195 最初に描いた人助けの形
睦月陽羽。
それは一月の名を関する『魔造の一二ヶ月計画』で生まれた子供の一人。ヘルトが卯月凛祢を助ける際に、手が届かなかった少女の一人。
「答えてくれ、睦月陽羽!!」
「……彼に言われたの。アナタを苦しめるなら、これが一番良いと」
集束魔力砲の光が晴れる。『W.A.N.D.』の追手は全て倒されており、代わりに一人の少女が立っていた。
肩甲骨辺りまで伸びる少し癖のある白髪に、今は深紅色に輝いている瞳。そして普通の人間には無い四本の尾が生えている。ただし血肉で作られている訳でなく、魔力で作られているのだろう。それぞれが五メートルほどあり、黒く不気味に蠢いている。
「水無月紗世……」
もう一人の『魔造の一二ヶ月計画』で生まれた子供。彼女は集束魔力を砲撃や魔力弾、剣の形などではなく流動する筋肉として形成できる唯一の子供だった。彼女の尾は魔力で形成されているので、ヘルトが右手で消し飛ばす事もできず、冥納の物体透過も通じない。打つ手がない訳ではないが、かなり相性の悪い相手だった。
(……彼、って言ったか)
何の確証もないが、何となく睦月陽羽の言う彼というのが誰なのか分かった。
(つまりはお前の差し金なんだろう? 涯)
おそらく元の世界と今の世界を合わせて、涯はヘルトの事を最も理解している。追って来いと言いながら妨害する気は満々のようだ。だからこそヘルトに対して一番効果的な手を打って来たのだ。
『プレゼントは喜んでくれたか?』
ようく聞き覚えのある声がどこからか聞こえて来た。音のした方を向くと『W.A.N.D.』のパワードスーツの残骸から流れて来ていた。
「……涯。どうしてきみが『W.A.N.D.』の通信から声を発している?」
『お前が気にするのはそこじゃないだろう? お前に恨みを持つ、お前の大切な人の友人がそこにいるんだ。何か言う事があるんじゃないか?』
「……」
こいつは全てを知っている、と悟ったヘルトは目を細めた。
『この場合はヘルト・ハイラントと呼んだ方が良いな? お前はこの世界に来て大切と思える人を見つけた。特に親しい人物の名前を挙げるなら卯月凛祢、柊木嘉恋、アウロラの三人だ。お前は彼女達を悲しませるような事は絶対に許せないんだろう?』
「……」
『それと同時にお前は前の世界の信念も引き継いでいる。名前も知らない誰かを助けようとする。普段は功利主義のお前も、その時だけは他の全てより救済対象を優先する。何をどれだけ失おうとそれだけは変わらない、お前に染みついた性分だ』
「……」
『ならその二つを天秤に掛けられたら? そこの二人はお前に恨みを持って殺すつもりだ。お前を殺害したら次にお前の大切な人を殺すようにも命じてある、つまりそこの二人にとっても大切な卯月凛祢以外は殺される。だが一日に三回受信する事もある高性能な魔術のおかげで、今頃頭には「たすけて」と声が響いているんじゃないか?』
「……」
『さあ、ヘルト・ハイラント。お前はどの道を選ぶんだろうな』
そこまで聞き終わって、ヘルトは一度重い溜め息をついてから。
「悪趣味め」
『昔より弱くなったとはいえ、お前にだけには邪魔をされる訳にはいかないんだ。ま、せいぜい楽しんでくれ』
通信はそこで切れた。残されたのは三人、うち二人は残りの一人を殺すために立っている状況。
(……パラサイトのアルゴリズム、『魔造の一二ヶ月計画』、そして涯。どういう理屈かは知らないけど、ぼくを取り巻く環境が一本に繋がった)
ヘルトにとって、目の前の二人は脅威足りえない。二匹程度のアリが立ち向かった所でゾウには勝てないように、それは揺るがない事実だ。だからこそ思考はこの出来過ぎた状況が誰にセッティングされたのかを特定するために使う。
(どこからお膳立てされていた……? 『魔造の一二ヶ月計画』はぼくがこの世界に来て初めて関わった事件だ。そこから涯が関わっていたなら、全てが彼の手のひらの上だった? 死期のズレを考えるならたかだか一年程度の違いで? 用意が周到すぎる……いや、そもそもズレが一年という認識が根本から間違っているのか……)
頭に手を当てて、より深く考える。
そもそも当たり前になっているこの世界への移住。けれど、その最初は誰の手によって実現された? 死んだはずの自分や涯が、どうして別の世界で生きている?
(……『何か』か)
くしゃり、と髪を巻き込んで拳を握る。最初から全て『何か』の掌の上だと思うと、頭がおかしくなりそうになってくる。
とはいえ全てが仕組まれていたという訳でも無いらしい。特に彼女達、『魔造の一二ヶ月計画』が自分に恨みを向けて来ている理由くらいは分かっていた。そして、そのツケを払う日が来る事も分かっていた。それが今日だったというだけの話だ。
目の前にいる睦月陽羽、水無月紗世だけでなく、事情を知っている凛祢と当事者だった二人以外の九人には恨まれても仕方がないと思っている。別に凛祢のように事情を説明して誤解を解く必要性も感じない。
「つまりはぼくが殺した師走椎の復讐って訳だ」
ヘルトの確認の声に、凛祢と同じように『魔族堕ち』特有の深紅色の瞳で睨みながら、睦月陽羽は歯軋りと共に声を絞り出す。
「分かっているなら話は早い。殺す前に聞いてやる、どうして椎を殺した!?」
「きみ達全員に……いや、本音を言うなら凛祢に必要な事だったからだ」
「……遺言はそれだけですか?」
そう呟いたこちらも深紅色の瞳の少女、水無月紗世の確認にヘルトは、
「殺したのは否定しない。どんな言葉を並べても無意味だ」
無表情で言い切った。けれどヘルトは心の中でこの状況への打開策を探していた。
流石はこちらの事情も思考も何もかも理解している涯だった。どう足掻いても逃げ道が無いようにセッティングされている。
(……まったく、ふざけるのも大概にしてくれよ)
ヘルトの葛藤などお構いなしに睦月陽羽が前、水無月紗世が後ろの陣形を取っており、二人一組で向かって来る。おそらくヘルトでも対処の難しい水無月紗世の尾が剣。魔術や魔法を触れただけで無力化する睦月陽羽が盾の役割を担っているのだろう。やりずらい事この上ない。
いや、それ以前の問題だった。
大前提として、ヘルトは凛祢の事を考えると二人を傷つける事ができない。だから攻撃を躱す事はできても反撃する事ができない。二人の能力以前の問題だった。
集束魔力で作られた四本の尾が迫る。
叩きつけるように振り下ろされる一本目を横にズレて躱す。
斬りかかるように斜めから来る二本目を屈んでやり過ごす。
横薙ぎに振るわれた三本目を飛んで避ける。
空中で動けない体の中心に突き刺すように来た四本目を腹に魔力を集中させて受け止める。
完璧に避けられなくとも、尾と同じように魔力を集めれば無傷で受け止められた。水無月紗世の尾は一本一本が集束魔力の塊だが、砲撃で放つようにムラが多い。尾の全てが集束魔力砲と同等の威力を持っている訳ではないので、規格外の魔力を持つヘルトならただ魔力を集中させただけで受け止められるのだ。
向こうもヘルトに攻撃が通じないのは分かっているだろう。
けれど、彼女達の目的はそこではない。確かにヘルトを打倒する事も目的だろうが、これはヘルトの心を折るための戦いでもある。そのためにわざわざヘルトを逃れられない袋小路に追いやったのだ。
絶え間なく振るわれる尾を完璧に退けながら、それでもヘルトの顔はどんどん悪くなっていた。こうしている今も、受信した助けを求める声の主には命の危険が迫っているかもしれないのだ。魔力があってもどうしようもない。時間は彼女達の味方だ。針が一秒を刻む事にヘルトの精神を削っていく。
(……つまり、そういう事か……)
誰の死もなくこの状況を切り抜ける事はできない。
取れる選択肢は限られている。
顔も名前も知らない誰かを見捨てて、彼女達の体力が尽きるまで戦い続けるか。
確実な安心を得るために、凛祢を悲しませると知って友人である彼女達を殺すか。
あるいは全てを投げうって逃げ出し、大切な人や何の関係もない人達が殺されるのを黙って傍観するか。
(……くそっ。もう、選ぶしかないのか……)
そして彼は決断した。
理性を凌駕する感情を完全に押し殺す。
この世界に来て、ようやく手に入れた人間にとって大切であろう感情を、今度はドス黒い理性で穢していく。
そして自分に言い聞かせるように、心の内で叫ぶ。
信条を思い出せ。
お前は最初に、どういう人助けをすると決めた!!
「……っ!!」
それを自覚した瞬間、ヘルトの体は自動的に動いていた。
虚空に手を伸ばす。
何もない空間から、一振りの剣を取り出す。
そして、直後に彼らは交差した。
一瞬の接触が終わり、ヘルトの眉の上辺りに切り傷が刻まれる。そこから血が流れて目に入る。傷口は大した事はないが、目に血が入った事で視界が赤く染まって見えなくなっていく。
ヘルト・ハイラントが初めて負う傷。
けれど、その偉業の代償は大きかった。
『何か』に授けられたヘルトの鋼色の剣。これには全てを切断する力が備わっているが、魔力に依存する性能ではない『この世界には無い力』だ。睦月陽羽の魔力キャンセルは通用しない。
故に。
ずるり、と睦月陽羽の体が不自然にズレた。
上半身と下半身のズレは次第に大きくなり、やがて下半身から離れて上半身は地面に落ちた。それに合わせて下半身も倒れる。
「……最初は、どう思われたって良かったんだ。ただ自分勝手に助けた凛祢のその後を幸せにしてやれるなら、それで」
今し方、斬り捨てた誰かの血が滴る剣の柄を強く握り締めながら、ヘルトはポツリと呟いた。
「だけど楽しかったんだ。一緒にいるのが当たり前になっていて、幸せで、臆病になっていた」
水無月紗世の目が二つに分かれた睦月陽羽からヘルトに移る。その目にはヘルトが毎朝鏡の前で見るものと同じ、憎悪の色が滲んでいた。
「認めるよ。ぼくは弱くなってた。そして感謝するよ涯。きみのおかげでぼくは本来のぼくを思い出せた」
盾を失った剣が、感情に任せて四本を一本に束ねた尾で斬るようにヘルトに振るう。ヘルトはその方向を見ようともせず、どこか遠くを見ているような態度のまま迫りくる尾を同じ尾で受け止める。
水無月紗世は驚愕の表情を浮かべていた。けれどヘルトの方は坦々と喋り続ける。
「全てを敵に回しても全てを救う。……ずっと前に、そう決めたんだった」
尾を受け止めた新たな尾。それはヘルトの腰の下辺りから伸びていた。水無月紗世と全く同じ、いやもっと暗い色の尾が生えていた。
四本の新たな武器を携えて、ヘルトは心底つまらなさそうに呟く。
「……ぼくは決して、善い人間じゃない」
そうだ。
何を勘違いしていた。
例えばリンク・ユスティーツ。聞いた話でしか知らないが、世界を救おうとした彼は間違いなく『正義』だったのだろう。
あるいはアーサー・レンフィールド。彼は魔王の娘と知りながら、それを殺そうとする者から当たり前のように身を挺して守ろうとするヒーローだった。
けれどヘルト・ハイラントに与えられた銘は『英雄』だ。決して『正義』ではない。そこを間違えてはいけなかった。
「……そうだ、忘れちゃいけなかった。ぼくは『正義』ではない、『悪』の側の人間だったんだ」
けれどその事に引け目は感じない。
血塗られた手で誰かを助けてはならないと誰が決めた?
『悪』としての性分を変えられないのなら、それが誇れるほどの『悪』になれば良い。他の『正義』も『悪』も関係無くなるほど、この強さを示し続ければ良い。
悪いのか?
血に塗れた手で誰かを救いたいと願う事が間違っているというのか?
答えは出ない。
誰もその答えを知らない。
だがそれでも良い、とヘルトは思う。
その行いが悪だろうと間違っていようとどうでも良いとヘルトは吐き捨てる。
元々、二つの道を同時に歩けるほど器用な人間ではない。だったら一つの事を貫き通すしかない。
悪党という性根が変えられないなら、どこまでも悪党に。後ろめたさを持つのではなく、むしろ胸を張って誇れるくらいの『巨悪』になればいい。
「……覚悟しろ、クソッたれ共」
眉の上の傷口に手の甲を当て、擦りながら手を払って流れる血を拭う。そして血の付いた手を自分の頭の横に力強く押し当てる。
「ここから先は、通行止めだ」
ボギンッッッ!!!!!! と。金属棒を無理矢理折ったような音がヘルトの首から響いた。
スイッチが切り替わるようだった。
血のせいでまるで『魔族堕ち』のように赤くなった片目を立ち塞がる障害に向けて、彼は冷たい声で宣言する。
「おれが全部まとめて叩き潰してやる……ッ!!」