193 誰といても孤独なまま
涯を追うのを止めたヘルトは『W.A.N.D.』の本部へと帰って来ていた。とりあえず自分がいなくなってから何があったのかを知るために受付に向かう。表面上は赤の他人の自分に簡単に教えてくれるとは思っていなかったが、先程のやり取りを見ていたのかすんなりと教えてくれた。
聞いたところによると國帯は病院に運ばれておらず、本部の敷地中にある手術室に運ばれて治療を受けているらしい。ヘルトは一通り話を聞き終わってロビーを見渡す。すると嘉恋の姿は無かったが、凛祢とアウロラは椅子に座っていた。ヘルトはそこに近づいて行く。
「あっ、ヘルトさん」
ヘルトが声をかける前に凛祢の方が先に気づいた。それに続くようにアウロラもこっちに気づく。
「嘉恋さんは?」
「手術室の前にいます。今はお父さんの傍から離れたくないようで……ワタシ達も付いていようと思ったんですが、嘉恋さんが一人にしてくれと……」
「『ディティールアナライズ』をつかって、嘉恋さんのおとうさんのからだをみてみました。たいないにじゅうだんが二発。一つは肺のなかに、もう一つはあたまのなかにあります。おいしゃさんにはつたえたので、たまのいちをさがすてまははぶけているはずです」
「触れたのか? 下手したら容疑者扱いされるから気をつけてくれよ?」
「だいじょうぶです。今はみるだけでつかえるようになってるんです」
「……そうなのか。まあ、それなら心配はいらないか……」
ともあれここから先は医者の領分だ。ヘルトに出来る事はない。深く息を吐いて凛祢の隣に腰を下ろす。すると彼女は顔を覗き込んできた。
「……大丈夫ですか?」
「……なにが?」
「こんなに疲れたヘルトさんは初めて見ます」
「……、……まあ色々あって」
ヘルトはポケットに手を突っ込んで背もたれに体重を預ける。すると右手に何かが当たった。それは國帯に最後に手渡されたUSBだった。
(……追って来い、か……)
現状、残された手掛かりはこれだけだ。今中身を確認しても良いのだが、嘉恋が大変な時にやる事でもないと思い直す。とはいえ後でパソコンに差して中を見なければならない。
ヘルトは一度、こちらの様子を窺うように覗き込んでくる凛祢の方を見る。
(……この件で、凛祢達の手は借りない)
一つの覚悟を胸に刻む。
そしてヘルトはポケットの中で、握り締めたUSBを跡形も無く分解した。
(ぼく独りで真相に辿り着く。國帯さんを撃った涯の事も、パラサイトの事も全て)
これが彼にとって一番安全な保存方法だ。使う時になれば左手で再構築すれば良い。それにどうあれ、これで凛祢達に余計な詮索をされなくて済む。あとは彼女達と距離を置けば全ての準備が整う。
「……ヘルトさん?」
「いや、大丈夫だよ。それより先に今日泊まる場所を確保しておいてくれ。手術が終わって嘉恋さんと話したら合流する」
「……分かりました」
まだ何か納得していないようだったが、凛祢は引き下がった。彼女なりに今のヘルトには突っ込んだ質問はしない方が良いと感じているのだろう。そういう部分には助かっている。が、やはり事情を話して協力して貰う気は無かった。
外へ出て行く凛祢とアウロラを見送って、ヘルトは再び腰を下ろした。
◇◇◇◇◇◇◇
手術が終わったのは完全に日が落ちてからの事だった。随分待った気もするが、元の世界基準で考えるとこれでも早い方なのかもしれない。
結論から言って國帯は一命をとりとめた。が、いつ目覚めるのかは分からないという話で、もしかすると一生このままの可能性もあるらしい。本当に命だけは繋がっている状態だった。
彼の病室に入ると、安らかな顔で眠る國帯の横に嘉恋は座っていた。
「嘉恋さん」
「……ああ、君か」
見るからに顔色が悪かった。体力的にだけでなく、精神的にも疲れているみたいだった。國帯は生命維持装置に繋がれており、ヘルトは黙ってそれに触れた。
「父さんの顔、安らかだろう? まるでただ眠っているだけで、明日の朝には目を覚ましそうだ」
ヘルトでさえ聞いていた今の國帯の状態を、嘉恋が知らないはずがなかった。
國帯はおそらく目覚めない。希望を持たないようにしているヘルトは、ドライかもしれないがそう結論付けていた。明日も一ケ月後も一年後も、國帯は棺桶のようなベッドの上に縛られ続ける。それを予感ではなく確信として持っていた。
「嘉恋さん。今日は朝以外に何も食べてないみたいだし、下に食べに行かないか?」
「……悪いけど、そんな気分じゃないんだ」
「それなら飲み物だけでも良い。少し話もあるし、ちょっと付き合ってくれ」
「……じゃあ、少しだけなら」
多少強引だったが、こうでもしないと嘉恋は張り付いたように動かないと思い病室から遠ざけた。
本部の一階には職員用のレストランが入っている。ヘルトは嘉恋とそこに入り、自分にはコーヒー、嘉恋には紅茶を頼む。
「それで、話というのは?」
「……目の前にいたのに、嘉恋さんのお父さんを助けられなかった。それに犯人も捕まえられなかった。すまない」
「……ああ、なんだそんな事か。君に無理だったなら、他の誰にも無理だったという事だろう。責めるつもりはないさ」
「いや……うん、でもぼくのせいだ」
友人の事については言えなかった。言ってしまえば、ここで嘉恋との関係が致命的に変わってしまうような気がしたから。それに涯の事はどうしても一人で背負いたかったのだ。
話をしているとすぐに頼んだコーヒーと紅茶が運ばれて来た。嘉恋はすぐにカップを手に取って一口だけ飲むと言う。
「それじゃあ、私はそろそろ戻るよ」
「待ってくれ。まだ五分も経っていない。一杯くらい飲み切ったら?」
「あまり長い時間、父さんを一人にしておきたくないんだ」
今にも立ち上がりそうな嘉恋を、ヘルトは腕を掴んで静止させる。彼女はそれを振り解こうとしたが、より一層力を込めて振り解かせない。
「嘉恋さん、少しは休まないときみも倒れてしまう。それにお父さんなら大丈夫だよ」
「……どうして分かるんだい?」
「病室で生命維持装置に触れてきた。ぼくの『物体掌握』は物を操れるだけじゃなくて現在の状態も分かる。今の所はバイタルも安定しているよ」
「……」
「? どうしたんだ?」
嘉恋の腕からはもう力は抜けていた。ヘルトは手を離して彼女の答えに集中する。
「これは父さんの免許証だ。裏を見てくれ」
突然差し出された免許証を受け取り、一応顔写真を確認する。どういう訳か元の世界と変わらない免許証の形式に驚きながら裏にめくる。すると下半分、こちらも元の世界と同じように臓器提供に関する記入欄があった。國帯の免許証には二番、つまり心臓が停止した死後に限り、移植のために臓器を提供するという欄に丸がしてあった。
「これは……」
「父さんは本当は脳死の時にも提供しようとしていたんだけど、私が無理を言って止めさせたんだ。臓器提供には反対しないけど、せめて心臓が止まった時だけにしてくれって」
これは人によって分かれるポイントだ。
例えばヘルトは元の世界ではドナーカードに脳死、心肺停止のどちらの場合でも全ての臓器を他者に提供する事に同意していた。それは自分が死んだあとについて肉体に興味が無かったからだ。おそらく國帯もそうなのだろう。
けれど、中には不思議とそれに拘る人もいる。ヘルトのように死者の肉塊に興味が無くなるタイプの人間もいれば、生きていた時以上に意味を求める人もいるという事だろう。もしかするとエジプト人がミイラを作っていた感情に近いのかもしれない。
そして、嘉恋の意見は後者だったという訳だ。
けれど。
「私は父さんが横たわるのを見て思い出したんだ。昔何かのテレビを一緒に見ていた時に、父さんは『俺はあんな風にベッドにしがみついて、意識も無いのに生き永らえたくはない』と言ってたのを」
「……」
今度は嘉恋からヘルトの手を握ってきた。
分かっている。彼女が何を言いたいのか、言葉の端々から伝わって来ていた。なおも念押しするように懇願の目を向けてくる嘉恋に、ヘルトは目を逸らさずに答える。
「……ダメだ」
嘉恋の無言の頼み。
つまりはヘルトの『物体掌握』を使って、國帯の生命維持装置を切ってくれと言っているのだ。それを理解して、ヘルトは首を横に振って拒否する。
「別に君に手を下せと言っている訳じゃない。考えるだけなんだろう? 頼むよ」
「立派な殺人だ」
「いや、ただの機材トラブルだよ。生命維持装置か人工呼吸器が突然故障しただけの、よくある悲劇だ。……けれど、それでも今の父さんには救済なんだ。それに誰にもそれが故意によるものかなんて分からない」
「ぼくだけは別だ」
「……」
嘉恋はしばらくヘルトを見たまま動かなかった。けれどやがて諦めたようにふっと息を吐いて手を離した。
「……分かった。変な頼みをして悪かった。私はもう病室に戻るよ」
今度は止められなかった。何と言って良いのか分からなかったのだ。それにヘルトは嘉恋にこんな辛い話をさせてしまったのは、全て自分のせいだと思っていたので、なおの事何も言えなかったのだ。
彼女がポケットから紅茶の代金を出そうとするのを見て、辛うじて声を発せた。
「……良い。ぼくが払う」
「そう? じゃあ頼むよ」
踵を返して去っていく嘉恋の方も見れず、コーヒーから昇る湯気だけが視界に入って来た。
「ところで少年、凛祢達はどうしてるんだ?」
前を向いたまま足を止めた嘉恋がそんな事を聞いて来る。ヘルトはそれを、彼女と同じように顔は動かさずに答える。
「先に宿泊先を取らせた。ここにはいない」
「……そう。つまりは今回の件から遠ざけようとした訳だ。君ですら敵わない襲撃者が相手なんだ、英断かもね。……けれど同時に、君はあれだけ好意を向けられても、まだ彼女達を信じられないんだね」
「……別に、信用してない訳じゃない」
呻くように答えたその言葉に、嘉恋は僅かに息を吐いてから、びっくりするくらい平坦な口調で突き放すように言う。
「君は誰といても孤独なままだね、ヘルト・ハイラント」
その日、ヘルトは生まれて初めて酒を買った。この世界では元の世界ほど未成年の飲酒に厳しくなかったので簡単に買えた。
別に酒が好きな訳じゃない。
ただこの最悪な気分が少しでも誤魔化せるなら、一度酔ってみたいと思ったのだ。
だが店を出て、適当な路地裏で数口飲んで気づいた。
『何か』によって強化された身体能力。それは単純に筋肉だけの話ではなく、細胞レベルで強化されている。本来なら傷の再生速度が上がるなどの恩恵しかないのだが、回復が速いという事は つまりいくら飲んでも酔えないという事だった。
その日の深夜、どこかの病室から途切れない一定の高さの電子音が鳴り響く。
ベッドに横たわる彼の傍らのモニターで規則的な波を描いていた緑色の線は、どうしようもなく直線を描いていた。医者が駆け付けた時にはすでに見放され、その鼓動が戻る事はなかった。
後ほど調べて分かった事だが、容態が急変した原因は生命維持装置の故障によるものだった。
それが自然に起きたものなのか、それとも人為的に起こされたものなのか、答えを知っているのはどこかにいる一人の少年だけだった。