232 今日と明日を救うため
安心できる大地に戻って来たアレックスは空を見上げていた。幸い雲は晴れていて、遥か遠い空に黒い点のようなものだけが捉えらえる状況だった。
不意にポケットでマナフォンが震える。アレックスはそれが誰からのものか画面を見なくても分かり、すぐさま出る。すると想像通りの声が聞こえて来た。
『……アレックス』
「やっと連絡してきやがったかこの野郎! さっさとレミニアから貰った『転移魔法』で脱出しろ、もう時間がねえぞ!!」
アーサーよりもアレックスの方が焦っている奇妙な会話だった。
代わりに電話口の向こうからは、息を飲む気配が伝わって来る。
『脱出は……できない。「転移魔法」はダイアナに使った。俺とラプラスはまだ「スコーピオン帝国」の中だ』
「は……おい、冗談だろ? テメェ何やってんだ!? だったらどうやって助かる算段なんだよ、目的地が分からなくちゃレミニアの『転移魔法』だってそこへは行けねえんだぞ!!」
『ああ、分かってる。だから……脱出する気は無い』
「……は?」
思わず間抜けな声が漏れた。そこで周りにいたみんなも異変に気づき、アレックスの周りに集まってくる。アレックスはみんなに声が届くようにマナフォンをスピーカーモードに切り替えた。
『悪いな、アレックス。みんなに嘘をついてた。実を言うと最初からこうなる気はしてたんだ。色々考えてみたけど、上と下の人達を守るにはこうするしかなかった。代わりに謝っておいてくれ』
「……テメェ、何を……」
『ラプラスにも確認を取った。ここが俺の人生の行き止まりだ』
アーサーはアレックスにだけ話していると思っていたのだろう。しかしスピーカーモードで周りの全員にその声は聞こえていた。血相を変えた結祈はアレックスからマナフォンを奪い取って叫ぶ。
「アーサー、何を言ってるの!! ワタシとの約束を忘れたの!?」
『っ、結祈……』
大事な話があると結祈が言ったのを、アーサーは当然覚えていた。
しばしの間、何かを堪えるような気配が伝わってきたが、やがて意を決したのかアーサーは申し訳なさそうに言う。
『……本当にごめん。お前の話、聞けそうにない』
「待ってよ……こんな別れ方無いよ! みんなで団結しようって、『ディッパーズ』になろうって言ったのはアーサーだよ!? 『スコーピオン帝国』だってエクレールの時みたいにみんなで協力すれば安全に下ろせるはずだよ!!」
『……残念だけど、この国を飛び散る瓦礫や装置ごと破壊するには内部と外部の両方からの集束魔力砲が必要なんだ。そして集束魔力砲を使えるのは俺だけ。この作戦の性質上、俺とラプラスは最後まで残らなくちゃいけない。俺達はここで死ぬけど……目的は果たせる。これで世界を救える。今度こそ守れるんだ』
ぐっ、と結祈は反論しようとして言葉を詰まらせた。これがアーサーの望みで、自分には変えられる力が無い。そもそも未だに復讐心を捨てられていない自分が、何を言って彼の信念を曲げさせればいいのか分からなくなったのだ。
そこから逃げるように、結祈はマナフォンからレミニアに視線を移す。
「レミニア! 転移してアーサーを……っ!!」
「そ、それが……ダメなんですッ」
しかしその手段は、言われなくてもレミニア自身が思いついていた。しかしすでに何度か試みて失敗に終わっている彼女の顔には、焦りの色が濃く出ていた。
「兄さんがわたしの魔法の発動を止めていて……きっと右手の力のせいです!」
最後にレミニアに触れた時から意識を絶っていないアーサーの右手には、彼女の魔力を掌握できる力があった。そのせいで、『スコーピオン帝国』に戻る唯一の手段が失われていた。
「そんな……アーサー! こんなの止めてよ、あたしがあんたを『スコーピオン帝国』に近寄らせたからこんな……そこにいなくちゃいけないのはあたしの方なのに!! こんなのは絶対に間違ってるっっっ!!」
『……どうだろう? 俺が好きなみんなのためなんだから、これ以上の正解は無い気がするけど』
結祈の手を掴みながらサラも叫ぶ。だが、アーサーには止まる気配がなかった。
そしてマナフォンを囲む五人の中で、比較的冷静な態度のシルフィーはどこか諦めているような口調で、
「……アーサーさんは、もしかして最初からこうなると分かっていたんですか……?」
『……まあ、「スコーピオン帝国」が浮いた時点でかなりの確率で最後はこうなるとは思ってた。言えば止められると思って黙ってたけど』
誰も彼もが言葉を失っていた。
この場には強敵を打ち破る事のできる力を持つ五人がいるのに、誰一人として仲間一人救えない状況に打ちひしがれていた。
結祈はその場で崩れ落ち、サラもそんな結祈に寄り掛かるように彼女の肩に手を置きながら膝を着いた。
アレックスは結祈が手放したマナフォンを拾い、口元に持っていく。
「これでテメェとは死別……って訳か」
『そうなるな。……今思うと、お前には迷惑かけてばっかりだったな』
「ハッ……本当に今更だな」
一見、いつもと変わらないような会話。
だが、アレックスの声はあからさまに震えていた。
「……なあ」
『うん?』
「他に方法はねえのか? いつもみたいに無茶でも良いからよ、なんかあんだろ? ねえなら捻り出しやがれ」
アレックスの懇願。
しばしの沈黙の後、アーサーは言う。
『……どうやっても時間が無い。さっきも言ったけど、俺達の中で集束魔力砲が使えるのは俺だけだ。それを使った止め方が一つしかないならこうするしかない』
「なら今からでも遅くねえ。そこから逃げろ。テメェが助けようとしてるのはただの自殺志願者だ。今回救おうがまたどっかのタイミングで死を選ぶぞ。『オンリーセンス計画』だって長期的な目で見れば悪くねえのかもしれねえ。なんだかんだで人は生きていける」
『じゃあその今は見えない幸せってやつのために魔族と少なくない人達を見捨てろってのか? 論外だよ、そんなの』
何を言ってもアーサーは止まらない。仮に止まったとしても世界から魔力が消えれば多くの人が死ぬ。そこにはきっと現在進行形で事件の中枢に関わっているアーサーも含まれるだろう。どんな事情があれ、世界が混乱に陥れば力を失った後でも彼はまた拳を握るだろうから。
つまり、どっちみちここでアーサー・レンフィールドは行き止まり。ここで死ぬか少し先で死ぬかの違いでしかない。
「……俺の、せいなのか……?」
その現状を確認して、呪うようにアレックスは呟く。
「俺自身の意志で動いてると思っていても、結局はお前に流されてばっかりで、いつも止められなかった。そんな俺の不甲斐なさがこんな結末を生んだのか……?」
『ははっ、お前そんな風に考えてたのか? ならそいつは全くの見当違いだ』
アレックスの深刻な告白を、アーサーは笑って否定しながら、
『一番最初に言っただろ? 俺はさ、いつだって変わらず、"明日を後悔して生きるくらいなら、後悔しないで今日死にたい"。そんな想いを抱いて立っているんだ。その行動の結果にお前が責任を感じる必要はないよ』
「そんな言葉で納得なんかできるかよ!!」
『納得できないならそれでも良い。そろそろ時間だ……アレックス、最後だ。聞いてくれ』
アーサーは一度大きく息を吸って、呪いのような一言をアレックスに与える。
『俺は今日を救う』
だから、と続けて。
『お前は明日を守れ。後の事は頼んだぞ、アレックス』
そして一方的に、アーサーはマナフォンを切った。
アレックスをはじめとして、どうしようもない叫び声が『ディッパーズ』の面々から発せられる。
遠い空の上で、きっと少年は笑っているはずだった。