223 それぞれの戦いに向かって
セラは嘘をついていた。
マザーコンピューターへの入口は確かに一つ。だが出口は別口に用意してあった。そもそも彼女には初めからアーサーの元に戻るつもりはなかった。戻ればサラのように、その甘さにほだされると思ったからだ。
だが追手は来た。アーサー達を待たずに一人で飛び出したサラはハネウサギの脚力を使ってセラの元に走っていた。ストーカードッグはすでに不死鳥の登録により抹消されていたが、大体の位置にまで近づけばホワイトライガーの嗅覚でも十分に人探しはできるのだ。
「セラ!!」
そしてすぐにサラはセラに追いついた。後ろから名前を叫ばれる。その時のセラの心境は、ギリギリ間に合った、だった。
サラの前を歩くセラは既に城の中へと入っていた。セラはサラの呼びかけには応じず、振り返る事も歩みを緩める事もしなかった。
「ねえ、聞こえてるんでしょ!? 止まってよ、セラ!!」
まだ距離はあるが、ハネウサギの脚力なら一駆けで届く距離だった。彼女はすぐに実行し、城の中に向かう。が、それを拒むように見えない壁によってサラは弾かれた。
「なっ……!?」
弾かれた場所に、今度は恐る恐る手を伸ばしながら近づく。すると触れた場所だけ青白い波紋が広がり、どうしても向こう側にはいけなかった。
「これどうなってるのよ、セラ!」
サラが困り果てて叫ぶと、ようやくセラは立ち止まって振り返った。
「……意外だった。来るならレンフィールドの方だと思っていたんだがな……」
このシールドは科学製のエネルギーシールドだった。つまりアーサーの右手が通用しない産物。彼が来る事を懸念してこのシールドを用意していたのだが、このシールドは普通の攻撃にも強固な防御力を誇る。サラにも突破されない自身があった。
「ここを開けてよ、セラ! ダイアナを倒したいならあたしも一緒に戦う」
「……それだと意味が無いんだ。仲間に『転移魔法』の使い手がいただろ? お前はそれを使って早く避難しろ。後始末は私がやる」
「そんな話は聞いてない! それであたしを守ってるつもり!? ふざけないで!! 自分の身くらいは自分で守れる! 仲間だっている!! いつまでもあんたに守られてた頃のあたしじゃないッ!!」
「だろうな。……だが、それでも姉って生き物は妹を危険な場所に連れて行きたくはないんだ。妹を護れなかったレンフィールドなら分かるだろうが……お前にまで分かってくれとは言わないよ」
「っ、……ええ、分からないわ。だから力尽くでこじ開ける!!」
セラが『獣化』の中から選んだのはドラゴンだった。最も破壊力のあるその力を右手に宿して引き絞る。
だがそこで、ついに限界が来た。
サラの体から力が抜けていき、右手のドラゴンの腕が自分の意志とは無関係に元に戻ってしまった。
「くっ……こんな、時に……ッ!」
「気力で保っていたようだが、ついに魔力が切れたみたいだな。まあ私との戦いからほぼ休み無しだったんだ。むしろよくここまでもった方だと誇って良いんじゃないか?」
適当な調子で言いながら、セラは再びサラに背を向けた。そして今度こそ止まる事なく奥へと足を進めていく。
「止めて……行かないで!! ここを開けて、セラッ!!」
止まる訳がない。
開ける訳がない。
あるいはアーサー・レンフィールドや他の『ディッパーズ』のメンバーが向こう側にいたのなら、素直に開けていた可能性も僅かにあったのかもしれない。だがサラだけは例外だ。セラが全てを懸けてでも守りたい相手を、わざわざ死地に同行させる訳にはいかないのだから。
「止まってッ!!」
ダァン!! と後ろからサラが両手をシールドに叩きつける音が聞こえてきた。けれど何の意味も無い。シールドはその程度では揺るがない。一度は近づいた姉妹の距離が、再び届かない位置へと開いていく。
セラの足取りは迷いなく、うっすらと笑みすら浮かべて前に進んでいた。
「お願い……お姉ちゃんっっっ!!」
後ろから聞こえて来た最愛の妹の叫び声。
たったそれだけで。
無駄な事ばかりの人生だったけれど、それでも意味くらいはあったと思えた。
◇◇◇◇◇◇◇
一言に一般人を集めるといっても、国が浮いたり『機械歩兵』が飛びまわったりしている中で、呑気に出歩いている人はいない。ほとんどが屋内に避難している中で、避難の呼びかけにおいて広範囲の自然魔力感知と『纏雷』による高速移動が可能な結祈とアレックスがメインとなった。シルフィーも魔力感知の広さは中々のものだが、『機械歩兵』がいなくなってダイアナをアーサー達が抑えたとしても、まだシャルル・ファリエールが残っている。一番重要な『転移魔法』の使い手であるレミニアを一人にする訳にもいかなかったし、彼女と共に一般人を守る役割が必要だったため、シルフィーはこの浮いた『スコーピオン帝国』の中で一番広い広場でレミニアと共に待機していた。
「つっても二人でやるには範囲が広すぎる! 結祈、そっちはどうだ!?」
『こっちは今一五人連れてる。アレックスは今見てる方向から三時の方向に向かって。そっちにまだ三〇人くらいいる』
「ああもう! 猫の手も借りてえ忙しさだちくしょう!!」
明確なリミットが分からないというのも精神的に疲弊してくる原因だった。こうしている今も『スコーピオン帝国』の高度は上がっている。何となくだが寒くなっている気もするし、いつ空気が呼吸できないくらい薄くなるのかも分からない。アーサーがダイアナを止める事は信じているが、それがリミットに間に合うかどうかとなれば話は別だ。
(アーサーだって失敗するし、いつだって成功するとは限らねえ。『リブラ王国』の二の舞になるのは御免だからな。少しくらいは負担を減らしてやらねえといけねえのは分かってるが……)
そう考えると『ディッパーズ』を結成した一番大きな恩恵はこれかもしれないと思いながら、何だかんだで民間人の救出は続ける。飛ぶように移動を続けて結祈の言う通りの場所に向かうと、三〇人近くの民間人がビクビクとした様子で建物の屋根の下で固まっていた。アレックスは彼らの正面に着地する。
「よっ、と。落ち着けお前ら。信じられねえかもしれねえが助けに来たんだ。先導する、広場に行くぞ」
「ちょっ、ちょっと待ってくれ!」
「あん?」
時間が無いのでさっさと連れて行きたかったのだが、三〇人はその場から動こうとしなかった。
「どうして俺達を助けようとする……? お前は誰なんだ!?」
「あー……めんどくせえ。俺達は『ディッパーズ』だ。警戒するのは分かるが、生き残りたいなら付いて来い」
「『ディッパーズ』ってあの……」
『ディッパーズ』と名乗ってざわざわするのを見ると余計な事は言わなければ良かったと思ったが、ちらほらと付いて来る人達もいたので良しとした。
(俺はこういうのは向いてねえってのに……クソッたれ。こういうのこそ『機械歩兵』にでも任せりゃ良いんだ)
人には向き不向きがある。
例えばアーサーには誰かを助ける才能がある。それにアーサー自身は自分をどこにでもいるごく普通の少年だと思っていて気づいていないだろうが、彼には無意識に人を惹きつける力もある。その証拠に『ディッパーズ』だって大半はアーサーが集めた人材だ。
そしてアレックスは自分を見つめ直す。自分にはアーサーのような不思議な力は無い、彼以上に平凡な少年だ。あるのはオーウェンに鍛えられた戦闘技術と身体強化がメインの魔術だけ。戦う事しかできる事がない。
そう思いながら、無意識に背中に担いでいる剣の柄に手を伸ばした時だった。
『纏雷』を切っていないのが幸いした。アレックス自身は気づかなかったが、体を覆う雷の力が先にそれを感知した。
「ッ!?」
何かが来る、そう感じた方向から見えない何かが飛んで来た。アレックスは剣を抜き放ち、雷の感知と直感を頼りに『纏雷』の雷を纏わせた剣を振るう。弾いた感触は実体ではなく魔力だった。
そしてどうして今まで気づかなかったのか不思議なくらいすぐ先に、その攻撃を放ったであろう人物が立っていた。
濃い紫色を帯びたサイドテールに、魔力で作られたのか揺らいでいる弓を持っている少女。それはアレックスが探していた相手だった。
「シャルルか……」
「忙しそうだね、アレックス」
「誰のせいだと思ってんだ?」
魔力を感じなかったのは森でセラも使っていた『ディテクションオフ』の効果なのだろう。彼女が青い光を放つサイコロサイズの立方体を取り出して操作すると、光が消えると同時にアレックスの魔力感知にも引っ掛かるようになった。
「……テメェと会いたかった」
「ボクは大人しく退いて欲しかったよ。……でも、ボク達の計画を邪魔するならしょうがない、ここで君を殺す」
一瞬とはいえ協力していた相手が、明確な殺意をこちらに向けてきた。普通なら話し合いで済ませようとするのかもしれないが、この状況はこちらも求めていたものだった。育って来た環境が環境なだけに、色々考えても結局は拳で会話ができると思っている脳筋でしかないのだろう。
その証拠に言葉は無かった。
シャルルが魔力で生み出した矢を放つのが合図となり戦闘が始まる。矢に好きな特性を付与できる、それが通常の魔力弾と違い厄介だった。まず全弾に追尾機能が付与されているのだろう。左右と上に放たれた矢が三方向、右から火が噴き出ている矢、左から『土』の特性か茶色い燐光を放つ矢、そして上からは先程と同じ魔力感知に引っ掛からない透明な矢がアレックスに迫る。
「ふッ!」
それに対して、アレックスは冷静に対処を始める。まずは跳躍して一番厄介な不可視の矢を全て叩き落とし、後ろから迫る『火』と『土』の矢に対しては、特に『土』は『雷』だけだと相性が悪いので、『闇』との複合魔術である『魔纏咬牙』を使って一気に吹き飛ばした。
「こいつは俺が相手する、お前らは広場に向かえ! レミニアかシルフィーってやつの近くにいれば安全に避難できる!!」
とりあえず戦闘に邪魔な民間人に簡単に指示を出し、シャルルとの戦闘に全神経を集中させる。
矢の対応と民間人への指示。時間にしてそこまで消費した訳ではないが、死力を振り絞る戦いの中では相手より先に手を打つには十分な時間だった。
シャルルは次に放つ矢にこれまでの倍以上の時間をかけて魔力を集め、アレックスに向けて放った。今度は『光』の特性を付与したのか、先程までとは比べ物にならない凄まじい速度でそれは向かって来た。
偶然、構えていた剣で何とか受け止める事には成功したが、さっきまでのように簡単に弾けない。むしろ押し切られそうだった。破壊力の底上げのための『魔纏咬牙』を使う余裕もなく、今まさに剣を弾いてアレックスに矢が突き刺さろうとした直前。
それは―――来た。
「『徹甲光槍』ッ!!」
ドンッッッ!! と光の矢と槍がアレックスの目の前で衝突して弾けた。
その衝撃にアレックスの体は後ろへ吹き飛ばされるが、矢で貫通されるよりは何倍もマシだった。アレックスはすぐに立ち上がって体勢を整え、今しがた助けてくれた少女の方に目を向ける。
「……確かレミニアの護衛じゃなかったか? こっちに来て良いのかよ、シルフィー」
「シャルルさんがここにいるなら護衛の必要はありませんよね? チームですから。手助けしますよ、アレックスさん」
「建前を言うならレミニアを優先して欲しいが、正直に言えば助かるぜ。『ディッパーズ』にお前がいてくれて良かった」
「ええ、他の皆さんは正直アーサーさん寄りですからね。私くらいは味方しないと、アレックスさんが可哀想ですから」
アレックスの身からすると否定しにくい事実をスルーしつつ、全神経をシャルルの方へと移す。シルフィーはその横顔を見ながら、珍しく呆れにも似た溜め息を吐く。
「……アレックスさんは随分シャルルさんに入れ込んでますよね? まさか惚れたんですか?」
せっかく入れた力が全部抜けてしまうような発言だった。アレックスはうんざりとしながら、
「何でそうなるんだ……。惚れるほど長い時間一緒にいねえだろ。ただちょっと思う所があるだけだ」
「いえ、世の中には一目惚れというものがありますから……。それにアレックスさんは無理はしますが無茶をする方ではありません。それなのに、今回は無理を押してるように見えましたから」
「……何が言いてえんだ?」
「体力の方は大丈夫ですか? シャルルさんは強敵です、『雷光纏壮』を使えなければ勝ち目は薄いですよ?」
そのシルフィーの懸念は今のアレックスの状態の的を得ていた。
エクレール戦で使ったので、『雷光纏壮』は後一回が限界。昨日からノンストップで動き続けている事を考慮すると、発動した瞬間に解けてしまう懸念すらあった。
よって、今のアレックスには決め手が―――
「無いわけでもねえんだよな、これが」
魔力的にも体力的にも余裕がない状況だというのに、アレックスの口元には不敵な笑みが浮かべられていた。
「見せてやるよ、『雷光纏壮』に続くとっておきってやつを」