261 十字架の審判
今回はメアのワイヤーとネミリアの『念動力』の力で安全に着地できた。虎は落ちた後から動かないので、攻撃と今の衝撃で絶命したのかもしれない。魔力を感じ取ってそれを確認すると、同時に異変に気づく。この階層には誰かが待ち受けている様子が無かったのだ。
「……まあ、良いけど。だったらさっさとこの階層もぶち抜こう。ネミリア」
もう一度ネミリアの振動で床を破壊して貰おうと思ったが、その前にノイマンが上を見上げて何かに気づいた。
「……待って。誰か来るよ。この虎よりも強い誰かが」
その言葉通りだった。
アーサーがノイマンに続いて上を見上げた直後、それは降って来た。
軍服に身を包んだ一人の男。だが感じる魔力が油断は不要だと告げていた。
(いや、そもそも魔力の流れがおかしいぞ? 周りから集めてるみたいだけど、俺みたいに自然魔力って訳でもなさそうだし……)
「多くは聞かん」
彼は一言、前置きしてから、
「ここへどうやって忍び込んだ、ネズミ共」
「……っ」
咄嗟にネミリアの方を見そうになる衝動を必死に押し留めた。ここで侵入方法が露見してしまえば、集中的に狙われると思ったからだ。
「……死んでも言うもんか」
「ではもう聞かん。続きは鉄格子を挟んでにしてやる。『十字架の審判』」
男が軽く手を上げると、それは突然現れた。
二メートル近くある光り輝く十字架。それが彼の頭上に浮いていた。
そっと、メアはアーサーの近づいて耳の傍で話す。
「どうするレンくん? 私は逃げることを勧めるけど」
「……そんなにヤバい相手なのか?」
「うん。あの人はここの署長、ギリアス・マクバーン。凶悪犯も多く収監されてるここのトップって言えば、その脅威度は伝わるよね?」
「しかもマクバーン……。オーガストやアルフォンスとも関係あるって感じか」
「正真正銘の親族だね。でも純粋な実力で言うなら間違いなく一番だよ?」
暗殺とは、確実に相手を殺す為に、対象の力を正確に計る力も必要とされている。その暗殺者として称号まで持っているメアが言うのだから、ギリアスは本当に敵にしてはいけない相手なのだろう。
けれど、アーサーの目的はその先にある。彼を降さなければそれが果たせないというのなら、逃げるという選択肢は選べなかった。
「ここであいつを倒して進むぞ。力を貸してくれ」
「わたしは元々、一緒に進む覚悟です。そういう契約ですから」
「……まあ、やれるだけやってみるよ」
「えぇー、あの人の相手は正直つまらなそうで嫌なんだけど……」
三者三様の答えが返って来たのと、ギリアスが腕を下ろしたのは同時だった。それに合わせるように十字架がアーサーに向かって飛んでくる。
その対処をアーサーは迷わなかった。すぐさま右手を前に突き出す。例えどんな能力を持っていようと、それが魔術である以上はその右手が絶対だ。
しかし、今回は毛色が違った。
十字架が右手に当たっても魔力を掌握しきれず、むしろ押されている感触すらあった。クロノの集束魔力弾を受け止めた以来の衝撃、さらにそれを遥かに超える力だった。
「くっ……そッ!!」
結局、弾くのが精一杯だった。頭上に大きく弾いて凌いだが、それも一時だ。こちらを追尾しているのかすぐに動きを止め、再びこちらに向かって来る。
脅威はそれだけではない。十字架の数は増えていく。
アーサーの周囲に二つ、さらにメアの頭上にも一つ新たに現れ、各々に向かって飛んで行く。一つだけのメアはワイヤーを使って対処できているが、アーサーの方はそうはいかなかった。一つですら右手一本でギリギリなのに、三つも相手にはできない。そう判断したアーサーは『瞬時加速』を使いギリアスに向かって一直線に駆けた。魔術に対処できないなら、それを発動してる本人を叩くつもりだった。
「無駄だ」
そんな声が耳に入ったのは、ギリアスまであと数メートルに迫った時だった。彼への道を阻むように、アーサーに対する四つめの十字架が現れ、突然の事に加えて加速していたアーサーは躱す事ができずにぶつかった。触れて初めて分かったが、物理的なダメージよりも内面へのダメージが酷かった。体力を奪われたのか、いきなり膝の力が抜けたのだ。
そして減速した彼に向かって背後から十字架が襲いかかる。アーサーは迫ってくる十字架に右手を突き出し、背中は今し方現れた十字架に預けて挟まれる形になる。その背中が十字架に触れているせいで体力がみるみる内に奪われていく。
「十字架四つか。随分と罪を溜め込んだものだな、ネズミ」
「罪、だと……!?」
「この十字架の数は貴様の罪の大きさだ。甘んじて受け入れろ」
徐々にだがアーサーは押し込まれていた。
もう間もなく十字架に押し潰されようとした時、白い光が十字架を包み込み、圧力が緩んだ瞬間にアーサーは転がるように飛んで何を逃れた。
「ネミリア、助かった!」
感謝の言葉だけ叫びながら『シャスティフォル』を発動させ、手刀の形にした右手を引き絞ってすぐに前に突き出す。
「『その身は祈りを届けるために』!!」
近づけないからこその遠距離攻撃。しかし『ジャベリン』は十字架によって簡単に阻まれた。そもそも右手に集束させた魔力の一部を飛ばすだけの『ジャベリン』は、その性質上『スマッシュ』や『スティンガー』よりも威力が落ちる。とはいえ腐っても集束魔力、それを防がれたとなると十字架の破壊は期待しない方が良いのかもしれない。
(罪の大きさが十字架の数に反映される?)
ギリアスが言った十字架のカラクリ。アーサーは辺りを見回して疑問を浮かべる。
(だったら何で、ノイマンには一つも行っていないんだ?)
この戦いがつまらなそうと言って一切手を出そうとしない彼女だが、何故か彼女の周りには一つも十字架が発生していない。もう一人、ネミリアにもだ。
ネミリアについては一旦置いておくとして、ノイマンの事を考えてみると、今までの人生の全てを知っている訳ではないが、ここまでの言動から判断して自分も含めた四人の中で最も悪に近いのはノイマンだと思った。
その彼女に十字架が発生しない。ギリアスへの敵対心が無いと発生しないのかとも思ったが、もし罪の大きさによって十字架が発生するという前提条件が違うなら?
『罪』。その一言は広大すぎる。例えば先進国の裕福な家庭で産まれた子供と、毎日が命懸けの紛争地帯で産まれた子供の価値観は違う。裕福な家庭で産まれた子供は略奪行為を『罪』だと言うだろうが、紛争地帯で産まれた子供には略奪行為は生きるために必要な事で『罪』ではないと考えるだろう。
だとするなら、ギリアスが基準としている『罪』の正体は?
「罪悪感か!?」
確認するように叫び、次第にそれが確信へと変わっていく。
「その魔術は俺が犯してきた『罪』を基準にしてるんじゃない。俺の中にある罪悪感を基準に、その大きさが十字架の量と威力に比例してるんだ!!」
「ネズミがそこまで読み切ったのは褒めてやろう。だが分かった所でどうする? 今ここで、お前は今までの人生での罪悪感を全て消せるのか?」
「……っ」
そう、そこが問題だった。この魔術は罪悪感を抱く人間以外には使えないピーキーな魔術だが、回避する手立てが無い。ネミリアのように記憶を消されており、かつ無感情ならともかく、そもそもノイマンのように一切の罪悪感を抱えていない方がおかしいのだ。
ギリアスの魔術は破れない。
ならば、取れる選択肢は一つだった。
「ネミリア、ノイマン! メアを連れて今すぐここから離れろ!! こいつの相手は俺がやる!!」
「待って、レンくんはどうするの!?」
「俺も適当に逃げる! こいつの相手は無理だ!!」
結局、メアの言う通りになった。ノイマンがやる気を出してくれるならともかく、全く戦おうとしないのだから仕方が無い。というか根本的に極力頼りたくない。
「俺が逃がすと思うか、ネズミ共」
「そのための道を俺が開くんだよ」
迫る十字架に向かって、アーサーは『シャスティフォル』よりも強い輝きを放つ右手を前に突き出し、一気に解き放った集束魔力の衝撃波で一時的に十字架を吹き飛ばした。
「今だ! 逃げろ!!」
三人に向かって叫びながら、アーサー自身は『天衣無縫・白馬非馬』と『シャスティフォル』を発動させて再び来るであろう十字架に備える。一応、魔力を感知してみると三人は外周にある通路へと向かおうとしていた。
「……」
一瞬だけ、離脱する寸前にネミリアの視線がアーサーに向けられた。その意識を『天衣無縫』の力で感じ取ったアーサーが、その異変に真っ先に気づいた。
こちらを振り返っているネミリアの頭上に、突然十字架が現れたのだ。しかもネミリアには気づいている様子がなく、防御も回避もしようとしていない。
(くっ、『瞬時加速』じゃ間に合わない……ッ!!)
そう判断するとすぐに足の裏への集中を切り、右手の手首を左手で抑えながら『シャスティフォル』に重ねるように風の渦を掌に作る。そしてネミリアの方に倒れ込みながら右手の魔術を開放した。
「―――『瞬時神速』!!」
ボッッッ!! とアーサーの右手から凄まじい勢いの風が吹き出した。
仕組み自体は単純な、集束魔力の力を合わせた『瞬時加速』。だが威力はそれの比ではなかった。アーサーの体がかっ飛び、ギリアスやネミリアにも視認できない速度で彼女に肉薄して、小さな体を包み込むように抱きしめる。
その直後、世界の時間がアーサーに追いつく。彼自身に迫っていた分と、ネミリアの背後に生まれた十字架が一斉に背中に突き刺さったのだ。
「レン、さん……? そんなっ、レンさん!?」
ネミリアの声は耳に入っていた。けれど言葉を返す力が出ない。
敵の前で。
意識が。切れる