197 並び立っていたはずの二人
ヘルト・ハイラントが『W.A.N.D.』の本部付近に戻って来たのは、すっかり日が暮れてからだった。ここまで遅くなった理由は大した事ではない。いつもと同じように、受信した助けを求める声の主を助けに行っていただけだ。
抜かりはなく、遺恨もなく、あなたを助けていたからこっちの問題を解決できませんでした、などと言い訳にしないために彼はノンストップで動き続ける。
次に目指す場所は長官室。本部のビルから少し離れた所で大地が割れるほどの力で跳躍し、一直線にビルの外壁に向かう。今日の夜の天気が厚い雲に覆われた曇りだった事も幸いしてか、その姿が見つかる事はなかった。大体二〇階辺りまで飛んで来たヘルトはぶつかる直前に四本の集束魔力の尾を出して外壁に突き刺し、体を支える。
そこから先は簡単な作業だった。尾を抜いたり刺したりを繰り返して上に登っていく。傷ついたビルが一人でに修復されていくのは異常な光景で気になったが、今の問題はそこではないので無視する。
長官室が何階にあるのかは分からないし、外側からだと曇っているガラスのせいで中の様子は伺えない。けれどおそらく涯もやっていたように魔力感知を使って構造を把握し、見えずとも感じ取る事で中の様子を窺う。
目的の階に来ると下の景色は遠いものになっていた。涯が貫通させたガラスを、ヘルトは小細工を使わずに右手で分解する。破壊しなくても無くなるだけで感知するのか、けたたましい警報音が鳴り響くが問題は無い。誰かが来る前に全てを片付けてしまえば良いし、仮に間に合わなかった所で敵はいない。
(……ま、本当に邪魔なら殺してしまえば良いだけだし)
僅かに危険な思考のまま一日ぶりの長官室に入り込む。國帯がいない今、誰もいないはずの長官室。けれど彼を出迎えたのは軽い拍手の音だった。
「昨日ぶりだな」
「……っ」
突然放たれた言葉に魔力感知を最大で使う。けれどこのフロアに人の魔力は感じられない。声の感じからしてスピーカーを通しているという訳でもなさそうだ。
しかし肉眼は捉えていた。昨日自分が座っていたソファーに腰掛ける、見覚えのある人物を。
「……涯」
「ご名答」
「どうしておまえがここにいる」
「口調が変わったな。いや、戻ったというべきか。わざわざ『魔造』を差し向けた価値はあったな」
「質問に答えろ」
痺れを切らしたヘルトは四本の尾を涯に飛ばした。が、彼に当たる直前で見えないシールドに攻撃は阻まれた。
「『スコーピオン帝国』製の『反魔力障壁』だ。そこから俺に攻撃はできない。ちなみに魔力感知に引っ掛からないのはこの『ディテクションオフ』の恩恵だ。こちらも『スコーピオン帝国』で希少品だぞ?」
「どうでも良い。もう一度だけ言うぞ。質問に、答えろ」
逸るヘルトに嘆息して、涯はソファから立ち上がってシールドのあるギリギリの所まで近づいてから答える。
「俺はずっとここにいた。お前が来るずっと前から『W.A.N.D.』の長官の座を狙い、昨日國帯を殺してこの座に就いたんだ」
「なるほど。で、パラサイトのアルゴリズムっていうのは何だ? おまえなら知っているんじゃないのか」
「パラサイトのアルゴリズムは『パラサイト計画』に必要な最後のピースだ」
「『パラサイト計画』?」
すっと眉を潜めたヘルトに涯は悲しげな表情を浮かべながらもどこか楽しそうに、
「覚えているだろ? 俺達の世界では正しい者が罰せられ、卑怯なチンピラ風情が甘い蜜をすするように出来ていた」
「……」
「ではその原因はなんだ? 色々あるだろうが、一番大きい原因は世の中に死角が多すぎるという事だ。全ての悪意と悪事を俺達が背負わされて殺されたのは、その瞬間を誰も目撃していなかったり、証言の時に口裏を合わせていたからだ」
「……」
「だったら全てを明らかにしてしまえば良い。街中に溢れる監視カメラや携帯端末、体内に埋め込まれたマイクロチップを通じて個人の詳細を数値化し、価値ある人間は生かし、不穏な思想を持つ因子は排除する事で世界を平和にする。それが『パラサイト計画』だ」
「……」
長く沈黙して話を聞いていたヘルトは、彼の言葉を噛みしめてゆっくりと口を開き、軽く息を吸ってから言葉を発する。
「……つまり、全人類に銃口を突きつけて平和をもたらすっていうのか? そんなの恐怖による圧制と何が違う!?」
「俺達だけの話じゃない。例えばお前の連れにいる『魔造』の卯月凛祢。あれも酷い目にあっていたそうだが、そういった目に遭ってる人間を事件に遭う前に助けられるんだぞ? 何が悪い」
「悪いがぼくはそんな甘い誘惑に負けるほど馬鹿じゃないぞ。それから凛祢を引き合いに出すな。うっかりおまえを殺しかねない」
「それでも俺は助ける。俺達や『魔造』のような間違いが起きないように、正しく生きている人達の全てをな」
ヘルトの中では葛藤があった。
涯の言っている事は、正しい。それは分かっている。けれど凛祢や嘉恋、アウロラの顔が浮かぶとどうしても協力しようとは思えなかった。
涯は疲れたように息を吐く。
「話せば理解してくれると思っていたが、どうやら平行線らしいな。俺はお前となら、ずっと一緒に並び立てると思っていたんだが」
「……ああ、確かにおまえは正しいんだろう。でも『パラサイト計画』はおれの大切な人達に危害が及ぶ。それだけは許容できない」
「……本当に変わったな、お前。昔は功利主義の化け物で自分の肉を切って周りに配っていた仲だというのに」
「おれは今だって功利主義者だよ。ただ守りたいものが増えただけで」
「それが変わったって言うんだよ。前はそんなもの、一つも無かったっていうのに。……まあ、本来なら喜ぶべきなんだろうな」
「おれだって、本来ならおまえに協力するべきだった」
胸が裂けるような痛みがあった。もうこれ以上、涯と話していたくなかった。
こちらの考えが伝わっていたのか、あるいは向こうも同じ気持ちだったのか、涯の方も話を切り上げようとする。
「俺達の道は、いつから違えたんだろうな」
「会わなかった一年間だろうね」
「一年、か……。俺にとってはもう三年も前の話だ」
ヘルトは鋼色の剣を手に取る。その刀身はすでに黄金の輝きを放っていた。
「おれはおれの護りたいものを護る。そのために『パラサイト計画』を潰す」
「ああ、だったらお前は俺の敵だ。俺は正しい人達を救うためにお前を殺す」
直後、『ポラリス王国』の夜の空に黄金の輝きが広がる。その衝撃はあらゆる方向へと撒き散らされていく。
そして、まるで二人の交渉が決裂した事を示すように。
空を覆っていた厚い雲が、高いビルのはるか上空で真っ二つに割れていた。
ありがとうございます。
次回は行間を挟み、その後は198話から200話を連続で投稿しようと思っています。