258 再起を懸けて
改めて協力関係を結んだ二人だったが、なにもいきなり『水底監獄』に潜入する訳では無かった。
アーサーが一人だったら突っ込んでいたかもしれないが、ネミリアにはそれ相応の準備があった。端的に言えば、戦力の増強だ。
「それにしても、他にも協力者がいたんだな。てっきり一人だと思ってたよ」
「本来はリスク回避のために、それぞれの要請に沿い、別々に動いて各々で問題解決に当たる予定だったんです。ただ難攻不落の『水底監獄』を攻略するならわたし達だけでは心許ないので、仕方なく連絡しただけで協力者という訳ではありません」
坦々と述べる口調の中に責めるような気配が無いのはそこまで気にしていないからか。あるいは感情が希薄なネミリアには、この程度では何も感じないのかもしれない。
「ちなみに何人呼んだんだ?」
「二人ですね。ですが両方共この手に任務において最適な能力を持っています」
「そりゃ心強い」
右手を動かしてジェスチャー混じりに呟いた時、偶然にも異変に気づいた。
何も無い虚空で右手が何かに当たった。細い糸のような何かの感触だと思った直後、右手全体に何かが絡みついて完全に拘束されてしまった。
「なっ……ん!?」
即座に『シャスティフォル』を発動させるが、それだけでは拘束は解けない。
この技は単純に集束魔力を腕にまとっているだけだが、発動時には多少の衝撃が出ている。右腕を絡めとっているものが鉄製のワイヤー程度なら切ったり弾いたりできるのだが、今回はそんな気配がまったく無かった。
(つまりユーティリウム製か!?)
今度は『天衣無縫・白馬非馬』を発動させて強引に右腕を振るおうとするが、力任せではやはり解けない。
だけど無意味では無かった。頭上、上から飛び掛かってくる者と正面からこちらに突っ込んでくる二人を同時に感知したのだ。
正面から低い姿勢で走って来るのは拳銃とナイフを携えた金髪ツインテール。その顔には勝利を確信しているのか笑みが浮かべられていた。そして上から飛び掛かってくるのは燃えるような長い赤髪の少女。左手には漆黒の短剣を握り、右手からは黒い線が見えた。それで右手の拘束は上の少女によるものだと分かる。
そこまで確認して、アーサーは右手に纏っていた集束魔力を弾けさせた。放つ訳でもなく弾けさせる行為は、本来なら射程も威力も出ず意味はない。だが今回に限ってはワイヤーを緩めるくらいの意味はあった。その隙に右手を拘束から引き抜き、ウエストバッグに手を伸ばしてユーティリウム製の短剣を取り出して、上から襲いかかってくる赤髪の少女が振り下ろした剣を受け止める。
だがそれでは手は足りない。正面からは金髪ツインテールがアーサーの喉元にナイフを突き刺そうと迫って来ている。しかしアーサーの方も一人ではない。彼の隣にいたネミリアは今まさにアーサーを突き刺そうとしていた金髪ツインテールに掌を向ける。すると白く淡い光がナイフを包み込み、アーサーの喉元の寸前でピタリと動きを止めた。
赤髪の少女を弾き、アーサーは窮地を救ってくれたネミリアの方を見る。
「助かった」
「いえ、これくらいは。それよりも……」
呆れた溜め息をつきながら、ネミリアは襲撃者の二人の少女を見る。
「紹介します。こちらが協力者の二人、ナイトメア・イェーガーとノイマンです」
「は……この二人が!?」
てっきり『セレクターズ』かオーガスト方面の敵だと思っていただけに、その答えは意外だった。そして今し方アーサーを刺し殺そうとしていた金髪ツイテールは武器を仕舞って満面を笑みを浮かべながら左手を差し出して来る。
彼女も要請とやらを受けているからなのか、緑を基準にしたスーツを着ていた。見た所、武器は使っていた拳銃とナイフだけのようだが油断は全くできなかった。
「って訳で、私がノイマンよ。よろしく」
「……今の後でよろしくはしたくないなあ」
正直に言いながら、アーサーは珍しく(記憶がないので本人に覚えは無いが)手を取らなかった。
ノイマンはスルーして振り返るとそちらには赤髪の少女、正面がノイマンならナイトメア・イェーガーか。どういう原理なのか、彼女は使っていたワイヤーを右腕に溶け込ませるように仕舞い、アーサーに近づきながら笑顔で手を差し出してきた。
「私がナイトメア・イェーガー。ネミリアちゃんとは友達だよ。よろしくね?」
「……別に友達じゃないです」
即否定されても別に傷ついている訳でもなさそうだった。どうやらこれが二人のスタンダードな関係なようで、アーサーは思わず苦笑いを浮かべた。
こちらはノイマンに比べると露出の激しい装いだった。半袖の黒いパーカーにデニムのショートパンツ、靴はブーツを履いており、両手にはネミリアと同じ肘まですっぽり覆える黒いロンググローブを嵌めていた。三人の中では一番普通の装いで、というか人混みに紛れたら分からなくなるレベルのまんま私服だった。特徴があるとすれば、地面に届きそうなくらい長い赤髪くらいだ。
「ああ、よろしく。ちなみに俺の事はレン・ストームで」
「うん、わかった」
同じく私服全開のアーサーはその手を、ノイマンの時とは対照的に普通に取った。後ろから抗議の声が飛んでくる。
「あれ? そっちの手は取るんだ。私のは拒んだくせに」
「……だってアンタは、本気で殺るつもりだったろ? 胡散臭い匂いがプンプンする」
改めてノイマンの方を向き直って非難するように言うと、ノイマンは一瞬驚いてから嬉しそうに笑みを浮かべて、
「……へぇ、良い悪意。野生の勘……いえ、あなたの場合は戦闘勘かしら? 実際見ると凄まじいわね」
「胡散臭いってのは否定しないんだな」
「否定したとして、それであなたは信じるの?」
悪びれる様子もなく、当たり前の事のようにノイマンは言う。アーサーはあからさまに苦い表情を浮かべて、
「……やっぱりアンタは胡散臭い」
「だってあなたを相手に手加減する方がどうかしてるでしょ。ねえ、アーサー・レンフィールド?」
「……」
記憶が無い時の自分は、やはり分からない。それでもこんなヤツに目を付けられるほどなのか、とは思う。明確な理由はなく初対面のはずなのに、どうしてかアーサーは彼女の事を信用しきれなかった。
そして逆にナイトメア・イェーガーの方は、
「アンタは凄かったな。右手を拘束されるまで全然気がつかなかった。人ってあそこまで気配を消せるものなのか? それにワイヤーも自由自在に動かしてたし」
滅茶苦茶友好的だった。もうわざとじゃないかと思うくらいに。
「ワイヤーの方は『私が触れたあらゆる紐状の構造体を操る』っていう魔術のおかげだけどね。それに私は一応『ナイトメア』っていう暗殺組織で『イェーガー』の称号まで持ってるから。これでも『ポラリス王国』じゃ屈指の暗殺者だと思うよ?」
「『イェーガー』? 『ナイトメア』???」
暗殺組織から来たという事実も色々引っ掛かったが、それよりもアーサーは二つの単語の方が引っ掛かった。だって二つとも彼女自身の名前と同じだったから。
そんなアーサーの困惑を見かねたのか、ネミリアは助け舟を出す。
「彼女の名前は本名じゃないんです。レンさんの察しの通り、組織名と称号で名前の形を作っています。……まあ、わたしも人の事は言えませんし、名前に拘泥はしていませんが。そもそも『ポラリス王国』にはそういった境遇の方は珍しくありません」
「最初なんてメアリー=N=ラインラントなんて長ったるしい名前だったしね。面倒くさかったから変えちゃった」
名前を変えるという重めの話題のはずなのに、ナイトメア・イェーガーは笑いながら大した事がないように言った。その辺りは価値観の違いか。生きて来た世界の違いが如実に現れていてどんな顔をすれば良いのか分からなくなる。
さらに無視できない話題としてネミリアの言葉もあった。そもそもネミリアはNという隠し名まで使っているのだ。彼女がどういった境遇に置かれていて、『ポラリス王国』のどこから来たのか、アーサーは知らない。
「……つまり、ネミリアも本名じゃないのか?」
その質問をしてから、アーサーは自分が踏み込み過ぎたと後悔した。
今まで感情が読めない無表情だったネミリアが、僅かにだが初めてその表情を曇らせたのだ。
「……わたしの場合は、製造者の娘の名前を貰ったんです」
「ちょっと待て、製造者?」
「はい。試験管生まれ施設育ちなので、元となった遺伝子情報はともかく、産みの親というものは存在しません。任務毎に記憶は消去され、任務に支障が出ないように必要以上の感情も与えられていません」
さらっと衝撃的な事を言ってのけるネミリア。
アーサーにとって名前は今は亡き母か、あるいは見た事もない父から貰ったものだ。産まれて初めて貰ったもので、違和感なく使ってきた。だから名前をただの称号で付けられている二人の境遇と思いは想像できなかった。
(……名前一つでここまで考えこむのは、無駄な事かもしれないけど……)
それでも、アーサーは。
「じゃあ、俺は『メア』って呼ぶよ。元々メアリーって名前だったらしいし、その方がナイトメア・イェーガーよりも幾分か明るくなって素敵だと思うけど」
「うわ、安直ぅー」
「黙れノイマンこれでも考えたんだよ」
そこまで悪意を向けられたいのか、こんな時でも横やりを入れてくるノイマン。というかこいつとは根本的に合わないのを確信した。
「メア……。メア、かあ……」
アーサーの考えたあだ名を、メアは何度も呟いてから納得したように頷いた。
「うん、確かに素敵だね。じゃあこれからはそう名乗るよ。ネミリアちゃんもよろしく」
「何故わたしの方に念を押すんですか……」
嬉しそうに笑って言うメアにジト目を向けるネミリア。アーサーはそんなネミリアの頭に手を置いた。
「なんですか?」
「いや、ネミリアの方も良いのを考えなくちゃなって」
「わたしは別に……それより子供扱いは止めて下さい」
「おっと、悪かった」
すぐに手を離すと、近くにノイマンが寄って来た。
「私のは無いの? 私のは?」
「お前のは考えてないよノイマン。ってかアンタはそのままで別に良いだろ」
無表情のネミリア、逆に表情豊かなメア、そして冷たい言葉を与えるとゾクゾクと体を震わせる真正ドMのノイマン。
……頭数が増えたのは良いのだが、正直不安が募るメンバーだった。
そんな風に思いながら、拳を突き合わせれば会話ができると思っている脳筋馬鹿は、自分の事を棚に上げて空を仰いだ。