198 孤独な少年の葛藤
集束魔力砲は『反魔力障壁』によって防がれた。むしろ跳ね返って来た衝撃がヘルトの体を窓の外へと吹き飛ばした。
夜の空を舞いながら、ヘルトの心は折れそうになっていた。
威勢よく涯には啖呵を切ったのは良いが、正直頭の中はぐちゃぐちゃだった。
(……もう、訳が分からないよ)
ざっと五〇メートル以上の高さから受け身も取らずに背中から落ちたが、ヘルトの体には傷一つ付いていなかった。人の多い場所に落ちたら色々と厄介だったが、運良く立ち並ぶビルの隙間に生まれた空間に落ちたらしく、そこは街灯らしい明かりもない真っ暗な場所だった。路地裏のさらに深い場所で、誰にも見られないその場所で深い溜め息をつく。
目的は決まっている。『パラサイト計画』を潰す事だ。けれどそこへ至るための手段を考えようとすると思考が止まってしまう。
そもそも自分は本当に『パラサイト計画』を潰したいのか?
心のどこかでは、涯の計画に協力したいと思っていないか?
長期的な目で見れば、『パラサイト計画』は多くの人を幸せにする。自由とプライバシーを代償にして、悪は根絶される。痛みと恐怖の無い理想郷。それは自分と涯が目指していたものではなかったのか?
「……ああ、本当に、きみは変わらないなあ……」
いつの間にか口調は戻っていた。いや、正確には戻っていたのがまたこっちになってしまった、というのが正しいのだろうか。睦月陽羽と水無月紗世に襲われた時に大きくなっていた過去への怒りと殺意はいつもと同じように一旦しぼみ、体にはまったく力が入らなくなっていた。
「……きみはぼくと違って、昔からずっと、顔も知らない人のためだけに動いているんだろうなぁ……」
彼をそうしてしまったのが誰か、その答えは分かっている。
彼を自分と同じ生き方をさせてしまったのは、自分だと分かっている。
だからこそ、彼の正しさを完全に否定する事はできなかった。
見上げる空に星は見えない。それがまるで自分の心を映しているようで、より一層億劫とした気分になってくる。
そんな風に感傷的になっているのがいけなかった。
いつの間にか、こちらに近づいて来る人の気配に気づくのが遅れた。
けれどもう、どうでも良かった。それが新たな『魔造』であれ『W.A.N.D.』の追手であれ、自分の敵では無かったからだ。最悪、邪魔なら睦月陽羽のように殺してしまえば良いのだから。
(そして、その次は……)
涯とは別の顔も名前も知らない誰かのために、そしておそらく悪として認定されてしまう可能性の高い嘉恋を筆頭にした少女達のために『パラサイト計画』を潰し、その後は……。
(……今度こそ独りで生きていこう。彼女達は陰から支えて、涯の代わりに世界を守れば良い。それこそ、悪党らしく……)
ザッ、とついに間近に足音が響いた。
ヘルトはまず上半身を起こして立ち上がろうとした。
「……こんな所にいたんですね、ヘルトさん」
だが、その声を聞いてヘルトの動きが止まった。
だってその声は、ここにいてはいけない人物のものだったから。
「凛祢……どうしてここに……」
「それはこちらの台詞ですよ。急に空から落ちてきてビックリしました。ここ、宿を取った近くなんですよ?」
凛祢は微笑を浮かべながら言う。
ヘルトは狙った訳じゃないとはいえ、内心で歯噛みする。今しがた今後の関係を断ち切ろうと思っていた相手に警戒心の無い笑みを浮かべられてしまうと、どうしても心が疼いてしまう。
「あっ、ほんとうにいました」
凛祢の来た方からアウロラと嘉恋の姿も見えた。特に嘉恋とは最後のやり取りがアレなだけに目を合わせずらく、意図的に逸らす。
「ワタシ達、ヘルトさんを探していたんですよ?」
「……探してたって、何故? 今までだってよくあったはずだ」
「いえ……急に現れた紗世ちゃんから色々聞いたんです。……陽羽さんを、殺したんですよね……?」
「……ッ!?」
ビクッ、と思わず体が震えた。
慣れた事のはずなのに、彼女にその事を糾弾されると思うと逃げ出したくなった。
「あっ、誤解しないで下さい。別にその事でヘルトさんを責めようとは思っていないんです。椎ちゃんの時みたいに、きっと何かの事情があったって分かってますから」
「一応補足しておくが、凛祢の言っている事は本心だ。今日もずっと少年の心配ばかりしていたんだからね」
彼女の後ろから嘉恋が前に出てきて口を挟む。彼女はヘルトを気遣って言ったのだろうが、その気遣いがさらに深くヘルトの心を抉った。出会った当初の凛祢なら、家族を殺した相手を許すはずがなかったからだ。
涯にせよ凛祢にせよ、関わった人を不幸にしかしていない気がしてくる。かといって自分が幸福になれる訳ではなく、自分すらも切り捨てて不幸にしている。
まるで爆弾だ。それならいっそ、死んでしまった方が世の為になるのかもしれない。もしかしたら『パラサイト計画』で最も早く裁かれるのは自分なのかもしれないと、何となくだが感じ取った。
「それから少年。私とは色々あって気まずいだろうが、あの時は父さんの件で動揺していたんだ。謝罪するよ。君も気にしないでくれ、私達は仲間なんだしさ」
「……っ」
「はい、なので教えて下さい。昨日からヘルトさんが何に関わっているのか。今も苦しそうな顔で、一体何を追っているのか。教えてくれれば協力できます。だから……」
「うるさい」
低く、唸るような声でヘルトは呟いた。
その声が冷たすぎて、凛祢は言葉を切って体を震わせた。
「……ぼくときみ達が仲間だって? はっ、笑わせないでくれよ」
いい加減な調子で吐き捨てるようにヘルトは言った。けれどその表情は怒っているような、あるいは今にも泣き出しそうな、そんな複雑なものだった。