行間一:光に照らされるものは世界の影に集う
「……ん?」
少年はふと空を見上げた。
それは『ピスケス王国』の動乱に区切りがつき、具体的に『グレムリン』が発動する『アクエリアス王国』に向かう前の話。
「どうかしたんですか?」
「いや……多分、気のせいだ」
誰かに呼ばれたような気がしたのだが、ラプラスに問われてアーサーはそういう事にして視線を切った。
現在、アーサー、ラプラス、クロノの三人は薄暗い通路を歩いていた。若干降り続けているので、おそらく目的地はどこかの地下施設だろう。正直に言うとアーサー自身、それがどこなのか分かっていなかった。ただクロノに案内されるまま付いて来ただけだ。
「……なあ、クロノ。いい加減どこに向かってるのか教えてくれないか?」
「着けば分かる」
ずっとこの調子だった。『グレムリン』発動というタイムリミットがある今、一分一秒無駄にしたくはないのだが、それでもクロノはこちらの用事も同等のレベルで重要だと言って譲らなかったのだ。
そうこうしていると、ようやく通路に変化があった。目の前に扉が現れたのだ。そこで一度クロノは足を止める。
「着いたぞ。ここが目的地だ」
「ようやくか……」
扉は自動式なのか、クロノが近づくと勝手に開いた。
中はそれほど大きい訳でもなかった。部屋の中央に丸い円卓の机があり、椅子が七つ並べられていた。そして通路の入口もそれに合わせて七つあった。
それ以外には何も無い。ただし代わりに一人だけ先客がいた。
「おまっ……ヘルト・ハイラント!?」
おそらく、この世界で一番因縁深い相手が椅子の一つに座っていた。腕を組んだまま目を瞑っていたヘルトはアーサーの言葉に呼応するようにゆっくりと瞼を開く。
「……やあ、アーサー・レンフィールド。直接会うのは『魔族領』以来だね。生きていたようでなにより……って、これ嫌味になってないよね?」
「……なってはないよ。それより殺したと思ってた相手に会う気分を聞きたいかな。今後聞く事も無さそうな貴重な意見だ」
「残念だけど、死んだと思ってた相手に会う経験はもうしてるんだ。新鮮じゃないと大して何も感じないよ。きみは友人って訳でもないし」
「……冷めたヤツ」
「きみが感情的なだけだ」
今回は特にいがみ合う理由もないのだが、根本的に気が合わないのか顔を見た瞬間互いに罵り合う。『ディッパーズ』のリーダーと『W.A.N.D.』の長官、同じく世界の脅威と戦う立場だというのにどうしても馬が合わない二人だった。
「おい、頼むから冷静になってくれ。普段の貴様らがどれだけいがみ合っていようと割とどうでも良いが、今ここでだけは面倒事を起こしてくれるなよ? ここはそういう場じゃない。ヘルト・ハイラントも今は勇者としての立場ではなく、『W.A.N.D.』長官の立場としてここにいるんだ」
「長官って……色々パンク寸前だ。一体どういう事なんだよ」
「後で説明する。とにかく席に着け」
どうにも釈然としない気分だったが、アーサーは大人しく席についた。ヘルトの顔が見える正面でも一番近くて見えない隣でもなく、一つ席を空けた場所だ。しかも自分が優位になれる右側にヘルトがいる形で。ヘルトもアーサーの意図に気づいて嘆息する。
さらに、ラプラスは二人の間に座った。それもご丁寧にアーサーの方に若干、いやほぼ肩がぶつかるほど近くまで椅子を移動させてからだ。単なる座り方に過ぎないが、各々の個性がよく分かる着席の仕方だった。
「まったく、お前らは……」
呆れたようにわざとらしい溜め息を吐きつつ、クロノはヘルトの隣に座った。
これで埋まった席は四つ。残りの空席は三つだった。
「他には誰が来るんだ? 見た感じ、ロクでもないヤツらの可能性が高そうだけど」
すでにいる四人でさえ、問題ばかり起こしているメンバーだ。アーサーとヘルトは言うまでもなく、クロノも二つの国で問題を起こしている。一見まともに見えるラプラスだって、過去にアウロラを殺害しようとしていた。
特に会話する訳もなく待っていると、不意に扉が開いて次の人物が来た。それは今回もアーサーの知っている人物だった。
「……ふん。あの胡散臭い仮面の男に聞いた時は半信半疑だったが、まさか本当に生きているとはな」
「げっ!? やばッ!!」
「今更隠れても手遅れだぞ馬鹿野郎」
入って来たのはサラに良く似た容姿の、銀色の短髪の王女様、セラ・テトラーゼ=スコーピオンだった。彼女の姿を見た瞬間に机の下に潜りこもうとしたアーサーだったが、すでにバッチリ姿を見られた後だ。観念して元の位置に戻る。
クロノと一つ席を空けた場所に座った彼女は、真っ直ぐ無表情でアーサーを見る。最初はその視線から逃げていたアーサーだったが、やがて観念して目を合わせた。
「……みんなはどうしてる?」
「それを聞く資格がお前にあるとでも? 貴様が不在のせいで『ディッパーズ』は早速ズタズタ、まだやる気があるのはウィンターソンとフィンブルくらいだ」
セラが怒っているのはアーサーが生きていた事を伝えなかったからではない。そのせいで現在もサラが落ち込んでいることだ。わざわざ近況を話したのだって、それを糾弾する意味合いが強い。
だがアーサーはその意図に気づきながら、それでも僅かに安堵の息を漏らした。
「……そうか、アレックスが頑張ってるのか……」
「頑張りすぎなくらいにな。それで、これが終わったら戻ってくるのか?」
「それは……」
「ダメです」
答えたのはアーサーではなく傍らにいるラプラスだった。
「私達は今、影なんです。私達が死亡扱いになっているおかげで『グレムリン』が動き始めました。それを本当の意味で防げるのも亡霊になっている私達だけです」
「……本当の意味で?」
「はい。近い内に彼らは表沙汰に動き出すはずです。それは『ディッパーズ』が対処して、裏側は私達が対処すればきっと止められます」
「随分勝手な物言いだな……つまり私はウィンターソン達にはお前達の生存を伝えず、しかし誘導してその『グレムリン』とやらを止めろと言うんだな?」
「はい。必要な情報は随時報告します」
それは本筋には関係無いのか、ラプラスとセラの会話はそれだけで終わった。アーサーら三人は彼らの脅威を『ピスケス王国』で嫌というほど知っているので、ここでセラに伝えられたのは僥倖だった。……まだ少し、彼らの元には戻る事ができないから。
「……来たか」
次の来訪者に気づいたのはクロノだった。今度は彼女の方が先程セラが入って来た時のアーサーと同じようにどこか気まずそうだったのは、その相手の正体が原因だった。
「二週間ぶりくらいですか? クロノ、それにアーサー君も」
「っ、アナも呼んでたのか!?」
長い金髪の年上の女性。アーサーにとっては、停滞していた自分を救い上げる大きな切っ掛けをくれた相手の一人。随分と早い再会だったが、こうして再び会えた事は掛け値なし嬉しい。嬉しい、のだが……。
「……なんだろう、セラと再会した時より気まずいんだけど。身内に恥ずかしい部分を見られてるような気分」
その何てことのない一言に、過剰に反応したのはアーサーの右にいるラプラスだった。
「……彼女がどなたかは知りませんが、身内扱いなんですね」
責めるような口調の中に拗ねている様子もあった。アーサーもその気配に気づき、若干気まずくなりながら弁明の言葉を探す。
「いや、その……エレインとアナは『魔族堕ち』の集落でみんなのお姉さんみたいな立ち位置で、俺も大分世話になったから同じように姉みたいに感じてて……」
「それなら私はどう感じてますか?」
「お前は……」
彼女への答えは決まっていた。
だがこの衆人環視の中、それも身内のように感じているエレインとアナスタシア、それと気に食わないヘルトの前で言いたい言葉ではなかった。とはいえ言わなければラプラスの機嫌は決して直らないだろう。アーサーは腹を決めた。
「……特別だよ。半身みたいなものだ」
「そうですか……」
極力、言葉を濁らせて彼女に伝えた。あまりある想いを伝えるには短すぎる一言だったが、それでも十分だったようだ。
ラプラスは素っ気なく答えて顔を伏せた。その顔はこれ以上無いくらい嬉しさで緩み切っていたのがその証拠だ。……まあ、そんな顔をさせた本人だけには角度的にそれが見えていないのが致命的だったが。
そうこうしている内に、アナスタシアは空いているアーサーの左隣に座った。そしてふっと息を吐くと、彼女の様子が変わる。
「……相変わらずですね、アーサーさんは」
「エレインに変わったのか。久しぶり、何で集まったのかは知らないけど会えて嬉しいよ」
「会えて嬉しいのは私達も同じです。……ですが、集まった理由を知らされていないんですか?」
「クロノはサプライズが大好きだからな。こうして順番に会わせて俺が驚く様を見て楽しんでるんだろ」
言いながら、その張本人にジト目を向けると悪びれる様子もなく、
「まあ、そうだな」
「……クロノさんはサプライズ好きなのではなく、アーサーさんの反応を見て面白がっているだけなのでは?」
「……さて、どうだろうな。とにかく次が一応最後だ」
確かに残った椅子の空席はあと一つ。
その最後の一人は、その後すぐに扉を開けて部屋に入って来た。
初めて、アーサーには見覚えのない男が入って来た。どこにでもいるようなスーツ姿に、顔には仮面を被っている。その真っ白な仮面には目と口の部分に三日月型の穴が空いていた。目の部分は山なりの弧を、口の部分は逆に皿のようになっており、それがまるで笑っているように不気味に見える。
「うわ、最後に超絶胡散臭い仮面男が入って来たよ。なんか先行き不安になってきたんだけど」
「ありきたりな指摘をありがとう。だがこの仮面を外す気はない、特にお前の前ではな」
「……? どこかで会った事あったっけ?」
声はボイスチェンジャーでも使っているのか、明らかに本人の肉声ではなかったが、その口調と所作にはどこか覚えがあった。
しかし、仮面の男は最後の席に着きながら頭を振って、
「気のせいだろう? 俺とお前は今日が初対面だ」
「……そうか」
納得はしなかった。けれど思い浮かぶ知り合いも特にいないので、今は深く考えないようにした。正確には頭に浮かんだ人物はいたのだが、進んで思い出したい話でもないので本格的に無視することにした。
「さて、こうして錚々たる面々が一同に会して嬉しく思う」
「この人いきなりまとめ始めた訳だけど、自己紹介くらいしてくれないのか? それともきみにはそういう友人が多いのか、『時間』のクロノス?」
「だとさ、自己紹介くらいはしてやったらどうだ?」
「……そうだな。それではハッピーフェイス、とでも名乗っておこう。不服かね?」
それ絶対仮面から取った偽名だろ、とアーサーは思ったがどうせ白を切られるのは目に見えていたので口には出さなかった。
しかし、飲み込めなかった方の少年は遠慮なく口に出す。
「一〇〇パーセント偽名みたいだけど……きみはどう思う?」
言いながら、ハッピーフェイスとやらに言っても無駄なのはヘルトも分かっているようで、アーサーの方に視線を向けた。アーサーはヘルトの方は見ずに言葉だけ受け止めて、
「ま、クロノの知り合いみたいだし信用はするよ」
「……ふう、相変わらず甘いね」
「それが美徳なんで」
欠点でもあるけど、という言葉までは続けなかった。
立ち直った時、甘さを捨てる選択はしなかった。この性分のせいで自分や周りを危険に晒してきたのは自覚しているが、同時に多くの命を救って来れたのも分かっているから。
そんな考えなどお見通しのように、左で微笑む姉の優しい目線がくすぐったい。
「では始めよう。世界の趨勢について話し合う秘匿会議を」
ハッピーフェイスの一言で場の空気がピリつく。
多くを知らされていないアーサーですら、ここに集められたのが普通の人種ではないのは分かっている。それはアーサー自身も含めて。
どうあれ嫌な予感しかしない、そんな始まりだった。
ありがとうございます。
では今回の章の行間では『イルミナティ』の会議について触れていきます。