194 孤独の戦いを始めよう
結局ヘルトは一晩中、凛祢とアウロラの待つ宿にも、嘉恋の元にも行かなかった。絶えずマナフォンが鳴っていたが、途中で分解したのでそれ以降は誰からの干渉も無い。
空になった瓶の傍、路地裏でずっとうずくまっていたヘルトは首に手を添えて傾ける。ゴキン、という鈍い音と共に、少年は再起動するように顔を上げた。
「……さて、まずはパソコンだ」
とはいえわざわざ探しに行くような真似はしない。ヘルトはこういう時のためにあらかじめ色々なものを右手で分解しておいたのだ。だから今、左手の力を使ってその中の一つとしてノートパソコンを再構築する。
次に最も重要なUSBを再構築して手に握る。ここで一番怖いのは、これを閲覧した途端に自分の居場所がバレる事だ。その可能性を考慮して凛祢達と合流しなかった訳だが、もし閲覧途中に襲われでもしたらゆっくり情報を吟味する暇も無い。
(……まあ、もし襲われたら襲われたらで、全て倒してからゆっくり閲覧すれば良いんだけど)
よくよく考えて別に躊躇する理由も無くなると、立ち上がったパソコンにUSBを差し込む。
しばしの読み込み時間を終えて、画面に表示されたのは想像通りの山ほどの情報……ではなく、パスワードを打ち込む入力欄だった。
(……そりゃそうか。にしても、ぼくじゃ閲覧できないこれを渡して、國帯さんは一体何を頼もうとしていたんだ……)
一つの組織の長官が自ら持っているような重要なデータなのだ。パソコンに差し込んだくらいで誰でも閲覧できる訳がない。とはいえ今のヘルトにとっては大きな障害だった。
(アルファベット込みの文字制限無しのパスワード……。嘉恋さんがいればあっという間に分かるんだろうけど、ぼくにそんな技術は無い。このデータを閲覧しなきゃいけない期限が分からないし、一から学ぶのは建設的じゃない)
そこまで確認して、ヘルトはパソコンとUSBを分解して立ち上がる。やはりUSBで居場所を知られたのだろう。試しにソナー型の魔力感知を使ったら何かが引っ掛かった。
敵に襲われるよりも前に、ヘルトは自ら路地裏の外へと出る。
すでに周辺を囲まれていた。銃を持って武装した人達やパワードスーツがどこを見ても視界に移るくらいぐるっと配置されていた。
『ヘルト・ハイラントだな!』
どこかのパワードスーツから声が飛んでくる。
「あなた達は?」
『「W.A.N.D.」だ! 貴様には長官殺害の容疑がかかっている。射殺許可も出ている、大人しく投降しろ!!』
(殺害容疑……? というか『W.A.N.D.』がどうしてぼくを?)
確かに最後まで國帯といたのはヘルトだ。けれどそれだけで殺害容疑をかけられてはたまらない。というかヘルトが殺人をするなら死体が残らないように右手で分解する。つまりまったく心当たりがない。
(今まで色々といわれのない罪を背負って来たけど、流石に殺害容疑は初めてだな。こういうのは人生の終わりに来ると思ってたんだけど……)
正直『W.A.N.D.』と争っている場合ではないので、さっさとUSBのパスワードの問題へと着手したいのだが、まあすんなりと通してくれはしないだろう。
(……とはいえ、やっぱり手っ取り早いのは長官室に行く事なんだろうなあ……)
そう考えるとここで『W.A.N.D.』と会えたのは、逆に言えば僥倖だったのかもしれない。おかげで停滞していた思考にアイディアが下りて来た。外壁を昇って冥納の物体透過能力でガラスを通り抜ければそれで問題の半分は解決だ。
とりあえず目の前の敵を無力化しようと、手首の関節をゴキンと鳴らした時だった。
『誰かたすけて!!』
「……っ!!」
最悪のタイミングで、助けを求める声を受信する魔術が発動した。
(こんな時に……ッ!!)
とはいえ当然無視できるものではない。声を受信した方角は『W.A.N.D.』の本部がある方とは逆の方角、そちらにも当然包囲網は展開されている。
「……悪いけど、時間が無くなった」
虚空から鋼色の直剣を取り出す。いや、それはすでに鋼色ではなく金色に光り輝いていた。
「死んでも良いならかかって来い。もし少しでも恐怖心があるのなら、お願いだからそこを退いてくれ」
警告はした。それでも退かない者には躊躇しない。
ヘルトはすぐに剣を振るう。そこから絶対的な破壊をもたらす集束魔力砲が放たれる。その莫大な閃光の中をヘルトは走る。誰にも侵入を許さない不可侵のトンネルの中を、発信地に向かって一直線に。
けれど頭上、この中へと侵入してこちらに剣を振り下ろして来る影があった。ヘルトはその事に驚きながら、剣を横向きに突き出して振り下ろされる剣を受け止める。
(これは『対魔族殲滅鎧装』か!?)
鎧の形状は前に見た時よりもスリムになっていて動きが軽やかになっていたが、集束魔力砲の魔力が鎧の表面で吸収されているのが確認できた。あそこにあった全てでは無いだろうが、たった一人の人間を殺すためだけにここまでの兵器を持ち出して来た事に本気度が伺えた。
(けど、これに対する対応策はもうあるぞ!!)
剣を弾いて強制的に距離を開け、再び剣を振るうために腕を体に巻き付けるように構えながら呟く。
「『魔の力を以て世界の法を覆す』」
距離の概念を消失させるヘルトの魔法。それを使ってから剣を横薙ぎに振るい、魔力吸収のフィルターの内側から全てを斬り裂く斬撃を繰り出す。
前はこれで『対魔族殲滅鎧装』を破壊できたのだが、今回は何故か上手くいかなかった。
確かに鎧を砕く事はできた。
それなのに。
(魔法の効力が破壊された!?)
珍しく、ヘルトの顔が驚愕に染まった。
鎧を破壊できたという事は『対魔族殲滅鎧装』によるものではない。となれば考えられるのは鎧の下にも何かを着ていたのか、中にいる人物が特殊かのどちらかだ。ヘルトは後者の方の理由に絞り、再び魔法を使って今度は顔の部分を狙って剣を振るう。
今度も魔法を破壊され、頭部に剣は届かなかった。けれど目的の鎧の頭部分を破壊する事はできた。
「……ぁ?」
あらわになった顔。
その顔は見覚えがあるものだった。
「……冗談、じゃないぞ……」
昨日からおかしな事ばかりで頭がおかしくなりそうになる。
どうして、ここまで、知っている顔ばかりが襲って来るのか。
「何故ここできみが出てくる、睦月陽羽!!」