25 どちらの方が幸せか?
光源である月光と星の光が木々に遮られている夜の森は暗い。
そんな暗闇の中を臆する事なく歩いている少女が一人。彼女は近くの村に『魔族信者』が現れたという情報を得る度に、こうして夜中に人知れず殺しに行く。
だが今日は違った。いつも一人のはずの道中で、結祈は家を出た時からずっと跡をつけて来ている誰かの存在を察知していた。
「……いるんでしょ、アーサー」
しばらく歩いて家から十分に離れた所で、結祈は追跡者の名前を呼ぶ。
「流石にバレてたか」
すると結祈の後方にある木の裏からアーサーが姿を現す。
「昨日の今日ってのもあるだろうけど、なんで分かったんだ? ただの魔力感知じゃ俺の魔力は気にならないくらい小さいはずなんだけど」
「ワタシの自然魔力感知は集中すれば数キロ四方全てを覆える。自然魔力を扱う練度が高ければ、どんなに小さい魔力でも動いてれば気にもなるよ。それに、アーサーの持ってる魔石もずっと移動してるしね」
驚異的と言うほかなかった。
それほどの錬度にするために今までどれだけの鍛錬を積んできたのか、アーサーには想像もつかなかった。
だからこそ、悲しいとも思った。
「また殺しに行くのか?」
「うん、そうだよ。アーサーはワタシを止めたいんでしょ?」
「まあそうだな」
「……あいつらを守るの?」
その一言には、今までと違う明確な敵意と殺意が込められていた。もしここで答えを間違えれば、即座に命を落とす予感があった。
「いや、違うよ」
そんな敵意を真っ向から受けながら、アーサーはさらりと答えた。
「俺は別に聖人君子って訳じゃない。目に見える人達を全員救えないのは分かってるし、誰かの大切な人を平気で殺すようなやつらを庇おうとも思わない」
「なら何のために……」
「俺が守りたいのはお前だからだよ、結祈」
ピクリと、結祈はその言葉に小さく反応した。
「ワタシを守る? ワタシよりも弱いのに?」
「ああ」
「何から?」
「お前から」
「……意味がわからないんだけど」
「だろうな、だから分からなくても良いよ」
アーサーはウエストバッグから『モルデュール』を一つ取り出して言う。
「俺と戦え、結祈。お前の間違いを教えてやる」
「……っ!!」
返事はなかった。
代わりに飛んできたのは木の葉だった。ただし普通の木の葉を飛ばすのとは違って、一直線にアーサーへと飛んでくる。
(なんだ……これ?)
アーサーはなんの気なしに手のひらでそれを受け止める、それが失敗だった。ただの木の葉がまるでナイフのように手のひらに深々と突き刺さったのだ。
「っ!?」
しかし木の葉を抜く時間も苦痛に顔を歪める時間もなかった。木の葉に気を取られたほんの一瞬の間に、結祈が目の前まで肉迫していたのだ。
咄嗟に手を交差させて防御の姿勢を取ろうとするが、そんな暇も与えず結祈の掌打がアーサーの鳩尾に食い込む。せめてもの抵抗に自ら後ろに飛ぶが、腹の底から色んな物が逆流するような気持ち悪い感覚がせり上がってくる。目に涙が浮かぶ痛みを堪えて地面をゴロゴロ転がりながら内心歯噛みする。
(がッ……ぐ、そ……っ! 戦ってる速度域が違すぎる!!)
腹部を中心に広がる鈍痛を堪えながらすぐに立ち上がって走り出す。
すでに戦いの場に引きずり出した結祈がアーサーを無視して本来の目的地に行く可能性は排除していた。
彼女は自分の復讐の純度にこだわりがある。アーサーのようにほんの少しでもその純度を落とすような『敵』がいれば全力で排除するはずだ。
そして排除してまた戻る。怒りと憎しみだけを抱えた殺人マシーンへと。
(そんな事させるかよ!!)
誰かに怒りを覚える事なんて人なら誰でもある。でもそれが長続きする人はそんなにいない。どんなに保っても数日かそこらで『本気の怒り』は感じなくなっていく。
それは時間を置いて冷静になれるからだ。人の記憶は薄らぐものだからだ。『本気の怒り』を維持し続けるのには体力がいるからだ。
車の燃料がいつかは切れるように、怒りの炎だって冷静になったり記憶が薄らいだりで燃料が無くなれば次第に治まっていく。
でも稀に『本気の怒り』を『殺意』にまで昇華させて維持させ続ける人がいる。
その人達は一体何を燃料にして怒りの炎を維持し続けているのだろか。過去に縛られ続け、燃料を注ぎ続けて常態化したそれは麻薬と何が違うのだろうか。いつか我に返って振り向いた時に、そこには燃料の燃えカス以外の何が残っているのだろうか。
その答えは復讐に身を委ねる機会を二度も捨てた少年には理解できないものだった。復讐よりも故人の願いを取った少年には到底理解できるものではなかった。
でも、それでも少年はその選択が間違いだと断じられる。
今じゃなく未来に目を向けた時に、どちらの方が幸せかなんて考えるまでもないのだから。
「でかい口叩いて逃げるだけ?」
声はすぐ背後から響いた。そもそもの速度が違うのだから、そう長い時間逃げられるとは思っていなかった。
だからアーサーはすぐに次の行動に出る。ウエストバックに手を突っ込んで適当に握った魔石を振り返りながら結祈に投げつけて起動させる。
投げた魔石は『光の魔石』、それが強力な光を発して結祈の視力奪う。それは長老に一撃入れた時に使った戦法だった。だからその時と同じように握り締めた拳を結祈がいる辺りを狙って振り抜く。夜中の森で元々暗かった事もあり、長老に使った時よりも効果があったはずだ。
それなのに。
「……っ!?」
戦闘開始から一分も経っていないのに、何度目かの驚愕がアーサーを襲う。確実に視力を奪ったはずの結祈がアーサーの拳を受け止めたのだ。
避けたのなら分かる。後ろか横に飛べば、同じように視力が無くなっているアーサーに追う術は無いのだから。しかし、受け止めたとなれば話は変わる。結祈は視力が無くてもアーサーの位置も行動も全て完璧に理解していたという事になってしまうのだから。
それは信じがたい事だった。今目の前で起きた出来事なんだとしても、到底信じられる事ではなかった。もしも本当にそんな芸当が可能なのだとしたら、単純な戦闘技術だけなら長老以上という事になるのだから。
「……拳を受け止めたのが、そんなに意外?」
結祈の言葉はアーサーの的を得ていた。
結祈はアーサーの僅かな同様を拳を通して感じ取ったのか、その理由を坦々と語り始める。
「簡単な事だよ。ワタシの自然魔力感知はアーサーみたいな微かな魔力を感じ取れるだけじゃなくて、その輪郭すらも完璧に感じ取れる。だから目を瞑っていたってアーサーの拳は避けられる」
それは暗に、アナタではワタシに勝てない、と告げられているようなものだった。
そもそも魔力がほぼ無いアーサーの魔力感知に引っかからないという唯一のアドバンテージは最初から通用しない。秘策だった『光の魔石』による目潰しも効かない。魔力量は圧倒的に違う。戦闘速度も技術も結祈の方が何枚も上手。持てる全ての手札を並べても、この場にアーサーが勝てる要因なんてどこにもなかった。
「理不尽だよね、でもそれが世界だよ」
どこか諦めたように呟く結祈の言葉が耳に張り付いた。しかし少女は感傷に浸る暇を与えてはくれなかった。
腹に重たい衝撃が響き、体が後ろへと吹き飛んでいく。腹を蹴られたと認識したのは数回のバウンドの後、体が完全に停止してからだった。
(追撃が……来る。立た、ないと……。立ってあいつに、伝えないと……!)
四肢に力を入れて何とか立ち上がる。それから結祈の動きを確認するために目を向ける。しかし予想に反し、結祈はアーサーを蹴り飛ばした場所から動いていなかった。
(追撃して来ない理由は何だ……? 距離を取らなくても結祈なら楽勝で俺を倒せるはずだ。それなのに距離を取った理由は……)
初めは結祈が止まっている理由ばかり考えていた、それが間違いだった。
かなり遅れて、アーサーは自身の周りの自然魔力が結祈のいる方へ流れているのを感じ取った。
(くそ……ッ! 結祈のやつ、忍術を使う気だ!!)
魔力の集まり方が『旋風掌底』とは比べ物にならなかった。ほとんど反射的にその場を離れようとする。
しかし、行動を起こすのが遅すぎた。アーサーが一歩目を踏み出したのとほぼ同時、結祈の手のひらから炎の弾が放たれた。最初はバスケットボール位の大きさだった火の弾は着弾前に空中で破裂し、生まれた炎の波が荒れ狂う濁流のようにアーサーの逃げ場を封じて襲い掛かる。それはまるで、決壊した堤防から溢れ出た川の水が一気に襲いかかって来るような圧力だった。
それを眼前に逃げられないと即座に判断したアーサーは、ウエストバッグから『モルデュール』を取り出して迫り来る炎へ向けて投げ、それを炎に飲み込まれる寸前に起爆する。
アーサーからかなり近い距離で起爆された『モルデュール』の余波がアーサーの体を吹き飛ばすが、その爆発が迫っていた炎を吹き飛ばしたおかげで丸焦げになる事はなかった。だが無傷とはいかない。結祈の忍術と『モルデュール』の激突で生まれた大量の熱がアーサーに襲いかかる。
「がァァァああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!?」
目だけは腕で覆って守ったので無事だったが、それ以外の場所は熱と痛み以外の感覚がなくなった。地面にのたうち回りながら、微かな鎮痛の意味も込めて全力で叫ぶ。
「『モルデュール』だっけ? 爆風で炎を吹き飛ばしたのは良い判断だったよ。そうじゃなかったら今頃そんな怪我じゃ済んでなかった。その爆弾でワタシを吹き飛ばすくらいの気概があれば、もっと足掻けたかもしれないのにね」
痛みが引いて来た時には、すでに結祈が目前にいた。アーサーは地面を這うように移動して、手近にあった木に体を預ける形で上半身だけ起き上がらせる。
地面を這う事でしか移動のできないくらいにダメージを負ったアーサーと、そんなアーサーに軽快な足取りで近づく結祈。誰の目から見ても、勝負はもう決したようなものだった。