240 彼女が身につけた力
外へ出た三人、シルフィー、シャルル、アンナは横に並んで前を見据えていた。
少し先からこちらに歩いて来るのはたった一人の少女。上から見た時にいた赤髪の男はそこにいなかった。
「……アレックスさんがフレイと言っていた方がいません。もう中に入られたのかも……」
「誰か中に戻った方が良いかな? ちなみにボクは狭い場所は苦手だからパスで」
「私だって広範囲の魔術の方が得意です。……それで、アンナさんは?」
「私? 私だって狭い場所は無理よ。施設を全部燃やして良いなら話は別だけど」
「……狭い場所が得意なのは、アレックスさんとセラさんだけですか……」
珍しく溜め息を吐き出しながら、シルフィーは結論を出した。
「三人で倒してアレックスさん達の元に急ぎましょう」
「……良いの? 多分だけどアレックス自身、フレイに勝てるって思ってないんじゃないかな?」
だから『機械歩兵』や『ディッパーズ』に頼った。シャルルが言いたいのはそういう事だろう。もし一人で勝てると分かっているなら、わざわざ力を求めずとも一人で立ち向かっただろうから。
「……セラさんがいます。それに敵が展開した『断界結界』の中で、戦力を分けるのは得策ではありません。本来なら戦うなんて選択肢を選ぶべきじゃない代物なんです。彼女にだって、勝つ自信があるから向かって来ているはずです」
「……『断界結界』を相手にした時のセオリーは展開時間いっぱいまで逃げるか、こっちも『断界結界』を使って上書きする事だけど、シルフィーは使えないの?」
「使えなくはありませんが……とても不安定で展開できるかできないかは運頼みです。それに対『断界結界』用に念のためで作っていた欠陥品で、現状では恩恵は何もありませんし彼女の『断界結界』を打ち破れないでしょうね」
具体的な策は何も決まらないまま、彼女との距離が決定的に近づいた。少なくともシルフィーとシャルルの魔術は有効射程内だ。シルフィーは手のひらに魔力を集め、シャルルは魔力の弓を左手に作る。
「ここは『スコーピオン帝国』。私達は『ディッパーズ』。今すぐ退かないなら、武力で無理矢理追い返します」
「……なるほど。あなたは良い人なのね」
子供らしい、高い声だった。その佇まいも無邪気という言葉が一番似合った。
「なら名乗り返すのが礼儀かしら? 私はグレム……じゃなかった。『フェアリーズ』所属のグレイスティグ。全ての科学を終わらせる妖精の一人だよ。得意なのはこの『断界結界』。それであなたの力はやっぱり科学兵器?」
「魔術ですよ。『アリエス王国』出身ですから、科学は使いません」
「そっかー……じゃあ私達の対象じゃないね」
だが油断はしない。見た目は子供でも正真正銘の魔族で『断界結界』まで使ってくるのだ。魔法よりは習得しやすいとはいえ、大きく才能に左右される限りなく魔法に近い魔術だ。アーサーような例外が無い限り、そう簡単に体得できるものではない。
グレイスティグと名乗った少女は、シルフィーの隣にいるシャルルの方に視線を移す。
「……凄いね、魔力の弓なんて。そこから矢でも出るの?」
「その通り、そしてもう撃ってるよ。ボクの矢は見えないからね!!」
アレックスにも使った、目に見えない特性を備えた矢はすでにグレイスティグへと向かっていた。思い返せば最初に会った時も結局味方だったとはいえエクレールの視覚から攻撃していた。シャルルのこの魔術は本来、不意打ちにこそ向いているのかもしれない。
仲間のシルフィーやアンナにすら見えない矢はグレイスティグに向かって行った。が、いつまで経っても次のアクションは起きなかった。不可視の矢が当たってグレイスティグから鮮血が撒き散らされる事も、彼女が何らかの方法で矢を迎撃される事も、少なくともそれを見ていたシルフィーには何かが起きたようには思えなかった。
「……あの、シャルルさん? そんな遠くに矢を飛ばしたんですか?」
視線を横にズラしながら、シルフィーはシャルルに問いかける。すると答えは返って来なかったが、その横顔は信じられないといった風に驚愕に染まっていた。
「……おかしい。もう当たってるはずの時間が経ったのに……」
防がれたのならまだ理解できる。目には見えなくとも魔力は感知できるのだ。アレックスと同じようにそれで感知し、何らかの魔術で迎撃すれば防げる。
しかし、何も起きなかったのだ。そればっかりは何の理解のしようもない。
「それなら、『徹甲光槍』!!」
せめて情報くらいは探ろうと、今度は目に見える魔術をシルフィーが放つ。光の槍は真っ直ぐグレイスティグに向かっていき、その小さな体に触れたと思った次の瞬間、槍は跡形もなく消え失せたのだ。
「くっ、『氷結固定』!!」
次にシルフィーが使ったのは、足元から下半身を凍らせて動きを止める魔術だった。しかしそれも通用せず、グレイスティグの靴底すら凍らせる事ができなかった。
「……そんな、一体何が……」
「……もしかして、ボク達の攻撃を全部無効化する『断界結界』……?」
「っ、そんなのあり得ません!!」
体にまとわりつく嫌な空気を払いたい気持ちもあったのだろう。ぼやくようなシャルルの呟きに、シルフィーは過剰に反応した。
「『断界結界』は世界への干渉力が大きくなればなるほど持続時間が短くなるんですよ!? その証拠にアーサーさんの星から集束魔力砲を撃てる強力な『断界結界』は、一発も撃たなかったとしても五分程度しか持ちません。それなのに彼女の『断界結界』はもう一〇分以上経っているんです、どう考えても割に合いません!!」
「それなら魔法の『断界結界』の可能性は? 物理法則を越えられるなら、永遠に展開し続けられる『断界結界』だってあるんじゃないの!?」
魔術や魔法に詳しいからこそだろう。シルフィーとシャルルは無意識だろうが少しずつ後ろに退いていた。確実な事実として、こちらが退いてもグレイスティグは施設内に侵入してくる。攻撃が通らない理由を看破しなければどうにもならないのに、肝心の二人は完全に敵の術中にはまっていた。
まるで簡単な手品のような魔術だった。持続時間から見てそんなに強力な訳でも複雑な能力な訳でもないのだ。それが分かってしまえば酷く単純な仕掛けなのに、分からないと凄い事をしているように見えてしまう。そんなもどかしさを与えてくる。
グレイスティグは後退していく二人には興味が失せたように視線を切り、まだ一度も攻撃していない最後の一人、アンナの方に視線を移す。
「それであなたは? あなたはどんな魔術を見せてくれるの? それとも科学?」
「……ねえ、根本的な話なんだけどさ」
だが、アレックスやアーサーと同様の村人出身アンナ・シルヴェスターは一味違った。シルフィーやシャルルとは逆に、グレイスティグの方に踏み出したのだ。
彼女はどこか苛立ちを見せながら、
「あんたが知りたがりなのかお喋りなのかは知らないしどうでも良いんだけど、どうして初対面の敵のあんたにわざわざ懇切丁寧にこっちの手の内を明かさなくちゃいけないの? それともこの『断界結界』には口が軽くなるような効果でもある訳?」
二人の攻撃が全く効かなかったのを見ていたのにもかかわらず、アンナは全く怖気づいていなかった。むしろ自分の勝利を疑っていないかのように、その足取りは迷いなく進んでいく。
「こっちはあんたなんて『ディッパーズ』として認めて貰うための踏み台にすぎないのよ。慣れ合うつもりも語り合うつもりも毛頭無い。他の事情なんて知った事じゃない。ただアーサーが命懸けで守って、アレックスが守ろうとしてる世界に牙を向くって言うなら、その前に私があんたを殺す」
やらなければやられる。
力が無ければ大切なものを奪われる。
アーサーやアレックスと同様に『ジェミニ公国』の事件を経験したアンナは、そういう教訓を得ていた。
もう二度と、失わないために。
守られるだけじゃなくて、自分が守れるように。
そのためだけに、彼女はその力に手を伸ばしたのだ。
「『魔の力を以て世界の法を覆す』」
その言葉は、力の在る言葉。
現実を超える力を魔法を行使するための合言葉。
「―――『滅炎の金獅子』」
故に。
アンナの全身から普通じゃない金色の炎が噴き出した。それが通常よりも二回りほど大きい獅子の形を形成し、アンナに付き従うように傍らで腰を下ろした。
その魔法はかつて、オーウェン・シルヴェスターが使っていた奥の手。その金色の炎に触れたものは異常な燃焼速度で、たとえ水であろうと燃やし尽くす。
それがこの魔法、『滅炎の金獅子』の力だった。
「あんたの『断界結界』が攻撃を無効化するって考えは合ってると思うのよね。でも持続時間が長いなら、きっと何か条件があるんでしょう?」
一つずつ暴いていくように、アンナの口から言葉が出てくる。
それはまるで、どこぞの少年と同じように。
「思えばあんた、私達の攻撃手段を知りたがっていたわよね? 結果的にお姫様は魔術って言っちゃったし、シャルルって娘の方は矢について語ってた。つまりあんたの力は敵の攻撃手段が分かった攻撃を無効化する、あるいは相手があなたに伝えた攻撃が効かなくなるって所じゃないかしら?」
一瞬だが、確実にグレイスティグの動きが止まった。
言葉は要らない。アンナはその僅かな挙動で今の考えが当たっていた事を確信した。
パチン、と指を鳴らすと金色の獅子の体が炎へと戻り、瞬く間にグレイスティグの周りを取り囲んだ。
「能力は言わないわよ? でも炎に囲まれた後の末路なんて、わざわざ言わなくても分かるわよね?」
「……、あの……止めてって言ったら止めてくれる?」
「ええ、大丈夫よ」
自信満々だったのが嘘のように怯えた様子になったグレイスティグを相手に、アンナは不自然なくらい満面の笑みを浮かべて、
「情報を教えて貰わないと困るのはこっちだし、炭になる前には止めて上げるから。それにうちのお姫様は治療魔術を使えるし。あっ、でも今教えちゃったからもうあなたには効かないのかしら?」
「……」
グレイスティグはもう何も言わなかった。戦意はもう無いと告げるためか『断界結界』を解いたのだ。
「お姫様、あいつ凍らせられる?」
「えっ? は、はい。『氷結固定』」
先程と同じ魔術を言われるがままに使うと、今度は打ち消される事はなかった。もはや涙目になっているグレイスティグの全身を氷漬けにして、物言わぬオブジェと化す。
「で、二人共。私の力はどうだった?」
軽い調子で振り返りながらアンナは言う。二人は突然の終わりに驚きながらも言葉を返す。
「……アレックスが追い返そうとしてるからどんな人かと思ったけど、想像以上に頼もしかったよ。ボク達の方が守られちゃったしね」
「ええ……まるでアレックスさんやアーサーさんと一緒に戦っているようでした」
「一応、鍛えてくれた人は同じだしね。方向性は別々になったけど」
アーサーは知識。
アレックスは力。
そして、アンナは魔法。
同じオーウェン・シルヴェスターの元で育った彼らは各々がその道を選んだ。どれが正解という訳ではないが、アレックスが指定したボーダーは越えたはずだった。彼の代わりといってはなんだが、シルフィーはアンナに手を差し出した。
「私はぜひ、アンナさん、あなたに『ディッパーズ』の力になって欲しいです」
「それじゃ、説得の協力よろしく」
アンナは自身を認めてくれた証であるその手を躊躇わずに取った。
「それから私の事はシルフィーで良いですよ、アンナさん」
「了解、シルフィーね。そっちの弓使いは? シャルルって男の名前みたいだけど、それで良いの?」
「アレックスと最初の疑問が同じなんだね……シャルで良いよ。親しい人はみんなそう呼ぶから」
「じゃあシャルも。アレックスが認めてくれたらだけど、これからよろしく」
特に親しくなった覚えがある訳でもないが、アンナはすぐにシャルと呼んだ。
魔法という一種の強さを選んだのはアレックスに似ているのかもしれないが、この辺りの軽さはどちらかと言うとアーサーの方に似ているのかもしれない。