242 五人目と六人目
本部に戻ると捕えられたグレイスティグはすでに個室へと閉じ込められていた。当然、魔術は発動できない特別製でユーティリウム製の壁に囲まれた部屋だ。今は大人しくしているが、どっちみちいくら魔族といえど出られるような場所ではない。
アレックス達はその様子を別室からカメラを通して見ていた。
「……さて、グレイスティグときたか。アレックス・ウィンターソン。きみは彼女の事をどう見る?」
そう質問してきたのは部屋から呼んで来たアユムだった。彼は片手に本を持ちながら、全て分かっていそうな雰囲気でわざわざアレックスに意見を求めていた。
「あん? どうって……こいつも北欧神話? ってやつから魔術のベースを得てんだろ。あのフレイのクソ野郎と同じだろ?」
「なるほど、よく考察した。今きみが言った事は全て間違っている。彼女のベースは北欧神話に依存していない」
ガクッ、と思わず力が抜けた。褒めてから落とすのは本当にやめて欲しい。
アユムは持っていた本をアレックスに差し出しながら、
「五〇〇年前に貰った北欧神話に関する本とも言えない資料書だ。ちまたに出回っているものより詳しく書いてある。セラ・テトラーゼ=スコーピオンには多少の知識があるようだけど、まったく無知なきみは目を通しておいて損はない。気に入ったのがあれば、新しい魔術のベースになるかもしれないしね」
「……ったく、こういうのも本来アーサーの仕事だってのに……」
パラパラとページをめくりながら、アレックスは眉をひそませてアユムに尋ねる。
「ところで気になったんだが、どうして異世界の産物がこの世界にあるんだ? お前が広めたのか?」
「……ま、遠回しとはいえそうだね。この世界に異世界の産物を落とし込んだのは、主にぼくとナユタだ。……今となっては手遅れだけど、ぼくの数ある失敗の一つとして後悔しているよ」
何とも歯切れの悪い口調だった。
とはいえ、流石にアレックスもそこに突っ込むほど空気が読めない訳ではない。彼の言葉の端々には、五〇〇年間積もり積もった想いが垣間見えたのだ。一六、七年しか生きていないアレックスには想像できない何かがあったのだろう。だから深くは聞かない事にした。
「それで、ヤツが言ってた『グレムリン』ってのは何だ? また何かの妖精なのか?」
代わりに答えが記されている物を手にしたまま、アレックスは手っ取り早くアユムへと答えを求める。アユムの方も話題が逸れて内心ほっとしているのか、飛びつくようにそれに答える。
「簡単に言えば『グレムリン』は機械を壊す妖精の名前だよ。科学を終わらせるという覚悟をそこへ込めているんだろう。魔力をこの世界から消す『オンリーセンス計画』にちなんで、科学を終わらせる『グレムリン計画』と言ったところかな。アーサーといい、きみも厄介事を背負ったね」
「……」
全ての科学を終わらせる。
『オンリーセンス計画』の時はラプラスが色々と情報を入手していたが、今回はほとんど情報がない。つまりどのようにして科学を終わらせるのか、その具体的な方法が分からない。そもそも魔力は宇宙に放出してしまえば事足りるが、科学は仮に現存する全ての科学的な装置を破壊したとしても、いくらでもやり直しが利く。流石に復活する度に破壊し続ける訳にはいかないだろう。となると考えられる一番現実的な方法は……。
「……魔法、でしょうね。その『グレムリン計画』の核は、おそらく」
アレックスとほぼ同時、シルフィーがその答えに至った。
「全ての科学を終わらせる。……そのために必要なのは、科学装置の完全破壊と科学知識の根絶です。それを可能にするとすれば、物理法則の限界を超える魔法でしょうね」
「……なるほど。科学に疎いフィンブルでもその考えに至るのか」
どうやらセラも同じ結果に至っていたらしく、シルフィーの説明に補強を足していく。
「ヤツらは『魔神石』を狙った。それが答えだ」
「そりゃどういう意味だ?」
『魔神石』を狙ったから魔法を使う、という理論は暴論のような気がしたのだ。その辺り魔術や科学、『魔神石』などの神秘と近すぎない一般人の目線なのだろう。魔術と科学、それぞれに近しいシルフィーとセラの意見を噛み砕くのに多少の時間を要するのだ。
そして、この中で最も『魔神石』に近い男が口を開く。
「『魔神石』は全てが単なる魔力を生み出すための道具じゃなくて、それぞれ特徴があるんだ。『言語』のバベルの力は現実改変。使用者が思い描いた空想を、そのまま現実に出力する。完璧に『魔神石』の力を掌握しないと何でもかんでも思い通りにいく訳じゃないけど、不完全でも魔法の補強くらいには使える。セラ・テトラーゼ=スコーピオンが言いたいのはそういう事だろう?」
アユムの確認にセラは頷きながら、
「だが『言語』のバベルの『魔神石』はリーヴァが持っている。それなのにヤツらは退いた。これが意味する所はなんだと思う?」
「……ヤツが退く時、魔術で会話してやがった。相手はノイマンとかいったか、とにかく一言二言交わしてから退いたんだ。そのノイマンってヤツが何かやったのかもしれねえ」
「ノイマン……ああ、そういう事か」
その名前に心当たりでもあるのか、アユムだけは納得したように呟いた。全員がその言葉の真意を確かめようと彼の方に視線を集めるが、そもそも語る気など最初から無かったのか、いきなり背を向けて部屋の外に向かって行った。
「悪いけど、ぼくが協力できるのはここまでみたいだ。後はこの時代を生きるきみ達『ディッパーズ』に任せるよ。頼まれたから向こうにも顔を出したけど、流石にもう帰っても良いだろう、セラ・テトラーゼ=スコーピオン?」
「……ああ、そうだな」
よく分からない話を含んだそれにセラは納得したようだが、アレックスの方はそうはいかなかった。
「……こんな状況だってのに勝手過ぎねえか?」
恨むような言葉をアレックスはその背中にぶつけた。
しかしアユムはふっと自嘲的な笑みを浮かべて、
「……ぼくが自分勝手な人間じゃなかったら、そもそも世界はこんな風にはなっていなかったよ」
そんな意味深な言葉だけ残して、五〇〇年前の勇者は去っていった。まあ色々と情報をくれたとはいえ、戦闘には一度も参加していなかったのだ。元々戦力には数えていないので、この際彼の離脱は良しとする。
「『魔神石』が必要なのに諦めて退いた。その前に一本の魔術的連絡……まさかヤツら、すでに別の『魔神石』を手に入れた訳じゃないだろうな?」
さっさと思考を切り替えたセラはそんな事を確認事項のように呟いた。正直こんな時にアーサーかラプラスでもいればもっと色んな状況を分析できたかもしれないが、ごくまともな人間ではこの辺りが関の山だ。状況的に見れば最悪に近いセラの発言が当たりだと仮定して動くしかない。
「だとしたらもう時間がねえぞ。ヤツらを探す方法はあんのか?」
「……まあ、手掛かり自体は残っているからな……」
言いながら、セラはカメラの映像に視線を移した。
確かにグレイスティグがこちらに残っている唯一の手がかりだ。尋問しない手はないだろう。だが彼女が簡単に吐くとも思えない。そして時間制限のあるこちらはある程度粘られたらそこでおしまいだ。なんとしても早急かつ、確実に『フェアリーズ』の居場所を知る必要がある。
「ん? すまない、通信が入った」
突然、セラはそう言い残して一旦部屋から出て行った。誰からの通信なのかは知らないが、この状況でいなくなられるのはアレックスにとって都合が悪かった。
つまり、みんなの視線が当たり前のようにそこにいるシグルドリーヴァに集中したのだ。今の彼女は白と黒のボディースーツではなく、自身のナノマシンを使って作った黒いリクルートスーツを着ており、何も知らなければただの人のように見えた。
最初は躊躇しているのか誰も質問しなかったが、やがてシルフィーがおずおずと口を開く。
「……ところで、アレックスさん。その方は誰なんですか……?」
「こいつは……」
非難されると分かっていて説明しなければならないのは億劫で仕方がなかった。なんと言って説明しようか迷っていると、先に彼女の方が答える。
「わたしはシグルドリーヴァです。リーヴァ、と呼んで頂ければ」
「……この声、ブリュンヒルドと同じだよ……!?」
「ああ、そうだ」
短い通話を終えて戻って来たセラが答えた。
「無事だったブリュンヒルドのマトリックスを組み直したんだ。声は同じだが、ほぼ別人と考えて貰って構わない」
「……二人とも、またロボットを作ったんですか……?」
当然、そう言われるとは思っていた。アレックスにもセラにも、最初から言い逃れをするつもりは無い。そして正しい道だと信じているから、謝るつもりも。
「まず言っておくがこいつはロボットじゃない。『細胞生成コフィン』で本来なら模造細胞を使う所にユーティリウムを使い、核となる人格の部分にはブリュンヒルドを使った。現実改変の力がある『言語』のバベルを使ったから人間と何も変わらない。自分で考え、自分で行動できる」
「……それって、エクレールや『機械歩兵』よりも危険なんじゃ……?」
シャルルの言葉はアレックスやセラだって懸念していた。
けれど、これが正しい道だと信じたのだ。アーサーがいないこの世界を守るためには、こうするしかなかったと。
唯一、この状況を上手く飲み込めていないアンナはシグルドリーヴァに近寄って、値踏みするように彼女の顔を見ながら、
「あんたはどうなの? 私達の敵じゃないっていう保証はあるの?」
「……わたしがエクレールや『機械歩兵』と同じだと言うんですか?」
その言葉はアンナだけではなく、他の全員に向けて放たれたものだった。それはアレックスやセラも含めて、だ。
シグルドリーヴァは五人の視線を一身に集めながら、狭い部屋の中を歩き出す。
「『フェアリーズ』……彼らにも譲れない信念があり、正直わたしは彼らを傷つけたくはないと思っています。けれど彼らの想いは世界を巻き込みます。科学技術が一度に全て失われれば、魔族は即座に『ゾディアック』に攻め込んでくるでしょう。その時点で『第三次臨界大戦』は始まり、いくつかの強力な戦力を失った『ゾディアック』に勝ち目はなく、多くの命が蹂躙されてしまいます。それだけは阻止しなければなりません」
それは他の五人の総意とも一致していた。
シグルドリーヴァは自身の両手の手のひらを見ながら少し悲しそうに、
「……わたしはあなた方がよく知るブリュンヒルドではありません。エクレールや『機械歩兵』でも、バベルでもない。わたしは……わたしです。あなた達の望んだ存在ではありませんが、それでも世界を守りたいという想いは本物です。わたしの事を信じる事はできないでしょうが……それでも今は行かなければ、世界を守れません」
……シグルドリーヴァという女性の訴えに、どれだけの力があるのだろう?
どこまで言っても彼女は造られた存在で、その心は『魔神石』があるとはいえ、普通の人間は彼女に心があるとは素直に思えないだろう。例えばそれはゲームで状況に応じた台詞を吐き出すNPCと何ら変わらないのかもしれない。
けれど、彼女の事を一つの命だと思う者もその中にはいた。
「……もう良いだろ」
その少年、アレックス・ウィンターソンはシグルドリーヴァを庇うような形で前に出て仲間達を見据える。
「リーヴァについては疑う必要はねえ。俺達の仲間だって断言できる。今の俺達にとって頼りになる、五人目の『ディッパーズ』だ」
どうあれ、今の『ディッパーズ』のリーダーはアレックスだ。彼がそう言う以上シグルドリーヴァは『ディッパーズ』だし、それに彼女はすでに一つの命を持ってそこに存在している。今更彼女を殺そうとする者は『ディッパーズ』の中にはいなかった。
「それで、根本的に敵はどこにいるの? グレイスティグは口を割らなさそうだし、ボク達には具体的に追う手段が無い」
「それなら心配ない。敵は『アクエリアス王国』にいる」
その言葉を放ったのはセラだった。今まで何の情報もなかったのに断言する彼女に、アレックスは疑問顔を向けて、
「……根拠はあんのか?」
「ああ、勿論。あの国は魔力が潤沢だから魔法を使う際に多少の助けになるはずだ。それに信じられる筋からの情報があった」
「信じられる筋?」
「お前、行動を共にし過ぎて私がこの国の王だという事を忘れていないか? 一般人とは違う特別な繋がりだってある」
その詳しい情報源については語る気はないのか、セラの話はこれからに向かって行く。
「敵が『魔神石』を用意しているなら時間はそう残されていない。グレイスティグを見捨てたのも目的の完遂が間近だからだろう。だからこっちはジェットを用意した。『アクエリアス王国』には数時間で着ける。いつでも出られるぞ」
「ああ、さっさと行こう。……だがその前にアンナ、お前はもう帰れ」
その発言に驚いたのはアンナだけではなかった。共に戦い友情を深めたシルフィー、シャルルもアレックスに目を向ける。
「グレイスティグの捕獲に貢献したのは分かってるが、ここが潮時だ」
「……アレックスはあの状況見てないから知らないかもしれないけど、正直アンナがいなかったらボク達は敗けてたよ。それでもアンナを戦力として数えないの?」
当然、戦力として申し分ない事はアレックスにだって分かっている。だがアーサーを失った直後、アンナまで失いたくないという想いが彼の中にはあった。それこそが他の仲間達とは違う特別扱いだという事は、アンナにだって分かっていた。
それでも、だ。
「……ねえ、アレックス。あんたが私を危険から遠ざけたいように、私だってあんたを守りたいのよ。それがどうして分からないの?」
「分かんねえ訳じゃねえ……だが帰れ。一度関わったらもう退けねえぞ、この道は片道切符だ」
「そんなの分かってるわよ。だから……っ」
「いいや、分かってねえ。死ぬんだぞ、この仕事は本当に!」
突然声を荒げたアレックスはアンナに詰め寄る。
「……アーサーの野郎は死んだ。『ディッパーズ』は世界か自分の命か、その選択肢しか無かったら自分の命は捨てなくちゃならねえんだ。一回生き残ったって、次生き残れる保証だってねえんだぞ!?」
「ええ、だからおじいちゃんと同じ魔法の力を手に入れたのよ。あの事件で変わったのが本当に自分達だけだと思ってるの!? ここで戦えないなら力を付けた意味が無い! また大切なものが守れないなら、何の意味も!!」
「……ッ」
一メートルも間の開いていない至近でアレックスは訴える。対してアンナも訴えた。お互いがお互いの事を考えているからこその衝突。しばし睨み合いが続き、最初に動いたのはアンナの方だった。
「……感情的になってごめん。でも私の言ってる意味、あんたにだって分かるでしょ?」
「……、全員三分以内に準備しろ。仕事の時間だ、すぐに出るぞ」
アレックスはアンナから視線を切って、他の仲間達に向かって言う。だがアレックスの行動はそれだけではなかった。『ヴァルトラウテ』を発動させて全身にスーツを纏い、右手に長剣を作り出す。
「それと、アンナ」
そしてその剣をアンナの方に向けた。
当然、ここで斬り捨てる訳ではない。アレックスは優しく叩くように一回ずつアンナの両肩に剣の平を当てて、剣に使っていたナノマシンをスーツに戻して仕舞った。それは無骨だが騎士としての叙任の儀式と同じ所作だった。
このタイミングで、アレックスがそれを行った意味。
それはつまり、
「これで、今日から『ディッパーズ』だ。改めてよろしく」
一方的に告げて、アレックスは部屋の外へと出て行った。
六人目は少年の出て行った方を眺めながら、僅かな笑みを浮かべて誇らしげに胸を張った。