231 ちっぽけな世界を見下ろして
広場にいるレミニア達にも限界が来ていた。とっくに雲が下に見える高さにまで到達し、体感で分かるほど空気が薄くなっているのだ。主に結祈の働きで民間人は集め終えたので、早く脱出したいのだが、肝心の仲間がまだ何人か集まっていないのだ。
「あっ、アレックスさん、シルフィーさん! 急いでください、もう逃げないと危険な高度です!!」
「分かってんよ、だから息苦しい中こうして走って来たんだろうが。それよりアーサーの野郎は!?」
アレックスはシルフィーと、さらにシャルルと共にレミニアのいる広場へと戻って来た。彼は辺りをキョロキョロと見回すが、そこにアーサーの姿は無い。
「まだです。ですが兄さんには『転移魔法』を渡してあります。ラプラスさんと一緒に自力で逃げられるはずです」
「それなら良いが……サラは?」
「ここにいるよ」
声のした方を向くと、アレックスから少し遅れて結祈に連れられてサラも合流した。そこにはもう一人、サラに似た銀色の短髪の少女も一緒だった。
「セラ……テメェは間に合ったみてえだな」
「ああ、レンフィールドとラプラスに助けられてな。ヤツらはまだ来ない、ダイアナを止めるだけでなく、どうやら装置の中核になっているクロノスを救うつもりらしい」
「だろうな。だから俺達はここの住民と一緒に先に下に降りるぞ。あとはアーサーに任せるしかねえ。レミニア!」
「うんっ!」
突然足元に広がる巨大な魔法陣に、辺りにいる民間人に動揺が広がる。
だがそんなのも一瞬だった。次の瞬間には眩い光が辺りを包み込み、彼らはこの浮いた『スコーピオン帝国』から退却する。たった二人の『ディッパーズ』に残りの全てを任せる事に、後ろ髪を引かれる思いになりながら。
◇◇◇◇◇◇◇
「はぁ、はぁ……くそ、いよいよ空気が薄くなってきた」
重い荷物を背負いながら、アーサーは城の内部を歩いていた。クロノがいる具体的な場所は分からないが、おそらく中心に近い位置だろうとあたりを付けて何度も倒れそうになりながら足を進める。
するとある通路の前で、コートを着た少女が待ち伏せしているように立っていた。
「あれ、ラプラス? 先に行ってろって言わなかったっけ?」
「マスターは道がわからないと思いまして。ダイアナ・ローゼンバウムが口を割らない可能性も考慮して待っていたんです。……それにしても、随分と疲れた様子ですね」
「意識の無い人って重いからな。ここまで連れて来たけど、流石に疲れた」
「それだけではないようですが……その様子、やはり『その担い手は運命を踏破する者』と『何の意味も無い平凡な鎧』を同時に使いましたね?」
「……ホント、お前には敵わないよ」
言い訳してもどうしようもないので、素直に白状する。ラプラスは呆れたように溜め息をついたが、どうせ使うと思っていたのか、約束を破った事を怒ったりはしなかった。
「それでセラは? 無事に送り届けたのか?」
「はい。サラさんに引き渡して、丁度来てくれた結祈さんに後は任せました。おそらくみんなはもう脱出しているでしょう。あとはクロノスを助けるだけです」
「ああ……」
クロノを救う。それはもしかすると、ダイアナを倒す事よりも難しいのではないかとアーサーは思っていた。
数日前『魔族領』で戦った時、アーサーはローグ・アインザームの分まで伝えたい事を伝えた。けれどそれでもクロノを助ける事はできなかった。彼女の自殺願望は、それ以上に大きかった。また彼女と正面から向き合ったところで、本当に救う事ができるのか、正直不安の方が大きかった。
けれどそんなアーサーを勇気づけるように、彼の右手を包み込む温もりがあった。
「行きましょう、マスター」
ラプラスは先導するように、アーサーの手を引く。
「昔、クロノスは私にこの世界に『希望』は無いと言いました。まだ彼女ほど世界の多くを直接見ていない私ですが、正直に言うと、私は彼女の言い分を理解できます」
思えばラプラスも最初はそうだった。
エミリア・ニーデルマイヤーが進めていた『新人類化計画』。その混乱から人類を救うためにアウロラを殺害し、自らもヘルト・ハイラントに殺される事を容認していた。もしかすると『一二災の子供達』は五○○年前から、死というものに恐怖を感じていないのかもしれない。そんな彼女達が世界に『希望』が無いと思うのは、仕方がないのかもしれない。
「けれど私はそれを肯定したくはありません。だって、私のマスターはアーサーさんですから。『希望』が無いなんて、誰にも言わせたくありません」
けれどラプラスはクロノとは違う。
彼女はアーサーと出会って、確実に変化したのだ。死ぬ事よりも、アーサーと共に歩く道を選んだのだ。
アーサーは自らを奮い立たせてくれる暖かい手を握り返し、改めて決意を固める。
「……ああ、一緒に救いに行こう。あの馬鹿を今度こそ絶望の淵から」
それからラプラスの案内の元、数分でそこに辿り着いた。
無駄に明るく綺麗な部屋。ぱっと見た感じ広さはそこそこあるが、置かれている機材のせいで動ける範囲はそんなに多くない。入ってくすぐに辺りを見てもクロノの姿は見えないが、代わりに一面の巨大なガラス張りの壁が目に入った。すでに雲はかなり低く、時間はあまり残されていない事が伺える。
「安心してくださいマスター。魔力の吸収が始まる前には全て終わらせられる算段です。準備がまだ残っているので、少し休みながら待っていて下さい」
「仕事が速くて助かるよ。じゃあ、その言葉に甘える」
作業に向かうラプラスに作戦の要となるマナフォンを預け、アーサーは窓の傍にダイアナを下ろして自身も隣に腰を下ろした。窓の外を見ると、ちょうど夜明けになのか彼方の空が少しずつ明るくなっているのが見え、下を見下ろすと雲が晴れ間から『ゾディアック』全体が小さく見えていた。
「凄い景色だな……。最後に良いものが見れた」
独り言のつもりで呟いた。
けれどそれに、応じる声があった。
「ええ……そうね。美しいけど、思ってたよりも小さいわ」
「……ああ、そうだな」
アーサーもそれに同調する。
お互いに顔は見ない。彼方で太陽が少しずつ姿を表し、窓から入り込み自分達を照らす目映い光に目を細め、世界を眺めたまま心からの声を吐露していく。
「……良い世界にしたかった」
「分かってる」
吐き出される後悔に塗れた言葉に、アーサーは応じた。
彼女の想いは分かっていた。それでもアーサーは自分の考えの下、それを否定して立ちはだかった。本来ならそんな彼に同調されたところでダイアナの気が晴れる訳は無かったのだろうが、意外にも彼女の態度は穏やかだった。穏やかなまま、言葉を紡いでいく。
「世界を科学だけにすれば、全ての人間が手を取り合えると思っていた。……けれど、少なくともあなたには必要なかったみたいね。科学と魔術、人間と魔族の括りも関係無い。今も自分を犠牲にして、全ての人々の命と過ちを背負ってる」
「……俺は『担ぎし者』で、みんなは普通の人間だから。俺が代わりに背負わないと」
奇妙な感覚だった。つい先程まで拳を突き合わせていたのに、ずっと昔から親しい仲だったような気がしてくる。
ダイアナはふっと笑みを漏らして、
「……歪ね、本当に。まるで地獄で生み出され、地獄に遊ばれているかのよう。『担ぎし者』にはきっと、どこまでも救いは無いのね。心の底からあなた達に同情するわ」
「ああ……だけど、少なくとも俺はこの生き方に満足してる」
その時、右手にいつもの感覚が戻って来た。痺れが取れるような、そんな感覚だった。
「……良いニュースだぞ、ダイアナ。『カルンウェナン』の力が戻った。解放―――『転移魔法』」
アーサーが顔の高さまで上げた手を握り締めると、レミニアが授けてくれた『転移魔法』が発動し、ダイアナの足元に魔法陣が広がる。アーサーが間に合わないという彼女の懸念は的中した事になり、あの時の配慮に心の底から感謝する。
「……こんな隠し玉があったのね」
「でも俺は行けない。まだやるべき事があって、助け出さなくちゃいけない人がいるから」
「『時間』のクロノスね。わざわざ助かるチャンスを棒に振ってまで、自殺志願者を助けるの?」
「あんなやつでも俺にとっては恩人なんだ。ここら辺で借りを返して、あの世じゃ気楽な付き合いをするよ」
適当に言ってのけるアーサーに恐怖の色は見られなかった。どちらかと言うと、彼の方が自殺志願者に見えてくるくらいだった。
「……本当に良いの?」
「何が」
「私は一回絶望しただけで、世界に牙を向くような女よ?」
「だからこそだよ。……でも、そうだな。もし罪悪感を感じてるようなら、一つだけ頼みを聞いてくれないか? もし―――」
そうして、アーサーは生き残るべき彼女へと、最後の祈りを託す。それはいつか、妹達にして貰ったのと同じように。
それを聞き届けたダイアナは驚いたように目を見開くが、アーサーは曖昧に笑うだけだった。
「……それじゃ、後の事は頼んだ」
そして再び、アーサーは右手を開いて握り締める。その瞬間、ダイアナの足元の魔法陣が光を放ち、彼女だけは無事に地上へと送り届けられる。そしてこれで、アーサーは自ら自分達が助かる手段を捨てた事になった。
「マスター」
同時に助かる手段を失った少女は、一緒に取り残された少年に後ろから声をかける。
「覚悟、できたんですね……?」
「……悪いな。結局お前を巻き込む形になって」
「いえ、気にしないで下さい。むしろ本望ですから」
本来ならラプラスもダイアナと一緒に逃がしたかった。けれどこの浮いた『スコーピオン帝国』を破壊するために、ラプラスの力は絶対に必要だった。ほとんど心中に近い形になってしまった事に、当然引け目はある。
「……みんなへ、最後の連絡はしますよね?」
「……ああ、そうだな」
ラプラスの提案に頷きながら、彼は差し出された彼女のマンフォンを受け取る。
そして躊躇いがちに、アレックスのマナフォンへとコールを飛ばした。
ありがとうございます。
見方によれば、今回がダイアナとの本当の決着とも取れますね。あれだけ戦った後に、良い世界にしたいというダイアナの言葉に即座に分かってると返せるのが、アーサーの相手を理解するという力だと思って頂ければ。これは今までの戦いがあって初めて言える言葉かな、と思います。