215 THE“DIPPERS”
カヴァスの亡骸は布にくるんで近く森に埋葬した。宿屋のすぐ傍では建物の再建の時にその下敷きにされてしまうと思ったからだ。
「……それで、『オンリーセンス計画』の詳細は分かるのか?」
崩れた宿屋の近く、星空の下で七人は瓦礫や地べたに座って話し合っていた。
ラプラスは落ち込んだままだったが、これを聞かない訳にもいかないのでアーサーは切り出した。
「……『オンリーセンス計画』は世界の魔力を消す計画、その具体的な方法は集束魔力です」
「集束……? それって、俺やお前が使ってるやつか?」
ラプラスは頷いて肯定しながら、
「質量保存の法則は魔力にも適応され、魔術に使用されても魔力は大気に溶けて世界を巡っていきます。ならその全ての魔力を一ヵ所に集めて宇宙に放出してしまえば? そんな考えから生まれた計画です。具体的に宇宙に飛ばす方法は分かりませんが、集束魔力をどのようにして行うのかは分かっています」
もし『オンリーセンス計画』を止めるとしたら、ここだけが唯一残された希望だと全員が感じていた。
全世界の魔力を消し飛ばす。もしそんな事が可能だとしたら、大仰な魔法陣や兵器があるかもしれない。それを破壊すれば、あの反則並みの力を持つ面々を倒さなくても『オンリーセンス計画』を止められるかもしれないからだ。むしろダイアナ達を倒しても、それが何なのか分からないと止められないかもしれないのだ。
「『時間』のクロノス」
だが固唾を飲む面々のうち、特にアーサーはその言葉に驚きを隠せなかった。
「消費魔力の多い彼女の力は『無限』のパンドラと合わせて使う事が前提に造られており、魔力の許容量はほぼ無限です。クロノスに全ての魔力を集束させてから宇宙に放逐するつもりでしょう。おそらくそのための装置も『スコーピオン帝国』で造られているはずです」
「……クソッたれ。また『一二災の子供達』ってヤツかよ。で、どんなヤツなんだよ、そのクロノスってのは」
「……いや、違う」
いい加減うんざりした様子で聞くアレックスとは対照的に、深刻そうな顔でアーサーは呟く。
「クロノだ。少し前まで上級魔族をやってたヤツで、俺とレミニアは三日前に別れたばっかりだ」
「あんた、あたしがいない間に何やってたのよ……」
「上級魔族との二連戦をちょっとね。とにかく」
唯一事情を知らないサラにだけ簡単に返答して、すぐにラプラスへと視線を戻す。
「あいつは関係ないはずだ。たしかにクロノは死にたがってたけど、ちゃんと話したんだ。世界を回ってから結論を出せって」
「……殴り合って、ですよね? クロノはカンヅメ頭ですからね。おそらくアーサーさんが絡んだ事件がもし失敗した場合の第二案として、ダイアナ・ローゼンバウムと繋がっていたのでしょう。本当に用意周到なくせに厄介です」
本当に呆れた様子でラプラスは溜め息をつく。
アーサーが苦虫を噛み潰したような顔をしていると、シルフィーが手を上げながら疑問の声を上げる。
「ですがおかしくありませんか? ラプラスさん達は転移でここの近くまで来たんですよね。そのクロノさんという方、移動が速すぎませんか? それとも彼女も転移ができるんですか?」
「いえ、クロノスは時間を止められるんです。多くの魔力を消費しますが、魔力の回復を待つか生物から奪うかすれば、ある程度の時間は止められます。そうして止まった時間で移動すれば、大した違いはありません。あるいは単に移動するだけならば、常時雷速のエクレールが迎えに行ったのかもしれません。どちらにせよ、彼女はもうこの国にいるでしょう」
「時間を止めるってマジかよ……。テメェよく勝てたな、アーサー」
「運が良かったんだ……右手のおかげで俺には『時間停止』が効かなかったから……」
辛うじてアレックスの疑問に答えながらも、アーサーはどこか上の空だった。
「……じゃあ、本当にクロノが……」
呟いてから、重い息を吐く。
正直、アーサーのクロノへの感情は複雑だった。味方だと思っていたのに、裏切ったのだから当然だろう。
自分が死ぬためだけに多くを巻き込んで、アーサーにとって大切な人を悲しませた。彼女の言っていたように大きな迷惑をかける行為ではなかったのかもしれないが、それでも許せるものじゃない。
だが同時に、自分を立ち直らせてくれた恩人の一人でもある。あえて憎まれ役になる事でアーサーの戦意を引き出しそうとした。たとえそれが自分が死ぬためだったとしても、感謝しない理由はなかった。
あの時とほぼ状況は同じ。
見捨てても文句は言われない。むしろ死なせてあげる方が彼女にとっては救いになるのかもしれない。
けれど、今回は一つだけ事情が違う。彼女の自殺によって世界の魔力は消えてしまう。その混乱は間違いなく『ゾディアック』と『魔族領』に少なくない悲劇をもたらす。それは『未来観測』を使わなくても分かる確実な未来だ。
だからこそ、アーサーは立ち上がって強い口調で告げる。
「止めるぞ。クロノを救い出して『オンリーセンス計画』を潰す」
出てきた答えは結局それだった。
まるでどんなに遠くに行っても帰巣本能で帰って来る動物のように、どんなに迷って考えても結局はこの結論に達してしまう。まるでそれが正しいと魂が示すように、誰かを助けるためなら躊躇なく拳を握ると。
「おい待てって。わざわざそのクロノってヤツを助ける意味なんてあんのか? 勝手に死のうとしてるだけで誰も迷惑しない、言ってみりゃただの自殺だ。それだけで上級魔族の一人が勝手にくたばってくれんだぞ? 願ったり叶ったりじゃねえか」
「回りくどく言うなよアレックス。つまり、お前はさっさとクロノを殺して事態を収拾しようって言うんだろ?」
「ああ、そうだよ。俺達がわざわざ『オンリーセンス計画』ってのを止めなくちゃいけないってのにも疑問しかねえがな。もしも仮に万が一俺達が止めなくちゃならねえってんなら、そいつが一番手っ取り早い。それが分かんねえお前じゃねえだろ!」
アレックスは正しい。
もし『オンリーセンス計画』を止めるというなら、キーになっているクロノを殺すのが一番早くて確実だ。彼女自身が言っていたように、アーサーの右腕があればそれは簡単にできるのだから。
だけど。
「……前に『ポラリス王国』で会った『一二災の子供達』がいるんだ」
「あん?」
アーサーの答えはアレックスには理解できない言葉だった。ラプラスだけが、その言葉にピクリと反応する。
「そいつは……太陽が眩しいって言ってたんだ。風が気持ち良いって、土と緑のいい匂いがするって、五〇〇年も外の世界に触れてなかったその子はそう言った。この世界は素晴らしいんだって、見てるこっちまでつられて笑うくらい、眩しい笑顔で言ってたんだ」
言いながら、アーサーの優しい笑みを浮かべていた。
あの時の彼女の言葉はアーサーに衝撃を与えていた。普段なんてことないように暮らしている世界を素晴らしいと表現した彼女の姿を、アーサーは密かに羨望していた。今になって思えばだが、もしかすると初対面のラプラスという少女を懸け値なしに信用できるようになったのは、あの瞬間だったのかもしれない。
「だから俺はその言葉を否定させたくない。外に目を向けないで、自分の殻に閉じこもって、勝手に自己完結して死のうとしてるなんて世界に対する冒涜だ。その子がキラキラ光っていて綺麗だと言ったこの世界を、全部否定して死のうとしてるあいつが許せない。……だから、俺は行く。これは『オンリーセンス計画』とか魔力が無くなるとか関係無い。誰もあいつが生きる事を望んでいないんだとしても、あいつが死んだ方が世界のためなんだとしても、俺は何度だってあいつを止めに行く」
「……本当に勝てると思ってんのか、あいつらに」
全員の気持ちを代弁するように、アレックスは呻くように言った。
「こっちの攻撃が届かない雷の塊に『接続魔術』を使うダイアナ、あらゆる属性を付与できる矢を使うシャルル、それに大量の『機械歩兵』! その全てをぶっ倒して進んで、さらにお前はセラを救い出して、死にたがってるヤツを説得して助けるってのか!? 命がいくつあっても足りねえよそんなもん。欲張りすぎなんだよ、テメェは!! 誰も言わねえからハッキリ言ってやる、今回は俺達に出来る事は何もねえ。あとは異常に気づいた『ポラリス王国』や『W.A.N.D.』に任せろ! お前がわざわざ出張る必要なねえ!!」
「……そんなこと言ったら、これまでだってその連続だっただろ?」
そうだ。
いつだってそうだった。
アーサーがやらなければならない強制力はどこにもなかった。たしかに『担ぎし者』という奇妙な運命に囚われているが、それでも逃げようと思えばいつでも逃げられる戦いの連続でもあった。
それでも戦い続けてきたのは……。
「……五〇〇年前、とある計画があった。ラプラスは知ってると思うけど、その名を『イニシアティブ計画』って呼ばれてたんだ」
ある少女に今日と同じような星空の下で言われた言葉から、アーサーは少し躊躇いがちに話し始めた。
「それは普通の人とは違う、アユムさんやローグ・アインザームのように異世界から来た勇者や、この世界に元からいた特異な力を持つ人々を集結させて、最強チームを結成するっていう計画だったらしい。そうして生まれたのが『ディッパーズ』だ」
その単語は他のみんなも知っていた。前に『リブラ王国』でアユムに聞いた話の中で出てきた単語だったからだ。
「彼らはその力が必要とされる限り戦い続けた。それは理不尽に降りかかる暴虐に対抗する力を持たない人達に代わって、どんな敵だろうと何度でも……」
その話を聞いた他のみんなの印象は、どこかで聞いたような話だ、だった。
まるでそれを話している本人のこれまでの道のりのように、彼は他人から聞いた五〇〇年も前の話を語っている。
「だけど『ディッパーズ』はもういない。それぞれが別々の道を進み、ある者は死に、ある者は今も戦い続けている。でも今、この場所には俺達しかいない。『ゾディアック』を救えるのは俺達だけだ。前に俺を立ち直らせてくれた人が言っていた。『力を持つ者にはそれを正しく使う責任がある』と、それが今だ!」
アーサーの言葉には不思議な力があった。
間違いではないが正しくもない綺麗ごとを並べただけ。それなのに何故か惹きつける。まるでそうするのが正しいと訴えかけてくるように、心の直接響いてしまう。
「だから俺達で止めよう。これが正しいのか、それともアイツらの言い分の方が正しいのか、それはこの戦いの結果で分かる。来るかもしれない何かになんて頼らない、無条件で起きる奇蹟なんてものにはすがらない! 他でもない自分達の手で未来を掴み取るんだ!!」
だから、反射的にうんと言いかけた。
それでも奥歯をギリッと鳴らし、アレックスは他の誰も言わない反論を叫ぶ。
「……何にしても人手が足りねえ。七人だぞ? たったそれだけの人数でどうなるってんだ!?」
「みんな揃えば何とかできる」
「根拠がねえ。精神論で何とかなる状況じゃねえのは分かってんだろ? テメェはそれが分からねえほど馬鹿でもねえからな!!」
アーサーとアレックスが対立し、他のみんなの動きが止まる。
彼女達にだって当然意志はある。が、このアーサーとアレックスのやり取りの結末だけは黙って見届けなければならないと鋭敏に感じ取っていた。
「……俺達は似た者同士だ」
小さな声で吐き出された言葉だったが、その言葉は六人の胸の中心に突き刺さった。
「だってそうだろ。みんな、多くを失ってる。俺達は誰一人、実の両親がいない。帰る家や、家族一人いないヤツだっている。何かと戦ってばかりで普通の生活もしてないし、それでも全部を救える訳じゃなくて、また何かを失う。失いながら生きていくしかない」
泣き出しそうな声音だった。目を背けたくとも絶対に変えられない過去を、アーサーは浅く息を吐きながら、それでも言った。
「……でも、今日だけは違う。今の俺達は一人じゃない、これは大きなアドバンテージだ。失ってばかりの俺達に、ようやく巡ってきたチャンスなんだ」
「……この最低な状況の何がチャンスだって言うんだよ」
「決まってる。今度こそ失うんじゃなくて、守るためのチャンスだ。ダイアナ達の計画が成功したら、どうあれ何千万人っていう数の罪の無い人達が死ぬ。もしかしたらそれ以上かもしれない。俺はそれを黙って見過ごせない、どうしても見殺しにはできない。……だから、その人達を救うんだ。俺達の手で」
「……そんなもん、慰めにもならねえよ。それにもしかしたら、今回は本当に死ぬかもしれねえんだぞ? それともなにか、テメェは俺達に死ねって言うのか……?」
「それは……」
僅かに躊躇って。
だけどアーサーは小さく頷く。
「そうだ、今回は生きて帰れないかもしれない。だから無理強いはしない。……でも、どこまでも自分勝手で、どうしようもなく最低なお願いだけど、みんなの力を俺に貸してくれ。頼む」
そう言ってアーサーは頭を下げた。
その瞬間、アーサーの言葉に心が大きく動いた少女達がいた。
いつもは勝手に飛び出して、自分達の知らない所で戦って、心も体もボロボロになって帰って来る。そんな戦い方しか選んで来なかったアーサーが、頭を下げて助けを求めている。
無茶な頼みだとは思わない。
迷惑だとも思わない。
ただ、その言葉をずっと待っていたのだ。
だからこそ、彼と一緒に立ち上がる理由は、それだけで十分だった。
「ワタシはずっと復讐のためだけに生きてきた。それは絶対に変えられない運命だと思ってた。……でも、アーサーに出会ってワタシは救われた。もし死ぬんだとしても、仲間と一緒ならそれで本望だよ。みんなはどう?」
一番最初に立ち上がった近衛結祈はそう告げて、周りを見回す。
「……そうね。元々身内がしでかした事が始まりだし、アーサーに振り回されるのは今に始まった事じゃないわ。それに、みんなと一緒なら何も怖くないわ」
「私も結祈さんと同じです。『ポラリス王国』でアーサーさんに助けて貰わなければ、どうせあの時終わっていた命です。使うならアーサーさんの望む形が良いです。……それに、カヴァスの仇も取りたいですし」
「兄さんがそう決めたなら、わたしにも依存はありません。それに死ぬんだとしても、最後にはパパに会えますから」
すると彼女に続くように三人の少女、サラ・テトラーゼ、ラプラス、レミニア・アインザームが続けて立ち上がる。
一歩離れてみると異常な理由かもしれないが、人が心の底から衝動で動くならそんなものだ。合理的な理由が一つもなくても、頭ではなく心がそうすべきだと体を動かすのだ。
「……アーサーさんは、立ち直れたんですね」
「どうかな? 正直わからないけど……少なくとも停滞するのは止めるって決めたんだ」
「……そうですか、そうですね。人は必ず立ち直れると言った私が、いつまでも迷ってる訳にはいきませんよね」
シルフィーはまだ迷っている様子だったが、アーサーの答えで決心がついたのか、ゆっくりとその場に立ち上がった。
「それに戦いに行く友達を見送るだけで生き残るのは嫌です。特に私は皆さんよりも寿命が長いですから、後悔は辛いです」
立ち上がった六人に見下ろされる形になったアレックスが、逆に六人を順番に見上げて呟く。
「正気かよお前ら……」
「アレックス、頼む」
「結局頼んでんじゃねえか……ったく、分かったよチクショウ。そもそもテメェが提案した時点で、俺に拒否権なんざ残されちゃいねえんだ」
うんざりとした様子で悪態をつきながら、それでもアレックスは立ちあがった。
これで、七人。
世界を救うには心許ない人数かもしれないが、アーサーにはもう失敗する未来が来るとは思えなかった。
『仲間を集めろ、かつてのローグ達のようにな』
「……ああ、もう集まってるよ」
別れ際にクロノが言っていた言葉が脳裏を過る。
けれどアーサーはふっと笑って、もう一度それに答える。
「世界を救おう。俺達全員が―――『ディッパーズ』だ!!」
そして宣言する。
かつての英雄達がそうだったように。
世界を救うために集結した七人がそうだと告げるように。
その復活を待ち望んでいた世界に向かって、どこまでも届くように叫ぶ。
どんな逆境も関係無い。
『小さな北斗七星達』を名を背負った彼らには、光り輝く希望が見えているから。
ありがとうございます。
ついに、ついに『ディッパーズ』を結成させる事ができました! ここまで一二章、このために登場させてきたメンバーを一同に会する事ができました。これから先の物語はこの『ディッパーズ』が中心になっていきます。
ただし、あくまでこの七人が『ディッパーズ』なのは今回だけです。少し先のネタバレをする事になりますが、『ディッパーズ』になる人物はこれから先まだまだ出てきます。この章はあと二〇話ほどありますが、次の章では何人かのメンバーが入れ替わる事になります。誰か残って誰が抜けるのか、想像してみて下さい。
では次回は行間を挟み、直後に第二一六話を更新しようと思います。今回は行間の内容をどちらにしようかと二択で迷ったのですが、前回の行間でヘルトの話に触れたので、今回は今まで触れて来なかった彼の話をしようと思います。