206 霜月琲琉
「凛祢!!」
だがその前に紗世の尾の方が先に凛祢に届いた。一本を消されるのを覚悟で凛祢に向かっていた尾にぶつけて軌道をズラし、さらに一本を凛祢の腰に巻き付けて手元まで引き寄せる。
「凛祢が言ったように、陽羽さんの力が相手なんだから無闇に突っ込まないで!」
「……うん、ありがとう。それで提案があるんだけど……」
「わかってる。あそこにいた時に何度かやって怒られたやつでしょ? 確かに、あれはワタシ達しか知らないからね」
「じゃあお願い。ワタシは先に突っ込むから」
一方的に告げて凛祢は再び琲琉へと突っ込んだ。それも今度は真正面から。
当然琲琉は凛祢に向かって再び尾を向ける。だが今度は接触する直前にその間に紗世の尾が現れた。そして凛祢はその尾に足を着けて跳躍し、次にその先で待っていたように待機していた尾をさらに跳躍する。
二人が言っていたのは、ようはその繰り返し。紗世の尾を身体能力が強化された凛祢が跳躍する事で、事実上空を駆ける形で凛祢が軌道が読めないように何度も角度を変えて高速で琲琉に近づいていく。
「……確かに、『魔族堕ち』として造られた『魔造』の僕の視力でも完全には捉え切れない見事な連携だ。もしかすると『魔造』の完成系は僕みたいな複数能力者じゃなくて、君達みたいに協力し合う事なのかもね」
琲琉は一人で納得したように呟き、紗世を越える合計九本の尾を一気に出す。それは今の彼に維持できる尾の限界本数だった。
「でも、来るのが僕の所だと分かっているなら対処は容易だ」
九本の尾は攻撃には使われなかった。琲琉は九本の尾を自身の体に巻き付けるように動かし外から光も入らないくらい完全に覆ったのだ。単純だがこれにより琲琉は魔術による攻撃を外界から完全に遮断できる形になった。
「紗世ちゃん!!」
「わかってる!!」
紗世は尾の一本を凛祢のフォローではなく地面へと突き刺した。
ゴリゴリと鈍い音がしばらく鳴る。そしてしばらくその音がした後、巻いた尾の中に籠もっていた琲琉が突然血を撒き散らしながら宙に打ち上げられた。
「……ワタシには魔術を打ち消す効果はないけど、その防御法はとっくに見つけてる。そして当然弱点も!」
琲琉がいた真下には地面を突き破った紗世の尾があった。
「地中を守るのを忘れてるよ、紛い物」
「……なるほど。勉強になったよ」
地面に落ちて倒れたままの琲琉は血を流しているというのに平然としていた。というより、二人が折角付けた傷口がみるみるうちに塞がっていったのだ。
「……ワタシの『損傷修復』」
「僕の、だよ。さあ、これで振り出しだ。とはいえ君達の力じゃ、僕には絶対に勝てないだろうけど」
この『損傷修復』でさえ手の出しようが無いのに、そこに魔術の無効化と集束魔力の尾のおまけつき。その内二つの能力が同じ凛祢と紗世ではそもそも勝負にならない。
紗世を超える九本の尾が、今まさに二人を貫こうとその先を向けたその瞬間だった。
「そこまでだ!!」
その怒声は扉の方から聞こえてきた。同時に琲琉の動きがピタリと止まった。
その乱入者の正体は、この場にいた二人だけが知っていた。
「嘉恋さん!? ヘルトさんの方は……っ」
「彼は古い友人と決着をつけに行った。私達が手出しして良い問題じゃない。それよりこっちの問題から少年を救うのが私達の仕事だ。凛祢の話から浮かんだ疑問だったが、『W.A.N.D.』の情報量で詳しく調べたらやはり的中していたよ」
その場にいた誰もが、その発言の意味を理解できなかった。
「凛祢……それから水無月紗世だったな。特に凛祢は覚悟して聞いてくれ」
そう前置きして、嘉恋は琲琉の方に視線を向けた。
「単刀直入に聞こう、霜月琲琉。師走椎を殺したのは少年じゃなく君だな?」
その言葉にこの場にいた全員の視線が琲琉に集まる。矢面に立たされた少年はスッと目を細める。
「……何故そうだと?」
「君は知らなかっただろうが、師走椎には君や凛祢と同じ『損傷修復』の力があった。おそらく『魔造』の制御装置として万が一にも殺されないためだろうな。師走椎を殺すには、睦月陽羽のように魔力を無効化する必要がある。……たしか、君の尾にも同じ力があったな、霜月琲琉?」
明らかに追い込まれた状況。
だというのに、琲琉は面白いものを見たように薄い笑みを浮かべていた。
「……へぇ。てっきりヘルト・ハイラントだけかと思っていたけど、彼の側近にも中々鋭いのがいるんだね」
「側近じゃなくてお姉さんだ。とにかく、少年は凛祢や他の『魔造』へのショックを最小限に留めるために、あえて師走椎殺しの罪を背負ったんだ。……本当に馬鹿な少年だよ」
本当はヘルトが命を賭けても守りたかった嘘を明かしたくは無かったのだが、ここに飛び込んだ時言わなければ全てを失うと思った。だから考えるよりも先に口に出ていたのだ。
色々な事に疲れたように嘆息しながら、嘉恋は警戒を解かなかった。九本の尾に警戒しながら琲琉を睨みつけて言う。
「で、認めるという事で良いんだな?」
「そうだね。全部陽羽のせいにするっていう手もあるけど、具体的な攻撃手段の無い彼女じゃ椎は殺せないからね。それにそこまで調べ上げたんだ、僕が認めなくちゃ報われないだろう?」
「なるほど……。じゃあここから先は彼女達に任せようか」
彼女達と呼ばれたのは『魔造』の少女達。そもそも彼らの目的はヘルト・ハイラントを殺す事ではなく、師走椎を殺した相手に復讐する事だった。
そして今、その標的が目の前で変わった。
では、この後に起きる事は?
「僕を殺すよね、そりゃ」
だからその前に、琲琉の方が先に動いた。
九本の尾をこの場に九人いる他の『魔造』へと向けて動かしたのだ。
「凛祢!!」
最も早く気づいた紗世は自身の尾を使って自分と凛祢に向かって来ていた琲琉の尾だけは消されるのを覚悟で弾いて軌道を逸らした。
けれど他の『魔造』はダメだった。アダマンタイトを上回る硬度を誇る如月未甘の魔力障壁も、魔力を無効化する力を持つ琲琉の尾には効かなかった。いとも簡単に貫通して胴体を貫かれた。
そして、それは未甘以外の『魔造』もそうだった。弥生穂実、皐月冥、文月演花、葉月芽愛、長月円佳、神無月衣麻も同じく胴体を貫かれてしまった。
七人の命を奪った少年は、姉達を殺した直後だというのに捕食者特有の獰猛な笑みを浮かべていた。
「どうして……どうしてこんな事をするんですか!?」
「おかしな事を言うね、凛祢。ヘルト・ハイラントの影響? 生物が生き残るのに、自分を殺そうとする相手を殺すのは自然の摂理だよ。弱肉強食って言葉を知ってる?」
「……それでも、ヘルトさんは自分のためには殺しませんでした」
「それでも、ヘルト・ハイラントは他者のために師走椎を殺そうとしたし、睦月陽羽を殺した」
「その代わり、ヘルトさんは誰よりも傷ついてきました。他の人を斬る度に、自分の事を斬りつけるような真似を続けて来ました。アナタとは違います」
「自分が傷つけば他人を傷つけても許されるって? それは傲慢な理論だよ。それにそんな理屈が通るなら、それこそ人間の勝手な都合で生み出された僕らには最もその権利がある」
突き刺した尾をそれぞれの体から引き抜いた琲琉は、七本の尾を頭の上に移動させた。そして口を上に向け、尾の先から滴る血を口の中へと入れた。
「……何を、しているんですか……?」
「ん? DNA情報の登録だよ」
その行動に恐怖すら覚えていた凛祢の疑問に軽い調子で答えながら、血を飲み終わった琲琉は赤く濡れた口元を雑に拭った。
「……ぜんいん、うごかないでください……」
「アウロラ……?」
その瞬間、今まで沈黙を守っていたアウロラが呆然と呟いた。
「『ディティールアナライズ』をつかいました……。アレは、だめです。わたしたちの誰も、あのひとにはかてません……」
瞳が明るく光るアウロラは体を震わせて怯えていた。物体の詳細を知る事のできる彼女だけが、琲琉の身に何が起きているのかが分かっていた。
そして、変異した悪魔は語る。
「僕がヘルト・ハイラントへの襲撃にどうして陽羽と紗世に行かせたと? 彼女達の力は元から持ってたからだよ」
そう告げる琲琉の足元からは文月演花のものと同じ黒い炎が熾り、中指と薬指の第三関節の間からは葉月芽愛のものと同じ『骨の剣』生えた。
「そんな……どうして琲琉くんがみんなの力を……」
「これが人間の業だよ。僕の力は睦月から神無月の力を取り込めるものだった。でも陽羽と凛祢と紗世のDNA情報を組み込んで人間はひよったんだ。だから制御装置として師走椎を造ったんだよ」
「……そうか」
どこか納得した様子で、嘉恋は呟いた。
「師走椎は『魔造』の制御装置じゃなくて、君のためだけに造られたものだったのか……っ」
嘉恋は歯噛みした。情報不足の中でわざわざ挑発するような真似をし、この事態を招いた事を。
凛祢と紗世は飛び掛かりそうになる衝動を必死に抑えつけていた。そうしなければ、目の前で姉妹を殺された怒りで突撃してしまいそうだったから。
「とりあえず、今回は大人しく退くよ。ああ、代わりに誰でも良いからヘルト・ハイラントに伝えておいてよ。次は天童涯じゃなくて、僕が君と遊びに来るからってさ」
結局少女達は霜月琲琉がその場から消えるまで一歩も動けなかった。
彼女達は初めて自分の無力さを呪った。
そしてそれが、ヘルトが嫌がっていたように、今まで彼の力に頼っていたからだと初めて自覚した。
ありがとうございます。
次回は最後の行間を挟みます。