行間四:始まりの終わりとこれからの始まり
凛祢を抱えたままヘルトはすぐに孤立している『魔造』へと追いついた。隣には先程凛祢を襲っていたような武装した男が並列して歩いている。どうやら捕まっていたという認識は間違っていないようだった。
ヘルトは気づかれる前に手に集めた魔力を飛ばす。魔力を扱う者なら誰でも使えるようなごく普通の魔力弾だが、ヘルトが使うのとでは意味合いが違った。まだ細かい魔力の調整に慣れていないからか、魔力弾が着弾した男の体は重力に逆らうように遠くの壁まで吹っ飛んでいった。
「椎ちゃん!」
凛祢が叫んだので下ろしてやると、すぐに椎と呼ばれた相手に向かって走っていく。
一息ついたヘルトは先程殺した男から奪っておいたリストに初めて目を向ける。全部で一二枚あるそれは、一枚毎に『魔造』についてのそれぞれの詳細が書かれていた。とりあえずすでに顔が分かっている凛祢の分は右手で分解し、他の一一枚の写真と目の前の少女の顔を比べてみる。すると一番後ろにその顔はあった。
(師走椎……えっと、彼女の能力は……)
それなりの文章量があったが、これも『何か』による恩恵なのか、横文字を縦に流し読みする程度でも内容は完璧に頭に入って来た。それによると、師走椎の能力は……。
「っ!? 凛祢! 今すぐ師走椎から離れろォ!!」
ヘルトは叫んだが、一瞬遅かった。
師走椎は振り向きざまに持っていた銃を凛祢に向けて発砲したのだ。こちらは名前まで呼んでいたのだ。決して誤射なのではないだろう。
「くそッ!!」
一度地面を蹴るだけで、ヘルトは撃たれて倒れそうになっていた凛祢の体を抱えて再び師走椎の背後を取った。"ワタシの家族を助けて"。もし凛祢のその言葉が無かったら、すれ違いざまに斬り捨てていたところだ。
「凛祢、おい! 生きてるか!?」
「……だ、だいじょ、ぶです……」
見ると傷口から勝手に銃弾が排出され、みるみるうちに傷口が塞がった。理由は知らないが、おそらく師走椎のように彼女にも能力があるのだと断定して今は疑問を保留する。
傷口が完全に塞がった凛祢はヘルトの腕から離れて立ち上がった。
「……椎ちゃん、どうしてですか……?」
「アナタを殺すためって言ったら、それで納得してくれるのかしら?」
師走椎はそれが当たり前のように撃ったのだ。家族が大切だと言った少女の事を、その家族でありながら。
「そんな、どうして……ッ」
「有体に言えばお金が貰えるから? そもそもワタシ達『魔造』は最初から処分される事が決まってたのよ? で、その処分役兼抑止力がワタシが生みだされた理由よ」
パチン、と指を弾いて乾いた音を出しながら椎は続けて言う。
「ワタシは能力で全ての『魔造』の命を奪える。それこそ、こうして指を鳴らすくらいの手軽さで一一人を一度に殺せる」
彼女にとってはその程度の話。一一人の命は驚くほどに軽いのだ。凛祢は椎の事を家族だと思っているのだろうが、彼女にとっては金ヅル程度の認識でしかないのだ。
その事実に凛祢の顔がくしゃりと歪む。
「……ワタシ達は、家族じゃ……」
「クドイわよ。現状がよく分かってないようだけど、ワタシはこうして話してる間にもアナタ達全員を殺せるのよ? ワタシの機嫌を損ねない方が良いと思うけど?」
もはや和平の道は途絶えたと、傍らでそれを聞いていたヘルトが結論付けるには十分過ぎる内容だった。
面倒くさそうに溜め息を吐き出しながら、凛祢の盾になるように前に出る。
「……凛祢の身とその家族の身を守る。両方守らなくちゃいけないのがぼくの理想の難しい所だけど……覚悟はもうできている」
きっと意味は通じていないだろう。何を言っているのか、理解だってされていないと分かっている。そもそも最初から自分の理想を知って貰おうとも理解して貰おうとも思っていないのだ。
それからスイッチを切り替えるように、首に手を添えながら傾けてゴキリと鳴らす。
「凛祢は家族は優しいと言っていた。だけど、どう見てもおまえは違う。凛祢の家族を殺そうとする以上は敵だ。たとえ後で凛祢に恨まれる事になるとしても、ここでその芽は摘む」
その宣言から行動までは早かった。
一瞬、消えたかと思うくらいの速度で駆けると椎の首を掴み、そのまま壁をぶち破って外に出た。そしてすぐに空高くへと椎の体を投げ飛ばす。
「野球はやった事が無いんだけど……っ!」
銀色に輝く剣を虚空から取り出したヘルトはそれを両手で握り、落ちてきた椎の体をバットみたいに振った剣で思いっきり斬り飛ばした。胴体を両断するつもりで振ったのだが、やはり剣の扱いには慣れていないのが良くなかったのか、斬り裂けたのは脇腹だけで椎は鮮血を撒き散らしながら吹き飛んで行った。
それでも致命傷のはずだった。死亡を確認するためにヘルトは近づいていくが、そこで奇妙なものを見た。今しがたつけたはずの傷が、みるみるうちに塞がっていたのだ。
「……なるほど、凛祢と同じ能力も持っているのか。資料、最後まで読んでおくべきだった」
「『損傷修復』よ……とはいえ、痛みはあるんだからね……」
そんな事を言っている内にヘルトがつけた傷は完全に治っていた。椎はゆっくりと立ち上がりながら、
「ご覧の通りワタシは殺せない。これは文字通り自動で発動する。体内魔力を使っている訳じゃないから魔力が尽きる心配もいらないけど、素直に痛いのは嫌だから全力で逃げるわよ?」
「……きみがいる限り凛祢達は危険だ。だけど好き好んで殺したい訳でもない。『魔造』を殺す能力を消す術は無いのか?」
「無いわね。ワタシが使わないって確約しないと。でもアナタはワタシを信じないでしょ?」
期待は最初からしていないようで、別に説得するつもりもないようだった。
だがヘルトはその予想に反して首を横に振って、
「いや、信じるよ? 根拠は凛祢はまだ死んでいないから。きみだってどうせ本当は殺すつもりなんてないんだろう? もしかして、最初から死を偽装して彼らから助けるつもりだったとか?」
「それは……」
そうして、椎が内に秘めていた真実を語りそうな、正にその寸前だった。
強襲してきたのは赤黒い巨大な尾。それが椎の背中から体を貫いたのだ。それは正面にいたヘルトにまで飛んで来たが、彼は寸での所で剣で防いだ。尾が椎の体から引き抜かれると、腹に大きな穴を空けた椎がヘルトの方に倒れて来た。ヘルトはそれを受け止める。
「おい、『損傷修復』はどうした!? なんでさっきみたいに傷が塞がらないんだ!!」
ちゃんとリストに目を通しておけば、回復を封じるその力を分かっていただろう。だがどうあれ師走椎は手遅れだ。この深手では、もう数秒と持たず絶命するだろう。
彼女自身、それが分かっているのかヘルトの耳元にか細い声で最期の言葉を残す。
「……せめ、て……りんね、は……たす……け……」
「……ッ」
その言葉だけで、先程聞き損ねた彼女の言葉はもう全て分かった。
ヘルトは彼女を殺した尾が飛んで来た方を睨む。そこに立っていたのは、なんてことの無い一人の少年だった。その顔だけなら、ヘルトは知っていた。
「霜月琲琉か……ッ!!」
リストの上から一一枚目にあった写真の少年だった。
能力までは知らない。だが『損傷修復』を無効化する何かがあるのは分かっているので、ヘルトは警戒心を最大まで高めていた。
「どうして君のようなヤツが突然乱入して来たのかは知らない。でもおかげで、僕を脅かす唯一の力を確実に処分できた」
「……おまえは師走椎を殺して何とも思っていないのか?」
「おかしな事を言うね。生物が生き残るのに天敵を殺すのは自然の摂理だよ。弱肉強食って言葉を知らないのかい?」
「……」
一方的な物言いだったがヘルトは何も言い返せなかった。心のどこかでは彼の言葉を認めていたからかもしれない。あるいは体感時間で数時間前に、自分が天敵を殺さなかったせいで死んだからか。
「いつか、君と遊びに来るよ。それまでは死なないでよね、ヘルト・ハイラント」
「……待て。どうしておまえがぼくの名前を知っているんだ……!?」
数時間前にここに来たばかりで、自己紹介といえば凛祢にしたくらいだ。初めて見る彼に名前を知られているのはどう考えても不自然だった。
「それが知りたいなら翔環ナユタ。彼女の事を調べる事をお勧めするよ」
質問への答えと受け取れなくもない言葉だけ残して、霜月琲琉はここから逃げるように離脱した。すぐに追いかければ捕える事もできたのだが、それでは凛祢を含め、他の『魔造』を見捨てなくてはならなくなる。
ヘルトは歯噛みしながら、霜月琲琉が逃げて言った方向から視線を切って施設の方へ急いで戻った。
そして、そこから先は語るまでも無いほど呆気なかった。
ヘルトが介入した事で襲撃者の思惑は完全に失敗。彼は全員を殺す事でこの場は治め、助けた『魔造』達はそれぞれ散り散りに外の世界へと逃げて言った。
そして最後までヘルトに付き合って残っていた凛祢は、ずっと我慢していた聞きたかった事をヘルトに尋ねる。
「それで……その、椎ちゃんはどうなったんですか……?」
「……」
答えない訳にはいかない質問だった。
もしかすると、凛祢はヘルトの答えを分かっているのかもしれない。つまり彼が戻って来て『魔造』が誰も死んでいない事が、師走椎が死亡している証だと。
その気配を感じ取りながら、ヘルトは必死に頭を回していた。
("ワタシの家族をたすけて"……誰の言葉か思い出せ、ヘルト・ハイラント! 凛祢が願った結末が、こんな救いの無いものであってたまるか!!)
救いたかった家族が救いたかった家族を殺した。そんな残酷な真実を目の前の助けたい少女に突き付けるという選択肢はヘルトの中には無かった。しかし、どうあっても霜月琲琉が師走椎を殺した現実は変えられない。
では、どうやってこの事実を誤魔化す?
「……ぼくが師走椎を殺した」
すぐに出てきた答えはそれだけだった。
霜月琲琉の代わりに椎を殺した罪を背負う。今までも何度もそうしてきたように、ヘルトは慣れた様子でさらりと言った。
「恨むなら、ぼくを恨め」
表情も変えずに言い放ち、ヘルトは内心で溜め息をついていた。
どんな道を通っても、彼の人助けはいつもこうなる。誰かの代わりに罪を背負う事でしか、誰かを助ける事ができない。せっかく異世界に来て大きな力を授かっても変えられない現実に心底辟易としてくる。
「……椎ちゃんがみんなを殺そうとしたからですよね?」
「……ごめん。謝って済む問題じゃないけど、きみや他の家族を救うにはこうするしかなかった」
素直に頭を下げる。
謝罪の意味は椎を守れなかったこと。言葉には出さないが、心の底から凛祢に申し訳なく思って頭を下げたのだ。
凛祢の方は今にも泣き出しそうなのを必死に堪えながら、
「……いえ。そもそもヘルトさんが来てくれなければ、みんな死んでいたんです。だからワタシ達を助けてくれて、ありがとうございました。ヘルトさん」
もしかしたらそれは口だけの気持ちの込もっていない感謝の言葉だったのかもしれない。仕方が無かったとはいえ、助けて欲しいと願っていた家族を殺した事になっているのだ。それは当然だろう。
だけど、ヘルトはそんな言葉に感動していた。思わずその言葉を頭の中で何度も反芻してしまうくらいに。
(……ありがとう、か……)
思えば人を助けて感謝されるのは初めての経験だった。
だから殺されて異世界に来たことに、それだけでも十分に価値はあったと納得しておくことにした。
ありがとうございます。
第一一章もあと四話で終わりです。そこで時間はズラしますが、三回ほど一日二話投稿したいと思います。次の二話で涯との決着、その次の二話で今回の戦いの後日談というか終わり。そして次の二話で主人公をアーサーに、舞台を『スコーピオン帝国』に戻した一二章を始めたいと思います。