18 少年たちの往く道の先で
ビビは最初、自分の体が揺れている事に気が付いた。それからすぐに自分が誰かにおぶられているのだと理解した。
どこか遠くで、少年達の声が聞こえる。
「ちくしょ、う! 深い傷が多、すぎる!! 簡、単……に止血はし、たけど……そもそも絶、望的に血が足り、ない!! 魔族……の血って人間の、じゃダメだよな!?」
「そん、なの俺が知る、かよ!! 一番確実なの……は『魔族領』にい、る魔族に預け……る事だ。そ、の後どうな……るかは知らねえが、とにかく今……は足を動かせ!!」
どうにも前後の記憶が曖昧だった。
それでも言葉を発しているのが誰かなのくらいは理解できた。
力の入らない喉を動かそうと、浅く息を吸ってから声を出す。
「おにー……ちゃん?」
「っ!? アレックス! ビビの意識が戻ったぞ!!」
その少年の声が、ビビにはとても暖かく感じられた。
アーサーは足を止めて、ビビの顔が見えるように体を前で抱えなおす。
「おにーちゃんが、助けて……?」
「そうだよ、妹分を助けるために町を焼く異常者なんざこいつくらいだ」
言われて見てみると、アーサーもアレックスも服の所々が焦げていたり破れていたりしていた。
「あはは……おにーちゃんに……迷惑、かけちゃいました……」
「いいからもう黙ってろ! すぐに何とかするから!!」
その言葉が虚勢だと、ビビにはすぐ分かった。そもそもアーサーとアレックスには怪我の治療をする術を持っていないのだから。
「お願い、おにーちゃん……。これだけでもママに……」
そう言ってポケットから取り出したのは、ビビの母親が写るロケットだった。
「ダメだ……それは自分で渡せ! 絶対に生きて母親に会うんだ!!」
アーサーは受け取るのを拒否したが、ビビは押し付けるようにして強引にアーサーの手の中にロケットを納める。
「お願い……おにーちゃん。もう、わたしは……」
「やめろ……それ以上言わないでくれ! レインの時みたいに……俺はお前まで失いたくないっっっ!!!!!!」
「……おにーちゃん」
何故かは分からない。
アーサーはビビの現状に動揺していたし、ビビ自身も自分の命が消えていくのが分かっていただろう。
こんな状況なら、自分をそんな目に遭わせた人間の男達を憎んでもおかしくはなかったはずだ。なぜ自分ばっかりこんな目に、と世界へ向けて恨み事の一つを呟いたっていいだろう。むしろそれこそが正常なはずだ。こんな理不尽な目に遭わされたら、どんな聖人君子だって憎悪の感情を抱くはずだ。
それでもビビは微笑んでいた。
自分の身に起きている理不尽を理解しながら、それでも優しく、本当に本当に優しい表情で微笑んでいた。
「……わたしの、ゆめを……おねがい、します……」
それは昨晩の話の事だろう。この局面でそんな話をされる事に、もう一人の妹がより一層ビビと重なって見えてしまう。
……もうどうしようもなかった。小屋から救い出した時から、頭のどこかでは分かっていた。ビビは助からない。それでもそんな事は許容できないと、悪足掻きを続けていただけだ。
「俺はまた……助けられないのか?」
アーサーの弱い呟きに、しかしビビは首を横に振って答えた。弱々しい動作なのにどこか強い意志を感じられるのは、気のせいではないのだろう。
「おにーちゃんに会えて……よかった、です……」
ビビがアーサーに与えたのは間違いなく救いだった。自責の念に押し潰されないように、ビビから送られた最大の救いの言葉だった。
そしてそれが一方的なものでは無いと、ビビの言葉から感じ取ったのはきっと気のせいなどではない。ビビがアーサーに与えたものがあるように、アーサーがビビに与えられたものも確かにあったのだ。
「だい、すき……です、おにー……ちゃ……」
それが妹の最期の言葉だった。
ぐったりと、ビビの全身から力が抜け落ちる。
それっきり、ビビは眉一つ動かす事なかった。
あっさりと、手のひらから命がこぼれ落ちた。
最後の最後まで人間である自分の事を好きだと、純粋に兄の事を慕っていた妹を、アーサーは助ける事ができなかった。
…………………………。
……………………。
………………。
…………。
……。
気付いた時には雨が降っていた。
冷たくなった妹の亡骸を抱きかかえたまま、どれだけの時間そうしていたのだろうか。
やがて、アーサーはゆっくりとした動作で震える唇を動かした。
自分という存在がひどく曖昧になるまでじっとしていた少年は、冷え固まった氷が解けて、その最初の一滴がこぼれ落ちるように、
「……俺達って、何と戦ってるんだろう」
そう、呟いた。
これまで人は多くの魔族を、魔族は多くの人を殺してきた。
そんな世界に向けての疑問。それにどれくらいの意味があるのかは分からなかった。
答える声は無いはずだった。しかしその言葉に反応する声があった。
「さあな、だが少なくとも魔族ってのは違うだろうな。……もしかしたら、俺達が戦わなくちゃいけなかったものは魔族とかそんな単純なものじゃなくて、この世界のルールそのものなのかもしれない」
アレックスはアーサーに比べて幾分か落ち着いていた。
アーサーが動き出すまでずっと待っていたアレックスは、別にビビの死が悲しくない訳ではない。また妹を失ったアーサーを慮る気持ちがあったからこそ、表面上は冷静に振舞えているだけだ。
「今回の件で魔族だけが絶対悪とは言えなくなった。だが少なくとも人間に危害を加える魔族が敵なのは間違いねえ」
「……ならさ、俺達とビビ……人間と魔族の違いってなんなんだろうな。俺にはもう、さっぱりだよ」
投げやりな調子のアーサーの疑問にアレックスは答える。
「絶対的な種族の違いだ。俺たちは人間で、ビビは魔族だった。それだけの事だろ」
アレックスはそう言ったが、どこか歯切れが悪かった。それを自覚しているのか、アレックスは一度大きく息を吸ってから続ける。
「だからこそこんな世界を変えなくちゃいけないんだよ。人だろうと魔族だろうと、何世代か先の子供達が安心して外を駆け回れるようにな」
「……本当に、俺達に変えられるかな……」
アーサーの返答は少し遅れた。それは元々妹達の願いだ。だから何とかしたいという気持ちは当然あった。しかし今は、今だけはそれを受け入れるのに少しの抵抗があった。
「変えられる、絶対に」
それを察して、アレックスは一際強い語気で断言した。
「……そう、だよな。いつかきっと、そうなるよな」
どうあってもアーサーにはそれしかない。妹達の最期の願いを無下にできるような神経はアーサーに通っていないのだから。
しかしそれでも、認めながらも、アーサーは涙のせいか雨のせいか判別できない濡れた顔を上げて、悲哀に満ちた表情で告げる。
「なら一つくらい、先にやっておいても良いよな」
◇◇◇◇◇◇◇
どれだけ降り注ごうと、やがて雨は上がる。
誰も寄りつかない森の奥。大きめの石を置いただけの質素な魔族の少女の墓には、ナイフで削った字でこう書かれていた。
『ビビ・レンフィールド。ここに眠る』と。
他の誰にも見つからない場所で、他の誰にも理解できない意味をその文字に刻みながら、二人の少年は誓いを掲げた。
少年たちの往く道の先で、少女が願った夢が叶う日は来るのだろうか。
二章になってから今回で話が一区切りしましたが、二章はまだ続きます。次回からはまた新しい登場人物(今度は殺さないようにしたい)が中心に話を進めて行く予定です。




