270 そして、ネミリアは識った
「ここは……」
ネミリアが目を開くと見た事もない場所に立っていた。いや目を開く、という表現は正しくなかったか。自分の体は半透明で、これがアーサーの失われた記憶に『共鳴』した結果の作用なのだと悟った。
火に囲まれたどこかの村。何者かに襲撃されたのだろうか、辺りに命の影は感じられなかった。
『レインッッッ!!』
すぐ近くで聞き覚えのあるような声が響いた。そちらを見ると、幼い少年が瀕死の少女を抱きかかえて何かを話していた。
(レイン、さん……? たしかレンさんの妹さんでしたか……)
という事はこれは現在ではなく過去なのだと分かる。こうして彼の記憶を追体験する事が記憶を取り戻すうえで『共鳴』しているのだろうとネミリアは自分の力を全て理解した。
こちらの姿は見えていないようなので、ネミリアは躊躇せずに二人へと近づいていった。
『……だから、いつか来るよね……? 人と魔族が、本当の意味で手を取り合える世界が……こんな風に、殺し合わなくて良い、優しい世界が……』
『ああ、絶対に来る。どんな困難があったって、何度挫けたって、どれだけ迷ったって、最後にはその全てを踏破して、必ず俺がレインの望む世界を実現する。……だから、見守っていてくれ』
死に際の最後の会話をする二人の表情は対照的だった。アーサーは涙でぐちゃぐちゃになっており、レインは優しい笑みを浮かべていた。それを見てネミリアは意味も分からず胸が痛くなった。首を傾げて胸に手を置くが、その意味は分からない。
『……星に願えば、祈りは届く……。本当に、その通りだったよ……』
暗転。
場面が―――移り変わる。
次はどこかの森の中だった。今回は人が大勢いる中、二人の少年が何か言い合いをしていた。
『……なんでお前はそこまでしようとすんだよ。俺にはさっぱり分からねえ。お前とは長い付き合いだが、未だにお前がたまに見せるその引かない姿勢の正体が掴めねえ!! ましてや今回は命がかかってんだぞ!? お前をそうまでして突き動かしてる核が俺には全く見えない……ッ!!』
片方の少年の胸倉を掴みながら叫ぶ少年を、ネミリアは情報としてだが知っていた。
(アレックス・ウィンターソン。レンさんとは『ジェミニ公国』からの付き合いで、彼とは友人以上に家族のような立ち位置、との事でしたが……どうも険悪な雰囲気ですね)
そんな感想を抱きながらその様子を眺めていると、次に言葉を発したのはアーサーの方だった。
『ここで逃げたら、俺は一生後悔すると思うから。もう二度と、あんな思いはしたくない』
『……アーサー。テメェまだレインのこと引きずってんのか……』
『一生引きずるよ』
曖昧に笑って言うアーサーを見て、ネミリアは再び胸がズキリと痛むのを感じ取った。だがやはりその正体までは分からない。
そのまま話を聞いていると、どうやら今の状況は『ジェミニ公国』での魔族撃退の少し前の様子だと分かって来た。アーサー・レンフィールドが世界に進出する事になった原因とも言えるその事件を、ネミリアは当然のように知っていた。
情報として目を通した事や、周りの意見を耳にした事があるが、その時の反応は一様に逃げていればこうはならなかったのに、といったものばかりだった。しかしネミリアはこの時、少し前にみたレインとの最期のやり取りを思い出していた。そしてそれを思うと、アーサーのこの行動が妥当のように思えたのだ。
(……なんでしょう。わたし、変です……)
合理的ではなく、彼女自身には自覚のない感情的な考えに本人が最も動揺していた。
「……なあアレックス、俺はさ」
その動揺に突き刺すような言葉に、それが自分に放たれた言葉ではないと知っていながらネミリアはビクッと体を震わせた。
そして、次の言葉が放たれる。
「明日を後悔して生きるくらいなら、後悔しないで今日死にたい」
暗転。
再び場面が―――移り変わる。
次もどこかの森の中だったが、今回は三人だけだった。
アーサー・レンフィールドとアレックス・ウィンターソン、そしてもう一人黒い綺麗な髪の少女が血だらけの姿でアーサーに抱きかかえられていた。
(……ビビさん、でしたか。『ゾディアック』に流れ着いた魔族の少女で、『ジェミニ公国』の人間に惨殺されたという……)
その少女の事も、ネミリアは情報として知っていた。
『……わたしの、ゆめを……おねがい、します……』
『俺はまた……助けられないのか?』
くしゃりと顔を歪めるアーサーに対して、違うよと伝えるようにビビは弱々しい動作だが確かに首を横に振った。
『おにーちゃんに会えて……よかった、です……』
(よかった……?)
こんな目に遭っているのに?
今にも死にそうになっているのに?
ネミリアは不思議だった。どうして死に際にそんな笑みを浮かべられるのか、メアの事もあった直後なだけに頭に鋭い痛みが走る。
『だい、すき……です、おにー……ちゃ……』
そうして腕の中の少女は動かなくなり、アーサー自身も岩のように動かなくなってしまった。
アーサーが再び動き始めたのは、雨が降り出してからしばらく経ってからだった。
『……俺達って、何と戦ってるんだろう』
呟いた少年の声は小さかったが、雨音に負けずしっかり耳に届いて来た。
『俺達とビビ……人間と魔族の違いってなんなんだろうな。俺にはもう、さっぱりだよ』
『絶対的な種族の違いだ。俺たちは人間で、ビビは魔族だった。それだけの事だろ』
泣いているようなアーサーの疑問に、アレックスは歯切れの悪い調子で答えてから大きく息を吸って、
『だからこそこんな世界を変えなくちゃいけないんだよ。人だろうと魔族だろうと、何世代か先の子供達が安心して外を駆け回れるようにな』
『……本当に、俺達に変えられるかな……』
『変えられる、絶対に』
『……そう、だよな。いつかきっと、そうなるよな』
認めてから、アーサーは涙か雨のせいか分からないくらい濡れた顔を上げて、悲哀に満ちた表情で言う。
『なら一つくらい、先にやっておいても良いよな』
そう言って二人がやったのは、ビビ・レンフィールドのお墓を作る事だった。
雨はもう上がっていた。少年達は次の道へと歩き出す。
ネミリアはアーサーの方を追いかけるのではなく、ビビの墓を見下ろしながら不思議と痛む胸に手を添えていた。
(……わた、しは……)
暗転。
再び場面が―――移り変わる。
『でも、お前達が許してくれるなら、俺もお前達のように生きても良いかな? お前達が俺の心を救ってくれたように、俺も誰かの心を救えるように生きられるかな?』
『俺も一緒に手伝うからさ、ゆっくり探していけば良いんだ。今までの分も、幸せになれる未来を探しに行こう。今の結祈ならきっと見つけられる』
『たった一人で抗い続けていたお前にはそれを言う権利くらいはあるはずだろ、アリシア・グレイティス=タウロス!! ただのアリシアでも守られるお姫様でもない、それがお前の本当の名前だ! そこに込められている意味が分からないお前じゃないだろッッッ!!!!!!』
『あなたの協力があれば、あのクソ野郎を捕まえられるんだ! もう誰も泣き寝入りなんかしないで済むように、俺に力を貸してくれ!!』
『なら行こう。みんなで生きて笑って帰るぞ。誰かの犠牲で彩られる美談なんてクソ食らえだ!』
『お前がどんなに酷い未来を観測しても、俺が何度だって踏破してやる。だから、もう一度俺の手を取ってくれ』
『俺はお前を一人にさせない。お前が創ったこの世界を見せてやりたいんだ。そのためならなんだってするよ。運命の一つや二つ、いくらだって踏破してやるよ』
『でもあの子の目は、今助けを求めてた』
『ふざけるなァァァああああああああああああああああああああああ!! こんなものが! こんな結末が!! 救いであって良いはずないだろうがァァァああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!』
『ふざけるな。そんなの、虐殺となんら変わらないだろうが』
『手を差し伸べる側が始める前から諦めたらダメなんだよ。どうあれ大きな力を持ったなら、それには大きな責任が伴う。お前はその責任から逃れてるだけなんだよ、新米勇者』
『お前が俺を兄さんと呼んでくれる限り、俺はお前の家族になるよ。この先何があろうと、誰になんと言われようと、それだけは絶対だ』
『誇りになんて思えるか……。こんな結末に納得なんてできるものか! 諦めるなよ。そこまでの力に届いたなら、また大切なものを探せば良い!! どうしてこんな、俺に殺されるような結末を選んだんだ! 選んでしまえるんだ!!』
『どんなに救いようがなくても、崖っぷちで今にも崩れ落ちそうな足場に立ってようと、どうしようもない汚泥のようなこんな世界でも、「希望」は確かにあるんだよ。それは本当に小さなものかもしれないけど、それでも確かにあったんだ』
『こういう時に言うのはごめんじゃなくて何だっけ? これはお前が教えてくれた事だぞ?』
『人そのものを凶器とみなして操れなかったお前が、本当は優しい心を持っていたはずのお前がッ、世界の全てを戦争の渦に突き落とすなんて事をしたらダメなんだ!!』
『世界を救おう。俺達全員が―――「ディッパーズ」だ!!』
『―――この身は祈りは届くと示す者』
『誰かを助ける事を、絶対にやめない!!』
『俺達はこの世界で生きていく。守りたいと思えるこの世界のために何度でも拳を握る! 立ちはだかる障害は全部まとめて踏破する!! 世界をお前の好きにはさせないぞ、ダイアナ・ローゼンバウム=サジタリウスッ!!』
『俺は今日を救う。だから、お前は明日を守れ。後の事は頼んだぞ、アレックス』
何度目か、もう覚えていない暗転。
次の場面は星空が綺麗な草原だった。
『停滞するのはもう止めだ』
俯いていた少年は顔を上げる。
『担ぎし者』という呪いを背負った少年は、背中を弓なりに仰け反って星空に向かって吠えるように、どこまでも強く宣言する。
『もう迷わない。俺は誰かが困っているなら拳を握り続ける! この手で救える限りの命を救い続ける!! 今はまだ弱くて無理でも、絶対に誰もが頼れる救済手段になってみせるッッッ!!!!!!』
右手を握り締めて、なお少年は夜空に叫ぶ。
『おい、クソッたれな運命様! どこかで偉そうにふんぞり返って精々余韻に浸ってろ!! もう思い通りになんてさせない。死を呼び込む『担ぎし者』だろうと知った事かッ!! お前が用意する運命なんて、これから先、何度だって踏破してやるからなァァァああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!』
ここまで見ていたネミリアは識っている。それぞれの戦いを見ていた仲間達よりも、全てを見たネミリアは誰よりも識っていた。
アーサーは挫けても仕方ない道を歩いて来た。いや、そもそも立ち止まらなかった方が異常だったのだ。そうして頑張って頑張って頑張って、自分の全部を削るくらいに頑張って倒れた少年を、ネミリアは責める気になれなかった。
それでも彼は目の前で立ち上がった。右手を硬く握りしめて、どうしようもない世界に向かって宣言し、再び過酷な運命へと身を投じた。
「ああ……そういう事、なんですね……」
ネミリアは呟いた。
これまでのアーサーの道のりを見て、彼女は一つの答えに至る。
「いつも全力で、レインさんやビビさんとの誓いを果たす為に、誰かを助けようとしてるあの人だからこそ……」
不思議な胸の痛みを感じて、ネミリアは目を閉じて手を胸の前に持っていく。
そこにはアーサーのようにロケットは無い。代わりに彼から貰った暖かいモノが内にある。
「わたしは、こんなにも『心』が揺り動かされるのですね……」
目を開いたネミリアは、ついにその正体を識った。
この胸の痛みこそが―――"感情"と呼ばれるものだと。
そして再び視界は暗転する。
今度は目覚めて、『希望』を『ピスケス王国』に届けるために。