はデカくてな」
「……、それなら」
今の情報を加味し、思考を練り直す。
今の自分が使っている魔術、そして傍らのラプラスを見て答えは出る。
「それなら、あいつが近くにいる時に確実に時を止められる方法があれば良いんだな?」
「……あるんですか、そんな方法が?」
「ラプラスは嫌がりそうだし、何より俺もこんな理由でやりたくはない事だけど」
「個人の感傷に拘っている余裕は無い。話してみろ」
クロノに言われるがまま、アーサーは思い付いた策を話す。
それは現状、たった一つだけの策だった。
◇◇◇◇◇◇◇
(さてさて、そろそろ動く頃かな)
ノイマン側からの視点は、加速しているという訳ではなくアーサー達が止まっているようなものだった。先程アーサーは戦闘勘を用いて魔力感知できないノイマンの動きを読んでいたが、その動作だって今の彼女にとってはスローモーションでしかなかったのだ。今だって三人が固まっている周囲をぐるぐると回って様子を見ているだけだ。
(『時間』のクロノスの力を使ってくるのは分かってる。でも停止時間に限界があるみたいだし、さっき使われた時に『予測演算』で限界時間の逆算は終わってる。この距離は子供の体型の彼女は届かないし、転移は彼自身の方がやられると分かってるだろうから使って来ない。さらに強化状態のアーサー・レンフィールドでも一〇秒は無いと到達できない。私はここで彼らが切り札の時間停止を使うのを待ってから、その終了直後に叩けばそれで良い。よって、いくら演算し直しても彼らが勝つ確率はゼロに等しい)
そこまで自分の優位を確認してから、しかしノイマンはペロリと乾いた唇を舌で湿らせながら、
(だ・け・どぉー。その程度の予測は越えてくれないとつまらないんだよねぇ)
勝ちたいのか敗けたいのか判断のつかない心境でノイマンは嗤う。そもそも彼女にとって勝敗は大した問題じゃないのかもしれない。殺し、殺される、そんな命をしのぎ合う快感を味わえればそれで良いのだろう。
造った者のせいなのか、それとも生来のものなのか、とにかく彼女はそんな風に狂っている。
そして事態は突然動く。
次の瞬間、嗤っていたノイマンの顔面を、硬い拳が殴り飛ばしたのだ。
「げっ……ば、う……っ!?」
あれだけ予測が覆される事を望んでいたノイマンだったが、実際に起きると何が起きたのか全く分からなかった。こんな現象は予測したどの未来でも無かったのだ。
拳を振り切っていたのは当然アーサー・レンフィールド。だがまるで瞬間移動したようだった。それも運動エネルギーがキャンセルされる『幾重にも重ねた小さな一歩』ではなく、彼が拳を振り切っていた時にはすでに殴り飛ばされていたような感覚だった。
ノイマンは止め処なく血が流れる鼻を抑えながら、アーサーの方を見る。
「……じ、時間停止の限界は九秒のはず。限界まで近づいてたとはいえ、一○秒は必要な距離だったはずなのにどうやって……っ」
「流石に思考が追い付かないか? 停止時間は一二秒だ」
当然、クロノの力が突然上がった訳ではない。そんな都合の良い事はそうそう起きない。
では何が起きたのか?
その答えは、アーサーが掲げるように前に突き出した右手にあった。
「お前の想定通り、確かにクロノの時間停止は九秒が限界だ。だから、足りない分は俺が時を止めた。『時間停止』の時間停止限界直後に、三秒だけ。おかげでギリギリ届いたよ」
ありがとうございます。
それでは、一応次回でノイマン戦決着です。