191 不可侵の凶弾
嘉恋に案内されるまま連れて来られたのは『ポラリス王国』の中心地、見上げていると首の方が痛くなってくるほど高いビルだった。最上階近くは何があるのか嘉恋や長官である嘉恋の父親も知らないようだが、『W.A.N.D.』の本部はこのビルの中にあるらしい。
中に入ると嘉恋が受付で係りの人といくつかのやり取りをして、四つのバッジを持ってこっちに戻ってくる。
「これを胸に付けてくれ。このバッジが無いと入れない所があるし、最悪捕まるから」
流石に捕まるのは嫌なので素直にバッジを付ける。こういうものに慣れていない凛祢とアウロラが四苦八苦していたので、そちらのも付けてやる。
全員がバッジを付けたのを確認してエレベーターの方に先導してくれる。ボタンを押しても三台のエレベーターにはそれぞれ階数表示が無く、いつ来るのか分からなかった。そういう仕様なのか、しばらく待つと右一台の上に付いているランプが点灯した。すぐに扉が開き、四人揃って中に入る。
「……ふむ?」
中に入って驚いたのはボタンが無い事だった。どうしたものかと考えていると、嘉恋が独り言のように言う。
「長官室」
『長官室へのアクセスは許可されていません』
「予約はしている。柊木嘉恋だ」
音声認識だったのか、と思っていると扉が閉まり、最初は拒否していたエレベーターが移動を始める。後ろを見るとガラス張りのエレベーターから外の眺めが一望できた。下の景色がどんどん遠のいていき、周りに見える他の建物よりも上に昇ってくるとエレベーターは目的の階に止まる。
扉が開いてすぐ、廊下を挟んですぐの扉が長官室だった。嘉恋はその扉をノックする。
「入って良いぞ」
するとすぐに内側から声が聞こえてくる。嘉恋はそれに従い扉を開く。
中には一人しかいなかった。おそらく嘉恋の父親だろう。彼は座っていた椅子から立ち上がり、来客用なのか置いてあるテーブルの前のソファーに手で座るように指示してきた。ヘルト達は嘉恋に付いて行って座る。
「ちゃんと連れてきてくれたみたいだな」
「久しぶりに娘に会って言う最初の台詞がそれなのはどうなんだろうね」
喋っている内容こそあれだが、二人の間に険悪な雰囲気は無かった。つまりはこれがこの親子のいつもの調子なのだろう。
「それで、君がヘルト・ハイラントか。話は聞いている。色々とご活躍のようだな」
「ええ、どうも」
差し出された手を思わず握って握手する。思った以上に硬い手のひらに驚くが、その手をよく見て人を殴るための手の形になっているのを見て納得した。手を解くと彼は次に凛祢とアウロラに目を向けた。
「君が嘉恋の友人の卯月凛祢だな? あの計画についてはすまなかった。表向きの資料に正当性があったため対処が遅れてしまった」
「いえ、ワタシはヘルトさんに救われたので、それで満足です。他のみんなのその後は心配ですが、きっと元気にやっていると思うので」
「……そうか。そう言ってくれると少しは救われる。それから……君がアウロラだな? 『新人類化計画』の件は安心してくれ、あの計画は完全に頓挫した」
「ありがとうございます。けれどわたしもヘルトがいるのでだいじょうぶです」
「……ふむ。やはりヘルト・ハイラントか」
呟くように言うと彼はヘルトと嘉恋を交互に見やって何かを考えこむ。
「父さん?」
「ん、いやすまない。少し考え事だ。それより嘉恋、彼女達二人と一緒に下のロビーに下りていてくれないか? 私は少し、彼と話がしたい」
「……いや、それが本題なのは分かってたけど、流石に凛祢やアウロラにも失礼じゃないか?」
「ああ、だからお詫びという訳じゃないが、三人にそれぞれ好きなものを買おう。何だったらお前のパソコンを新調しても良い。待ちながら考えておいてくれ」
「……はあ、分かった。下で待ってるよ」
呆れながら、嘉恋は凛祢とアウロラと共に部屋を出て行った。彼女達が部屋を出て行くまで向けていた目線を彼に戻す。
「そういえば自己紹介もしてなかったな。柊木國帯だ。御覧の通り『W.A.N.D.』の長官をやっている」
「自己紹介は別に良い。それで、ぼくに何か話があるんだろう? 彼女達をあまり待たせたくない、早く要件に移ってくれ」
「辛辣な言葉だな。それほど彼女達を退出させたのが気にくわないのか?」
「嘉恋さんは嫌がっていた、理由はそれだけで十分だ。たとえあなたが嘉恋さんの父親でも関係ない」
その姿勢に國帯は嘆息して、
「……そうだな、本題に入ろう。外部を遮断」
窓全体が黒く染まり、部屋全体に光が走る。試しにソナーのように広範囲の魔力感知を行ってみるが、この部屋より外を感知する事はできなかった。どうやら外部とは完全に孤立しているらしい。
ここまでやって、どんな話が始まるのかと身構える。國帯はソファーから立ち上がり、デスクに体重をかけながら切り出す。
「君はこの世界の人間ではないな?」
「……、それは嘉恋さんから?」
「いや、独自に調べた。実は昔から君のような人物は確認されているんだ。『英雄譚』は単なる物語ではないセミフィクションなんだよ」
「じゃあ、ぼく以外にも異世界から来た人間が存在していたのか?」
「ああ。例えば『W.A.N.D.』の初期長官、ブルース・スミスも異邦人だったという。だからこその『イニシアティブ計画』だったのだろう」
「『イニシアティブ計画』?」
疑問口調で返すと、國帯はデスクの上にあったポインターを手に取る。そこに付いているボタンを押すと、横の壁にディスプレイのような映像が映し出される。そこにはいくつかの顔写真も表示されていた。
「簡単に言うと君のような特異な力を持つ者を集め、最強集団を作って世界を守る。それが『イニシアティブ計画』だ」
國帯がさらにボタンを押すと、数ある写真の中から三人だけピックアップされて前に出てくる。
「この三人が君と同じ異邦人だ。彼らは『W.A.N.D.』の思惑から外れ、独自のチームを作る。それが『ディッパーズ』だ」
「……ふむ」
「『ディッパーズ』は世界を守るために奔走したが……途中で情報が途切れ、その後の動向は不明だ。ローグ・アインザームだけは『魔族領』にいると確認できているが、おそらくもう死亡しているだろう」
「それで、この話をぼくにして何が目的なんだ?」
何となく話の先の展開を読みながら訊き返す。國帯はその言葉を待っていましたと言わんばかりにすぐに答える。
「私は再び『イニシアティブ計画』を実行しようと思う。君には是非参加して欲s」
「断る」
言い切る前に、ヘルトはバッサリと切った。
「ぼくは独りで良い。そっちの方が動きやすいし、現にこれまでも問題なく活動できてる。余計なしがらみは御免だね」
「『ジェミニ公国』『タウロス王国』『アリエス王国』。君がこの世界に来てから、君が関わらなかった事件だ。この事件の解決に貢献したのはアーサー・レンフィールドという、君のような特別な力は何も持っていない少年だ」
その名前が出た瞬間、ヘルトの肩がピクリと動いた。
次にディスプレイに表示されたのは、『魔族領』で相対した少年の顔だった。
「……それで?」
先程まで嘉恋からアーサー・レンフィールドに関する情報を聞いていた手前、複雑な心境のままやや刺々しい言葉で返す。
「一つの体では、二つ以上の事柄には対処できない」
「そうだね。でもぼくは自分の中に優先順位をしっかり付けている。二つ以上の事件に出くわしたら、それに従って片方は切り捨てる」
「もし、切り捨てられない状況だったら?」
「それでも選ぶさ。取捨選択はこの世の常だ」
ヘルト・ハイラントに対して、この程度の揺さぶりは効かない。
彼は目的のためなら親だろうと友人だろうと迷わず排除する。そういう風にできている、まるで機械が人間のフリをしているような男なのだ。
「ではそんな君に質問だ。これからの世界の形として、もし自由と平和、そのどちらかしか選べないとしたら? 君はどちらを選ぶ?」
「簡単だよ」
自由ではあるが、平和ではない世界。
平和ではあるが、自由ではない世界。
そのどちらかしかないと問われて、ヘルトは即座に簡単と答えた。
「ぼくはいつも自由のために戦って来た。それはこれからも変わらない」
「……良い答えだ」
國帯は僅かに笑みを浮かべ、ディスプレイを消す。そしてポインターを置いてデスクから体を離した。
「実は君に頼みたい事が―――」
言いかけたその瞬間だった。
國帯の後方、暗くなっていて外の景色が見えにくくなっている窓の外。誰だか分からないが、人間が逆さまのまま落ちてきた。それも両手に銃を持って。
「くn―――ッ!!」
名前を叫ぼうとした声も、動き出した体も間に合わなかった。
正体不明の襲撃者が銃弾を放つ。正直な事を言えば、この部屋の窓は当然のように防弾仕様だと思っていた。落下中の乱入者が撃てる弾丸は精々二、三発。ガラスは破られないと思っていた。
だがその予想を裏切るように。
弾丸は窓ガラスを砕く事なく通過して國帯の背中に命中した。
背中からの衝撃に國帯の体がエビのように跳ね、そのまま床に倒れていく。ヘルトはその体が床に落ちる前にすんでの所で受け止めた。背中に回した手にはべチャッとした感触があり、それが血だとすぐに分かる。
確認した限り國帯に命中した弾丸は二発。しかしそのどちらも彼の体を貫通していなかった。
(くそっ……! ガラスを貫通したのは何かの魔術か!? 弾丸が抜けなかったのは運が悪いのか、そういう仕様のホロ―ポイント弾みたいなものなのか!?)
ヘルトは回復手段を持っていない。一度見たら使えるはずなのに、『何か』の嫌がらせなのか治療方面の魔術は一切使えないのだ。
どうしようもない現状。ただどうあれ彼はヘルトの目の前で撃たれた。魔力感知も防がれている部屋だからなどと言い訳はしない。誰のどんな思惑があれ、こうして自分の目の前で人が傷ついた以上、その全ては理由などお構いなしに自分のせいだ。いつものようにそう結論付けて、ヘルトは心底自分を殴りたくなった。
「……へると、はいらん……と」
腕の中で苦しそうな呼吸と共に名前を呼ばれた。背中の傷口の位置から肺を撃たれているのかもしれない。
「……か、れん……そ……を、まも、れ……」
「かれん……? 嘉恋さんか!? 大丈夫、彼女は守る。だからしっかりしろ!!」
途切れ途切れの言葉に反応しながら、意識が切れないように大声で呼びかける。けれど國帯は最後の力を振り絞るように、血で真っ赤に濡れた手でヘルトの手を掴み、何かを握らせながら振り絞るように言う。
「ぱら、さいと……の、あるごりずむ、だ……!」
「寄生……? おい、しっかりしてくれ! おい!!」
いよいよ目を閉じて反応しなくなった國帯の様子に舌打ちしながら、ヘルトはエレベーターに向かう。ボタンを押してからエレベーターが来るまでの時間がもどかしい。ようやく来たエレベーターの扉が開き切る前に、割り込むように中へと入る。
「一階ロビーへ! 急げ!!」
叫んだ所でエレベーターの速度が上がるはずがないのだが、それでも叫ばずにはいられなかった。ようやく一階につくと、扉が開いた時に待っていた人達がぎょっと目を丸くした。けれど他人の目を気にしている場合ではない。ロビーの方へ目を向け、そこにいるであろう人物の名前を叫ぶ。
「嘉恋さん! こっちに来てくれ!!」
その声にロビーにいた人達が全員こっちを見てきて引いた感じになるが、こちらを見て顔を青くした嘉恋はすぐに駆け寄ってくる。
「父さん!! 一体何があったんだ!?」
「分からない、突然撃たれた。それより早く病院へ」
「ま、待て。すぐに医療チームを呼ぶ、そっちの方が早い」
嘉恋が呼ぶ前にこちらに白衣の集団が走って来た。すぐに國帯を彼らに任せる。嘉恋の顔は青いままだったが、ヘルトはどうしても聞きたい事があった。
「……嘉恋さん。犯人はどうなる?」
「……ああ、長官が撃たれたんだ。すぐにでも部隊が動くはずだ」
「そうか。じゃあぼくも個人的に追う。そう伝えておいてくれ」
「っ!? おい少年!!」
嘉恋の言葉は最後まで聞かずに走り出す。ソナーのように広範囲の魔力感知を使い、あからさまにこのビルから逃げている人物がいないか探す。
(―――いた! 一人だけ明らかに異常なスピードで動いてるヤツが!!)
見つけたのなら後は簡単だ。
常人を遥かに超えた、超人的な速度で一気に駆け出す。