204 認めるか、否か
世界の頂上にいる翔環ナユタの存在を除けば、あるいはそこは『ゾディアック』で一番高い場所だったのかもしれない。
狭い部屋でぶつかった拳だが、二人揃って単なる拳ではなかった。
まずヘルト・ハイラントに関しては言うまでもなく『何か』によって強化された身体能力から繰り出されている。何の力も持たない人間が食らえば、一撃で命を奪うのも容易い拳だろう。
そして天童涯の拳も特殊だった。彼自身が言っていたように、彼はヘルトのように『何か』に力を与えて貰った訳ではない。ただ当たり前の事のように自分の腕を機械のものにして、拳の威力をヘルトと同じレベルにまで引き上げていたのだ。
「『半身機械化』か……!?」
「いいや、脳以外の『全身機械化』だ」
短い会話の直後、涯の肘が火を噴いた。それによってせめぎ合っていた拳はヘルトの方が押し負け、軽く後ろに飛ばされる。
そうして開いた距離を埋めるように、今度は背中からジェットを噴射した涯がヘルトに肉薄し、右回し蹴りを繰り出す。ふくらはぎからもジェットを噴射して加速した蹴りをヘルトは両腕を交差して受け止める。拳の時と同じように確実に吹き飛ばされる予感、そして今度は右側にある強化ガラスに叩きつけられる羽目になるのも分かっていた。
(くっ……透過できるか!?)
足を受け止めながら冥納の透過能力を使い、強化ガラスへの衝突は防いで空中へと飛び出した。涯の足を透過できなかったのは骨格が残っていて生身と認定されているのか、それとも冥納の力では透過できない魔力が流れているのか、理由は分からないが涯を透過する事はできないという結果を得た。
(よし、『ウリエル』はあそこだな。あいつを吹き飛ばせばぼく達の勝ちだ!!)
落下しながら『ウリエル』を視認したヘルトは虚空から鋼色の剣を取り出し、すぐに集束魔力砲の準備に入る。
「天使擬きを撃ち落とせ! 『ただその理想を叶えるために』!!」
前と同じように空中艇を吹き飛ばすため、一条の集束魔力砲を天に向かって放つ。
だが涯がそれを手をこまねいて見ている訳がなかった。強化ガラスを突き破った涯が、ヘルトの後を追うように空中に出てきた。それも集束魔力砲を正面から受けてしまう位置に。
本来なら『リブラ王国』の時と同じように蒸発させてしまうはずだった。けれど涯は集束魔力砲を右手で受け止めると、同時に突き出した左腕からヘルトと同じ集束魔力砲を放った。
「っ!? 冗談じゃないぞ!!」
左手を突き出し、ありったけの魔力を込めて魔力障壁を作り出す。僅かに堪えている間に剣に魔力を集束させ、障壁を突き破った集束魔力砲を剣で散らして吹き飛ばした。
両足でしっかりと着地したヘルトは上を見上げる。上から落ちてくる涯を迎え撃つために剣を構える。涯は体中のジェットを使って安全に地面に降り立った。
「……ぼくの集束魔力砲を吸収して跳ね返したのか」
「科学の力では魔王のような魔力掌握はできなかったが、体の中に魔力を通して相手に返すくらいの事はできるからな」
「そのために全身を機械にしたっていうのか……。ハッキリ言って正気じゃない」
「俺はお前のような特別な力が無いからな。これくらいしないと理想は体現できない」
相変わらずの平行線の会話を交わして、ヘルトは地面を蹴る。魔力が効かなくても手に持つ剣には全てを切断する力がある。たった一太刀浴びせるだけで、軍配はヘルトに挙がるのだ。
「攻撃パターンを分析」
何かに指示するように言い、右手を大口の銃へと変形させる。涯は振るわれた剣を上体を大きくのけ反らせて躱し、ヘルトの体に向かって魔力ではなくエネルギー弾を放つ。無論その程度ではヘルトに傷は付けられないが、吹き飛ばす事くらいはできた。宙に浮いたヘルトに向かって続けざまに涯はエネルギー弾を放つ。
「くっ……『魔の力を以て世界の法を覆す』!!」
魔法のキーワードを口にしたヘルトは再び剣を振るう。使ったのは距離の概念を覆す魔法。これによって剣の軌道にある全てを斬り裂けるようになる。が、涯は見えないはずの剣の軌跡からも逃れた。確実にこちらの動きを読まれている様子だった。
(本当にパターンを分析してるのか? だったら、避けられない広範囲これならどうだ!!)
ヘルトが頭上に手を掲げると巨大な水球が現れる。そしてそれを涯ではなく空中で破裂させて辺りを水浸しにする。
「魔力制御に失敗したのか?」
「いいや、これのための布石だ」
次にヘルトは手に雷を作り出し、それを水で濡れた地面に叩きつける。勿論ただの雷ではなく、水の中ならある程度指向性を持たせて流す事のできる特別な雷だ。それを使って涯へと雷を流す。体が機械で出来ているなら、雷には弱いと思ったのだ。
雷は確かに涯の足から全身へと流れた。けれどヘルトが望むような結果は得られなかった。足から流れた雷は涯の手へと集まっていき、彼はそれをヘルトに向かって放出してきたのだ。ヘルトはその雷を剣で受け止めながら、内心で歯噛みしていた。
魔術による攻撃は通らない。近接戦闘はパターンを分析されているせいで掠りもしない。一発入れれば勝てる有利な立場のはずなのに、決定打になるその一発がどうしても入らない。制限時間のある中で、それは体力以上に精神力を摩耗させていく。
(―――だったら!!)
『ウリエル』の一斉砲火まで数分しかない状況で、相性の悪い涯の相手をしている暇はない。
今一度集束魔力砲を撃つために、ヘルトの剣が黄金の輝きを放つ。涯に邪魔をされる前に剣を振るい、天に向かって『ただその理想を叶えるために』を撃つ。
ただ涯はヘルトのその行動も予測していたのか、集束魔力砲の射線に飛んで先程と同じように受け止め、ヘルトに撃ち返してきた。ヘルトも先程と同じように魔力障壁と剣で弾く。
「ぼくの邪魔をするな、天童涯!!」
「そっちこそ、俺の正義の邪魔をするな、ヘルト・ハイラント!!」
互いに互いの目的のために吠える。
時間は涯の味方だ。『ウリエル』を狙った集束魔力砲が吸収されてしまうなら、やはり涯を先に倒すしかない。
あるいはアーサー・レンフィールドなら何とかして隙を作るか、涯と一旦距離を離すという選択肢も検討したのだろうが、なまじ一撃で敵を屠り続けてきたせいか戦闘用の頭にはなっていないヘルトではその考えに至らない。
「その正義のために、本当の善人が死んでも良いのか!?」
「大勢の利益のためなら正しくても少数は切り捨てても良いと、そう教えてくれたのはヤツらの方だ!! それに功利主義者が今更何を言ってるんだ!?」
「ああ、そうだ。ぼくは多くのためなら少数を切り捨てる。でも、本当は誰も見捨てたくなんてないんだ! ずっと昔に言っただろう!? ぼくは神様になりたかった。この不完全な世界を完全なものにしたかった!!」
涯が着地する直前を狙って地面を蹴って接近しながら斬りかかる。だが上段から斬りかかったヘルトの手首を、剣が振り下ろされる前に涯は掴んで止めた。腕の骨をへし折ろうとしているのか、掴まれた部分に鈍痛が走る。
「でも、きみの計画は完全じゃない。まだ不完全から脱出できていない。人が人である限り、どう足掻いても不完全なままなんだ。その不完全さが、人間である一番の証なんだとぼくは思う」
「……ふざけるな、そんな戯言を俺に信じろと!? 出る杭は引っこ抜くしかないんだよ。俺達がそうされたように、集団にとって要らない人間はこの世界から消すのが一番確実で手っ取り早いんだ!!」
至近で睨み合いながら互いに叫ぶ。
その表情は怒っているようで、どこか泣いているようにも見えた。
「……まさか、きみがそんな事を言うなんて……。それじゃぼくらを殺した人達と同じじゃないか。やられた事をやり返すだけじゃ、誰も救われないぞ!」
「だったらお前はどうするんだ!?」
「ぼくなら……そうだね、ぶっ叩くかな。基本的には出る杭を尊重して手を出さない方向で行くけど、それでも見過ごせない出る杭はぶっ叩く。殺す以外に仕方が無いのならともかく、ぼくらと同じ境遇にいる人達は絶対に排除なんてしない。物凄く自分本位だろうけど」
同時に後ろに飛ぶ。再び二人の間に距離が生まれる。
「……きみは正しいよ。ぼくも自分自身を正しいと思う。でも昔、まだあっちの世界で生きていた頃に言われた事があるんだ。『君の言っている事はいつも正しいけど、そこには人の心が含まれていない』って。ぼくらが求めて辿り着いた完全さは、きっとありふれた人間にとっては間違いでしかなかったんだよ」
「……正しすぎるのは間違いだっていうのか」
「多分ね。人間が作って、ぼくらが信じたルールは人間にとっての正しさなのかもしれないけど、人間はそのルールほど正しい生き物じゃないから。だから多分、これを言ったら敗けになってしまうのかもしれないけど」
人は自分の間違いを認めようとはしない。それは自分が正しいと信じているからだ、信じていた方が楽だからだ。
世界中にいる人間の誰もが、自分が一番正しいと思っている。
でも、その本質は全ての人間が間違えているのだ。
全ての人間が間違えているから、全ての人間が自分が正しいと信じている。きっと世界はそんな簡単な間違いで出来ているのだ。
「多くの人にとってはさ……きっと、間違える事の方が正しいんだ。心を痛めずに平気な顔で他人を利用して切り捨てて、いつも自分の利益だけを考えて他人を踏み台にして生き続けて、それが不完全な生き物である人間にとっての正しさなんだよ。悲しい事にね、ぼくらはずっと間違い続けてたんだ」
「……そんな都合に納得しろと?」
「納得するしかない。少数が切り捨てられるのが世の常だ。ぼくらが掲げていた功利主義が、ぼくらに刃を向ける事もあるっていう当たり前の事だったんだ」
少年たちは信じたものに殺された。
齢二〇にも満たない少年が認めるには、あまりにも残酷な真実。
だけど、ヘルト・ハイラントはそれを認めた。自身にナイフを突きつけるような真似だが、どこか人間離れしているからこそ彼にはそれができたのかもしれない。
「……ぼくらはもう死んだ。理想を貫いて、その挙句に殺されるのが答えだったんだ。ぼくらの道は、もう終わってる。この世界の未来にぼく達の想いは必要ない」
ヘルト・ハイラントにはもう分かっていた。
信じたものには裏切られる。
助けたはずの人には殺される。
助けても感謝をされず憎まれるだけ。
正しさは悪に塗り替えられた。
世界の誰にも必要とされない。
命を賭したものが無意味だと思い知らされる。
それでも、信じられるものはいつだってある。それは気づいていないだけで、いつもすぐ傍にあったのだと。
「……認めない」
けれど、天童涯にも分かっていた。
もしも、仮に、万が一この世界に信じられるものあったとしても、それは必ず自分を裏切ると。
こちらが信じた分だけ、裏切られた時に心に空く穴も大きくなると。
それならいっそ、最初から誰も信じずに独りで生きていた方がずっと楽だと。
そして自分みたいな人間が生まれないような、誰もが安心して暮らせる完璧で平和な世界を作る事が自分の務めだと。
涯は機械仕掛けの体を動かして、大切な者を守ろうとする少年の前に立ち塞がる。
「何も終わってない。俺がこの世界に生きている限り」
「終わってるんだよ。ぼくらがあの世界で死んだ時に」
それに応じるように、ヘルトは剣を構えて世界の平和を望む少年に立ち向かう。
この世界に来てから何度も誰かと戦ってきた。その度に暴力を使って解決してきたが、それに引け目を感じる事はなかった。
それなのに、今回の戦いだけは別だった。
それはきっと、知り合いだからというだけではない。
『自由』と『平和』。共存できないその信念をぶつけ合っているから苦しいのではない。
その理由は、確認するまでもなく明白だった。
……そして。
それはきっと、向こうも分かっているはずだった。