247 七人目
少し前。
『アクエリアス王国』のある地点、戦場にはならなかった場所。
ここまで魔族の侵入を許したのはこの国の雰囲気もあるのだろう。魔族の主戦力が固まる『リブラ王国』方面から遠い位置にあるのも原因かもしれない。雰囲気が『ジェミニ公国』に似ているからか、やや感傷的になりながらその少年は適当な岩の上に腰を下ろしていた。
「なーんだ。これだけ急いでも、やっぱりあなたの方が先に着いちゃってるのかー」
この大自然には似つかわしくない、そんな呑気な声があった。
一言で表せば無邪気というのが一番しっくり来るだろうか。その少女はこちらに警戒心を抱かせないような態度で接してくる。
しかし失念してはならない。この金髪ツインテールは数日前、『ピスケス王国』で猛威を振るった狂人だということを。
「前も、今も、世界に牙を向くと最後には必ずあなたが立ち塞がる。だからこそこうも惹かれるんだけど」
「こっちとしては幽霊に取り憑かれてるみたいでたまったものじゃないけどね。それにお前だって結局ここに辿り着いた。『ピスケス王国』でお前が言っていた似た者同士って言葉が耳に痛いよ」
少年は本当に嫌なようで、うんざりとした様子でゆっくりと息を吐く。
「……だけど、誰がどんな選択をして事態がどう転んでも、結局お前はここに来て『グレムリン』を発動すると分かってた。俺はその先で待ち構えてただけだ」
「普通の事のように語ってるけど、それがあなたのお仲間にはできなかったのよね。それがあなたと周りの人の差なのかしら? この国の魔力の集まり方のムラを調べて、最も濃く集まる時間、場所に来ればそこで『グレムリン』が行われるって分かりそうなはずなんだけど」
そして。
金髪ツインテールの少女、ノイマンはおもむろに赤黒い石を取り出した。
「……『人工魔神石』。それだ、それにだけはどうしても手が届かなかった」
「悔いる事はないわ。あなたはお仲間を守るための選択をした。何度あの状況になってもあなたはそうする、そうでしょう?」
知ったような口を利きながら、ノイマンは何かを思い出したようにハッとしてすぐに口に出す。
「そういえばあなた、仲間内や『フェアリーズ』では死んだ事になってたみたいけど、それはどういう訳?」
「それはラプラスが仕掛けた罠だ。『グレムリン』やお前を潰すために、仲間にすら生存を伏せて、このチャンスを待っていたんだ」
「なるほどー。つまり『オンリーセンス計画』の終わりから全部仕掛けてたって訳ね。さっすが私のセンパイ、そうこなくっちゃ」
どこか嬉しそうに言いながら、ノイマンは躊躇せず『魔神石』を握り締めた。
その瞬間、『魔神石』が弾け飛んで『グレムリン』が発動する。それはノイマンが発動したのではなく、この魔法のためだけに造られた『魔神石』にあらかじめ記憶させていた魔法を解き放っただけだ。
彼女の手の中から光の柱が広がり、それは少年が座る場所にもすぐに及んだ。遥か頭上には光の球体が膨張する様子が見えており、そこから閃光が朝日よりも眩しく二人を照らす。
「『グレムリン』を発動させた。止められるのはあなただけ。この選択はどうする?」
こちらの本質を問うような質問に少年はふっと息を吐きながら、
「……全ての科学を終わらせる。『フェアリーズ』の合言葉だけど、お前はその意味を分かってやってるのか?」
質問に返す質問。だがノイマンは欲しい答えが返って来なかった事に関して特に何も感じていないのか、小首を傾げて答える。
「いいえ? ただ面白そうじゃない。世界から科学が無くなったら戦争が起きる。悪意と敵意と殺意と憎悪と絶望が入り乱れる、私はそれを味わいたいだけ。そして『グレムリン』はそれを簡単に引き起こせる。人の剥き出しの本質を全身で受け止められる。それはきっと他のどんなものよりも強い快感を得られるはず」
「そんな自己満足のために、何千万人も殺すのか……」
「どうせいつか死ぬ命。それならその最後の輝きを彩って死なせてあげる事のどこか悪いの? それに世界が混乱に落ちようと平和になろうと私は人を殺すわよ? それは『ピスケス王国』で私という個人を倒す為に踏み込んで来たあなたなら嫌っていうほど分かってるでしょ? だからこれは、そう、言ってしまえば慈悲なのよ。誰も彼もが暴力性を押し殺して我慢しているタガを外して、本能のまま生きさせてあげるの」
思えばそのために、ノイマンはここまでやってきたのだ。
『ピスケス王国』で多くの人を騙し、殺し、混乱を撒き散らかした元凶。人間でありながら魔族に加担し、全ての科学を終わらせるために動く狂人。
普通の人にとって起きて、食べて、動いて、寝る。そんな毎日のサイクルの中に殺すという作業が加わっているだけ。湯船に浸かるように殺しの世界にどっぷりとはまった彼女にとっては、戦争は止めるものではなく起こすものなのだ。
「この世界は狂ってるよ、それこそ私以上に」
普通の人間とは違う視点で、狂人は噛みしめるように言い放つ。
「みんなだって本当は分かってるはず。世界は大きく歪み始めてる。激動の時代はもうすぐそこまで来てる。もしかしたらこのまま科学と魔術が共存していた方が総合的な犠牲者の数は多くなるのかもしれない。それでも『グレムリン』を止める? どうあれ、全ての命をあなた一人では守り切れない。今の世界にそうまでして救う価値なんてある?」
世界を落とすブレーカーはここにある。今落とさなくても、いずれ落ちるブレーカー。これは遅いか早いかの違いでしかないのかもしれない。ただし、それは戻す事のできない一度限りの使い捨てのブレーカーだ。
世界を変えるための力、それは本当に世界をより良くできる可能性も孕んでいる。
「ねえ、一緒に引き金を引こうよ」
悪魔の誘惑のような声だった。
どこまでも無邪気で、屈託のない笑みを浮かべて狂人は座ったままの少年に手を差し伸べる。そこから腰を上げて、一緒に新世界に旅立とうという麻薬のような誘いの手を。
「遠くないうちに世界は終わる。でも今なら、そうなる前に世界を変えられる。良くなるのか、悪くなるのかは知らないしどうでもいい。でも確実に変化する。こんな静かに腐っていくだけなら、いっそのことドカンと盛大に変えちゃおうよ。私達ならきっとできる」
所詮は狂人の言葉。聞く耳を持つ価値は無かったのかもしれない。
だが、その少年は聞き入っていた。狂人の言葉だからこそ、そこには常人が目を逸らしたくなる真実があった。少年は今まで大戦の前兆を機敏に感じ取り、それを阻止するために動いて来た。だが誰の目にだって今の世界が不安定なのは目に見えている。
「……」
少年は少女が伸ばす手に向かって無言で右手を伸ばす。
ここ最近、『ゾディアック』と『魔族領』を区切る結界は消滅し、多くの国に魔族が侵攻している。それに問題は魔族だけではなく、あらゆる国で動乱とも取れる動きが起きている。そうそう代わる事のない国王だって、この短い期間で少なくとも六つの国で新しくなっている。
もしかしたら、このまま『グレムリン』を実行した方が総合的な死者の数は抑えられるのかもしれない。科学と魔術が入り乱れる奇妙な世界より、魔力だけの世界の方が人々は幸せになれるのかもしれない。たとえその未来の幸せのために、一時的に多くの犠牲が必要だとしても、今の世界にはそれだけの荒療治が必要なのかもしれない。
しかし。
それを理解した上で。
アーサー・レンフィールドは右手を握り締める。
あらゆる魔力を掌握し、操る事のできる極大の力を持つ右手を。
その瞬間、二人を覆っていた光が弾け飛ぶ。
世界に放たれようとしていた、科学を終わらせる妖精のその全てが消滅した。
「へぇ……結局こういう選択、か」
『グレムリン』を破壊されたノイマンの表情に不快さは一ミリも無かった。むしろ少年の行動の一挙手一投足を楽しんでいるような、そんな笑みを浮かべていた。
「ちなみにその選択の理由は?」
「言うまでもないだろ」
アーサーは岩から腰を上げ、自らの足で大地に立ちながら言い放つ。
「『オンリーセンス計画』の失敗から始まった今回の騒動、俺は色んな人達にデカい借りがある。アレックス達やスゥ達にな。『グレムリン』はそんな俺の大切な人達に牙を向く。そもそも俺はそれを阻止するためにここに来た。それに『ピスケス王国』であそこまでやったお前の手を取るなんて未来永劫あり得ない。……メアの事、許すはずがないだろうが」
「……良いねぇ。やっぱりあなたは良い」
心の底からそう思っているように、金髪ツインテールの少女は笑いながら言った。
そして両手に武器を握り締める。拳銃とナイフ、ありふれた道具だが彼女にとってはそれで軍隊とも戦える武器だ。その強大な力をたった一人の少年に向ける。
それでもアーサーは眉一つ動かさなかった。ほんの一呼吸の内に詰められる距離で、彼は無手のまま狂人の前で言う。
「俺の不完全な時間停止中は他の魔術が一切使えないし、身体能力も生身に戻る。でもこの距離なら拳を叩き込むのに一秒あれば十分だ。何か最後の言葉は?」
アーサーにしては珍しい、戦う前の勝利宣言だった。
すでに一度拳を交えている相手で、お互いの手は知り尽くしている。どうあれ長期戦になる理由はなかった。
まるで荒野のガンマンのように至近で睨み合う二人。ノイマンはその状況すら楽しんでいるかのように、恍惚とした笑みを浮かべて答える。
「……ええ、ええっ! 最後まで私を楽しませて、アーサー・レンフィールド!! その全てを味わい尽してあげるっっっ!!」
「……お前は本当に救いようのない狂人だな。『時間停止・星霜世界』!!」
まず最初に周囲の空間が歪み、次いで世界の時間が止まる。それは『未来観測・逆流演算』と同じく『その担い手は運命を踏破する者』発動中のみに使う事が許された、アーサーだけの孤独の世界。そこでアーサーはゆっくりと息を吸った。
脳裏に浮かぶのは様々な人達の顔、そして想い。
『ピスケス王国』の動乱から―――いや、自分が死ぬ覚悟をしたあの『オンリーセンス計画』の結末から始めてしまった全てを終わらせるために、少年は拳を握る。
そして、躊躇せずそれを振るう。
理想的な殴り方で、一ミリも動かない無防備なノイマンの顔面へと、硬く握り締めた右手を叩き込んだ。
「……時は動き始める」
それはこの孤独な世界の事だけではない。
アーサー・レンフィールドを失った世界。その前提条件が覆され、再び物語が動き出す鐘の音のような快音が遅れて響いた。
ありがとうございます。
という訳で、アーサー・レンフィールドの復活です。唐突に出てきたノイマンに関しては、後ほど触れていきます。本来なら謝る所なのですが、今回の章の構成は次回以降と合わせて考えているので、いくつかの情報を意図的に公開していません。少々テーマを『時間』に絞っているので、その辺りは先を読んで頂ければ良いなあ、と。
そして次回は第一三章の最終話となりますが、ちょっとした予想外の終わりを用意しています。恒例のあとがきの後の話も含め、次章以降へのバトンを渡していきます。