235 ただ世界を守るため
敵が去ったのを確認して、アレックスは急いで施設内に戻った。時刻は七時を少し回った頃、そろそろみんなが起き始める時間だ。食堂に向かうとセラの姿だけはまだ無かったが、件の落ち込みきった三人とシルフィーは意図的に固まって一緒に朝食を取っていた。アレックスは朝食には目もくれず、四人の元へ一直線に向かう。
「おい、お前ら」
声をかけると四人はこちらを振り向いた。そしてボロボロのアレックスの姿を見て目を見開いていた。
「あ、アレックスさん? その怪我はどうしたんですか……?」
「魔族に襲われたんだ。今、すぐそこで! アーサーが死んだ事に便乗して、方法は分からねえが科学を終わらせようとしてる連中がいる。俺が会ったのは二人だけだが、『フェアリーズ』って名乗ってた辺りもっと数がいる可能性が高い。俺達『ディッパーズ』の出番だ!!」
そもそも、こういう時に活動するための『ディッパーズ』だ。世界を守るというアーサーの意志を守るために、ここで立ち上がらなければならないのだ。
しかし。
「……ごめん、今は無理」
結祈は心の底から申し訳なさそうに呟いた。それに合わせて、サラとレミニアも複雑な表情で顔を伏せてしまう。
アレックスはみんなに聞こえるほどあからさまな舌打ちをして、
「いつまでも未練がましく希望にすがってないで、いい加減認めろ。アーサーの野郎は死んだんだ。俺達にできるのはその遺志を汲んで世界を守る事だけだろうが。俺達はあいつが作った『ディッパーズ』なんだぞ!」
「……うん、分かってるよ。でもワタシにとっては、世界よりもアーサーの方が大切だったんだよ……」
結祈の言葉にサラとレミニアも同感なのか、何も言わなかった。シルフィーだけがオロオロと視線を三人とアレックスの間で右往左往させている。
「……今のテメェらを見たら、アーサーの野郎は心底がっかりするだろうな」
「……今のアレックスだって、アーサーが見たら白状だって思うわよ」
「あ?」
サラが放った返しの一言が、アレックスの逆鱗に触れた。
アレックスからしてみれば、アーサーの死にいつまでも落ち込んで、彼がやってきた事を否定するような言動をしているヤツが知ったような口を利くな、という心境だった。シルフィーがその変化に気づいてアレックスとサラの間に体を滑りこませなければ、すぐにでも殴りかかっていたかもしれない。それほど今のアレックスは頭にきていた。
「……もう良い、勝手にしろ。テメェらみてえな腑抜けにはもう頼らねえ」
心配そうに顔を覗き込んでくるシルフィーから逃げるように踵を返し、食堂の外に向かう。そして廊下に出る直前、前を向いたまま彼は言う。
「せいぜい世界が終わった時にアーサーがいなかったせいだって、全責任をあいつに押し付けて死ぬまでそうして落ち込んどけ、卑怯者共が」
そうしてアレックスは廊下に出た。目的地は決めてあるので、みんなから逃げるように早足でそこへ向かう。
「アレックスさん!!」
すると後ろからシルフィーだけが追いかけて来た。朝食を取っていた最中だっただろうに、そこだけは申し訳ない事をしたと思う。
アレックスが足を止めると、追いついたシルフィーは息を整えながら、
「……確かに今の結祈さん達は不甲斐ないですが、流石に言い過ぎです。アレックスさんだって、気持ちが分からない訳じゃないでしょう? それに『フェアリーズ』という組織と戦う事になるなら、今『ディッパーズ』に波風を立てるのは得策ではありません」
「いや、どっちみち同じだ。今回あいつらを戦わせる気はねえ」
廊下で話す事でもないかと思い、アレックスは目的地を変えてとりあえず開発室に向かう。シルフィーは素直について来た。
椅子に座りグローブだけの『ヴァルトラウテ』を机の上に置くと、無意識に深いため息がこぼれた。シルフィーは彼に近寄り肩に手を置く。
「……あえて強く言う事で、みんなを戦いから遠ざけたんですね……?」
「ああ……あれから一週間経ったってのに、あいつらの調子は全く変わらねえからな。もしあの状態で戦えば三人とも確実に死ぬ。あるいは後を追うために討ち死にするかもな」
「そうですね……人の死はそう簡単には乗り越えられませんからね。アレックスさんは大丈夫ですか?」
彼女には全てが見透かされているような気がしてくるが、不思議と悪い気分じゃなかった。アレックスは肩に置かれた手に自分の手を重ねて疲れたような息を吐く。
「そりゃ……悲しくねえっつったら嘘になる。けど最期に世界を任されたんだ。あいつは世界を守って死んだのに、俺が見捨てる訳にはいかねえ。あいつがいねえなら、俺がこの世界を守る。たとえ一人でも」
「いいえ……一人じゃありません。私も一緒です」
その一言でかなり心が軽くなった。最悪一人で戦う覚悟もしていたのだが、仲間が一人いるだけでも全然違った。小さくともようやく希望が見えて来たのだから。
「ああ……心強い。とはいえ七人もいたのに二人消えて三人は意気消沈か……。アーサーの野郎は精神的な支柱だったから無理もねえのは分かるが、こんな事態だってのに……くそ」
「……残ったのは私達二人ですね。どうしましょう?」
「そうだな……こんな時『アリエス王国』のメイド部隊でもいれば助かるんだがな、最近連絡ないか?」
「取ってみましょうか?」
「いや……冗談だ」
さすがに遠く離れた『アリエス王国』に援軍を求める気は無い。それに幸いと言ってはなんだが、今回の敵の目的は科学だ。自然と共存しているエルフの魔術国である『アリエス王国』には打撃が少ない。ただし『タウロス王国』や『ポラリス王国』、そしてこの『スコーピオン帝国』もそうだが、科学国への打撃は大きすぎる。やはり見過ごせる事ではない。
「……ったく、『ジェミニ公国』や『アリエス王国』で魔族と戦ってたのが懐かしいぜ。最近は世界から魔力を消そうとしたり科学を消そうとしたり、ややこしいったらありゃしねえ。あの頃は敵が結界の外の魔族って決まってたから、単純で良かった」
「アーサーさんはどの相手も信念を持っていた、などと言って全く変わらないと言いそうですが、私はアレックスさんに同感です。今の世界はとても不安定でよく分かりません」
「ああ……でも無理に分かる必要はねえよな。ただ守るだけだ、あいつとの約束通り」
新たに決意を固めてアレックスは立ち上がった。そして開発室を出て別の場所に向かう。
「どちらに行くんですか?」
「もう一人の『ディッパーズ』のところだ」
◇◇◇◇◇◇◇
そうして訪れたのはアレックス専用ではない別の開発室だった。そこはセラ・テトラーゼ=スコーピオン専用の開発室、朝食の席にもいなかった彼女はそこにいた。
「セラ。良かった、戻ってたか」
二日ほど前からどこかへと行っていたセラが戻って来ていた事に安堵の息を漏らしながら声をかけると、キーボードを叩いていたセラの意識がこちらに向けられる。徹夜でもしていたのか、その顔には疲労の色が見て取れた。
「どうした? 今にも世界が終わりそうって面だな、ウィンターソン」
「あながち間違いでもねえな。お前の言う通り世界の危機だ。説明する」
それからアレックスは先程あった事を全て話した。それは『フェアリーズ』やフレイの襲撃だけでなく、三人が戦えないという事も全て。
「……つまり、今度は世界から科学を消そうとしてる連中がいる、と。だというのに肝心の『ディッパーズ』が私達三人以外腑抜けて使い物にならない、そういう事か?」
「要約するとそうだ」
「やれやれ、私を利用したダイアナも利用される立場だったという事か。本当に笑えんな」
そう言いつつ、自虐的にくつくつと笑ってから、今度は呆れたように溜め息を吐く。
「それにしてもサラもサラだ。私の妹のくせに情けない。いくら好きだったとはいえ、男一人の死で世界を見捨てられるほど自棄になるとはな。あいつらは魔術を使えない一般人にもできる復興作業で世界を救っているつもりなのか?」
「単純に現実逃避だと思うぜ? 体動かしてりゃ余計な事は考えなくて済むしな」
「それはお前自身も、だろう?」
こちらの状態を見透かしているように、セラは意地の悪い笑みを浮かべて言う。
「ブリュンヒルドから聞いた。この短期間で『ヴァルトラウテ』を形にしたんだろ? 一週間前はロクにキーボードの叩き方も知らなかったド素人がそこまでの域に達したんだ。お前、この一週間で何時間寝た?」
「……さあ、三〇時間くらいか?」
『約二一時間です』
「訂正ありがとうブリュンヒルド。まったく、一日三時間しか寝てないのか」
「……やる事があったんだよ、やる事が。テメェだって最近寝てねえだろ、お互い様だ」
セラが『ワルキューレシリーズ』を同時並行で三つ、さらに別のものも含めていくつもの武器を作っているのはブリュンヒルドから聞いて知っている。
口には出していないが、アーサーの死に一番責任を感じているのはおそらくセラだ。だから彼女も彼女で世界や『ディッパーズ』を守ろうと必死なのだろう。それが『ワルキューレシリーズ』の完成という訳だ。
「という訳だフィンブル。寝不足二人のためにコーヒーを持って来てくれないか? 沸騰寸前の熱々なのを二杯、ブラックで」
「えっ? あ、はい。わかりました」
突然のオーダーにも関わらず、シルフィーは素直に食堂へと向かった。あそこには少し戻りづらいアレックスからすれば、こうしてコーヒーを持って来てくれるのは助かる。
「それで、ウィンターソン。フィンブルがいると話しづらい事があるんだろう?」
「……知ってたのか」
「その面を見れば分かる。いいから話せ、フィンブルが帰ってくるまでそれほど時間が無い」
そのためにシルフィーに聞くなとは言いづらいアレックスの代わりに、一芝居うってまでわざわざシルフィーを外してくれたのだ。言葉にはしないが心の中でだけ感謝する。
「……本題の前に一つ聞きてえ。アーサーが死んだからヤツらは動いた。おそらく相当な準備もしてるはずだ。今回の件だけじゃなくて、これから先この世界はどうなると思う?」
「いつも通りだ。何もしなければ蹂躙される。それこそ、レンフィールドが最も恐れた世界を巻き込むほどの人の想いによってな」
ここで素直に悪という言葉を使わなかったのは、自分も向こう側だった事に引け目を感じているからか。
この一週間、仲直りしたサラよりもアレックスの方がセラといる時間が長い。それ以前に一緒にいた時間が皆無に近いからか、アレックスはこちらのセラしか知らない。サラは今だにどう接して良いか悩んでいる節があるが、アレックスにはセラの事が良い人物にしか見えていなかった。そんな相手の言葉だからこそ、すぐに来るであろう事実として受け止めた。それに元々アレックスが思い付いていた未来図と大体同じ答えだったのだ。
「それで、お前はどうするつもりだ?」
「……『機械歩兵』の準備はできるか?」
そして、辿り着いた答えも同じだった。
頼れる相手が少ないなら、別のもので数を増やせば良いと。
「まさか……あれを使う気なのか? あれと戦ったお前が?」
「理由はきっとお前と同じだ。セラ、俺達には人手がいる。それに突然じゃなくて一週間前からずっと考えてた事だ。アーサーの野郎から『魔神石』を預かっただろ? あれを使ってエクレールと同じように自立化させる。そうすれば今度は敵に利用される心配のない『機械歩兵』が作れるはずだ」
「……他の連中には?」
セラはアレックスの提案を否定しなかった。つまり、できるし否定的ではないという事だろう。アレックスはまだ僅かに躊躇っている様子のセラに追い打ちをかけるように詰め寄る。
「言わねえ。俺達だけの手でやる」
「……レンフィールドとは別の道だな。つまりチームには内緒で事を進めようと言うのか?」
「あいつらに相談した所で安全性がどうのって議論が終わらねえのは目に見えてる。流石にシルフィーだってこれは反対するだろうしな。だがあいつらは分かってねえ、ヘルト・ハイラントだけじゃ足りねえんだ。アーサーの消えたこの無防備な世界には『機械歩兵』の力が必要なんだ。あれを使わなきゃ世界を安全に守れねえ」
「……本当に、『ディッパーズ』でそれを理解できるのは私くらいだろうな」
セラはアレックスの意見を認めながら、
「だが危険すぎる。もしかしたらまた誰かに利用されるかも、それに完全自立型の人工知能に体を与えたらどうなるか。下手をすれば待っているのは血の無い冷たい金属の世界だぞ」
「……もっと酷い世界を見た。このままじゃ世界は終わる、それよりマシだろ?」
夢の内容はセラには話さない。というか、誰にも話せない。話した瞬間にそれが現実になってしまいような言いようのない不安があったし、ただせさえ色々背負っているセラに自分の分まで重りを背負わせる訳にはいかなかったから。
「世界を守るためだ。これが正しい道だと……信じてる」
「……」
セラはもう何も言わなかった。代わりに大きなバケツ型の無人機に指示を飛ばし、部屋の奥に保管してある『魔神石』を持って来させた。黄色い光を放つ『言語』のバベルの『魔神石』。その光を見ているだけで何か不思議な力に飲み込まれてしまいそうだった。
そして彼らは共に禁忌に手を伸ばす。
それが本当に正しいのかも、定かではないまま。