165 友達との約束を果たしに
◆三日前◆
時間は少し遡る。
これはアーサーがサラの誘拐をアレックスから知らされ、レミニアの転移で『カプリコーン帝国』から移動した直後の話。
「それで兄さん。ここにどんな用事が?」
アーサーがレミニアに頼んで転移してきたのは『ゾディアック』の中心地、二人にとっては二度目の『ポラリス王国』だった。
「ちょっと約束がね、すぐに探す。『天衣無縫・白馬非馬』」
アーサーがさりげなく使ったのは結祈が使っていた忍術の奥義、周りにある自然魔力を全て自分の味方に付けるというものだ。当然、忍術覚えたてのヒヨッ子であるアーサーに使えるような代物ではないのだが、今は右腕というチートを使って疑似的に『天衣無縫』の力を再現しているのだ。
その力で普段はロクに使えない魔力感知を、結祈には及ばないがそれでも物の輪郭を捉える事のできる強力な自然魔力感知として行使する。ただし索敵範囲は三〇メートルくらいが限界だったが。
使わないよりはマシだと思って使っていたし、長時間歩く事も覚悟していたのだが、アーサーは自然魔力感知を使ってすぐに驚いた顔になった。
「流石と言うか……向こうの方が先に待っていてくれたみたいだな」
アーサーが自然魔力感知を切り、目を向けた先には白い犬と一緒に白いコートを着た少女が待ち合わせ場所で先に待っていたような佇まいで立っていた。アーサーは軽く笑みを浮かべながらその少女に近づいて行く。
「お久しぶりですね、アーサーさん」
「久しぶり、ラプラス。約束を果たしに来たよ」
久しぶりの友人との再会に軽い挨拶を済ませると、彼女の隣にいた白い犬がアーサーの傍に寄り、尻尾をパタパタと左右にせわしなく振る。
「わんっ!」
「カヴァスも。見ない間に随分大きくなったな」
前に会った時はラプラスの頭の上に乗れるくらいに小さかったカヴァスだが、いつの間にかラプラスくらい小柄なら跨っても大丈夫なくらい大きく成長していた。
「……というか成長し過ぎじゃないか? 犬ってこんな短期間でここまで大きくなる生き物だったっけ???」
「普通の犬種とは違いますからね。その辺りの違いが成長スピードにも出たんでしょう」
「それって体調に影響は無いのか?」
「大丈夫です。その辺りはしっかり調べました。今日も元気にすくすく成長しています」
「わん!」
「……なんかお母さんと子供みたいだな」
思わず半笑いを浮かべるアーサー。まあカヴァスがラプラスに懐いていて悪い気はしないので別に構わないのだが。
「それで、私に会いに来た要件は何ですか?」
ようやく本題に入る事に気持ちを入れ直し、指を二本立てながら言う。
「要件は二つだ。まずは約束通りお前をこの国から連れ出す手段を手に入れたって事。それと俺の仲間が一人攫われたらしい。詳細は分からないけど俺は会いに行きたい。それにラプラスも協力して欲しいんだ」
「なるほど……。どちらもアーサーさんの言うここを出る手段が必要ですね」
「まあそうなんだけど……」
あれだけ自信満々に言ったアーサーはどこかバツの悪い表情で、
「正直、俺の力って要らないんだよね」
「……はい?」
「いやさ、俺の言ってる手段は『カルンウェナン』って言って、ローグ・アインザームの『魔力掌握』の力の一端を変質させた……まあざっくり言うと魔力を操作できる力なんだよ」
ラプラスは彼らに造られたのだから、当然その力の事も知っていたのだろう。少し驚いた様子で目を大きく開いてからどこか納得した様子で頷きながら、
「……なるほど。確かに彼の力なら魔術的な縛りは意味を成しません。ですがその力が要らないと言うのは……?」
「簡単だよ。俺はこの右手のおかげで魔術が使われてたら感覚で分かるんだ。だけどお前からはその気配が全くない。つまりお前に魔術は使われてないんだ」
「なっ……!? で、ですが! 私は確かに外に出る事に抵抗力を……!」
「だからそれはお前の心の問題なんだ。ここから外に出るのが怖い、そういう感情が邪魔をしてるだけなんだ。例えばずっと家に引きこもってたヤツが外に出るのには勇気がいるだろ? それと同じだよ」
「流石にその例えはいかがなものかと思いますが……」
そう返すラプラスの肩が震えていたのは、きっと見間違いなどではないだろう。もしかすると彼女自身、アーサーの言葉で外に出る事に対する恐怖を自覚したのかもしれない。
「レミニアの転移で外に行くのは一瞬だ。俺も一緒にいる。だから魔法陣の上に乗る勇気を持ってくれ」
「……一つだけ、お願いがあります」
ラプラスは自身の不安を拭うためか、カヴァスの頭を撫でながら言葉を漏らす。カヴァスもそれを感じ取っているのか、動かずにされるがままの状態になっている。
そして彼女は勇気を振り絞って、若干震える言葉でこう言う。
「私の……所有者になって下さい」
「……ん? ますたぁ???」
突飛な単語に思わず首を傾げてしまう。
その様子にラプラスは説明を重ねていく。
「アーサーさんは嫌がる言い方かもしれませんが、どんな言葉で飾ろうと私達『一二災の子供達』は物です。だからローグとクロノスの関係のように、私個人をアーサーさんが所有して下さい。それなら勇気が持てます」
「……それで、ラプラスは安心できるのか?」
「はい」
「何か特別な事は必要なのか?」
「少し屈んで私に目線を合わせて貰えますか?」
アーサーはラプラスに言われた通り、彼女の目の前で膝を折って目線を合わせる。
「目を閉じていて下さい」
ラプラスの両手が頬に添えられても目は開けず、近づいて来る気配が分かっても言われるがままに従う。
だがそれがいけなかった。
「―――ん」
「っ!?」
その衝撃に驚いて目を開けた時にはもう遅かった。
目の前には目を閉じたラプラスの顔があった。それから唇に触れていた感触が消え、離れたラプラスが自らの唇に触れながら見た目に反した妖艶な笑みを浮かべているのを見て、ようやくアーサーは自分が何をされたのかを知った。
キス、接吻、口づけ、言い方は多種にわたるがつまりはそれだ。
「な、なっ、ん……お、お前、なにを……!?」
生まれて初めて味わう感触。それは唇に触れればまだ残っている。それを確認して、アーサーは自分の顔が熱くなっているのを自覚していた。
「アーサーさんのその顔を見れたのは役得ですね。気にしないで下さい、安全のために魔力の回路を繋いだんです。クロノスはそうする事でローグに『時間停止』の主導権を渡していました。アーサーさんも私がまた敵に回った時に、その右手で止める事ができます」
ラプラスの言葉はほとんど頭から抜けていく。だが当のラプラスはその様子すら楽しんでいるのか、態度を変えずに今のキスの説明を続けていく。
「ローグとアーサーさんの右腕は、一度触れた魔力から意識を切らない限り操作できます。つまりは気絶するか眠りに落ちてしまえば触れた魔力を操る事はできなくなります。けれどこうして魔力の回路を繋げば意識が切れた後でも魔力を操作する事ができます」
仮にもキスをした後にするとは思えない難しい話のおかげで少し熱が下がってきて、徐々にだがようやくアーサーは冷静に考える思考を取り戻した。
要約するとキスで魔力の回路を繋げば、これから先、好きな場所から『カルンウェナン』で魔力を操作できるという事だ。
「ちなみに、魔力の繋がりは一方通行ではありません。これのおかげで日常的に失踪する癖のあるアーサーさんの居場所が私には筒抜けになります」
「……つまり、他意は無いってことで良いんだな?」
「さあ、どうでしょう? 私は普通にアーサーさんの事が好きですよ?」
「いい加減からかうのは止めてくれ……」
「ちなみにキス以上の事をすればもっと深く回路を繋げますが……どうしますか?」
「だから止めてくれってば!!」
よくよく考えれば相手は事実上五〇〇歳なのだ。これからの事を考えると、見た目に騙されて年下扱いしない方が良いのかもしれない。
そして色々あったせいで忘れかけていたが、ここにはそれを見ている第三者がいた。その本人、レミニアは絶望した表情で、
「まさか、兄さんが愛人に会いにいくために利用されたなんて……」
「いやちょっと待てマイシスター。お前今のやり取りちゃんと見てたか!? どう見ても襲われたのは俺だろ!!」
「そんな……あんなに顔を赤くして襲われたなんて、アーサーさんは酷いです……」
「あーもう!! お前も混ぜっ返すな! とにかく時間が無いんだ、早く移動するぞ。レミニア」
アーサーは誤魔化すようにレミニアに転移の催促をするが、その魔法を使える唯一の少女は自らの兄にジト目を向けて訝しげな調子で言う。
「……二人目の愛人に会いに行くんですか?」
「だーかーらー!!」
久しぶりに会うというのに散々振り回された挙句、つい先日妹になったばかりの少女の誤解を解くために四苦八苦する羽目になった。
彼らが『ポラリス王国』から消えたのは、それから一時間ほど経ってからだった。
◇◇◇◇◇◇◇
光が晴れると目の前に広がったのは何てことのない森の中。四日前、意識の無いまま『カプリコーン帝国』へと旅立った場所だった。
「ここが外の世界ですか……やはりというか、別段『ポラリス王国』と変わる訳でも、本で見るのと変わる訳でもありませんね」
「そりゃそうだ」
「でも」
ラプラスはいくつもある木の一本に近づき、手で触れながら、
「こうして直接触るというのは、やはり感慨深いものがありますね。外の世界はやっぱり美しいです」
「……そっか」
カヴァスと共に座り込みながら、木の他にも葉や土に触れている様子を見てアーサーはラプラスを外に出せて本当に良かったと感じていた。
そしてそれと同時に、アーサーは周りに視線を巡らせて今の状況を考える。
「……さて、四日ぶりに戻ってきた訳だけど、アレックス達はどこにいるんだ?」
「電話してみてはどうでしょう?」
「ああ、そっか」
レミニアに言われてすぐアーサーはマナフォンを取り出してアレックスにコールする。少し長めの待機時間の後に、電話は繋がった。
「あ、もしもし? アr
『今すぐ「スコーピオン帝国」に来やがれ!!』
こちらの言葉も待たず、アレックスはそれだけ叫んで一方的に電話を切った。
「なんだよあいつ……」
微かにだが、アレックスの声以外に聞こえて来たのは戦闘音だった。
アーサーの知らない場所で、おそらく『スコーピオン帝国』でアレックス達はすでに戦いを始めている。
「……行かなきゃ。方角ってどっちだっけ? ラプラスは知ってるか!?」
「落ち着いて下さい、アーサーさん。その前にいくつかやるべき事が残っています」
立ち上がったラプラスの様子は見知ったものに戻っていた。冷静沈着な無表情で必要な情報を語る。
「ここから『スコーピオン帝国』までは歩いて三日か四日はかかります。ですが私が『未来観測』で最も早く行ける道を先導すれば約一日で着けるはずです」
「よし、なら早速……」
「だから落ち着いて下さい。もう一つ、提案があるんです」
「提案?」
「はい。移動の一日とは別に、もう一日私にくれませんか?」
「もう一日……?」
「はい。その一日で私がお二人を強くします。レミニアさんには『空間魔法』の応用で転移以外の戦う術を、アーサーさんにはローグの右手を使い方を教えます」
「それは……」
アーサーは少し考える。
強くなれるのなら、それは嬉しい。だがサラが連れ去られたのがアーサーとレミニアが『カプリコーン帝国』に移動した日と同じだとするなら今日で四日。移動に一日かかるなら五日、ラプラスの指導を受けるなら六日という事になる。連れ去られたというだけでも精神的疲労は測りしれないのに、一週間近くも孤独に晒すのは気が引けた。
「無理だ。アレックス達はもう戦ってるんだ。移動に二日も時間をかける訳にはいかない。それにサラを一秒でも早く救出したい」
「本当に救出できる確証があるなら私も引き下がります」
強く言葉を放ったアーサーに返すように、ラプラスの語気も強かった。アーサーはラプラスの言葉にうっと言葉に詰まってしまう。
「アーサーさん。あなたが挑むのは『ゾディアック』で最高軍事力を誇る『スコーピオン帝国』です。今の不完全な力のまま確実に仲間を救出できるというなら私は何も言いません。右腕の使い方は仲間を救出してからで良いでしょう。あなたは私のたった一人のマスターです。あなたが時間を優先するというならそれに従います」
「……」
ラプラスがここまで言うという事は、『スコーピオン帝国』は本当に危険な場所という事なのだろう。三人だけとはいえ、忍術を使う反則並みに強い結祈と魔法を使えるシルフィーがいるのだ。先に向かったアレックス達が苦戦してる様子を見せていたのがその証拠になる。
「……本当に一日で強くなれるのか?」
「断言します」
確認する言葉にラプラスは強く答えた。
そこでアーサーが折れた。ラプラスを信用して全てを委ねる事にする。
「分かった。俺に右手の使い方を教えてくれ」
「はい。とりあえずは移動しながら口頭で説明します。その後は随時実技でいきましょう」
表情こそ変わらないが、どこか嬉しそうな様子で言うラプラスに、アーサーは彼女がクロノのようにスパルタでない事を祈るばかりだった。
ありがとうございます。
今回から時間をさかのぼり、あと三話くらいアーサーの話をします。