161 少年の戦いは新たなステージへ
クロノとの戦いが終わってしばらく経つと、意識を取り戻したレミニアの転移でアナスタシア達が迎えに来た。ただし、彼女達が来た時にはクロノの姿はどこにもなかった。
「アーサー君。クロノは……」
「どっかに行っちゃったよ。とりあえず世界を見て回るってさ」
「そうですか……。とにかく、アーサー君も無事で良かったです」
再びレミニアに転移を使って貰い集落に戻ると、ルークは消えており避難していた人達がぞくぞくと戻って来ていた。青騎士が『魔族領』に消えた時点で安全と判断して戻ってきたのだろう。ルークがいないのは国外に青騎士が消えた事が理由なのと、レミニアの意識が戻って転移ができても国王である彼が無闇に国外に出る事ができないのが理由だった。
「ルークさんがアーサー君によろしくと言っていました。まだ話をしたがっていたので、次は王宮に招待して貰えるかもしれませんね」
「それはありがたいけど、正直俺は王宮みたいな場所よりこの集落みたいな方が好きなんだよなあ。育った村に雰囲気が近いからかな?」
「本当ですか!? 気が合いますね。私もそうですしエレインも喜びます!」
アーサーは何の気なしに言っただけの発言だったが、アナスタシアは珍しく食いついた。それはアーサーは知らないが、アナスタシアもこの集落のような村で生まれ育ったのが理由だった。
「兄さん。それよりクロノさんにマナフォンは返して貰えたんですか? 流石にそろそろ連絡をしないとマズいと思うんですが……」
「……」
「兄さん?」
「……やっぱり、連絡しないとダメだよなあ……」
マナフォンを盗られていたとはいえ、突然消えた挙句三日間も連絡をしなかった。十中八九どころか一〇〇パーセント結祈は怒っているだろう。それを思うとマナフォンを取る手を躊躇してしまう。
「ここは何事も無かったようにお気楽路線で行くか……」
「上級魔族を倒しておいて何事も無かったというのは無理があると思うのですが……」
「じゃあどうしろと!? 絶対怒られるのに電話するとか憂鬱でしかないんだよちくしょう!!」
呆れ気味に進言してくるアナスタシアにアーサーは八つ当たり気味に叫ぶ。けれど連絡しない訳にもいかないので結局マナフォンを取り出す。しかしそこから先がまた長かった。ぶつぶつ言いながら人差し指が番号の上で逡巡する。
「まず重要なのは誰に連絡するか……。アレックスと結祈はとりあえず置いとくとして、シルフィーかサラなんだけど……シルフィーだとすぐにマナフォンを取られそうなんだよなあ」
「じゃあサラさんですか?」
「……あいつも結祈に負けず劣らず怒ってそうだけど、どっちみち結祈に怒られるなら先に連絡して宥める協力を取り付ける方が建設的か……」
「……どうしてでしょう。兄さんは上級魔族より仲間の方が怖いんでしょうか……?」
「ま、まあそれがアーサー君の良い所だと思いますよ? ありふれたお説教の方が怖いなんて、どんなに人間離れした戦いに身を投じても人間らしさが残ってる証拠ですから」
「なるほど……流石わたしの兄さんですね」
なんか色々好き勝手言われている気がしなくもないが、とりあえず番号を押してコールしてしまったマナフォンに意識を集中する。
しかし。
「……おかしいな。サラのヤツ出ないぞ?」
いくら待っても出ないとコール時間が終わって留守電に切り替わった。軽く絶望しかけるが、とりあえずこれを聞いてくれる可能性に賭けて留守電を残す。
「あ、もしもしサラ? アーサーだけど、もしかして怒ってるのか? 急にいなくなったのは謝るよ、ごめん。ただこっちにも色々大変な事情があって上級魔族と戦ったりしてたんだ。そんな訳でできれば結祈に連絡して怒られる前に宥めるのを手伝って欲しかったんだけど……無理? やっぱ無理なのか? 前日まで眠りこけてのこれだからマジでヤバいんだけど、留守電聞いたらかけ直して下さいお願いします。結祈を宥めるのに協力してくれたら何でも言う事聞くからホント頼む」
懇願以外の何物でもない留守電を残し、スタート地点に問題が戻ってくる。
つまり誰に電話をするかという問題。シルフィーに連絡するかそれともあえて結祈に連絡するか迷う。そんな風にマナフォン片手に長考していると逆に着信が来た。突然震えたマナフォンにビクッと怯えながらディスプレイを確認すると、そこにはアレックスの番号が表示されていた。
「……はあ」
もう怯えるのも考えるのも面倒くさくなって諦める事にした。というかどの選択肢を選んでも怒られるのは確実な訳で、正直最初から諦める以外に選択肢が無かった気すらしてくる。とりあえず折角向こうから連絡してくれたので、ボタンを押して応答する。
「ようアレックス、元気だったか?」
『ふざけてんじゃねえ!!』
結局何事も無かったようにお気楽路線で行くと、案の定アレックスからの怒声が響いて来た。アーサーはとりあえず耳からマナフォンを遠ざける。だがそれを知らない向こうからは変わらず怒声が飛んでくる。
『テメェずっと無視しやがって! こっちが今どうなってんのか知ってんのか!?』
「お、落ち着けよアレックス。連絡取れなかったのは悪かったよ、こっちも色々あってさ。それで、何をそんなに慌ててるんだよ」
この時アーサーはアレックス達に大変な事が起きているなど露程も思っていなかった。単にずっと連絡が無かった事に怒っているだけだと思っていた。
『サラが攫われた!! 正確にはちょっと違うが、その認識で間違いねえはずだ!!』
「……は?」
だからこそ、その言葉の意味を理解するのにしばしの時間を要した。
「はあ!? おい、ちょっと落ち着けよアレックス。ちゃんと説明してくれ!!」
『落ち着くのはテメェの方だ。とりあえずレミニアは近くにいるんだろ!? さっさと転移で戻って来い。詳しい事はその後で話す』
「……分かった。すぐに戻る」
マナフォンを切ったアーサーの表情からは、先程までのおちゃらけていた雰囲気は無くなっていた。真剣な表情になってアナスタシアの方を見る。
「アナ。そういう訳だから……」
「はい、聞いていました。本来なら力を貸したいのですが、連れ去られた人達の救出もありますし、私はこの集落を空ける訳にはいきません。本当にごめんなさい」
「いや、俺の方こそ慌ただしくてごめん。落ち着いたら改めて来るから。レミニア」
「分かってます。急いで皆さんの所に戻りましょう」
「いや、そうじゃない」
「?」
アーサーの言いたい事の分からないレミニアは首を傾げる。この状況でみんなの元に帰る以外に何の用があるのか、レミニアには想像もできなかった。
そんな彼女に対して、アーサーは自身の右手に目を落としたまま続けて言う。
「その前に一ヵ所、寄って欲しい所があるんだ」
彼に休息は与えられなかった。
前にクロノに言われた『担ぎし者』に平穏など無いという言葉が妙に頭の中をぐるぐる回る。
そんな心境でレミニアと共にアナスタシアに見送られながら、『担ぎし者』は休む間もなく次の戦いへと向かって行く。
◇◇◇◇◇◇◇
そしてこれは終わった話。
まだレミニアとアナスタシアが迎えに来る前、クロノがいなくなる前にしていた最後の会話。
「もう行くのか?」
「行かない理由もないからな」
ダメージから回復したクロノは立ち上がり、今度こそ扉へと向かって行く。今度はアーサーも止めなかった。
ただ彼女は扉に手を置いて動きを止めた。そして振り返らずにアーサーへと語り掛ける。
「一つだけ忠告しておいてやる。レミニアは特別だ」
突然放たれた言葉に、床に仰向けに寝転がっていたアーサーは上体を起こして言葉を返す。
「特別って……ああ、魔法が使えるって事か」
「そういう意味じゃない」
はあ、と呆れた溜め息をついてからクロノは続けて言う。
「……レミニアも私のように、母親の腹から生まれた訳じゃないんだ」
「それはどういう……」
何となくクロノの言葉の意味を予想しながら訊き返す。すると案の定、クロノからの返答は最悪のものだった。
「貴様は『造り出された天才児』を知っているか?」
「……あんな胸糞悪いの忘れる訳ないだろ。『ポラリス王国』主導の人工的に造った人間兵器だ。遺伝子操作やゲノム編集で常人を超えた身体能力や好きな魔術を付与できる。さらにいうなら死への恐怖が無いんだろ?」
「概ねその通りだが、一つだけ違う事がある」
「違う事?」
「ああ。ヤツらには好きな魔術を付与できるという話だが、あまりにも特殊な魔術の付与では成功率が下がる。例えばお前が『ポラリス王国』で関わった事件の中心にいたアウロラ。あれの『詳細解析』なんかはかなり特殊だからな。完成するのに数十人は犠牲になったらしい」
「犠牲って……それは殺されたって事か?」
「ヤツらは処分と呼んでいるがな」
胸糞悪くなる話だった。自分が見たのは『ポラリス王国』の闇の氷山の一角ですら無かったのだと打ちのめされる気分だった。
「レミニアはそうして造られた子供の一人だ。『魔造の一二ヶ月計画』の製造データとローグの遺伝子を使い、『空間魔法』を付与するために数百人の犠牲があった。そしてもう一つの工程を完了するまでさらに長い道のりがあったらしいな」
「もう一つの工程……?」
「研究者共にとってはそっちの方が重要だったんだ」
そしてクロノは一度だけ息を吐き、暗いトーンで続ける。
「レミニアには『一二災の子供達』の一人、『無限』のパンドラの心臓を埋め込まれている。つまりレミニアは間接的な『一二災の子供達』という事だ」
「レミニアが……『一二災の子供達』!?」
「復唱して確認するなら正確にしろ。その力の宿る心臓を持っている、だ。魔王の右腕で力の一端を振るうお前と同じようなものだが、パンドラの力の源泉が心臓だった事を考えると貴様よりも性質が悪いかもな」
そんなものをレミニアに埋め込んだヤツが誰なのかは分からない。けれど『ポラリス王国』の事だ。ロクでもないヤツというのは間違いないだろう。レミニアがそういう連中に利用されずに、自分の妹として笑ってくれている奇蹟に心から感謝した。
「とにかくパンドラの力は無限の魔力だ。その底は誰も見た事がない。不思議に思わなかったのか? レミニアは『ログレス』から『スコーピオン帝国』に転移した後、お前の治療にも魔法を使っている。お前は意識しづらいだろうが、魔力の回復には時間がかかる。魔法ほどの魔力消費なら数日はかかるだろう。他に魔法を使った人間を見た事はないか? 一度の使用でかなり疲弊していたはずだがな。それなのにただでさえ膨大な魔力を消費する魔法を連続で使っても、レミニアは疲れ一つ見せていなかっただろう?」
「……」
言われて『アリエス王国』での事を思い出す。
あの時シルフィーの魔法を罠に使ったが、彼女はそれなりの魔力量を持っていたはずなのに魔法の使用は一度が限度だと言っていた。
「あいつが他の者の手に渡れば、必ず悲劇が起きる。それこそお前の見た『リブラ王国』の事件以上のヤツがな。だからお前がレミニアを絶対に守れ」
「分かってるよ」
そして脅迫に近い文句にアーサーは当たり前の事のように、
「そんなの、今更確認するまでもない」
「ふん。良い返事だが覚悟しておけよ、アーサー・レンフィールド。どうあれ貴様は力を手に入れた。そして大きな力には同等の力が引き寄せられる」
「……」
「戦いの規模が変わるぞ。今までのような一人でも何とかできたガキの喧嘩レベルは卒業だ。これまでと同じように何とかなると思うな。仲間を集めろ、かつてのローグ達のようにな」
「分かってる」
アーサーの返事を聞いて一応は満足したのか、クロノは話は終わりだと言わんばかりに扉を押して開いた。
そして彼女が外へと出て行き、その扉が閉まる直前にアーサーは聞こえるはずのない声量でこう言っていた。
「……それに大丈夫だよクロノ。俺にはもう、心強い仲間がいるからさ」
ありがとうございます。
久しぶりの長編となったフェーズ3【そして村人は強くなる】最初の第九章。いかがだったでしょうか? 今回の章では長きに渡り抑止力となっていた魔王が死に、その変化として『ゾディアック』に攻め込めるようになった上級魔族との戦いがメインでした。その中でアーサーの立ち直りや新たな力の獲得など、中々重要な章だったと思います。
さて、次回は第一○章。舞台は『スコーピオン帝国』です。
やっと来ましたサラ回! 第三章では主にアリシアや『オンブラ』がメインで、サラの昔話といえばホワイトライガーくらいしか出せませんでした。実はこの章は最初からずっと書きたかった章の一つで、最初は第三章の予定でした。ですが、こう、色々と事情の辻褄を合わせたり他に書きたい話があったりでズルズルと先延ばしにされ第一○章に。ですがだからこそ、最高の状態で書けると思います!
では通例のあらすじを。
次に彼らが挑むのは一三ある『ゾディアック』の国の中でトップクラスの軍事力を誇る『スコーピオン帝国』。これまでのどの戦いとも違う、限りなく生存率の低い敵。『タウロス王国』の時とは違う本当の意味での一国との戦争。その王座に座るセラ・テトラーゼ=スコーピオン。そしてその妹、サラ・テトラーゼ。二人の過去、そして現在。姉妹の信念が衝突し、そこに『担ぎし者』が加わる時、世界は破滅への一歩を踏み出す。
次回は今までとは少し違う物語の展開にしようと思っています。
それから余談を一つ。
フェーズ2に入った時に、一つの変化として章題にサブタイトルを加えるようになりました。フェーズ3にも何か新しい事を始めたいと思い、前々からやろうとしていた事をやってみようと思います。
長くなりました。
ここまであとがきを読んだ方、あるいは飛ばした方も。
今回の章の続きをどうぞ。
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全てが終わって、一番安堵したのはエレインやアナスタシア、そして集落の人々だろう。
けれどもう一人、今回の件が終わって心底安堵している人がいた。
彼はレミニアが目を覚ました後、来た時と同じように特殊な鎧を身に纏い、空を飛んで王宮へと帰って来ていた。そこは他の国のような城下町に囲まれたものではなく、木々や川など自然に囲まれた王宮だった。
降り立つ予定の地点、そこには男物のスーツに身を包んだ男装の麗人が待っていた。
「お疲れ様です、ルーク様」
地面に着地してすぐ、彼女は声をかけてきた。ルークもスーツを手のひらのサイズの円盤に戻すとすぐに言葉を返す。
「出迎えありがとう、フラン」
言いながら、ルークは持って行っていた複数のスーツを戻すために専用の保管室に向かう。保管室の大きさは学校の教室くらいでそこまで大きくはなかったが、そこは王族の魔力を持つ者しか入れない特殊な部屋だった。
横三列に机が並んでおり、その上にはケースが置かれている。中には円盤が入っているものと空のものがあった。ルークは汎用型以外の高速移動型、危機察知型、焔鎧特化型の三つのスーツの円盤をそれぞれの専用のケースの中に入れる。汎用型だけは少し迷った後、懐に仕舞ったままにしておいた。
「本当によろしかったのですか?」
彼の作業が終わるまで待っていたのか、部屋の扉の前で立っていたフランがルークに話しかける。
「例の少年を王宮へと案内する予定だったのでは?」
「仕方がない。彼は転移でいなくなってしまったし、どちらにせよ『担ぎし者』は一つの戦いが終われば次の戦いに赴くものだ。彼にも彼のやる事があるようだし、無理強いはできない。それに……」
そこで言葉を切って、ルークは部屋の奥、三列に並んだ机の先の壁へと移動する。壁には顔の高さの辺りに長方形の穴が空いており、その中には表紙に橙色の石がはめ込まれた一冊の本が保管されていた。彼はそれを守る透明なガラスの表面に手を当てながら言う。
「今回の件でよく分かった。彼がこの国に来たら、どういう経緯であれ必ずこれの存在に辿り着く。それだけは防がなくてはならない」
そう言うルークの顔は険しい王のものになっていた。
ガラスに触れる手に不要な力が入るのを自覚しながら、続けて彼はこう言った。
「誰にも知られる訳にはいかない。この『議事録』の存在だけは」