233 一つの終わり
「……まあ、これで良かったんだよな」
マナフォンをポケットに仕舞いながら、アーサーは自分に言い聞かせるように呟く。
応じる声が、あった。
「良い訳あるか、この馬鹿が」
それはラプラスの声では無かった。
もっと粗雑な、クロノの言葉だった。彼女は棺のような人一人が入るサイズのカプセルの中に眠るように入っていた。
「何も知らない人にこの状況に至るまでの経緯を伝えたら、きっとお前の方が馬鹿だって言われると思うぞ? そもそもお前は何でこんな事になってるんだ? 世界を見て回れって言ったはずなんだけどなあ」
「……チッ、だからといって今の状況はお前のせいだ。早々に私を見捨てれば良かったものを」
呆れながら言うアーサーにクロノは若干気まずそうに、それでも威厳だけは保ちたいのか強気な語気で吐き捨てるように言う。
だがアーサーは笑って、
「見捨てるかよ。だって約束しただろ? 俺がお前を殺してやるって。だから他の方法じゃ死なせない。いつかお前を殺すその時まで、俺はお前を守り続けるって決めてるんだ」
「…………はぁ、もう良い。私が悪かった」
クロノは諦めたように呟き、それ以降は何も喋らなくなった。代わりにラプラスがアーサーに何かを手渡す。
「マスター、時間です。これを、すでに繋がっています」
「了解」
アーサーはラプラスに預けていたマナフォンを受け取り、すぐに相手に向かって話しかける。
「こっちは準備できてる。そっちの準備は良いか、ヘルト・ハイラント?」
通話の相手は宿敵、ヘルト・ハイラントだった。
アーサーには知る由も無いのだが、向こうも向こうで色々ごたついていたはずなのに、その疲れを一切見せない声音でヘルトは話す。
『こっちは問題ない。けど本当に良いのか? 間違いなく、きみ達はそこで死ぬぞ』
「俺達の心配なんて、最初に会った時よりも随分丸くなったな。何か心境の変化でもあったのか? まあ、とにかく確実に吹き飛ばすには内部と外部、両方からの集束魔力砲が必要だ。これしか手が無い」
『……一応言っておくけど、連絡がギリギリだったせいで全速力で向かっても真下までは辿り着けなかった。ここからだと少し斜めから撃ち込む事になるけど』
「その辺は大丈夫。合図はするけど、上手く交差するようにタイミングはこっちが合わせるから気にせず撃て」
それからアーサーはマナフォンから意識をラプラスの方に向け、彼女の方を見ながら一度だけ頷く。それを合図に、ラプラスが何個かのボタンを押してクロノが閉じこもっているカプセルを開ける。それはクロノを『オンリーセンス計画』の装置から引きはがして『サジタリウス帝国』への落下が始まる合図でもあった。
「よし、やるぞ。心配いらないだろうけど、失敗するなよ」
『最期の言葉がそれで良いのか? きみとは浅からぬ仲だし、残した仲間への伝言役くらいなら引き受けても良いけど?』
「そいつは親切にどうも。でも十分伝え終わってる。そもそもお前に伝言を頼むなんて冗談じゃない、レミニアは『ディッパーズ』が守るぞ」
『ああ、そんな話があったね。でも安心してくれ、そっちの少女を殺すつもりはもう無い。ぼくとしても、他人の思惑に乗っかったままってのは癪だしね』
「……本当にどんな心境の変化があったのかは知らないけど、俺を安心させるためについた嘘だとしても、一応信じてやるよ」
ラプラスの体格ではクロノを持ち上げるのは難しいので、その役はアーサーがやる。一度だけクロノの目を見ると、彼女は諦めたように一度頷いた。了承と受け取っていいだろう。
そして、アーサーは力任せにクロノをカプセルの中から引きずり出した。
その瞬間、あらかじめプログラムされていた通り『スコーピオン帝国』の上昇が止まる。それから今まで浮上に使われていたジェットが全て一八〇度回転し、今度は落下のエネルギーを上げていく。
アーサー、ラプラス、クロノの体が浮きあがり、立っていた場所が天井に、天井が足場に変わる。頭上から途轍もない力で押し潰されそうになりながら、アーサーは右手を掲げた。周囲から自然魔力を集め、集束魔力砲を放つために。
そして十分に魔力が溜まり切った段階で、ラプラスに目線で確認だけ取ってからマナフォンに向かって叫ぶ。
「今だッ!!」
◇◇◇◇◇◇◇
両手で剣を掴むため、マナフォンを肩と頬で挟むように持っていたヘルト・ハイラントは白い息を吐いた。
ここは『スコーピオン帝国』の落下地点になっている、氷点下が当たり前の『サジタリウス帝国』。『ポラリス王国』から少し入っただけだが、すでに雪がチラついていて足元にも雪が積もっていた。強化されている視力は黒い点のような『スコーピオン帝国』を捉えているが、全身が寒さで固まってしまいそうなので絶えず体を震わせていた。
「……さて、寒いしさっさと片づけよう。早く帰って嘉恋さんが淹れてくれた温かいコーヒーでも飲みたい」
適当に呟きながら、大量の魔力を鋼色の剣に集束させていく。目標地点がかなり高いので、いつもより念入りに時間をかけて魔力を練り合わせる。そうして準備を整えながら、彼はゆっくりと目を閉じて内心で静かに思う。
(……もう一度くらい、話をしてみたかったんだけどね)
そして、その瞬間はすぐに来た。
マナフォンから叫び声があがる。
『今だッ!!』
ヘルトはそれを合図にマナフォンが雪原に落ちるのも構わず肩と頬を離した。より確実な体勢を取り、狂いなく集束魔力砲を放つために。
下段に構えた剣を振り上げながら、ヘルトは目を開いてその名を叫ぶ。
「『ただその理想を叶えるために』!!」
◇◇◇◇◇◇◇
最後の瞬間、アーサーは右手に視線を向けながら祈った。
(……ここまで、ありがとう。あともう少し、最後の瞬間まで力を貸してくれ、ローグ・アインザーム!)
頭上から圧し掛かって来る圧はどんどん大きくなっている。
何の音か判別できない色々な轟音が鼓膜を叩く。
だが最後まで隣にいる少女の声だけは、鮮明に聞こえていた。
「カウントします! 三……二……一、今です!!」
「―――『ただその祈りを届けるために』!!」
ゴッッッ!!!!!! と。
ラプラスの合図と同時に右手を真上に突き出し、地面に向かって集束魔力砲を放つ。
二人のタイミングは完璧だった。若干斜めから入って来たヘルト・ハイラントの『ただその理想を叶えるために』とアーサーの『ただその祈りを届けるために』が一秒の誤差も無く正面からぶつかる。
二つの集束魔力がぶつかり、融け合い、さらに巨大な魔力を生み出して膨張していく。
最初、アーサーに届いて来たのは無音の世界と莫大な閃光だった。
それを受け入れるように目蓋をゆっくりと閉じると、自然と仲間の顔を思い浮かんできた。
(……アレックス、サラ、シルフィー、ラプラス、レミニア……)
恐怖は無かった。
けれど一つだけ、心残りがあるとするなら、ある少女を救い切れなかった事だ。復讐心から解放させる事ができず、二つの約束を破ってしまった。
だから最後に思い浮かんだのは、その少女の事だった。
(……そして、結祈。みんな……さよなら……)
そして遂に。
目も眩むような莫大な閃光がアーサーの体を包み込む。
逃げ場は無く、死をもたらすにしてはあまりにも綺麗な光が、彼らの正面から襲いかかる。
そして。
そして。
そして。
……その日、世界から魔力は無くならなかった。
二つの集束魔力砲がぶつかった事による飽和爆発により、隕石と化した『スコーピオン帝国』は上空で消滅。瓦礫が下に落ちる事もなく、目論み通り完全に跡形もなく吹き飛んだ。『スコーピオン帝国』からすれば自国の大地が大きく抉り取られる形になったが、転移を使って避難したおかげで幸い民間人の死者はゼロ。最悪の事態は避けられた。
こうして、『ディッパーズ』とダイアナ・ローゼンバウムの戦いは終わった。何かが変わった訳でもない、混乱と破壊を撒き散らしただけの一つの戦いが終わったのだ。
けれど、彼らの物語は終わらない。この世界に残った彼らは、何を失おうともその先を生きて行かなければならない。
その後、『スコーピオン帝国』の復興活動と並行して生存者の捜索が行われたが、成果は無し。結局、上に取り残されていた三名が発見される事はなかった。
アーサー・レンフィールド。
彼は世界を守って消滅した。
ありがとうございます。
第一〇章から続いていた今回の第一二章、いかがだったでしょうか?
今回の章の大きな出来事といえば、一つは『ディッパーズ』の結成です。当初から予定していたチームを一二章かけてようやく結成させる事ができました。いやー長かった。ここから先はこの『ディッパーズ』が物語の中心になっていきます。
そして二つ目は何といっても、主人公アーサー・レンフィールドの消滅です。物語終わっちゃうじゃん! と思った方、ご心配なく。まだヘルト・ハイラントとアレックス・ウィンターソンが残っています。一つの仕込みなのですが、本作品のタイトル【村人Aでも勇者を超えられる。】においての主人公の二人『Arthur』と『Alex』、二人とも頭文字を取って村人Aな訳ですね。今回の章の結末は最初から考えていたので、名前には意味を込めていました。
では、第一三章のあらすじです。
そこはアーサー・レンフィールドがいなくなった世界。あの事件から一週間、結祈、サラ、レミニアの三人はアーサーの死を乗り越えられずにいた。けれど敵は待ってはくれない。『担ぎし者』がいなくなった事でようやく動き出した組織、それはダイアナとは逆に世界から科学を無くそうとする妖精の名を関した集団だった。『ディッパーズ』はすでにアレックスとシルフィーの二人のみ、今まで頼りになっていたアーサーはもういない。そんな最悪の状態から、アレックス・ウィンターソンの友との約束を果たすための戦いが始まる。
ここ最近は章毎に主人公が変わりますね。という訳で、次章の主人公はアレックスです!
さあ、いつか感想でアーサーが好きになれないと言っていた方、歓喜の時間ですよ!
‗‗‗‗‗‗‗‗‗‗‗‗‗‗‗‗‗‗‗‗‗‗‗‗‗‗‗‗‗‗‗‗‗‗‗‗‗‗‗‗‗‗‗‗‗‗‗‗‗‗‗‗‗‗‗‗‗‗‗‗
ダイアナ・ローゼンバウム=サジタリウスが転移した先は、数日前アーサーの右腕が吹っ飛んで休んでいた場所だった。わざわざ近くにしなかったのは、『スコーピオン帝国』の人達に見つからないようにというアーサーなりの配慮だった。
背中を地面につけて寝そべったまま、ダイアナは死体のように動かなかった。完全に思考は止まり、シャルルへ連絡するという考えすら浮かばなかった。
そして、どれくらいそうしていただろう。やがて一つの足音が近くで聞こえる。
「ダイアナ・ローゼンバウム=サジタリウスだな」
最初、『スコーピオン帝国』か『サジタリウス帝国』の追手か何かかと思った。けれど体を起こしてその男をよく見てみると、そんな感じの風貌ではなかった。見た目では武装している様子はなく、三〇代か四〇代くらいのスーツを着込んだ普通の男だった。
だが長い時間を闇の中で生きてきたダイアナの直感が告げている。この男はこちら側の人間だ、と。
ダイアナの警戒は感じ取っているのか、一定の距離を保ったまま男は語る。
「お前の思想はこっちでも調べた。あの少年は許容できなかったみたいだが、俺は正誤の判断を付けられる代物じゃないと思った。だからあえて止めなかった」
「……お前、何者だ……?」
正体を問うと、その男は待っていたかのようにさらりと、
「俺はデスストーカーだ。今はそう名乗っている」
それはかつて、ジョセフ・グラッドストーンと名乗っていた男だった。
それはかつて、妻を殺された復讐に『ゾディアック』を滅ぼそうとした男だった。
それはかつて、『ゾディアック』を壊滅させる事のできる兵器を作った男だった。
それはかつて、アーサーと並び立ち、その果てで撃ち殺された事になっている亡霊のような男だった。
「デス、ストーカーだと? お前があの……!?」
その名を聞いて、ダイアナは目を見開いてこれ以上ないくらい驚いた。
「俺を知っているのか?」
「知っているに決まっているわ。ここ最近、裏の世界の住人を殺し続けている最凶の暗殺者。……つまり『死を招く者』が私の前に現れたという事は、世界から魔力を消そうとした私を殺しに来たって事かしら……?」
「ふむ……これも身から出た錆か。何か勘違いしているようだが、俺はお前を殺しにきた訳じゃない。最初に言っただろう? 俺はお前の行いには正誤の判断は付けられない、と。元々そのつもりならもっと前、こうなる前に殺しているさ」
そう言ってのけるだけの力があるのを、ダイアナは知っている。というかアーサー・レンフィールドのような『裏の世界の思惑』に関わらない者は知らないだろうが、ダイアナのような裏の世界の住人にとって『デスストーカー』は有名人だ。
どこからともなく現れ、主犯格を殺して痕跡も残さず消える死神。『ディッパーズ』が表から世界を守るなら、このデスストーカーは裏から世界を守っている。つまり個人で集団と同じ戦力を持つ怪物なのだ。
「……それなら用は何? こっちは長年かけて準備してきた計画が失敗して信念も砕かれたのよ。長い一日だったわ、それこそちょっと厚めの長編小説が書けるくらいにはね。だからいい加減、本題に入ってくれない?」
「では希望通り本題に入ろう」
デスストーカーはダイアナに近づいた。
何かの壁を破るように、握手を求めるように手を差し出しながら、
「君に『イビルファクター』計画に協力して欲しい」
全く想定外の一言に、ダイアナの眉がピクリと動く。
「『イビルファクター』……?」
「そうだ。俺達は互いに世間からは悪党にしか思えないような事に手を染めた。けれどそれは俺達なりの正しさがあったからだ。だから俺達と同じような人種を集めて組織する。そうすればより大きな力で、正しい手段で目的を成し遂げられるはずだ」
「具体的に」
「そうだな……ではまず、君の国を正しい形で取り戻すとしよう。そうすれば拠点は『スコーピオン帝国』の隣の『サジタリウス帝国』にできるしな。こちらとしても色々と都合が良い」
デスストーカーの発言に、ダイアナは自身の手に視線を落として思考する。
そして思い出す。それは転移前に言われた、アーサー・レンフィールドの最後の祈り。
"もし、お前の目の前に理不尽に打ちのめされてる誰かがいたら、ここで終わる俺の代わりに力を貸してやってくれ"と。ダイアナは命の恩人に託されたのだ。
彼女の決意は固まった。
「……ええ、わかったわ。やりましょう。それが彼との約束を果たす事になると信じて」
ダイアナは亡霊の手を取った。そして今一度立ち上がる。
それが『イビルファクター』結成の瞬間。構成員はまだ二人だが、その二人は単独でも世界に通用する凶悪な力を持つ二人だ。
こうして、『ディッパーズ』結成と時を同じくして『イビルファクター』は結成された。
それは今後訪れる脅威に対して、少年に代わる新たな『希望』になると信じられて。