行間四:そして少年の祈りとなった
アーサーが村に戻った時、すでにそこはいつもとは違う場所になっていた。
一言で表すなら、凄惨に尽きる。まるでこの世に地獄が現れたかのように炎がそこら中で家々を燃やしており、命というものが感じられなかった。それはこれを起こしたであろう魔族の方についても。
つまり、間に合わなかったのだ。
そもそも、アーサーはここまでアレックスの体を引きずるように支えながら帰って来た。そのせいで時間を食った、というのも要因の一つだった。とはいえ仮に間に合っていたとして、アーサーに出来た事などタカが知れてるだろうが。
心に最悪の予感が渦巻くのを自覚しながら、それでも彼は地獄の中へと踏み込んでいった。焦げ臭い匂いが鼻を突き、そこら中に真っ赤な血の海に沈む死体が溢れていた。それでも足を止めなかったのは、まだ微かな希望が残っていたからだ。
(レイン……母さん! 大丈夫、きっと逃げてる。逃げてるはずだ……ッ!!)
自分に言い聞かせるように、アーサーは何度も心の中でそう叫んだ。
無事か、無事じゃないか、その答えはすぐに出た。
「……ぁ、ああ……っ」
くしゃり、と顔が歪んだ。
遠目でも、そこに倒れていたのが誰か分かったからだ。
「レインッッッ!!」
アレックスから手を離し、アーサーはすぐに妹へと駆け寄って体を起こした。呼吸はまだしていた。だが背中に回した手にぬちゃりとした感触が広がる。その手のひらを見てみると、手遅れなくらい真っ赤に染まっていた。
地面にもすでに大量の出血があった。医学的な知識がある訳ではないが、近くにまともに治療できる設備が無いここではもう助ける事はできないと直感的に分かってしまった。
「馬鹿野郎……どうして、逃げてないんだ……っ」
その声で誰か分かったのか、レインはうっすらと目を開けて乾いた笑みを漏らしながら、
「……ごめん。でも、逃げ遅れてる、子がいて……」
「っ、こんな時まで人助けなんて……」
逃げて欲しかった。
他人より自分の命を優先して欲しかった。
でも、言えなかった。昔から自分よりも他人の事を心配するような優しい子だった。その危険性は感じていたが、それでも言えなかった。妹から他人を想うという、人間なら当たり前に持っていそうでほとんどの人が持っていない感情、その美徳を奪うような事を言えなかったのだ。
それでもこうなって初めて、アーサーは言っておけば良かったと後悔した。もし言っていれば、こんな事にはならなかったのかもしれないから。
「……殺してやる」
歯軋りをしながら、怨嗟の言葉を口にした。
「お前をこんな風にしたヤツらは、俺が一人残らず殺してやるッッッ!!!!!!」
魔族を殺す。誰だろうと構わず殺して殺して殺し尽して、この村を襲った連中を突き止めて全員殺す。そして最後に、レインを護れなかった自分自身を殺す。
そう決めた。再び両目の虹彩が深紅色に変化したアーサーは、そう生きようと命を使い方を決めた。
しかし、
「ダメ、だよ……復讐、なんて……しないで……?」
それを救う手がアーサーの手に触れた。
今まさに、復讐の渦に呑まれていくしかなかった少年の心を、その少女の言葉は掬い上げていく。
「殺す側じゃなくて、人を助ける側で、生きて……その方が、おにいちゃんらしくて……ずっと、素敵だよ……」
「素敵って……なんでそんなこと言えるんだよ……」
もうすぐ死ぬ人間が、自分が死ぬ理由を作った相手を殺すななどと、どうして言えるのか。アーサーの疑問はそんな意味が含まれていた。
けれど、レインにはその意図が上手く伝わっていないようだった。ただ単に当たり前の事のように彼女は言う。
「……わかるよ。だってワタシは……おにいちゃんの妹だから」
「―――っ」
体中に激痛が走っているだろうに、レインはそんなものを感じさせないような柔らかい笑みを浮かべて断言した。
求めていた答えではなかった。
だけど、答えは得た。
アーサーは自分を落ち着かせるため、ゆっくりと目を閉じた。
「……わかった。復讐はしない」
そう言って、次に目を開いた時、アーサーの瞳の色は元に戻っていた。それは言葉通り、復讐を止めたという合図でもあった。
「お前の祈りは、俺が引き継ぐ。それで良いか……?」
「うん……ありがとう。ワタシにとって……おにいちゃんは、夜空に浮かぶ星だから……」
それがどんな意味なのか、アーサーには伝わった。それだけで十分だった。
体力の限界なのか、次第にレインの瞼が落ちていく。
「……だから、いつか来るよね……? 人と魔族が、本当の意味で手を取り合える世界が……こんな風に、殺し合わなくて良い、優しい世界が……」
「ああ、絶対に来る。どんな困難があったって、何度挫けたって、どれだけ迷ったって、最後にはその全てを踏破して、必ず俺がレインの望む世界を実現する。……だから、見守っていてくれ」
もう、レインが限界なのは、彼女の体を抱いているアーサーが一番理解していた。その証拠にレインの目蓋はもう完全に閉じてしまっている。
それに合わせて、アーサーは決壊した。レインに心配かけないように我慢していた涙が、後から後から溢れてくる。
だがその配慮は、長年連れ添った妹には無駄だった。嗚咽を漏らしていなくても、その気配だけでアーサーの様子が分かっているのか、すっと伸ばした手がアーサーの頬に添えられて涙を拭った。
もはや限界だった。アーサーは嗚咽を隠さず号泣する。
「レイン……ッ、俺はお前を……失いたくないっ!!」
「……うん、ありがとう……大好きな、おにいちゃん……」
涙でぐちゃぐちゃになったアーサーの表情とは対照的に、レインは優しい笑みを浮かべていた。目前の死よりもアーサーの涙を止める事が先決だと言わんばかりに、本当に本当に優しい笑みを浮かべていたのだ。
「……星に願えば、祈りは届く……。本当に、その通りだったよ……」
その言葉を最後に、アーサーの頬に添えられていたレインの手が離れた。
アーサーはその手が地面に落ちる前に掴んで止めた。
もう二度と、自分を見失わないように。
そして彼女の祈りを取りこぼさないように。
少年の全てはここから始まった。
ただその祈りを届けるために、アーサー・レンフィールドは運命に挑み始める。