167 軍事国家の洗礼
◆一日前◆
それは言語にするのが難しい動きだった。目で追えない程の速度で八本の脚を外壁に突き刺すのと引き抜くのを交互に繰り返してその敵は迫ってくる。
「なっ……!?」
「伏せて下さいマスター!!」
不自然な挙動に驚愕していたアーサーだったが、ラプラスの言葉でハッとしてその場に伏せる。そのすぐ後に脚の先から短い刃を出したものが髪の先を掠めて通る。反射的に手を伸ばしかけるが、すぐに相手が機械だと意味が無いと気づいて思い留まった。
「ラプラス、次の指示を!」
アーサーが声を上げた時にはもうラプラスは動いていた。
コートの内側から二丁の銃を取り出すとすぐさま機械蜘蛛に向かって発砲する。『未来観測』を使っているからだろう。無理矢理な挙動の機械蜘蛛にも面白いように銃弾が命中する。それを脅威と感じたのか向こうから距離を置いた。
「マスターはレミニアさんと隅に。ここは私が……」
ラプラスの指示の途中で、カサリと不気味な音が背後で鳴った。
嫌な予感しかしなかったがゆっくりと振り返ると、そこには案の定というか、二体目の機械蜘蛛がいた。
「冗談じゃないぞ……」
勿論冗談なんかじゃなかった。
八本の脚で地面を蹴って飛び掛かってくる。アーサーは咄嗟に隣にいたレミニアを突き飛ばしたが、その時間のせいでアーサー自身に危機が迫る。今度は八本の脚全ての足先から短い刃が飛び出し、その内の一本が横薙ぎに振るわれる。
アーサーはウエストバッグから素早くユーティリウム製の短剣を取り出して受け止める。だがそれでも八本の内の一本だ。他の七本が容赦なくアーサーに襲いかかる。
「兄さん!!」
背後に突き飛ばされたレミニアがアーサーに手を伸ばす。すると機械蜘蛛の脚がアーサーに接触する前に円形に展開された魔法陣に阻まれて止まった。
それはレミニアの『空間魔法』だった。本来なら魔法の発動には『魔の力を以て世界の法を覆す』というキーワードが必要なのだが、クロノの時止めなどはその誓約から外れていた。ラプラスが言うにはアユムやローグ、『一二災の子供達』のようなルールを直接書き換えた人物達はその誓約から外れるらしい。そしてレミニアは間接的とはいえ一応は『一二災の子供達』だ。だからキーワード無しに空間魔法の一種である『空間断絶』という見えない不可侵の魔法の壁を展開させているのだ。
「フォローします。行って下さい兄さん!」
レミニアの助力に何か答えたかったが、今のアーサーにその余裕が無かった。『空間断絶』による助力があるとはいえ、短剣一本で動きの読めない相手に決定打を与えるのは並大抵の事ではなかった。特にアーサーの戦闘勘は今までの戦いで得てきた経験値が基になっている。これまで速い攻撃に対応できていたのも、動きに移る前の微細な体の動きを無意識の内に読んでいたのが大きい。しかしその経験則は初動の無い機械には通用しないのだ。
それに対して機械蜘蛛はこちらの動きを学習しているのか、最初は二人で防げていた攻撃に次第に対応できなくなっていく。
「くそっ、腕八本とか汚いぞ……。いや、脚八本か?」
そして下らない事を言っている間についに均衡が崩れた。
頭上から真っ直ぐ振り下ろされる一本の脚にアーサーもレミニアも対応できない。
(くっ、間に合え―――『天衣無縫・白馬非馬』、『人類にとっても―――!!)
ラプラスとの特訓の成果の一つとして、『天衣無縫・白馬非馬』を使用していると魔術の消費魔力のほとんどを自然魔力で補えるようになったアーサーは、頭のどこかで間に合わないと思いながらも譲り受けた魔術で転移しようする。
だがその前に一発の銃弾がアーサーの窮地を救った。それは背後で同じく機械蜘蛛と戦っているはずのラプラスからの援護だった。突然の強襲に機械蜘蛛は一旦離れて距離を取る。
「サンキュー、ラプラス。助かった」
「それは良いです。それより早く倒してこちらのフォローをお願いします」
まさかラプラスが押されているのかと思い、少しだけ後ろを確認するとどちらが優勢という訳でも無かったらしい。お互いに相手の動きの先を読む者同士だからだろうか、こちら以上に決定打を入れにくいのかもしれない。
「……分かった、すぐに終わらせる。『数多の修練の結晶の証』」
アーサーが創り出したのは剣でも盾でも無かった。黒くて小さい、円盤型の小さい硬貨のようなものを一つ握って今度は自ら機械蜘蛛に向かって行く。
「レミニア、フォローを頼む!」
「はっ、はい!」
再びの激突。
互いの剣を突き合わせながら、アーサーは黒い硬貨のようなものを親指で弾いて機械蜘蛛の体に飛ばす。するとそれはピタッと体にくっついた。つまるところ、アーサーが創り出したのはどこにでもあるような何てことのない磁石だったのだ。アーサーはそれを確認すると次々に『数多の修練の結晶の証』で磁石を創っては投げてくっつけるという作業を何度か続ける。
「……なまじ脅威を感じないから躱さないんだろ、怠け者め」
またも次第に追い詰められている現状だというのに、アーサーは薄く笑みを作っていた。そして今度はアーサーから後ろに飛んで距離を取ると、追撃が来る前に最後の行動を起こす。
「弾け飛べ! 手順変更、ユーティリウム製の短剣!!」
その言葉の直後、機械蜘蛛の体に張り付いた磁石が一瞬輝き、すぐにユーティリウム製の短剣へと変化して機械蜘蛛の体のあらゆる場所を貫く。
アーサーが使ったのは『数多の修練の結晶の証』だった。ただしいつものように一から創り出すのではなく、すでに創り出したものを別の物に創りかえる形で使ったのだ。
もう動かないだろうと当たりをつけてすぐさまラプラスの援護に向かう。
「ラプラス!」
硬直状態の戦場に駆け、指示を仰ぐためにラプラスの名を叫ぶ。
だがその直後、硬直状態が突然終わりを告げた。
多方から反射した弾丸が機械蜘蛛の関節部分に突き刺さり、バラバラに分解したのだ。
「ありがとうございます。マスターが介入する事でリスクの再計算をしている隙に撃ち抜けました」
「……俺のフォローってこれだけで良かったの?」
「はい、十分です。それからマスター」
ラプラスはアーサーの背後を指さしながら、
「戦闘はまだ終わっていません」
「なん……?」
何気なく背後を振り返ると、そこには足の半分以上を失ったボロボロの機械蜘蛛がこちらに向かって飛び掛かって来ていた。アーサーが仕留めたと思っていたのは間違いで、敵は最後の力を振り絞って反撃に出てきたのだ。
「くっ……!」
すぐに短剣を構え直そうとしたが、それには及ばなかった。
アーサーの背後から一発の銃弾が機械蜘蛛の中心部分のレンズへと突き刺さる。
それで今度こそ終わった。
機械蜘蛛はアーサーに攻撃する事は叶わず、完全に壊れて地面に落ちる。
「これで終わりです。お疲れ様です、アーサーさん、レミニアさん」
「……」
最後の一発は間違いなくラプラスのものだ。しかしそれは今し方撃ったものではなく、あらかじめ反射させていた銃弾だったのだ。つまりここまでがラプラスの観測した未来だったのだろう。アーサーにとってはギリギリの戦いでも、彼女には最初からこの結末が見えていたのだ。
「ホント、味方だと心強いよ」
「ありがとうございます。……ですが、正直言うと厳しいかもしれません」
ラプラスは残骸となった機械蜘蛛を見下ろしながら、
「私一人では五分の戦いでした。おそらく一対二では逃亡がせいぜい、一対三なら殺されていたかもしれません」
「でも俺にだって倒せたんだ。ラプラスだってもっと簡単に……」
「アーサーさんが勝てたのは相手にとって全てが初見の技だったからです。だから通用したんです。私には基本的に銃で攻撃する以外に術が無いので、何度も繰り返せば攻略されてしまうんです。もしこのレベルの敵との戦いが続くようなら、仲間の救出はかなり厳しいと言わざるを得ません」
「……」
そんなの最初から分かっていた事だ。
科学力による軍事力を持つ『スコーピオン帝国』を相手にすると分かった時点で、右手の魔力操作の力を十全に発揮できない事は分かっていた。だからこそ、ラプラスは相手に触れる以外に勝ち筋をアーサーに与えるために右手の使い方を教えてくれたのだろうから。
「だからって諦める訳にはいかないんだ。みんなだって戦ってる」
「分かっています。とりあえずここから移動して仲間と合流しましょう。一ヵ所に留まっていては危険……」
「ラプラス?」
歩き出したラプラスが足を止めた。
その事に嫌な予感を覚えていると、ラプラスはアーサーの予想通り深刻そうな表情で、
「……マスター」
アーサーの名を呼ぶラプラスの口調は、再び戦闘時のものへと移行していた。
「新手です! すぐに逃げましょう、この敵は絶対にマズイです!!」
しかしそんな時間を敵は与えてくれなかった。ラプラスが叫ぶのとほぼ同時、アーサー達の目の前に雷が落ちる。
そこから現れたのは全身に迸り続けている雷を纏う人型の何かだった。雷のせいで体は見えない。けれど鋭い目だけがこちらを射抜いていた。
「なんだ……あれ」
あまりにも異形な敵に対して疑問の声が漏れる。その場から放たれている魔力の量が異常過ぎて、右手どころか全身が震える。魔力量だけでいうなら、もしかすると上級魔族の青騎士やクロノ以上かもしれない。
だが彼らと決定的に違うのは、対話が不可能な相手だったという事だ。敵対する意志だけはハッキリとあるのか、いきなり手に巨大な雷の槍を作り出すとアーサー達に向かって投擲してくる。
ありがとうございます。
空白期間の間にアーサーだけでなくレミニアまで強くなりました。その成果は追々説明していきます。
それにしても、ラプラスがいると話がさくさく進むなあ。