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村人Aでも勇者を超えられる。  作者: 日向日影
第一四章 安寧の地など何処にもない Story_of_Until_He_Returns.
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252 霧の街と運命の出会い

 とりあえず体の傷も思ったより酷くなく、歩くくらいなら問題なさそうだったのでスゥに外を案内して貰う事になった。

 ここが『ピスケス王国』だというのもその時に知った。とはいえ街並みを見ても正直ピンと来なかった。ここには前も今も合わせて訪れたのは初めてなのかもしれない。というか街並み以前に衝撃的なものがあって、それで記憶が刺激されていないからそう判断したのだ。

 それは、


「すごい霧……っていうか濃霧?」


 一〇メートルほど先が限界だった。目は良い方だと思うが、それでもそこから先は真っ白で何も見えない。むしろ迷うことなく少し前を進んでいくスゥの方が信じられない。


「案内って言っても日が悪かったね。今日は特に霧が濃いから……」


 そう言うスゥの口調は敬語では無くなっていた。

 恩人に敬語を使われるのはくすぐったから止めて欲しい、とアーサーが頼み続けた結果、なんとか砕けた口調になった。敬語を止めさせたかったのはくすぐったからという理由だけでなく、他人行儀のようで嫌だという理由もあったのだが、面と向かって言うのは気恥ずかしかったのでそれは伝えなかった。


「いつもはもっとマシなのか?」

「マシな日も、もっと酷い日もあるよ? 晴れている日は湖畔が綺麗に見えるけど……今日は無理かな」


 苦い笑みを浮かべるスゥは今、家で来ていた服の上から瞳よりも淡い薄緑色のコートを着ていて、それに付属しているフードを深く被っていた。


「……ちなみに、フードを被るとマシになるのか?」

「そういう訳じゃないんだけど……もしかしたらなるかも?」

「じゃあ俺も」


 言いながら、アーサーもパーカーのフードを被った。今の彼には理由が分からないが、彼の服はボロボロだった。それでも今はこれしか服が無いので、大人しく着ているしかなかった。

 スゥもそれが気になるのか、振り返ってジッとこちらを見て来た。


「……服、買い替えないとダメだね」

「……俺、無一文なんだけど」

「それくらい私が買うよ?」

「うん、それは凄くありがたいんだけど……」


 流石に少し不安になった。世話になりっぱなしの後ろめたさもあったが、流石に無償が過ぎると思ったのだ。彼女が自分を嵌めているという考えは無かったが、それでも何か理由があるように思えてならなかった。


「なあ、スゥ。お前はどうして……」


 質問しようとして、アーサーは気づいた。

 それは全身に何かを刺されるような感覚だった。それは記憶を失う前のアーサーが無意識に頼りにしていた戦闘勘。何故そんなものを感じたのかを今のアーサーは理解できていないが、反射的にその方向に目を向けた。すると割と近くで二人の女性がこちらを見ながら何かを話していた。それに二人だけではない。よく見るとちらほらとこちらを見ている大人達がいた。


「なんだ? 俺が余所者だから注目されてるのか……?」


 まず思い付く理由はそれだった。

 しかし前を歩くスゥはそれを否定する。


「……ううん、そうじゃないよ。それに今は余所の人がいてもおかしくない時期だから」

「時期?」

「『セレクターズ』があるから」


 聞き慣れない単語だった。とはいえ今のアーサーにとってはほとんどが聞き慣れない単語になるのだが。

 スゥはアーサーが聞き返す前に、その詳細について語り出す。


「先日逝去した国王に代わる、新しい王様を決めるための武力闘争『セレクターズ』。『ピスケス王国』は次の王様を武力と人脈だけで決めようとしてるの」

「……正気か、それ?」

「やっぱり、端から見てもマトモじゃないよね?」


 武力と人脈によって王様を決める。それはつまり、表面的な強さのみで一三しかない国のトップの一人を決めると言っているのと同義だ。

 しかしそれは、記憶の無いアーサーにだって悪手だと分かる。

 王様に必要な強さが表面的なものだけではないと、どうしても分かってしまうのだ。

 それと同じ気持ちなのかスゥは複雑な表情で、


「……本来なら、正統に継ぐはずの人がいたんだけど……」

「えっと……その人はどうなったか聞いても?」

「死んではいないよ?」


 無理矢理作ったような笑みを浮かべて答えながら、スゥはどこか遠くを見つめて言う。


「……水中深くに造られた難攻不落の大監獄、『水底監獄(フォール・プリズン)』。そこに本来この国の王女になるはずだった人が囚われているの。もし私が『セレクターズ』で勝ち上がれたら特権で救い出す事ができると思うけど……」


 歯切れが悪い口調だった。何か後悔を滲ませているような、悲痛な感情がそこから伝わって来た。


「スゥ……?」


 続きの言葉が出て来ないスゥに声をかけると、彼女は驚いたようにビクッと体を震わせた。それから何事も無かったかのようにアーサーに乾いた笑みを向ける。


「ごめん、レン君。ここから先は一人で買い物に行くから、先に帰って貰って良い?」


 どうやらスゥには先程の話を続けるつもりは無いようだった。アーサーの方も無理に聞き出そうとは思わなかったので、彼女が振って来た話に乗っかる。


「荷物持ちくらい手伝うけど?」

「ううん、大丈夫。あっ、でもこの霧じゃ道が分かないか……」

「いや、道の方は大丈夫。ここまでの歩数を数えてたから」

「……歩数?」

「うん、歩数。霧が濃かったから一応ね」


 外へ出てまず最初に思い付いたのがそれだった。霧が濃いのを見て、ごく自然に一歩目から歩数を数え始めたのだ。自分の事ながら不審に思ったが、記憶を失う前の自分の直感に逆らうのも気が引けてとりあえず数えておいたのだ。

 しかし、スゥの方は苦笑いで、


「こう言ったらなんだけど……奇妙な癖だね」

「俺もそう思う。ホント、記憶を失う前の自分ってどんなヤツだったんだろ?」


 アーサーの方も苦笑いで返した。目を覚まして数時間、どんどん自分への不信感が溜まっていって仕方がない。


「でも家が分かるなら、これで一人でも帰れるよね?」

「……まあ、そうだね。じゃあ先に帰ってるよ」


 よほど付いて来て欲しくないのか、少し強めの声音だった。

 今回、アーサーは踏み込まない方を選択した。いつもだったら別の選択をしていたかもしれないが、今は記憶が無いのが関係していた。自分の事を棚に上げてほぼ初対面の相手に踏み込むのは気が引けたのだ。


(……スゥは内心を明かさないけど、笑顔が心情を物語ってるんだよなあ……)


 とはいえ、気にならないと言ったら嘘になるのも事実だった。


(……こういう時、お前ならどうしてたんだ……?)


 アーサーは自分の中の複雑な心情を理解しながら、自身に問いかけるように右手が無意識に胸に向かった。そこには起きた時からずっと首からぶら下がっていた硬い何かがあった。スゥがいる手前出しにくかったそれを初めて取り出してみると、


「ロケット……?」


 銀色の小さなそれを、アーサーは何の気無しに開けた。

 中に入っていたのは女性の写真だった。長い黒髪で自分よりも年上の、しかも耳を見ると尖っていて魔族のものだった。

 普通に考えたら全く接点の無いはずの女性の顔。

 しかし何故か、アーサーの目からは涙が流れた。


「……あ、れ……?」


 それはいくら拭っても止まらなかった。胸に締め付けられるような痛みが走り、アーサーはすぐにロケットを閉じて服の内側に仕舞った。

 これが前の自分にとって大切な何かであるのは分かった。

 だが今の自分の症状を見るに、良い記憶に直結しているとは思えなかった。そう考えると途端に怖くなってしまったのだ。


(……一体何だったんだよ、俺は……)


 そうして思い出せない記憶に苛まれながら、うんざりして来た道を戻ってスゥの家に向かっていた時だった。

 それは唐突だった。

 すれ違いざま、いきなり腕を掴まれた。

 この濃い霧に加えて考え事をしていたせいで、そこまで接近されても気づけなかったのだ。


「アーサー・レンフィールドですね?」

「え……?」


 アーサー・レンフィールド。その言葉の羅列は妙に呑み込めた。僅かに思い出していたのもあるが、直接言われて一瞬でそれが自分の名前だと分かった。


「少し、お話があります」


 よく見ると年端もいかない小柄な少女だった。見た目だけで判断するなら一四歳程度。腰に届くほどの長い白髪で毛先の方は綺麗なピンク色で、柳緑の瞳が見上げるようにこちらに向けられていた。

 装いはいくつかのボタンや紫のネクタイが付いたきちっとしたもので、襟が腰辺りまで長く肩を覆っているくらい広い水兵の服装のような、ノースリーブの特殊な仕様の黒い服。そして同色の膝の上まである黒いロングブーツを穿き、肘まですっぽり覆える黒いロンググローブを嵌めており、頭には黒いキャスケット型の帽子を被っていた。そういう趣向なのか全身の服装が黒で固められており、他の色は白いショートパンツくらいだった。

 文句なしの美少女だが、それ以上に不思議な感覚を与えてくる少女だった。

 懐かしいような、安心できるような、それは初対面とは思えない感覚だった。もしかしたら記憶を失う前にどこかで会っていたのではないかと思う。

 だから続ける言葉をしばし考えてから口にする。


「どこかで会ったっけ……?」


 この言葉なら初対面でも再会でも通用すると思って使った。一応、内心で向こうが先に名前を言ってくれた事に感謝しておく。

 そしてこちらの葛藤など知らぬ顔で、少女は答える。


「わたしはネミリア=N。『ポラリス王国』から要請(オーダー)を受けてここにいます。貴方にはそれを手伝って欲しいんです」

「……どうして、俺が……?」


 疑問顔で返すと、向こうからも疑問顔が返って来た。


「……? おかしいですね、資料によればこう頼めば貴方は協力してくれるとの事だったんですが……」

「……。」


 まずい、とアーサーは素直に思った。

 彼女は自分の事を知っている、それも今の自分以上に。『ポラリス王国』から指令を受けるほどの相手に知られている自分の過去が怖くなったが、それ以上に自分の記憶喪失が露見したらどうなるかを考えるとゾッとした。

 一瞬、もしかしたら自分も目の前の少女と同じ場所にいて、指令(オーダー)とやらを受ける立場にいたのかとも思ったが、それはすぐに否定した。もしそんな立場なら『資料によれば』などという言い回しはしないからだ。

 それらを数秒で考え、彼女への答えを判断した。


「……悪いけど、今こっちも立て込んでるんだ」

「それは急務なんですか?」

「まあ、割と」


 嘘では無い。

 失った記憶をどうにかするのが急務でないのなら、何が急務なのか分かったものではない。

 ネミリアは少し困ったように嘆息して、


「……そうですか。できれば一緒に『セレクターズ』に参加して欲しかったんですが……仕方がありませんね」

「ん? アンタも出るのか?」

「ええ、そもそも『セレクターズ』が開催される原因が発端のような気がするので」

「原因?」

「魔法の暴発です。前国王の一人娘、アクア・ウィンクルム=ピスケスが魔法を失敗した影響で捕まりました。まあ表向きは、ですが。その後も色々とあり、結果的に国王の跡を継ぐ正統な者がいなくなって『セレクターズ』の開催が決定しました。貴方はこれをどう見ますか?」

「……」


 アーサーは僅かに沈黙を返した。それは質問に対する答えを考えているからではなく、思い浮かんだ最悪の答えをどう話すべきか迷っての沈黙だった。しかし真っ直ぐな瞳にじっと見つめられて、アーサーは観念して答える。


「……アンタがどんな要請(オーダー)とやらでここに来たのかは分からないけど、つまり全部仕組まれてたって言いたいんだな? 誰かが国王になりたくて『セレクターズ』を起こしたって」

「ええ、相手の目処は立っていますが。ただ問題はその思惑を利用している者が少なからずいるという事です。『セレクターズ』は他国へ一切報じていない性質上、知ってさえいれば他国からの参戦もできますから」

「……一つの国が、一般人を全員把握してる訳ないからな」

「この国に忍び込みたいなら絶好の機会です」

「……つまり、アンタの指令(オーダー)は」

「はい、この国で起きるであろうテロを阻止する事です」

「……」


 アーサーは一度、深く息を吸った。

 話のスケールが大きすぎて付いて行けない。そもそもネミリアの問いかけにすぐ答えられた事ですら自分の中で処理できていないのだ。前のアーサーとは違う正真正銘ごく普通の少年には、テロという言葉を聞いて進んで阻止したいとはすぐに思えない。どうにかしなきゃいけないと思いつつも、尻込みしてしまうものなのだ。


「ですが、貴方にも用事があるなら仕方がありません。一人で何とかします」

「……悪いな」

「いえ、元々は一人でやる予定だったので大丈夫です。それよりマナフォンを持っていますか?」

「え?」

「貸して下さい」


 突然の事に加えて要求するように言われたせいで、アーサーは反射的にポケットに手を伸ばしてしまった。そこには今まで意識すらしていなかった膨らみがあった。考える必要も無く記憶を失う前の自分のものだろう。今さら持っていないフリはできないので、アーサーは誰が登録されているかも知れないそれを取り出して素直にネミリアに手渡す。


「なるほど……相互に番号を登録しあったマナフォン同士のみ通話可能な、かなりの旧式モデルですね。最先端のものを使っていると思っていたので少し意外です」


 そう言う彼女が使っているのは最新型なのか、アーサーのように金属チックではなくほとんど透明なプラスチックの板のような端末を慣れた手つき操って番号を登録し、ものの数秒でアーサーの手にマナフォンが戻ってくる。


「わたしの番号を七に登録しておきました。気が変わった時は連絡して下さい」

「……分かった」


 すぐに見てみると、ネミリアの分も含めて八件の登録があった。この中の誰かに連絡すれば自分の素性について知れるかもしれないと思いながら、それでもアーサーはマナフォンを閉じてしまった。どこまで行っても前の自分とは違う今の自分が、前の自分の知り合いに連絡を取るのはどうかと思ったのだ。だから記憶が戻るまでは連絡はしない、と自分の中だけで決める。


「『グレムリン』」


 マナフォンに気を取られている間にアーサーに背を向けて去っていったはずのネミリアから、そんな言葉が出てきた。


「その言葉を聞いたら用心して下さい」

「……何かあるのか?」

「魔族が関わっている、とだけ情報は掴んでいますが他の詳細はまだ不明です。……ですが」


 記憶が無いアーサーにとっては魔族が関わっているというだけで恐れ(おのの)くような大問題なのだが、ネミリアにとっては魔族が関わっている事は恐れる理由にならないのか、振り返ってこう忠告する。


「近々この国で何かが起きるはずです。貴方には必要ないかもしれませんが、一応気をつけて下さい」

「……ああ、アンタもな」


 今度こそ去っていく小さな背中を見送りながら、アーサーは難しい顔になっていた。

 記憶を失う前の自分。

 それを思い出すのが、少し怖くなってきたからだった。

ありがとうございます。

運命の出会い、とあるように今回登場したネミリア=Nは今後の物語において大きな鍵を握っている少女です。とはいえ今回の章でも関わってくるので、よろしくお願いします。


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