241 シグルドリーヴァ
アレックスは協力すると言ったが、ほとんどの作業はセラが行った。アレックスがやった事といえば、セラが『ブリュンヒルド』を入れる準備をしている間に配線をチェックする事くらいだった。
「あと一分後にマトリックスのアップロードを開始する。準備はできてるか?」
「元々テメェ一人で全部やってんだろうが。俺に協力を取りつける意味も無かったじゃねえか」
「寂しいこと言うなよ共犯者。そうすれば責められる時に私一人じゃなくなるだろ?」
「……今更どうでも良いが最低だなチクショウ。まあ、付き合ってはやるよ。テメェと一緒で俺は少数派には慣れてるからな」
敵襲があったというのに、無駄口を叩く余裕が彼らにあったのは他の三人が二人の妖精を止めていると思っていたからだろう。だが彼らは知らなかったのだ。三人が足止めしてるのはグレイスティグだけで、フレイの方はすでに見失っていたと。
バギバギバギ!! と開発室の壁が燃える大剣によって斬り裂かれたのはその時だった。その瞬間どこかの配線をやられたのか、『コフィン』の電源が落ちてしまった。
「コソコソして何をしているのかと思えば……やはり科学というのは醜悪の極みだな」
「フレイッ!!」
すでにスーツは装着している。前と違って魔力だって十分にある。すぐに戦いを初めても問題の無い状態は整っていた。
しかしフレイに飛び込もうとしたアレックスの耳に、セラの声が飛び込んで来た。
「マズいぞアレックス、電力を落とされた! 非常電源への切り替えまで『コフィン』内の機構が持つか分からんぞ!!」
「んな……ッ、どうにか出来ねえのか!?」
言い争っている間にもこちらに向かって来ようとするフレイにアレックスは手のひらから雷光の光線を出して抑制する。フレイは大剣の剣脊で受け止めてダメージにはなっていないが、侵攻速度はかなり抑えられた。
セラはそんなアレックスの背中に向かって叫ぶ。
「どうしようもない! 今すぐ電力を確保しないと、シグルドリーヴァの体が壊れる!!」
「……だったら荒療治しかねえな。失敗しても後で文句言うなよ、『雷光纏壮』!!」
今やアレックスの代名詞と言っても良いその魔術をここで使ったのは、フレイを撃退するためじゃない。
アレックスはフレイへの攻撃を止めて『コフィン』に体の正面を向ける。そして引き絞った右手に体中の雷光を集め、その拳を突き出して『コフィン』にありったけの雷光をぶつける。
「ほら、お前が希望だっていうなら目覚めろよ、シグルドリーヴァ!!」
セラのすぐ傍にあるディスプレイに表示されたメーターが瞬く間に右端まで溜まる。本来の電力なら数分はかかる事を加味すると、どれだけ過剰な電力を与えたのかが分かる。
やがて、アレックスが全ての雷光を注ぎ込み終わった。一瞬の静寂、その直後『コフィン』が内側から破裂して吹き飛んだ。過剰な電力が原因なのかは分からないが、中のシグルドリーヴァが一緒に吹き飛んでいないかだけが唯一の懸念だった。
アレックス、セラ、そして襲撃者のフレイでさえ『コフィン』から立ち昇る煙を注視していた。やがて煙が晴れると二人の懸念を払拭するかのように、それは姿を現した。
『コフィン』は曇りガラスだったので、その姿をしっかり見るのはアレックスも初めてだった。
背はアレックスよりも少し低い。白と黒のボディースーツを着ていて、淡い紫色の髪がふわりとなびいていた。アンドロイドだから当然だろうが、化粧はしていないのに肌の艶と整った目鼻立ちに思わず目を奪われた。
目覚めたばかりの彼女は何かを確認するようにアレックス、セラと順にアイスブルーの瞳を向け、最後にフレイに視線を向けて固定した。そして生まれて初めて、シグルドリーヴァは血の気の薄い口を開く。
「……『雷光纏壮』」
その言葉の直後、シグルドリーヴァの体から白い雷光が迸る。雷の色こそは違うが、それはまごうことなくアレックスと同じ『雷光纏壮』だった。
瞬間、シグルドリーヴァの体が掻き消え、爆音と共にフレイを掴んで彼が入って来た穴から外へと飛び出していった。
取り残された二人は呆然と呟く。
「……成功、なのか……?」
「……分からん。私は『雷光纏壮』を使えるように作ったりはしていない。お前が強引に電力を注ぎ込んだ影響で何か不具合が起きたのかもしれん」
「失敗しても後で文句言うなっつったよな? とにかく俺は先に後を追う。お前も後から付いて来い」
いつまでも呆然としている訳にもいかないので、アレックスは『纏雷』を使って二人が出て行った穴から遅れて外に出た。
シグルドリーヴァとフレイは一定の距離を開けたまま睨み合っていた。すでに数秒が経っているはずだが『雷光纏壮』が切れる様子はない。アレックスや結祈のように生身の体じゃなくて負担が無いからか、もしかすると彼女はこの状態でずっと戦えるのかもしれない。
(……だとしたら凄い戦力だ)
それにアレックスを含めれば、この場でフレイを倒す事だって不可能じゃない。それなら前回のように老婆が現れる前にさっさと倒さなければならない。
「これだから科学は……ッ」
それほど科学を嫌悪しているのか、シグルドリーヴァを見るフレイの顔は鬼のような形相になっていた。そして赤い大剣に莫大な魔力が集まっていく。それは何度か間近で見た事のある現象だった。
「集束魔力砲か……!? リーヴァ、逃げるぞ!!」
「っ……アレックス、さん……?」
呼ばれた事がそんなに驚く事だったのか、シグルドリーヴァはアレックスの方を見て動きを止めた。そして僅かな思考の後、逃げるのではなくアレックスの前に雷速で移動した。フレイとアレックスの間に立った彼女が右手を前に突き出すとその手が分解し、少しずつ広がるように素早く変形して身長を超える巨大な盾になった。
(俺のスーツと同じで、全身がユーティリウム製のナノマシンなのか!?)
確かにユーティリウム製なら集束魔力砲も防げるかもしれない。だが、防げないかもしれない。そうなればアレックスは勿論、せっかくのシグルドリーヴァまで失ってしまう。
「大丈夫です、アレックスさん」
と。
その不安を拭うようにシグルドリーヴァは呟く。
「あなたの事はわたしが守ります。信じて下さい」
「信じろったって……」
「盾は削られる度に修復できます。だからわたしの背中から動かないで下さい」
アレックスがその言葉の正誤を確かめている暇はもう無かった。フレイの大剣の輝きが最高潮に達し、今にも集束魔力砲が放たれようとしていたからだ。
「『妖精王の―――!!」
フレイが大剣を横薙ぎに払う、正にその瞬間だった。
突然、彼は体の動きを止めたのだ。代わりに呟くように言う。
「……ノイマン。それは本当なのか?」
(ノイマン……?)
新しい名前にアレックスは眉を潜めた。
魔術で遠くの相手と会話しているのだろう。二、三言話すとフレイは戦闘態勢を解いて背を向けた。
「こうして見逃すのは二度目だな、アレックス・ウィンターソン。どうやら運だけは良いらしい」
「……この状況で逃がすと思ってんのか?」
「図に乗るなよ愚者め。我が見逃してやると言っている。目覚めたてのそれとお前では我に勝てないと分からないのか?」
「……」
正直、アレックスは五分だと思っていた。特にシグルドリーヴァがいれば何とかなる気はしていた。とはいえ相手の力もそうだが、アレックスはシグルドリーヴァの力についてほとんど知らない。ロクな連携もできなければ、折角の共闘も足を引っ張り合う結果になってしまうはずだ。そう考えると、今有利なのは確かにフレイの方なのかもしれない。
(……クソッたれ。俺にもっと力があれば……)
とはいえ願うだけで力が手に入るような都合の良い現象は起きない。あくまで今ある力だけを加味した結果、フレイの発言の方が正しいと直感で理解してしまった。
「グレイスティグはやられたようだが、そっちに預けておく。情報を聞き出せたとしても手遅れだろうからな」
迷っていたアレックスが制止を呼びかける間もなく、再びそこに老婆が現れた。そして先日と同じように風と共に彼はどこかへ消えてしまう。
「どうなさいますか?」
「……グレイスティグはやられたって言ってたな」
アレックスはスーツを解きながら確認するように呟く。そして足は本部の方へと向ける。
「戻るぞ、シグルドリーヴァ。シルフィー達と合流して、グレイスティグってヤツから話を聞く」
「わかりました。……ですが、一つ違います」
何が、と聞き返すよりも前にシグルドリーヴァは言う。
「リーヴァ、と呼んで下さい。先程そう呼ばれたのが気に入りました。それに、シグルドリーヴァでは長いですよね?」
呼称への指示。それはブリュンヒルドには見られない変化だった。
今の戦いで彼女が味方であることに疑いは持っていない。が、それをみんなに納得させる事を億劫に感じながら、アレックスはシグルドリーヴァと共に本部の中へと戻って行った。