207 若し、それを悪だと云うのなら
ヘルトは三度、『ウリエル』に向かって『ただその理想を叶えるために』を撃った。対して涯は今度も同じように腕でその魔力を吸収して跳ね返して来る。
けれどその次のヘルトの行動が違った。集束魔力砲を撃った直後にもう一度剣に魔力を集め、息をつく間もなく二発連続で『ただその理想を叶えるために』を放ったのだ。
跳ね返された集束魔力砲と二発目の集束魔力砲がぶつかり、とてつもない衝撃が広がって『W.A.N.D.』の本部の窓ガラスが割れていく。そしてその衝撃から不意を突くように、ヘルトは三発目の『ただその理想を叶えるために』を頭上に放つ。
「無駄だ!!」
完全に不意を突いたと思ったが、それでも涯は反応した。再び手で吸収した集束魔力砲をヘルトに向かって撃ち返してくる。ヘルトは四発目は撃たず、今度は魔力障壁と剣を使って弾いた。
(……まだ、足りない……)
ヘルトが思い付いた現状を打破する単純な方法。つまり涯が吸収不可能なほどの魔力を撃ち込めば良いと考えたのだ。
(次はもっと早く……多くッ!)
次は七発まで撃つつもりでもう一度剣に魔力を集中させた、その時だった。
『ヘルトさん! こちらは終わりました。そちらはどうですか!?』
耳に付けたインカムから、やや興奮した様子の凛祢の声が発せられた。ヘルトは魔力を集中させるのを中断させてその声へと意識を移す。
「大丈夫、全然余裕だよ」
『……そうでも無いだろ少年。「ウリエル」による大量虐殺開始まで後一分しか残っていないぞ』
『それなら今から手伝いに行きます。今どこにいますか!?』
「……いや、これはぼくの問題だから、ぼく一人でやらないと意味が無いんだ」
『まだそんなこと言ってるんですか!? 手が足りないなら増やせば良いんです。ヘルトさんが天童涯さんを、ワタシ達が「ウリエル」を止めます。それで良いですよね!?』
怒鳴られてから、ヘルトは自分の行動をかえりみた。
彼女達はヘルトを家族だと言った。そして自分も、それを嬉しいと思って家族だと認めた。
だというのに、古い友人と戦う内にまた自分一人で戦っているつもりになっていた。どうやら魂の底にまで染みついた性分はそうそう変わらないようで、自分の事なのにいっそ笑えてきた。
「……そうだね、手が足りないなら増やせば良かったんだ。まったく、こんな簡単な事に気づかないなんて、折角きみ達がいるっていうのにぼくは不甲斐ないなぁ……」
ヘルトは自虐的に呟きながら、剣を握る手に力を入れ直した。
『ヘルトさん……?』
「いや、こっちの話。みんなのおかげで何とかなりそうだ。すぐに終わらせて帰るから安心して待っててくれ」
『ですが……ッ!!』
「これから『ウリエル』を破壊する。巻き込まれないように離れていてくれ」
そこまで言うと叫んでいた凛祢の声がどんどん遠のいていった。
『強がりじゃないんだな、少年?』
次に聞こえてきた声は嘉恋のものだった。ヘルトは向こうに伝わらないと分かっていながらも、安心させるように笑みを浮かべて言った。
「大丈夫、なんとかなるよ」
『……分かった。それならこっちは「W.A.N.D.」の混乱を鎮静させておこう。凛祢も分かったな?』
『……わかりました。ヘルトさん、頑張って下さい』
『きをつけてくださいね、ヘルト』
「了解。今日の寝床の確保をよろしく」
通信を切れた後も、ヘルトは珍しく心の底からの笑みを作っていた。
いつものような心の表層だけの作り笑いではなく、遠くにいる彼女達には見えないのに笑みを引っ込めようとはしなかった。
「……うん。やっぱり、ぼくは間違ってなんかいなかったよ」
それは、彼の生前の道のりの方ではなかった。
「凛祢、嘉恋さん、アウロラ……。ぼくはこの世界に来てから、少ないけど色んな事情を抱えた人達と関わって来たんだ。どれも状況は最悪に近くて、全てを諦めてしまった方がいっそ楽だっただろうに、それでも彼女達は抗う事を止めようとはしていなかった」
この世界に来て経験してきたこと。それは生前の世界では決して味わう事ができなかったもので、どれも生前の経験よりも貴重なものだった。
だからこそ、その代償としてヘルト・ハイラントは天童涯と袂を別つ事になったのだ。
「ぼくはそこに可能性を感じたよ。……だから、ぼくは戦う。もし完璧な世界があるとしたら、彼女達みたいな人が生きてる方が絶対に良いって言い切れるから。きみの掲げる正義に彼女達を殺させはしない」
ただ天童涯にはそれが理解できない。
長い溜め息を吐いてから、彼はヘルトに問う。
「……例えばの話、お前が大切に思う人間が悪事に手を出すとは思わないのか?」
「そんなの、考えてるに決まってるだろ。どんな聖人君子だって何かの切っ掛けで巨悪に変わる、それが人間だ。でもぼくはその全てを踏まえたうえで、彼女達の事が大切なんだ」
けれど、彼はもう選択を済ませたのだ。
天童涯がヘルト・ハイラントを徹底的に排除しようとしたように、ヘルト・ハイラントは天童涯の凶行を止めると。
古い友人との繋がりよりも、あるかもしれない世界平和よりも、新たな家族を守る方を取ると。
「もし、それを悪だというのなら―――ぼくは悪で良い」
そして決定的に。
突き放すようにヘルトは告げる。
「それでもぼくは守りたいんだ。ありふれた日常の中の、当たり前の幸せってやつを」
「……ようやく手に入れた玩具を手放したくない子供って面だな」
「そうだ。ようやく手に入れた……ぼくの宝物だ」
「また失う、そして絶望する。そういう運命だ。どれだけ逃げても運命は追いかけてくるぞ」
「だから今度こそ、ぼくは守ってみせる。それを今、きみを止める事で証明する!」
ヘルトは目を閉じて息を吸う。
そして一気に目を開き、腹の底から叫ぶ。
「全魔力解放ッ!!」
ドッッッ!!!!!! と。ヘルトを中心に莫大な量の魔力が吹き荒れる。
この世界に来て初めてする全魔力の開放。それはヘルトの剣だけではなく、彼の周りへと広がっていく。
ただでさえ規格外の力を持つ勇者の全力は、本人が意図しなくとも世界に影響を与えてしまう。地面やビルの外壁にはそれだけで亀裂が走り、彼の周りには豪風が吹き荒れる。
(発射口が剣一つで足りないのなら……)
そして噴き出した魔力は一つの形を作っていく。ヘルトの周りに自分の身長と同じくらいの直径の魔法陣が展開される。それも一つではなく、二〇個近くの魔法陣が次々と現れて金色の輝きを放つ。
(……単純にその数を増やせば良い)
半身に構えたまま、だらりと下げた両手で剣を握り締める。涯とは逆方向に向けられた刀身にも魔力が集まっていき、いつものように金色の光を放つ。
「―――理想の果てで孤独の本当の意味を識る」
噛みしめるように、あるいは呪いの言葉のように。
それは、ヘルトの口から流れるように吐き出された。
「けれど今日もまた一人、彼は荒野を進む―――!!」
詠唱。
魔術の使用に必要なイメージ力を補強するために用いる力の在る言葉。それはただの言葉ではなく、想いを込めれば込めるだけ威力が向上していく。
集束魔力砲の『ただその理想を叶えるために』よりも遥かに巨大な魔力が、ヘルトを中心に周りの魔法陣へと集まっていく。
「……まだ、懲りないのか……」
嵐のような魔力の奔流を前にして、涯は恨めしげに呟いた。
「あれだけ騙され、利用され尽しても、お前はまだ人間を信じられるのか!?」
「いいや。きみの言う通り、確かに人間は信じられない生き物だ」
それを認めて。
けれどヘルトは強く剣を握り締める。
「それでもぼくは、人の可能性を信じてる。間違いだらけでも、正しい事を成せる生き物だと。各々の『正義』に従って、誰かの……何かのために生きられると」
「……だから戦うのか?」
「そうだ」
「……それがお前の務めだって言うのか?」
「そうだ……でも、違う。これはぼくの使命だ」
結局、最後の最後まで、お互いに手を止める事はしなかった。
ただし敬意は持って、ヘルトは躊躇せず斬り上げるように剣を振るう。
「刻め―――『ただその理想を成し得るために』ッッッ!!!!!!」