182 全ての人間の悪意の塊
気づいた時には冷たい感触が体にまとわりついていた。それと同時に自分の体を外側から眺める感覚。アーサーはこれに覚えがあった。
「クロノの時と一緒か……って事は」
『前より状況は酷いぞ? 全体的に危機感が足りてないな』
声をかけられた方を向くと、そこには想像していた通り全身が黒い影のような人物がいた。
「ローグ・アインザーム」
『ああ、まさかこんな短期間に二度も会うとは思ってなかったがな。……これ残留魔力を使ってるから多分次は無いぞ?』
「今回があれば良いよ。それよりほら、こうして出てきたって事はまた何か手助けしてくれるんだろ? 早くサラの所に戻してくれ」
『……』
「ん? どうしたんだ?」
それは自分勝手なアーサーの言い分に憤っての沈黙ではなかった。
何かを言い淀むような気配を見せて、ローグはこう聞いてきた。
『……お前はどうして戦う?』
突然の質問に、アーサーは思わず眉根をひそめた。
どこか望郷の念にかられているような雰囲気を漂わせたまま、ローグは語る。
『俺達にはそれしか道が無かった。「何か」に与えられた力で、世界を守るために「ディッパーズ」として戦うしかなかった。だがお前は違う。普通に生きようと思えば普通に生きられた、ごく普通の村人だった。そう願って産まれて来たはずの子供だった。それなのにどうして、何度も死に目に遭うような事件に首を突っ込む?』
「……」
『もう一度聞くぞ。お前はどうして戦うんだ』
詰問に近い雰囲気にアーサーは、
「なんでだろうね」
ふっと息を吐いて呟くように言った。
「……俺の夢は妹達と同じ、人間と魔族が手を取り合って生きられる世界を作る事だ。そう考えると、俺は寄り道ばっかりしてるのかもしれない」
やらなければいけない強制力はなかった。何度か言われた通り、これまで関わって来た事件の多くは、見捨てても良い話ばかりだったのかもしれない。
「でもさ、見捨てられなかったんだ。あの理不尽の地獄の中には、誰一人だって見捨てる理由が一つも無かったんだ。だから理由って言うなら、それが一番しっくり来る答えかな」
『馬鹿みたいな理由だな。……でも、まあ、そんなヤツが一人くらいいても良いのかもしれないな』
そう言うローグの声音はどこか嬉しそうだった。そして倒れているアーサーの体に近づいて触れる。するとアーサーを死の淵まで追いやった傷口が黒い魔力に包まれて塞がる。アーサーは知らないが、それはヘルトと共にいる卯月凛祢の使う『損傷修復』と同じ力だった。
『俺がこうして傷を治せるのは今回だけだ。クロノに使った「皓々と輝く神殺しの聖槍」くらいなら右手があれば再現できるかもしれないが、これは右手とは別の特別性だ。これからは身の振り方を考えろよ』
「ありがとう、善処する」
最後の助言はおそらく反映されないだろうというのは、ローグにも分かっていた。そもそもアーサー・レンフィールドとはそういう人間だ。
そして彼の意識が、戻る。
◇◇◇◇◇◇◇
「ここであんたを殺す!! 今度はあたしが殺してやるッッッ!!」
怒りで魔力の制御が上手くいっていなかった。左手はホワイトライガーだが右手はドラゴンになっていたし、片方の目だけ虎のものになっていた。しかも『獣化』の範囲がどんどん広がっている。再び暴走状態に入るのはどう見ても明らかだった。
彼女は自分の状態に気づいているのか気づいていないのか、行動でも獣に近づくように腰を低く落とした。理性は半分飛びかけていて、もう人ではなくほとんど獣のような姿勢でセラの命を刈り取るために動こうとする。
「……やめろ、サラ」
だが、そんなサラを止めるように。
とある少年の右手がサラの肩に置かれる。
「そいつはお門違いの恨みってやつだ」
「……ぁ」
思わず声が漏れた。
体にまとわりついていたドス黒い何かが剥がれていくような錯覚を覚えていた。
やがて『獣化』が完全に解かれたサラは、肩に置かれた手の持ち主に視線を移す。
その正体が分かって、サラは目から涙が溢れるのを止められなかった。
「アー、サー……? 本当に……?」
「足もあるぞ? 傷も塞がってる。正真正銘本物だよ」
服を捲り上げて傷口を見せる。そこには先程血が止まらなかった傷口どころか、ここまでの戦闘で受けた傷が一つなかった。サラはそれを直接確かめるようにペタペタと触れる。
「嘘……致命傷だったはずなのに……」
信じられないといった様子のサラに、アーサーはどこか嬉しそうに笑みを浮かべながら、
「……あいつが一度だけだって、この傷口を塞いでくれたんだ。まったく、クロノの時も手を貸してくれたし、とんだお人好しだよな」
「?」
「いや、単に俺達が合おうとしてた人は良い人だったって話だよ。それより今は……」
アーサーが向いた方をサラも釣られて見た。
そこには目下最大の敵、セラ・テトラーゼ=スコーピオンが佇んでいる。
アーサーは右手を握り締める。
サラは両手をホワイトライガーのものに変化させる。
「アーサー・レンフィールド!!」
だが攻撃を待ち構えていた二人に対して、セラは攻撃ではなく声を上げた。
「ここまで一人で来い! 話がある!!」
「……」
どう考えても罠としか思えない発言。
だがアーサーは疑う事なくセラへと足を踏み出す。
「アーサー!?」
「大丈夫だ。ちょっと待っててくれ」
当然のように驚きの声を上げるサラを言い聞かせるように制し、アーサーは真っ直ぐセラの目の前まで歩く。
「それで、今更話って何だ?」
一メートルほどの距離を開けた対話。どちらも手を出そうと思えばすぐに戦争が再開できる距離で、セラは溜め息から始める。
「……不死身め」
「次は無いらしいよ? もう一度さっきのをやれば殺せるかもね」
「どうだろうな。どうにも『担ぎし者』は周りの人間を死に近づける代わりに死ににくいらしい。本当に忌々しいな」
「ああ、忌々しいってのには心底同感だよ」
本題に入る前の無駄な会話を経て、セラはアーサーの後方で待機しているサラに一度だけ目を向けた。それからアーサーの方に目線を戻して口を開く。
「……私にはさ、何を犠牲にしても守りたいものがあるんだ」
「俺だってそうだ」
「だろうな。そして、その中には私の守りたいものも入っているんだろう」
サラ・テトラーゼ=スコーピオン。
セラが『第三次臨界大戦』を引き起こしてでも護りたい存在であり、アーサーにとっても大切な存在の一人。今回の事件の中心にいるにも関わらず、何も知らされない事で守られているお姫様。
「だが私の意志はお前よりも強いぞ? お前みたいに全てなんて欲張りじゃないからな。私は一人だけ救えればそれで良い」
「それはサラが言ったのか? あたしは色んな人を犠牲にしてでも生きていたいって、お前に一度でもそう言ったのか?」
サラがそんな事を言わないのは、当然二人には分かっていた。
答えが分かりきった質問ほど酷いものは無いと思いながら、それでもアーサーは聞いた。
けれど。
「そんな確認はどうでも良いんだ。私は例えあいつ自身に嫌われても、たった一人の家族を護りたい」
その言葉は淀みなくスラスラと出てきた。それはセラにとって、大前提として当たり前の事だった。そもそもサラに嫌われたくないのなら、ここまでするはずがないのだから。
彼女にとって、サラに感謝をされて好かれるのはゴールではない。たとえサラを含めた全ての人間に間違っていると指を差されても、サラを護るのが目的だ。そのためなら命を投げ出すだけの覚悟が彼女にはあった。
きっと、多くの人から見てセラは狂っている。異常者や異端者、そんな言葉が似合う女性だと彼女自身も理解している。
「……ああ、分かるよ」
けれどアーサーは呟くように言った。
彼自身もそっち側の人種だからこそ、セラの抱える想いがようく理解できた。
「だから俺にはそれが間違ってるなんて言えない。……でもさ」
理解できると言ってなお、アーサーは今にも泣き出しそうな表情で、
「心底悲しいって思うよ。そんな方法じゃお前もサラも救われない。それでサラの命が護れても、あいつは喜ばないし、きっとお前も胸を張ってサラを護れたって言えないよ」
セラはその言葉に返答しなかった。代わりに床に転がっていた真っ黒な剣を一本、手元に引き寄せて取る。それに呼応するように、アーサーもウエストバッグの中からユーティリウム製の短剣を手に持った。
「……今更だが、話をすれば協力しあえる道もあると思ったんだがな」
「冗談だろ? お前は『担ぎし者』の俺が邪魔だったはずだ。どうあれ最終的には殺すつもりだったくせに」
「……ふん。まあ貴様を殺すのが面倒になった事までは否定しないがな」
二人の会話はそこで終わった。
セラが手に持っていた剣を振るい、アーサーはそれを短剣で受け止める。
ガギィン!! という金属が衝突した甲高い音が二人の間に響く。
「分かり合えないものだな」
「理解はできてるんだけどねっ!!」
互いに弾き合い、決してゼロにはならない距離が再び開く。その瞬間にセラは再び複数の剣を操ってアーサーへと射出する。
「―――集束魔力剣!!」
アーサーが叫ぶと手に持つ短剣から金色に光る集束魔力の刀身が伸びた。ラプラスは銃口の先から剣を伸ばしていたが、アーサーの場合は短剣から直剣へと変化する形になった。それを使って飛んで来た剣を弾いていく。
「サラ!!」
「ようやく出番ね!」
アーサーが声を上げると後方で待機していたサラが飛んできて、アーサーが捌ききれなかった剣を弾いて隣に並んだ。
「まったく、調子の良い時だけ頼るんだから」
「頼らない方が良かった?」
「いつも頼れって言ってるのよバカ」
馬鹿なことを言い合いながらも警戒は解かない。目線は真っ直ぐセラに向けている。
「……ああ、まったく。サラが貴様を気に入る理由が何となく分かってきた。お前は痛々しいほどにあいつに似ている」
あいつ、と差したのが誰なのか直感的に分かった。
おそらく両親の死よりもはるかに大きい二人の確執の原因となった中心。
「シロ……」
サラがポツリと呟く。
アーサーは二人の間に何があったのか正確には知らない。あくまでラプラスが情報として蓄えていたものを聞いただけだ。だからどう頑張っても二人の間に入る事はできない。
「お前らは武器の定義ってなんだと思う?」
「武器の定義……?」
彼女の持つ『武器操作』の力の事を言っているのだろうか。その言葉の真意をアーサーは計りかねていた。
「広義の話だ。例えば瓦礫だって人を撲殺できる。硬貨だって集めて袋にでも詰めればブラックジャックの代わりにくらいはなるんじゃないか? ペンだって喉に突き刺せば人を殺せる。包丁や鍋のある料理店なんて正に武器の宝庫だろう?」
「……まさか」
ゾワリ、と。背筋に冷たいものが走る感覚があった。
こういう時の嫌な予感というものが当たると、今までの経験でよく分かっている。
「まさか!!」
そして叫んだ瞬間だった。
ズズズッッッ!!!!!! と自分達の立っている床が縦に大きく揺れた。
「くっ……!?」
しかも揺れたのは一度だけではない。断続的な揺れはずっと続いている。とてもじゃないが立っていられず、陸上ランナーのクラウチングスタートの体勢のように床に膝と手を着く。
やけに上から小石のようなものが落ちてくるので見上げてみると、上の階が全て吹き飛びそれがバラバラになって空に舞って宙に浮いていた。
「……冗談だろ」
よく見れば宙に浮いているのは城の一部だった瓦礫だけではない。国中からまるで青騎士の『断界結界』の中の砂のように、あらゆるものが宙を舞ってセラの元へと向かって来ていた。
小石から瓦礫、砕けた大地、包丁や用途の分からない工具、家財道具一式、屋根の破片、ペン、硬貨など。どれも見た事があるようなものばかりだった。
「私が操る武器は全ての人間の悪意の塊。日常に当たり前のように存在する全ての凶器だ」
ありがとうございます。
ついにセラとの戦い、そして第一〇章が終わりに近づいてきました。とはいえ後七話ほどありますが。
次回は【第五一話 『ごめん』より『ありがとう』を】を意識した話です。