178 流血無しには終われない
『サラさんの両親を殺したのは―――サラさんの方です』
アーサーはラプラスの事を信じている。
彼女の言葉は疑わずに受け入れると決めている。
だからこそ、断言する彼女の言葉に何も言えなかった。
『遺体は原型を留めていないほどバラバラだったようですが、辺りや残骸に大型の獣の牙の跡や爪痕が残っていたそうです。あれは後天性の「無」の魔術ですよね? おそらくサラさんが初めて「獣化」を発動し、暴走させたんです』
「……」
アーサーは無言で『タウロス王国』でのサラとの会話を思い出していた。
『この「獣化」はね、生まれつき使えた訳じゃないの。あたしの友達、このホワイトライガーのシロのお陰で使えるようになったのよ』
そうだ。
たしか初めて会った時に、サラ自身がそう言っていたではないか。
ラプラスの言葉。それを裏付けるようなサラの発言。そこから導き出される答えは一つ。
「だったらセラは……」
『はい。おそらくマスターが考えている通りです』
ぐらり、と思わず立ち眩みがした。
抜けていた前提条件とはまた違う気がしたが、それでも見落としていた新しい事実を突きつけられた。
知らなければ良かった、なんて事は言わない。だがおそらくサラに言われた全力で戦うというのはできそうになかった。もう事情を知らなかったなんて理由で、青騎士の時のように一方的に叩き潰すのは御免だからだ。
『それで、どうしますか?』
「……どうするって?」
『決まっています。マスターの考え通りとして、サラさんの助力に向かいますか? それとも手を引きますか?』
「……その質問には、答えない」
言いながら、アーサーは上を見つめた。
サラがいるであろう場所を見て、アーサーはこう言い放つ。
「俺のラプラスはその程度の質問の答えは既に知っている」
『……そうですね。愚問でした』
その声がどこか嬉しそうに聞こえた。理由はよく分からないが、アーサーの決断に納得してくれたという事だろう。反対されなくて良かったと思う。
『では案内します。こちらも切羽詰まっているので手早く行きましょう』
◇◇◇◇◇◇◇
ラプラスの指示は簡単なものだった。
指定された場所まで行って真上に集束魔力砲を放ち、その穴を『瞬時加速』で上まで登る、それだけだった。
穴から飛び出して眼下の状況を見下ろす。そこには数本の剣を携えたセラと、穴の近くで『獣化』を発動させているサラがいた。
(ちょっ、ラプラスのやつ、ギリギリだったぞ!? まあ流石に当たらないように観測はしてたんだろうけど……)
危うくサラを消し飛ばしていたのではないかと肝を冷やしたが、とりあえず彼女の隣へと着地する。
「……来ちゃったのね」
「来て欲しくなかったのか? ま、じゃなかったら置いてったりはしないか」
「……もしかして怒ってる?」
「別に。姉妹で話したい事もあるだろうし……結局お前の懸念通りになったしな」
言いながらサラから視線を外してセラを睨むように見据える。当然と言えば当然かもしれないが、向こうも向こうでこちらを睨むように見ていた。
「来ると思っていたよ、アーサー・レンフィールド」
(……どっちみち無力化は必須事項)
その言葉に呼応するように、右手に力を込めていく。
(『天衣無縫・白馬非馬』は使用中。他の魔術を使う事を考慮したら、集束魔力砲はあと二発が限度ってところか)
「剣でチマチマってのも良いが、お前ら二人相手に遊ぶ余裕は流石に無い。『機械歩兵』もお前らの仲間の方で忙しいしな」
(時間制限と使用回数が限られてるこっちにとって、長引いて良い事なんて何も無い。『何の意味も無い平凡な鎧』!!)
「だから手っ取り早くとっておきを使ってやる」
「行くぞサラ!」
「……っ」
返事は無かったが、息を飲む気配は伝わってきた。
アーサーは『瞬時加速』で、サラはハネウサギの脚力でセラに向かって一直線に駆ける。短時間で決着をつけたいならシンプルな方法だ。
対してセラのとっておきもシンプルだった。元々地面に隠していたのだろう。大量の弾丸が地面を掘り返して空中に飛び出してきたのだ。
(……っ、冗談だろ……!?)
流石に読んでいなかったそれに、アーサーの顔が青く染まっていく。
「ユーティリウム製の特殊弾だ。まあ簡単な話だ。単純に人を殺すなら剣よりこっちの方が効率が良い」
今いるのが自ら穿った穴の上だというのが幸いした。もしここが地面の上なら今頃ハチの巣になっていただろうから。
だからといって脅威が去った訳では無い。ハチの巣にされる未来が少し遠のいただけだ。
セラはこちら向かって手のひら伸ばし、それを握り締める。
「四方八方から弾丸に貫かれたら人体ってどれくらい残るんだろうな。純粋に気にならないか?」
「……ッッッ!!!!!!」
全方位から弾丸が迫ってくる。近づいて来るほどに逃げ道が狭まっていく。
全身の汗腺という汗腺の全てから汗が噴き出たように錯覚した。いや、きっと錯覚ではない。とてつもない悪寒が全身を駆け巡る。心臓が大きく跳ねる。次の瞬間には自身が肉塊になっているイメージが脳裏を過る。
「『数多の修練の結晶の証』ッッッ!!!!!!」
それは絶叫に近かった。
創り出したのはアダマンタイト製の球体。その中にサラと一緒に籠もる。おそらく穴の中に落下しているのだろう。内臓が浮かび上がる気持ちの悪い感覚を味わいながら、球体の上側に張り付く。
しかし落下中だと言うのに弾丸は構わず襲い掛かってくる。硬度だけならユーティリウム以上のアダマンタイトはすぐに貫かれる事は無かったが、鐘を絶え間なく鳴らしているようなやかましい音が鼓膜を叩く。中にいるせいで音がよく響いて聞こえ、耳だけでなく脳まで震えて気が狂いそうだった。
それに追い打ちをかけるように落下が終わる。上側に張り付いていたのが下に叩きつけられる。アーサーもサラも身体強化をしていたので死ぬ事は無かったが、踏まれた蛙の気持ちを想像する羽目になった。
「だ、大丈夫か、サラ……?」
「……え、ええ。平気よ。それよりこれは大丈夫なの?」
「球形ってのは外からの衝撃に丈夫な形状なんだ。しばらくはもつ……と思う」
とはいえ相手は正真正銘のユーティリウムで、アーサーのアダマンタイトは魔力で創り出した偽物。おそらく破られるまでそう時間は無い。
とりあえず起き上がろうと腕に力を込める。だが球体だった事が災いしてアーサーの無駄な動きで球体がぐるりと回った。それに合わせてアーサーとサラの体の位置も変わる。アーサーの上にサラが覆いかぶさり、手のひらに柔らかい感触が広がった。
「ちょっ、アーサー!? どこ触ってるのよ!」
「し、仕方ないだろ! 真っ暗でロクに動けないんだ! とりあえず上から退いて……」
言いかけた所で、唐突にこの銃撃を止ませる方法を閃いた。
それを口に出して確認していく。
「……そうだ。前に何かの本で読んだぞ……たしか主な素材は鉄とホウ素とネオジムだったか?」
「ちょっとアーサー!? 手が胸に触れてる状態で何わけの分からないこと言ってるの!? 何の動揺も無いとそれはそれで色々と複雑なんだけど!!」
「……基本的な銃弾の材質は鉛。本来なら磁力には影響されないけど、あれはユーティリウム製って言ってたな。そしてこっちは磁力を通さないアダマンタイト。だったらきっと上手く行くぞ!」
「あたしの訴えは無視!?」
上手く行くかは正直五分。だが他に手が無いのでそれに賭ける事にした。
自分の体とサラの体の間に挟まって柔らかいものを掴んでいた右手を引っこ抜き、サラが何か叫んでいるが無視して右手を球体の壁に当てて叫ぶ。
「『数多の修練の結晶の証』! 外壁の周りにネオジム磁石の層を!!」
それで中の状況が劇的に変わった訳ではなかった。ただ銃弾が当たる音が変わった。僅かな変化だが、それにアーサーは笑みを浮かべた。
「……一体何をしたの? ネオジム磁石って何!?」
「世界最強の磁力を持つ磁石だよ。挟み込めば指の骨も砕けるレベルのな。強度にも優れてるしこっちには手順変更もある。これで銃弾を全てくっつけて奪う」
「でも、銃弾を直接操ってるセラなら引きはがせるんじゃ……」
言ってる内に銃弾が当たる音が消えた。全ての銃弾がネオジム磁石にくっついたのだろう。サラの懸念通りセラが異常に気付く前にアーサーは次の行動に移る。
「『数多の修練の結晶の証』でさらに外壁の周りにアダマンタイトの層を創る。これで銃弾を奪えるはずだ」
あくまでこれはアーサーの希望的観測に過ぎない。真っ暗で外の様子が伺えないので、もしかしたらセラはとっくにアーサーの策に気づいて銃弾を確保しており、安心して外に出た瞬間残りの銃弾で貫かれる可能性だってあるのだ。
とはいえいつまでも引きこもっている訳にもいかない。アーサーは意を決してサラの体に触れながら『人類にとっても小さな一歩』を使って球体の外へと出る。幸い出てすぐに銃弾が襲い掛かって来るという事態は避けられた。
「何だかんだ訊きそびれてたけど、あんた何で色んな魔術を使えるようになってるのよ」
「これは上級魔族を倒すために色んな人達から貰ったんだ。詳しい話は後でするよ。それより今はセラだ。あいつを止めないと……」
「……ん? ちょっと待って。止めるって何? 倒すんでしょ?」
「……」
何も答えずに目を逸らしたのがまずかった。
最初は疑問顔だったサラがその行動で何かを察したのか、鋭い目つきになってアーサーに詰め寄る。
「そういえばあんた、あたしの懸念通りになったって言ってたわよね? それってセラと全力で戦えないって事なの? だったら理由を教えて」
「……それは」
言いかけてアーサーは口を噤んだ。
アーサーも詳しい話はラプラスから口頭で説明されただけで、そこまで深く何かを知っている訳ではない。それにどうあってもアーサーはサラ側の人間だ。何の感情移入もしないでセラ側の事情の推測を勝手にサラに話して良いか悩んだのだ。
「セラは……」
「そこまでにして貰おうか、アーサー・レンフィールド」
言葉と共に無数の剣が頭上から降り注ぐ。それは当てるためというよりは、アーサーとサラを分断するように二人の間に落ちた。
剣から避けるために二人揃ってバックステップをして距離を取る。そしてセラはアーサーの方へと降り立った。
「……正直に言うと、お前の連れに『ポラリス王国』の演算装置がいた時は驚いたし、こうなる予感はしていた。やはり早めに潰しておくべきだったな」
「演算装置じゃなくてラプラスな。そして止めたって事はあいつの情報も、俺達の推察も外れてないって訳だ」
言いながら、アーサーはチラリとサラの様子を窺う。彼女はこちらに向かって来ようとしていたが、それを片手で制してセラの方に向き直る。
「だったら俺達が争う理由は無いはずだ」
「意味ならあるさ。サラが帰ってくる」
「ここで俺達を消してもサラは絶対にアンタの元には帰らない。それはアンタにだって分かってるだろ」
「だがお前らを殺せばこれまでよりは安全になるだろうよ。……いや、正確にはお前をだな」
「俺……?」
「ああ、だってそうだろう? 身近な人に死を呼び込む『担ぎし者』め」
「っ!?」
その単語を向けられた一瞬が、アーサーの命運を分けた。
セラが剣を動かしたのに気づくのが一瞬遅れた。目の前から飛んでくる剣を避ける事や弾く事に思考が傾かない。ただその軌道を目で追いかける事しかできない。
「……?」
アーサーは極度の緊張からか、時間が引き延ばされたような感覚を味わっていた。
だからこそ、飛んでくる剣が自分に当たる軌道では無いとすぐに分かった。
脇腹の近くを抜けていく剣。最初はセラがコントロールミスをしたのだと思った。これが拳を叩き込む千載一遇のチャンスなのではないか、と脳の芯から全身の神経に何かが流れる。
そのチャンスに身を委ねて、拳を握り締め、セラに向かって足を踏みkドシュ……!
「……あ?」
間の向けた声が漏れた。
踏み出した足が一歩目で止まる。
時間の感覚が次第に元に戻り、音のした背後を振り返る。
そこにはだれがいた?
もうひとりなかまがいたのではないか?
「ほら見た事か。貴様はまた一人、身近な人間を死へと追いやったな」
ドサリ、と。糸の切れた人形のように彼女は前のめりに床へと倒れた。
その胸にはアーサーの横を通り抜けていった剣が深々と突き刺さっていた。