192 襲撃者の正体
地上だと人がいるせいで全速力が出せないので、ヘルトは建物の屋上を跳ねるように走っていた。襲撃者はすでに動きを止めて群衆に紛れていたが、ヘルトは向こうの魔力を覚えているので何度もソナーのように魔力感知を使って襲撃者との距離を詰めていく。
(―――追いついた!)
目視できる距離に入った時、ヘルトは最後の跳躍を行う。そして襲撃者の正面に降り立つ。周りにいる人達がざわざわするが、そんなものに拘っている暇は無い。ヘルトは人工呼吸器のような黒いマスクと黒いゴーグルをかけている男を睨むように見る。
『……ヘルト・ハイラント』
それは肉声ではなく、何か機械を通している声だった。
けれど構わない。声が違っていようが、やる事は変わらない。
「嘉恋さんの前に突き出してやる。覚悟しろ」
虚空から鋼色の直剣を取り出して懐に飛び込む。横薙ぎに振るった剣を襲撃者の男は飛んで躱す。
(身体強化魔術か。いや魔力を使ってる気配が無いから強化人間か? ま、どちらにせよ)
剣を持つ手とは反対の左手を真っ直ぐ伸ばし、魔力の剣を作り出して刀身を伸ばす。
(空中じゃ避けられないだろ!)
左手の剣は男に向かって真っ直ぐ伸ばした。確実に当たると思ったが、男は両足の靴底からジェットを噴射して剣の軌道から逃れる。思えば高所からの落下でどうやって無事に着地したのか気になっていたが、これを使って着地したのだと今更気づいた。
ヘルトは左手の魔力剣を消しながら着地した男と睨み合う。今の一合で周りにいた人達がパニックになり、絶叫しながら散っていく。近くに人がいなくなって静かになると、動かなかった男が口を開く。
『はっ、そんな力を振るって正義の味方気取りか?』
「気取ってなんていない。ただきみを捕まえるだけだ」
『そうかい。本当に変わったな、ヘルト・ハイラント。……いや、××××と言うべきか?』
「……ッッッ!!!???」
元の世界の名前を呼ばれた。
苗字と名前、それぞれ漢字二文字ずつの計四文字の名前を。この世界に来て、一度も口にしていないその名前を。
そして動揺した一瞬を突かれた。男が取り出した二丁の拳銃からそれぞれ弾丸が放たれる。出遅れたヘルトはそれでも超人的な反射神経でそれを剣の側面で受け止めようとする。が、長官室のガラスがそうだったように弾丸は剣を通過する。何らかの魔術付与がされた弾の特性なのか、それとも単にそういう魔術を使われているのかは分からない。けれど弾丸がヘルトの体に迫って来ているのは事実だった。
(くっ……硬化!!)
咄嗟に体の皮膚を銃弾が弾き返せるように硬化する。これも突き抜けられるかどうかは賭けだったが、硬化した皮膚は銃弾を弾き返せた。もしかすると通過には回数制限があるのかもしれない。
けれど今のヘルトにとってそんなのはどうでも良かった。困惑の表情を浮かべたまま、改めて男を見る。
「……きみは何者だ? どうしてぼくの本名を知っている!?」
『……お前、この世界に来てどれくらい経つ?』
質問に質問で返された事への苛立ちと、異世界から来た事を知られている驚きで頭がこんがらがる。けれどそんな頭でも現実を見据え、先にこちらから答えを返す。
「……二ヶ月か、三ヶ月くらいだと思う。正確には覚えていない。けどそれがどうした? こっちの質問にも答えろ!!」
『……ああ、そうか。それなら仕方が無いかもしれないな。お前にはまだ、この世界の全貌が見えていない』
「……もしかして、きみもぼくと同じ異邦人なのか?」
『答える義理は無い。俺はここで撤収する』
そう言った男の靴底が再びジェット噴射を起こして、今度は飛び立とうとする。
「……っ、逃げるなら―――」
ヘルトは男が飛び立ってしまう前に跳躍した。男の頭上で丁度逆さまになるように調整し、右手で今にも飛び立ちそうな男の顎を持ち上げるように掴む。それもマスクとゴーグルを右手で触れているようにし、分解しながら顎を支点に背負い投げと言えなくもない形で強引に投げ飛ばす。
「―――顔を見せてからにしろ!!」
投げ飛ばされた男はジェットの噴射も手助けし、空中で何度も後転しながらだったがヘルトの少し先で無事に着地する。
着地した時は下を向いていた顔。やがて面を上げるように頭を動かし、少しずつ顔が見える。
その顔を見た時、ヘルトは大きく目を見開いた。
有り得ない、と口の中だけで呟きながら呼吸が上手くいっていないのを自覚した。
過呼吸になっていて苦しいのを我慢して、それでも確認するようにヘルトは言う。
「……涯?」
呟いたのは男の名前。
目の前にいる、見覚えのある顔の男の名前。
それはこの世界で出会った人ではなかった。まだこの世界に来る前、かつて生きていた世界で日本人として生きていた頃の友人だった。
「……涯、なのか? 本当に……」
「……ああ、久しぶりだな」
ここで正体を知られるつもりは無かったのだろう。その声には若干の焦りが含まれていた。
対してヘルトはそんな感情の機微に気づく余裕も無かった。
信じられなかった。國帯の話から自分以外にも異邦人がいる可能性はあると思っていたが、それがよりにもよって彼だというのが信じられなかった。
だって彼は、ヘルトにとって、前の世界でどうしても救えなかった人物なのだから。
「……どうして、なんで、きみがここに……!?」
「……答えが知りたいなら追って来い」
涯と呼ばれた男は今度こそどこかへと飛んで行ってしまった。ヘルトはそれを呆然としながら見送る事しかできなかった。
彼が嘉恋の父である國帯の殺害に関わっているのは分かっていた。
それでもヘルトにはもう、彼を追う気力は残っていなかった。