00 ある勇者は別の世界から来たりて
正直、この話は思い出した時に読んで頂ければいいので、読み飛ばして貰っても全然かまいません。
「ん……ぁ……?」
全方位見渡す限り白で統一された部屋。いや、部屋と呼ぶには壁も天井も無く、自分が地面に触れているのかも不安になるほど白しかない空間で、××××は唐突に目を覚ました。
「こ、こは……?」
とにかく立ち上がろうとするが、そう思った時にはすでに立ち上がっていた。
「なん、だ……これ」
そもそもなぜ自分がこんなところに居るのかを考える。
(たしか夜中にコンビニに行って、その帰り道の途中で黒いパーカーのフードを顔が見えないくらい深く被った男とすれ違って……)
それで。
それから。
「……ッッッ!!!???」
思い出すな、と。
そこから先は考えるな、と。
脳が考えるよりも先に本能が告げる。しかし、一度開き始めた記憶の蓋は止まる事なく少しずつ開いていく。
××××は訳の分からない焦燥感に駆られ、とにかく走り出す。
「はあ、はあっ、はあっ!!」
景色が白一色のためスタート地点から進んでいるのかも分からないが、それでも脳が無駄な事を考えないように、酸素しか欲しないようにとにかく無我夢中で足を動かし続ける。
……そうやって、どれくらい走っただろう。
後半はほとんど歩いているのと同じくらいの速度で足を動かしていた。
そして遂に限界が訪れ、その場に崩れ落ちる。
「消えろ……」
目を覚ます前の最後の記憶。
目の前の男が突然、先端が街灯に照らされて不気味に光る刃物を取り出し、一気に距離を詰めて、
「消えろ……消えろ消えろ消えろ消えろォ!!!!」
避ける間もなく××××の腹に刃物が深々と刺さり、痛みよりも熱に近い感覚が刃物を刺された傷口から全身へゆっくり広がって、
「消えろ消えろ消えろ消えろ消えろキエロキエロキエロキエロキエロキエロォォォおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」
地面に倒れ、赤い流血と共に命がこぼれ落ちていくのを自覚しながら、助けを呼ぼうとして──助けを呼ぶ相手が居ないのを思い出して、誰でも良いから助けてと××××は呟きながら……。
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
死んだ。
何も成せず、何の意味もなく、ただ偶然通った道で、訳も分からないまま見知らぬ男に刺し殺されたのだ。
そう、××××は確かに死んだのだ。
その事実に直面した××××は、
「ううううぅぅぅぅううううううぅぅううううぅぅぅうううううぅぅぅぅうううううう!!」
アルマジロのようにひたすら体を丸めて、真っ白な地面の上にうずくまって泣き叫んでいた。
憤りや憎しみ、悲しみなどの感情をぐちゃぐちゃに混ぜ合わせたものを煮詰めて濃くしたような、およそ生者には計り知れないドロドロの負の感情が××××を覆っていた。
……それからどれくらいの時間が経ったのだろう。
すでに時間感覚は完全に狂い、泣き叫び続けて疲れた××××は何もない真っ白な空の一点を見つめ続けていた。
周りの景色は全て白いのに、××××の心だけは真っ黒に染まっていた。
「……もういいや」
ポツリ、と呟いた。
その一言で全てが終わり、××××は壊れたおもちゃのようにその言葉を呟き続けた。
「もう、いいや……」
何度目かの呟き。そして遂に瞼をゆっくりと閉じ始めた。
少しずつ目に入る光が失われていき、やがて完全な闇へと落ちていく寸前だった。
『いやいやちょっと待てよ。ここで終わられると僕の方が困るんだけど』
「……」
××××は閉じかけた瞼を今度はゆっくりと開いた。するとそこには男のような女のような、子供のような大人なような、とにかく明確な正体を掴めない『何か』があった。
「あんた……誰だ……?」
倒れたまま視線だけを向けて××××は尋ねる。
『誰って失礼だな。ここは僕の世界だぞ』
そう言って、『何か』は大仰に肩をすくめた。
「……もしかして、ここは天国であんたは神様?」
『君がそう思うんならそうなんだろうさ。まあそこは深く考えなくていい。どうせ大した問題じゃないから』
怪訝な顔をした××××がなにかを言う前に、『何か』の方が先に口を開いた。
『重要なのはそこじゃない。今一番重要な事はなぜ殺されたはずの君がここに居て、これからどうなるかという事だけのはずだ』
確かに××××はかってにこの白一色の空間を天国と決めつけていたが、そもそも本当にここがどこなのかは教えて貰っていなかった。
改めてここがどこなのかと質問しようとした××××だが、『何か』は再び××××よりも早く喋り出してしまう。
『きみを■■■■■■のは■だ。人間は■■だら■が■を■■て■■に■■■だけど、その前に■が■の■を■■して■■■■■って訳。僕は■■で■■のが好きで、今までも■■■■■■ほどの■■で■■■来たんだ。だけど最近の■■は■■■■くて■■してたんだけど、ちょうどその時、■■■■っていう■■、つまり■を見つけて目をつけたんだ。きっと■■■■なら■を■■■■■くれるってね』
「……」
『何か』の話のほとんどは××××には理解できなかった。まるでそこだけはフィルターをかけられたようにボヤけている。くしゃみが出そうで出ない時のようなもどかしさを感じながら、それでも理解しきれない『何か』の話へ取りつかれたように聞き入る。
『―――という訳で、理不尽に死んだ君にもう一度チャンスをあげよう』
しばらく『何か』が話すと、他とは違ってスッと頭に入ってくる単語が発せられた。
「チャン、ス……?」
ほとんどの言葉は聞き取れなかった××××だが、そこだけはしっかりと聞き取れた。
××××が聞き返すと、『何か』はニヤリと笑った。
『そう、チャンスだ。君にはこれからきみの世界とはちがう別の世界へ転生して魔王を倒して欲しいんだ』
「魔王……? 倒す……??」
突然の突拍子もない単語に、今まで黙って聞いていた××××も流石に聞き返してしまった。
『順を追って説明しよう』
『何か』がそう言うと、突如何もない空間に大きな地図が現れた。そしてその地図ほぼ中心に赤いピンが立つと、『何か』は説明を始めた。
『君が転生する世界はこれ。人間領の通称「ゾディアック」、その中心国「ポラリス」だ』
「なんか聞いたことがある名称なんだけど……異世界じゃなかったっけ?」
『君が転生する世界は君が元居た世界からあまり離れてないからね。実際に行ってみれば分かると思うけど、多少同じような部分もあるよ。例えば銃だってあるし、正直科学技術に関しては君の世界よりも進んでるよ』
「……異世界だから魔法が主流だと思ってたのに」
『いやいや、魔法……というより魔術が生活の主流なのは確かだよ。ただ、この世界は君の想像と違って「科学」と「魔術」が共存共栄する世界なんだ』
「科学と魔術が共存共栄……。そんな事できるのか……?」
××××は元の世界ではオタクと呼べるほどではないが、それなりに漫画は読んでいたので魔術がどんなものかという漠然としたイメージはある。しかし本来世界には存在しないものだからという理由もあるだろうが、やはり××××には魔術なんてものは非日常という印象が強かった。それが自分の日常である科学と共存共栄しているというのは、衝撃が強かったし興味もあった。
しかし。
『いや、厳密にはできていない』
『何か』は即座に否定した。
『魔族なんかは魔術が主流だし、人間だって国によって科学と魔術のどっちが主流かは違って来るしね』
「国……。ゾディアックって言うには十二の国があるのか……?」
××××の質問に、『何か』は首を縦に振って頷いた。
『理解が早くて助かるよ。人間領は「ポラリス」と十二の国とちいさな村や町で出来てる。肝心の魔族領は……まあそれは自力で調べる方が良っか。その方が楽しいだろうし』
ケラケラ笑う『何か』に対して、××××は暗い表情を浮かべた。
「楽しい、ねえ……。勝手に進めて勝手に盛り上がってるところ悪いんだけどさ、そもそもぼくはやるなんて一言も言ってねえんだけど」
『やらないのかい?』
「だってやる意味がないだろ。魔王とやらと戦ってまた死ねっていうのか?」
××××の言ってる事はもっともだ。
なんの力もなければ、元の世界で生き返れるなどの見返りもない。正直なところ、彼には転生するメリットが一切ないのだ。
『君の言う事は最もだけど、君にはそれでもやらなければならない理由がある』
しかし『何か』は笑っていた。柔らかい笑みではなく、明らかに含みのある笑みだった。この先を言わせてはいけないと××××の本能が告げていた。だがまたしても先手を取られ、『何か』は決定的な一言を口にした。
『この世界では、助けを求めてる人達が理不尽に死んでいってる』
たったそれだけ。それだけで××××は心は大きく震えた。
「……ぼくには関係ないことだ」
返答はわずかに遅れた。それが答えのようなものだった。
『何か』が言ったのは、誰もが感じ、見て見ぬフリをしている事実だった。普通の人ならば簡単に切り捨てられる言葉だったが、××××にはそんな簡単な事ができない理由があった。
『そうだね』
『何か』は簡素に答える。そして××××はここで話を止めても良いのに口を動かす。
「ぼくがそこに居たって全部を救える訳じゃないし、何か特別な事が出来る訳でもない」
『でも君は見捨てられないだろう? それが分かっていても、他でもない君だけは見捨てる事が出来ない。僕は全部知っているんだ。君が子供の時―――』
「黙れ!!」
今まで先手を取られ続けていた××××は、ここで初めて『何か』の言葉に強く反応して会話を切った。そして見上げるように『何か』を睨む。
「……ああその通りだよクソッたれ。他の誰もが匙を投げても、ぼくだけは見捨てる訳にはいかないんだ」
そう言った彼の表情は、今にも溺れてしまいそうなほどに険しい表情だった。
そして××××は四肢に力を込める。ずっと倒れていた状態から、新たな世界に挑むために立ち上がる。
「やってやるよ。ああやってやるさ! お前の口車に乗ってやろう!!」
動き出した理由は大した事じゃない。
生前、正しさを信じて正しさに裏切られたから。もう二度と、誰かの生贄のうえに成り立つ、そんな吐き気のする日常は送りたくないから。
そんなちっぽけでくだらない理由から、××××の新しい人生が始まる。
「さあ! 上から目線で説教たれる暇があるならさっさと転生させろよ! 無様に足掻いて、死んでもその魔王ってのを倒してやる……ッ!!」
××××は真っ直ぐに『何か』を見据える。その奥で、『何か』がどんな表情をしているのか知る由もなく。
『オーケー。それじゃあ早速君を転生させる訳だけど、その前に一つ安心させといてあげるよ。君には簡単に死なないように、僕チートじみた能力を付与していくから』
「……は?」
『そりゃそうだろう? 簡単に死なれたらこっちが困る訳だし、その辺りの協力を惜しむ気は無かったよ』
今までの雰囲気をぶち壊され、間抜けな声を上げる××××を余所に、『何か』は××××に魔力量極限、魔力制御極限、体力極限、魔力耐性極限、物理耐性極限、などなど。まるでバイキングでメニューを取るように思い付いたそばからどんどんチート能力を付与していく。××××はしばらく黙ってされるがままになっていた。
『あとは全魔力適正と、全てを切断する剣もプレゼントっと。よし、あらかた付け終ったかな。あとはそうだな……名前かな?』
「名前? 変えなきゃダメなのか?」
『そうだね。君が行く世界にも一応漢字はあるけど、それを使ってる国は二、三個くらいだったかな? 正直覚えてない。あとは忍とかも使ってるけど……まあどっちみち少数派だよ。変えた方が色々と都合が良いだろうね』
「ちょっと待て。忍? 忍者なんて居るのか??」
漢字云々よりも忍の存在の方に興味があった××××だったが、『何か』はにっこりと笑い、
『それはお楽しみ。自分の目で確かめて来な』
瞬間、まばゆい光が××××の全身を包み込む。
『名前はヘルトにしよう。ヘルト・ハイラント。我ながら良い名前だと思うけど』
「ああ、うん。じゃあそれで良いや。特に名前にこだわりは無いし」
それが二人の最後の会話だった。『何か』が満足げに笑うと、ヘルトを包み込む光がより一層強くなった。
『では勇者、ヘルト・ハイラント。きみが魔王を倒し、世界を救う事を祈っているよ』
かくして、理不尽な人生の終わりを迎えた××××は、勇者として新たな世界へと転生した。
しかし、厳密には物語はここから始まるのではない。これはあくまで序章の序章に過ぎない。
いずれ魔王と戦う勇者の話はここで一旦終わりを告げる。
そして、語らなければならないもう一つの物語の始まりが始まる。
これは、異世界転生したチート勇者が魔王を倒すまでの物語―――ではない。
この物語は―――
厳密には次の話からがスタートです。
引き続きよろしくお願いします。