190 『W.A.N.D.』
『スコーピオン帝国』で色々と起きているようですが、世界を揺るがす事件が常に一ヵ所だけで起きているとは限りません。今回はその中でも『ポラリス王国』の話をしましょう。
この国には一般の警備組織の他に、大々的には動いていない、世界を揺るがす脅威を裏側から未然に防ぐための組織があります。
五〇〇年前、『ディッパーズ』を結成する原因になった元の計画、『イニシアティブ計画』。その提唱者、ブルース・スミスが作り出した組織『W.A.N.D.』。正式名称は『World Advanced National Defense.』。
この組織の初期長官はブルース・スミスでした。その後は何度も変わっていますが、五〇〇年前からこの『W.A.N.D.』は存在し続けています。
彼らは平和を守り続けてきました。人々が安全に暮らせるように。
けれど、それを無条件に続けて来た訳ではありません。欲望のみで形作られている人間が、何の対価も無しに動くなんて絶対にありえないのですから。
そう考えると世界が常にそうなっているように、私達は自分達の知らない所で、何か大きな代償を払っているのかもしれませんね。
それでは前置きはこの辺りにして始めましょう。
この世界に投じられた、もう一人のどこにでもいるごく普通の少年のお話を。
◇◇◇◇◇◇◇
ヘルト・ハイラントの朝は適当な飲食店で始まる。彼は定住している場所が無いので、食事は基本的に野外だからだ。嘉恋の家がある事にはあるのだが、彼自身毎日違う味の食事を取る事に満足しているためこの生活をしている。
今日もいつものようにヘルト、凛祢、嘉恋、アウロラの順で席に着き、それぞれが思い思いの朝食をとっていた。
「歩きマナフォンか……。まったく、本当にここが異世界なのか不安になってくるよ」
道行く人を見ながら、ヘルトは溜め息がちに呟く。
「最近は体内に電子マネーや個人情報を埋め込むマイクロチップなんかも発明されているし、電子マネーが流通している『ポラリス王国』みたいな科学系の国では大体こんな感じじゃないか?」
「科学と魔術の格差が広がる一方だね。そう言う嘉恋さんも嘉恋さんでパソコンばっかりやってるし。まあ、ぼくが頼る事もあるから文句は言えない身な訳だけど」
結局の所、人間社会はある程度進化するとこの光景を絶対に通らなければならないのかもしれない。人の感情は複雑だという話もあるが、こういうのを見ると酷く単純な生き物に思えてならない。
「ところで少年、例の件、調べておいたけど詳細を聞くかい?」
「例の件?」
「『魔族領』で君が戦った少年に関する事だよ」
「ああ、そういえば頼んでいたね」
ヘルトは朝食として頼んだパンにバターを塗りながら、適当な調子で答える。
「おいおい、折角調べたのにその反応はあんまりじゃないか?」
「悪かったよ。こっちのパンを一個あげるから許してくれ」
「よろしい。じゃあ調べた内容を教えるよ」
嘉恋は自分の分の食事をヘルトのいる奥の方にずらしてパソコンを広げる。それを横で見ていた凛祢が口を開く。
「前から思ってたんですけど、随分年季の入ったパソコンですよね。大事なものなんですか?」
「ん、これかい? これは成人祝いに父さんがくれたものなんだ。だからって訳じゃないけど、まあ大切にしてるよ。壊したりしたら流石に悪いだろうし」
そう言いながら嘉恋のパソコンを撫でる手付きは優しいものだった。
元の世界でヘルトは両親に捨てられていて記憶もない。凛祢は『魔造の一二ヶ月計画』で生まれた存在で、こちらも両親がいない。アウロラも『造り出された天才児』なので、当然両親はいない。つまり家族というものがあるのは嘉恋だけで、他の三人は彼女の心境を計りかねていた。
「おっと、それよりあの少年についてだね」
向けられている複雑な感情に気づいたのか、嘉恋は話を逸らすようにキーワードを叩き、書かれている文章を読み上げる。
「彼の本名はアーサー・レンフィールド。結論から言って特別秀でているものは何も無いね。『ジェミニ公国』生まれの『ジェミニ公国』育ち。父親は不明だけど、母と妹が魔族に殺されて現在の身寄りは無し。ただ妙な事がある」
「妙な事?」
聞き返すヘルトに嘉恋は頷きながら、
「公式の記録では、彼は『ジェミニ公国』に魔族が入り込んだ際に死んだことになっている。だが詳しく調べると『タウロス王国』のドラゴン騒ぎ、『アリエス王国』の魔族侵攻、『ポラリス王国』の演算装置の失踪事件、『リブラ王国』のテロ騒ぎにも関与しているらしい。さらに記録に無い事も挙げれば、彼は私達と同じタイミングで『魔族領』にいた。それも魔王の娘を庇う形で。どういう因果があればただの村人がそんな立場に立てるか私には分からないが、正直に言って、このアーサーという人物は君と同じようにまともな人生を送っていないね」
「……」
嘉恋が分からないと言った事が、ヘルトには何となく分かった気がした。
おそらく彼は選んで来たのだろう。自分と同じように目の前に現れた理不尽に対して、困難でも最後には正しかったと思える選択肢を。
そして引き際を見失った。歩き続けていつの間にか帰り道が分からなくなって遭難した登山家のように、彼は戦い始める前の当たり前の生活に戻れなくなってしまったのだろう。それが自ら右腕を吹き飛ばすあの凶行に繋がったのだ。
「まあ、彼について言えるのはそんな感じかな。流石に一人の村人となると情報が少ないんだ。もっと知りたいって言うならもう少し詳しく調べてみるけど……どうする?」
「いや、ありがとう嘉恋さん。彼についてはもう良い。知りたい事は大体知れたから」
それがどれくらい大変な道のりだったのか、何となくだが想像できた。
ヘルトには力があった。『レオ帝国』で魔族の大群を一振りで吹き飛ばしたように、ある程度の事象なら力技でなんとかなってきた。
けれどただの村人であるアーサー・レンフィールドは? きっと自分とは違う、死に物狂いで勝ち取ってきたはずだ。自分と同じような境遇である、『アリエス王国』の魔族侵攻の時でさえもきっと。
「それにしても嘉恋さん。今日は随分と服装に気合を入れているようだけど、人と会う約束でも?」
ヘルトはそこまで考えて思考を切った。あまり深く考えすぎると、今度会った時に叩き潰す手が緩む気がしたからだ。人の感情の機微に鋭い嘉恋はそれに気づいたようだが、特に言及するような事はしなかった。あくまでヘルトの作り出した流れに乗る。
「中々目ざといな少年。君の言う通り、今日は人と会う約束をしている」
変化といっても些細なものだ。服装はいつものリクルートスーツだし、髪型だっていつもと同じく後ろで一つにまとめている。では何が違うのかと言うと、答えはネクタイだ。いつもはワイシャツの第二ボタンまで開けていてネクタイなど付けていないが、今日は首元までボタンを留めてネクタイを付けているのだ。
「誰と会うんですか? もしかして彼氏さんですか……?」
「いやいや、そんなのがいるなら君達とずっと一緒に行動していたりしないさ。会うのは私の父さんとだよ。実は君達も連れてくるように言われている」
「ワタシ達もですか……?」
小首を傾げる凛祢に嘉恋はバツが悪いように苦い笑みを浮かべながら、
「悪いね。私が世話になっているからと言って譲らなかったんだ。特に少年には色々と話したい事があるそうだ」
「ぼくと?」
最初は驚いたが、少し考えれば当然かもしれないと思った。
ここまで色々やってきた。顔と名前はある程度の人には知られているだろう。そんな人物に自分の娘が関わっているというのだから、親としては気になるのかもしれない。それくらいは親という存在が雲の上以上に遠いヘルトにも何となくだが理解できた。
「そういえば聞いたこと無かったけど、嘉恋さんのお父さんって何をやっている人なんだ?」
「ん? そういえば言っていなかったか」
向こうだけがこちらを知っているというのも何なので、ヘルトは聞いてみた。本音を言うと嘉恋の技術からIT系の仕事に就いている人物だと思っていた。
けれど、嘉恋の答えはヘルトの想像の上を行った。
どこか自慢げに嘉恋は答える。
「私の父さんは『W.A.N.D.』の現長官なんだ」
ありがとうございます。
始まりました一一章! 一応、二〇話程度を予定しています。
今回の章は漢字の登場人物や機械が多く、異世界感が皆無かもしれませんがご容赦を。