229 知識に取り憑かれた者達
「この世界は何かを失うように出来ている」
すぐに次の行動を起こそうとしたアーサーを、ダイアナはそんな言葉で止めた。
制限時間があるのは分かっている。だが、それでもアーサーは聞かなくてはいけなかった。
前に『アリエス王国』の戦争前夜、結祈の言葉で気づかせて貰ったのだ。ずっと『タウロス王国』でフレッド・グレイティス=タウロスを殺した事を後悔していた。殺すのではなく、救う事はできなかったのかと。もっと話をして、フレッドという一人の人間を知る努力くらいはしておけば良かったと。
おそらくダイアナもアーサーの葛藤を分かって、時間稼ぎの意味合いも込めているのだろう。それでもアーサーは二度と同じ後悔をしないために、ダイアナの言葉を聞かない訳にはいかなかった。
「そしてほとんどの人間は心のどこかでそれを容認している。失う事を前提に、それを承知で生きている。でも中にはどうしてもそれを容認できない人間もいる。私やあなたは正にそれよ」
その言葉に驚かされるように右手がピクリと動いた。
何のために今まで戦って来たのか。それは何かを守りたかったからだ。自分の大切なものも、誰かの大切なものも全て。そんな強欲さがあったからこそ、ただの村人である自分がここまでの力を手に入れる事ができたのだ。
「私は国に弟を殺された。助ける手段があったのに、見殺しにされた。王女なんて肩書があっても、その本質は家族一人自由に助けられない雁字搦めのマリオネットと同じ。だから私は国を捨てて、世界に叛逆を始めた」
アーサー・レンフィールドは悪意に母親と二人の妹、恩師や多くの知り合いを殺された。自身の無力さを嘆きながら、彼は妹達の夢を引き継ぎ理不尽な目に遭っている人を助ける道を選んだ。
全く別の道を歩いてきたが、どこか似ている二人の決断。
「私とあなたが似ているのは、守る手段に選んだものが知識だったから。敵を打ち倒す力よりも、知識を集めて未然に防いだり困難に立ち向かう時に最善手を打てる力を求めた。だから似ているのよ」
「……そして、俺にとってのアレックス、お前にとってのシャルル・ファリエールは力を求めたって事か……」
そもそもアーサーは剣の才能が無いとオーウェンに見限られていたから知識を貪るようになったのだが、もしかするとオーウェンはアーサー自身気付いていなかった心の内に気づいていたのかもしれない。
現にそのおかげで、アーサーはここまで生き延びてきた。力だけでは突破できなかった困難を、知識と奇策を用いて何度でも。
「……ダイアナ・ローゼンバウム=サジタリウス」
今まで意図的に呼ばなかったフルネームを、アーサーは呼ぶというよりは確認するように呟いた。
「まだお前には、世界から魔力を消そうとする理由を聞いていない。国に弟を殺されたって言ったよな? それが原因なのか?」
「意外ね。まさか時間の無いあなたの方から質問してくるとは思ってなかった」
確かに『その担い手は運命を踏破する者』の時間制限が刻一刻と迫る中、わざわざ会話が長引く質問をするのは命取りだった。
最初ダイアナはアーサーの意図を読み取ろうとしていたが、やがて彼が本心から質問しているのだと読み取った彼女は、重々しく口を開く。
「……私の弟はある魔法の事故に遭って命の危険に晒されたの。それも、魔術の力じゃ救えないほどの重傷で」
その瞬間だった。今まで余裕に満ちていたはずのダイアナの表情が苦しそうに歪んだ。
ガギィッ!! と奥歯が擦れ合う音がアーサーの方まで聞こえてくる。
「でも、科学の力なら救える余地はあった。私はその方法を知っていたし、弟の命は確実に救えたはずだったッ。それなのに! 魔術こそが至高だと時代遅れの馬鹿な思考に縛られてる連中は弟を見殺しにした!! 魔術さえ無ければ、魔法さえ無ければっ、助かるはずの命だったのにっっっ!!」
だから彼女は『サジタリウス帝国』の事を時代遅れの荒廃しきった国だと言ったのだ。人そのものが、科学と魔術が共存するこの世界から置いていかれていると。
「だから私は魔術を憎む! この世から魔力を根絶する!!」
その気持ちを理解してやる事はできない。
けれど、同時にその気持ちが分からない訳でもない。
アーサーの場合は、どうしても救えなかった。科学の力でも魔術の力でも、あの時は絶対に救えない命だった。けれど、ダイアナの場合は助けられる道があったのだ。それなのに、周りの環境がその選択肢を選ぶ事を許さなかった。
きっとその後悔はアーサー以上だったはずだ。そして、そこから生まれた憎悪も。しかも憎悪を向けるべき明確な敵がいて、それを解きほぐしてくれる存在がいなかったとなると、これまでの人生はとても暗いものだったのだろう。
(……ああ、まるで『魔族信者』を殺して回っていた頃の結祈みたいだ)
もしかしたら、結祈もこうなっていたかもしれないと思うと胸に鋭い痛みが走った。
「……でも、魔力は存在するぞ」
「ええ、だから消すのよ」
平行線の考えは相変わらずで、アーサーは浅く呼吸をしてからダイアナを睨むように見据える。
「それを俺がやらせないっていうのは、分かってるよな?」
「一応聞くわ。どうして止めようとするの? あなたなら私の言いたい事だって理解してるはずなのに、どうして?」
「そうだな……」
改めて考えてみると、色々な理由が浮かんで来た。というか根本的に、何か一つの目的のために戦ってきた事なんて無いような気がしてきた。
『アリエス王国』と『カプリコーン帝国』、そして『魔族領』。魔力が主体のそこに大きな被害が及ぶからか。
『第三次臨界大戦』への要因を排除するためか。
サラとセラの故郷を守りたいからか。
今も戦っている仲間達に続くためか。
アーサーは少し悩みながら、
「正直、色々な理由があるけど……一番奥底にある本音を言うなら、お前はカヴァスを殺してラプラスを悲しませた。どんな大義を掲げていようと、お前は命を奪う事に躊躇しなかった。少なくとも俺は、そんな人間が創る世界が正しいなんて思えない」
「……」
まだ言葉に続きがあると分かっているのか、否定されてもダイアナは何も答えない。
アーサーはその期待に応えるように続ける。
「……お前にとって世界が弟の命を奪った敵なんだとしても、俺にとっての世界はもっと小さなものだよ。アレックスがいて、結祈がいて、サラがいて、シルフィーがいて、ラプラスがいて、レミニアがいる。小さなものかもしれないけど、世界って言われてすぐに思い付くのはみんなの顔なんだ」
掌に収まる程度の世界。
それが彼を支える、彼が生きていたいと思える居場所。
「だから例えいつか失うんだとしても、俺はそれを守るためならなんでもする。何度だって拳を握るし、誰とだって全力で戦う」
別に彼だって全ての命を救えるとは思っていない。それを理解していないと、次に死ぬのは自分や自分の大切な世界に住む仲間達になると理解しているから、この手で救える限りの命を救うと、見方によっては半ば諦めている。自分にできるのはそうならないように全力で進み続ける事だけだと理解している。
ここまで世界の針を進めてしまった事と、今まで助けた相手への責任を果たす為に、二度と停滞する訳にはいかないから。どうせ助けられないと分かっていても無茶をして助けようとするに決まっていると、自分の事を理解しながら、傷ついたままでも進み続ける覚悟の思考がそれだった。
(……俺にはきっと、ダイアナ・ローゼンバウム=サジタリウスを完全に助ける事はできない)
奥歯を噛みしめながら、アーサーは思う。
それでもダイアナの問題は、アーサーが今だに結祈の中の復讐心を消す事ができていないように、結局は当人が自分自身で助かるしかないのだ。
この姿勢はもしかしたら、本来唾棄すべきものなのかもしれない。
だからきっと、彼は万人を等しく救う英雄には向いていない。
けれど、彼は一人を助けるヒーローにはなれる。
それは別に難しい事ではない。泣いている人の肩に手を置き、大丈夫だと言ってやれば良い。たったそれだけの事で、ちっぽけな人間はヒーローになる資格を持つ。そんな当たり前の事の繰り返しで、彼はここまで歩いて来たのだから。
「だからお前にも、もう一度だけ立ち止まるチャンスをやる。俺にお前を助ける事はできなくても、助かるかもしれない可能性は与えてやれる! 終わりにはさせない!!」
今度は反射で動かすのではなく、自らの意志で右手に力を込めて握り締める。
二人の互いへの意思表示は終わった。
残されているのは、ただ自分の信念を貫くだけの戦いのみ。
「いいえ、ここで全て終わるのよ。あなたには何も救えない。上の人間は助けられず、無理に救おうとすれば下の人間が大勢死ぬ。大人しく科学だけの世界を享受しなさい」
「いいや、お前の選択肢には従わない。ここにいる人達はレミニアの転移で全員下まで送る。この大地は集束魔力砲で破壊する。それで全部救う」
「集束魔力砲? あなたの右腕のあれだけで? この大地だけでどれだけの大きさがあると!? そんなのは不可能よ!!」
「ああ、確かに。一人ならな。お前に心配されなくても、絶対に止めてやるから見てろ」
もうすでに、この大地を止める手段は整えてある。
あとやるべきなのは本当に、彼女を止める事だけなのだ。
「一分だ。俺に残された時間、一分以内にお前を倒す!!」
◇◇◇◇◇◇◇
その時、離れた場所で一人の少女が天に手を掲げながら、謳うように力の在る言葉を口にした。
「射殺せ、『先端ヨリ出ル不可避ノ星矢』!!」
ありがとうございます。
次回、アーサーとダイアナの戦闘が決着します。
その後、最後の行間を挟み、三話で一二章は終わりです。