行間四:それは一人の肉親のために
◆一〇年前◆
運命の朝が訪れた。
忘れたいほど嫌な記憶のはずなのに、それは染みついたシミのように、セラの記憶に鮮明に焼き付いていた。
その日は朝から空は暗かった。
いつものように城を抜け出したサラの後を追い、森の中が処刑場となった。
サラとシロを拘束し、曇天の空の下でサラの前で渡された銃を魔術によって拘束されたシロに向けていた。
「止めて! お願いっ!! 何でも言う事を聞くから、それだけはっ、シロを殺すのだけは止めてっっっ!!!!!!」
引き金に手をかけたまま、父親に押さえつけられているサラの制止を求める叫び声を聞いていた。
そして、それはセラがいっそ両親に向かって銃を撃とうと思った時に起きた。
力の入れていなかった人差し指が勝手に動き、銃弾が動けないシロに向かって発砲されたのだ。
「―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――っ!!!!!!」
その瞬間、サラの声にならない絶叫が響き渡る。
セラは最初、何が起きたのか分からなかった。振り始めた雨が伸ばしたままの腕に当たって、シロの返り血で濡れた体を見下ろして、硝煙の立ち上る拳銃を見て、ようやくセラは何が起きたのかを理解した。
「ち、ちがっ、私は……っ!」
「……グ、ゥ……」
弁明の言葉を口にするセラに、死へと向かうシロは弱々しい声で鳴きながら優しい笑みを浮かべていた。
それはまるで、分かっているよ、とでも言っているような優しい笑みだった。
そして笑みを浮かべたままシロはゆっくりと瞼を下ろし、ピクリとも動かなくなった。それにサラ程ではないにしろ、セラも少なからずショックを受けていた。弱々しい動作で首を左右に振る。
「なんで、そんな……」
最後の最後、なぜ自分を撃ち殺した相手に笑顔を浮かべられたのかが分からなかった。セラはその笑みに救われるよりも先に心が割れそうになった。目の前で横たわるホワイトライガーの方が、実の両親よりもずっと人間味を帯びていたからだ。
「よくやりました、セラちゃん」
この場の空気に合わない声を出したのは、サラを抑えている父親の方ではなく母親の方だった。そこでセラは彼女の持っている魔術を思い出した。
触った対象に望み通りの体を動きをさせる『無』の魔術。おそらく呼び出された時にはもう仕込まれていたのだろう。
つまり、最初から、この状況の全てが狙い通り。セラが撃たない事を分かっていたうえで、あくまでセラの手でシロを殺させるために仕込んだ罠。その時セラにはニヤニヤ笑う両親の顔が、三日月型に目と口の部分を模った仮面を被っているように見えていた。
「お前らは、そこまで……」
いつも無理矢理使っている敬語は崩れていた。
心の底からの侮蔑を込めて、魂の底から叫ぶ。
「お前らはそこまで腐っていたのかァァァああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
「ガァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」
セラが今し方シロを撃ち殺した銃を両親に向けるのと、サラが聞いた事もないような声で絶叫したのは同時だった。
次の瞬間、サラを羽交い締めにしていた父親の両腕が消し飛んでいた。それから少し離れた場所に千切れた両腕が落ちる。
「……は、あ……?」
何が起きたのか理解していないのだろう。痛みの声よりも疑問の声が先に漏れていた。
だがセラだけはそれを目撃していた。呆然としている両親の向こう側、セラの傍らに横たわるシロとは別のホワイトライガーが佇んでいた。
「……サラ、か……?」
セラがその正体を確認したすぐ後、ホワイトライガーと化したサラは父親の首筋に牙を立てて首を振って投げ飛ばし、横にいた母親を鋭い爪で深々と斬り裂いた後にタックルして木に叩きつけた。
あっという間だった。
セラが何か行動を移す前に、目の前で妹が両親を惨殺する様を黙って見ている事しかできなかった。
「サラ……」
彼女の名前を呟くと反応があった。鋭い眼光がこちらに向けられる。けれど両親の時のように襲いかかってくるような事はせず、セラとシロを交互に見た後、サラはホワイトライガーの姿のまま森の奥へと入っていった。
セラはそれを追う事はできなかった。
成す術もなく、それを見送る事しかできなかった。
気づいた時には雨は本降りになっていた。自分の目から涙が流れているのか、それとも雨で濡れているだけなのか判別がつかなった
長い間立ったまま俯いていたセラは、やがて手に持っていた拳銃の銃口を自身のこめかみに当てる。
躊躇はしなかった。
すぐに人差し指を引いて弾丸を放とうとする。
けれど銃声は響かず、カチャン、と無機質な音が小さく鳴るだけだった。
これもまた読んでいたのだろう。セラがシロを撃ち殺した後に両親に銃口を向ける事を予想して、あらかじめ一発しか弾丸を込めていなかったのだ。まあ結局サラに殺された事を考えると、その周到さも滑稽に思えてくるが。
「……何故だ」
拳銃は手から離れた。
俯いたままの姿勢で、食いしばった歯を開いて叫ぶ。
「どうしてこうなった! 誰が悪かった!! 私は何を間違えたッッッ!!」
「何も間違えていません」
いつからそこにいたのか、セラと同じようにずぶ濡れの女性が声を発した。セラは木の洞のように黒く、光の灯っていない目をそちらに向ける。
「ブリュンヒルド……」
「最初からこの結果以外にありえない事でした。セラ様、これが正しい結末です」
「……ふざけるな。こんなものが正しい結末だと!? サラは国を出て行き、両親はサラに殺され! わたっ、私はサラの大切なシロを殺して……っ!!」
叫びながらブリュンヒルドを見て気づいた。セラを見る彼女の方が悲しそうにしていたのだ。
「……いや、すまない。お前に当たっても意味の無い事だったな」
「いえ、良いんです。それより今後の事を考えましょう」
取り出した傘を開いてセラに近づき、それを差し出しながら言う。
「王が亡き今、次に王座に就くのはあなたです。けれどあなたは若い。良いように利用しようとする輩もいるでしょう。もしかしたら、暗殺を企てる不届き者もいるかもしれません。王座に就くにしてもサラ様のように国外に逃げるにしても、これから先に待つのは地獄です」
「……戦うさ」
差し出された傘の柄を掴んでセラは顔を上げた。その目には僅かにだが火が戻っていた。
あるいは、二人の道が決定的に分かれたのはこの時なのかもしれない。
逃げる事を選んだサラと、戦う事を選んだセラ。どちらが正しいとは言わないが、それでも明確に別々の方向に足を踏み出したのだから。
「あいつの帰って来られる国にする。邪魔する者は誰だろうと排除する。良いかブリュンヒルド。今回の件、両親を殺したのは私という事にしろ。傷つくのは私一人で良い。折角この地獄から逃れたサラに、わざわざ両親殺しの咎を背負わせる事はない」
「……ええ、分かりました。ですが一人ではありません」
ブリュンヒルドは外だというのに構わず、膝を着いて頭を垂れる。
「先の短い私ですが、この命尽きるまでセラ様と共に歩みましょう」
「……ああ、すまない。苦労をかける」
「いえいえ、光栄ですよ。我が王」
その宣言から、ブリュンヒルドは一年生きた。
それから九年間、暴虐と策略に塗れた、セラ・テトラーゼ=スコーピオンの孤独の戦いが続く。
ありがとうございます。
今回の話はアーサーもラプラスから聞いている状態、という体の話なので、この事実はアーサーにも既知のものとなりました。
次回から、セラとの決戦が始まります。