157 戦いは終わらない
『断界結界』から元の世界に戻った時には、青騎士は動かなくなっていた。アーサーはその亡骸の傍に膝を着くと、そっと手を置いて目を閉じてせめてもの冥福を祈る。
彼とは殺し合いしかしなかった。
それでも奇妙な友情があった。
まるで自分の未来の可能性を移したような存在だった。だからこそアーサーは命を削り合った敵に対してこうした行動を取らずにはいられなかったのだ。
(……せめて、安らかに眠ってくれ……)
しばしの間そうしていると、誰もいなかったはずの部屋の中に第三者の足音が響く。
コツン、コツン、と。
部屋の影になっていた部分からその人物は姿を現す。
「……ふむ。どうやら無事に殺せたようだな」
「クロノ、か……?」
再び張っていた警戒心が知り合いの登場により解ける。脅威が無くなった以上に安心感が広がる。
「やっと来てくれたのか、大遅刻だぞ。他のみんなは?」
「集束魔力砲とアナスタシアの盾の衝突の余波でレミニアが気絶したんだ。そのせいで転移が使えなかった。だからここにいるのは私とお前だけだ」
「……ん? じゃあお前も一緒に転移してたのか? だったら一緒に戦ってくれても良いのに薄情だな」
「いや、青騎士と共に転移したのはお前だけだ」
「???」
じゃあどうやって来たんだ、と質問するよりも前にクロノは青騎士の傍へと近づいた。そして先程のアーサーと同じように青騎士の体に触れる。
しかしそれは冥福を祈るためではなかった。彼女は青騎士の死体から魔力を奪っていた。そこでアーサーは思い出す。それは彼女自身が青騎士の目的を語る時に言っていた事。
上級魔族ともなれば死んだ相手の魔力を奪う術を持っている、と。
「おい、流石に死んだヤツから魔力を奪うっていうのはどうかと思うんだけど……」
アーサーからすれば青騎士は敵だったとはいえ奇妙な友情を感じるまでに至った間柄だ。だから抗議の声を上げたのだが、クロノはそれに反応すら示さなかった。むしろ忌々しげに舌打ちをしながら言う。
「チッ、青騎士のヤツめ。『断界結界』なんぞ使うからほとんど魔力が残ってないだろうが。これじゃあ本来の目的に達せないかもしれないな」
「本来の目的……? というか青騎士は集落の『魔族堕ち』から魔力を奪っていたんだろ? あの『断界結界』ってそんなに魔力を使うのか?」
「ああ、その話か」
そして立ち上がったクロノは心底つまらなさそうに、
「安心しろ。集落の人間は誰も死んでなどいない。どこか安全な場所に幽閉されているはずだ。元々、そういう手筈だった訳だしな」
「……なんだって?」
耳を疑った。
青騎士との戦いで受けたダメージで聞き間違えたのだと心の底から思った。
「ローグが死んですぐ上級魔族は二つに割れた。結界が消えた事で『ゾディアック』に侵攻しようとした二人と、ローグが死んで生きるのに疲れた私と青騎士にな」
しかしクロノはそれを否定するように言葉を重ねていく。
「そのために、まずは私達を殺してくれる存在が必要だった。そうして目を付けたのがお前だよ、アーサー・レンフィールド。そして思惑通り青騎士は最期に戦闘で死ぬ事ができた。ヤツに変わって礼を言っておくよ」
「何を、言って……」
「後は私が死ぬだけなんだが、正直言うとこちらに関してはお前の協力は要らなかった。私は青騎士のように理想的な死に方はないが、昔の戦いである呪いを受けて普通には死ねない体になっていてな。とある『一二災の子供達』のせいだが、まあ幸い私には魔力があれば自分の存在を世界から消し飛ばす術がある。ただ頼みの綱の青騎士の魔力が思った以上に集められなかった」
「何を言ってるんだよ……」
「魔力量的には成功率は五分。賭けにしては少々分が悪い。そこで手っ取り早く貴様の右腕に殺して貰うという手があるんだが……私の死に協力してくれないか? いつも誰かにしているように、助けてくれよ」
「ちょっと待てって! さっきから一体何を……ッ!!」
「だから」
困惑するアーサーに最悪の答えを突き付けるように、クロノは物分かりが悪い子供に対して親が呆れているような口調で、
「私と青騎士は最初から繋がっていた。お前が最初に抱いていた懸念通りだよ。私達はお前を利用した」
それはアーサーが立ち直る前、逃げるために取って付けた理由だった。
クロノはアーサーの疑問にただ答えを示しただけなのだろう。しかしアーサーの方の心境はそれどころではなかった。呼吸困難に陥ったように口がパクパクと意味もなく動く。
「どうして青騎士がお前の右腕がローグのものだと知っていたと思う? それは私が教えたからだ。どうして迎撃準備がこうもスムーズに行ったと思う? それは青騎士が来る日時を正確に知っていたからだ」
「……ずっと、騙していたのか……」
「そうなるな」
クロノは迷いなくそう答えた。
これは彼女にとっては単なる事実確認の作業でしかないのだろう。
「さあ、最後の手順だ。その右腕なら魔力暴走で人を殺す事くらい容易い。だからアーサー・レンフィールド。私も殺してくれ」
「……っ!!」
アーサーはその疑問に答えなかった。
殺してくれと願うクロノの言葉に対する答えは決まっていた。そしてその答えの結果がクロノとの戦いが避けられなくなるとも。だからすぐに出口のある扉に向かって駆け出す。しかしそれは逃げ出すためではなかった。
アーサーは青騎士に『世界で一番無意味な命』を押し付ける前、魔力感知によって居場所がバレないように『溜魔の魔石』を扉に向かって投げた。しかも陽動の分身を作るために使った『誰もが夢見る便利な助っ人』は、忍術を使ったとはいえほとんど体内魔力で行使した。
つまり、そこから導き出される結論は。
(魔力無しであいつに勝てる訳がない!!)
危険だと知りながらもクロノから目を離し、アーサーは一心不乱に『溜魔の魔石』へと向かって走る。最後の数歩分をすっ飛ばし、床を蹴って飛びつく。
しかし、その手が魔石に届く事は無かった。
あと数センチで届くかという所で、アーサーの目先から魔石が忽然と消えた。目的のものを目の前で失ったアーサーが愕然としている間に着地に失敗して床を転がる。
「い、一体何が……」
「やれやれ、哀れな犬のように無様だな」
声のした方を向くとそこには先程いた場所とは違い、足を組んで偉そうに玉座に座りながら、アーサーの求めた魔石をお手玉のように片手でぽんぽんと投げて遊んでいるクロノがいた。
(くそったれ……。例の超スピードか)
アーサーはギャンブルの時にクロノがやったイカサマを思い出す。ブレた体と崩れた山札を見て看破していたそれだが、まだ反応のできた青騎士のスピードとは比べ物にならなかった。一瞬どころか残像すら見えない。
「……お前、チート野郎って言われないか?」
「面と向かって言われた事は無いな。誰か言ってたか?」
適当な調子で返しながら、クロノは『溜魔の魔石』を片手で粉々に握り潰す。アーサーはそれを希望が握り潰されているような気持ちで見ていたが、すぐに気を取り直して拳を握る。
「ちっ、つまらん。それが貴様の答えか。……ふん、まあ良いさ。お前がダメなら次の手段を試すだけだ」
「俺がそれを許すとでも?」
「貴様の意見など聞いていない。……が、後々邪魔をされても面倒だ。しばらく眠らせてやる」
三日前と同じように、クロノの膨大な魔力が解放される。
対してアーサーは特別な事は何もできなかった。突発的な戦いのため作戦は何もない。あるのはただ右手で触れれば勝てるという勝算だけだ。
「……始める前に一つ良いか?」
「なんだ?」
「今回のお前と青騎士の計画を、エレインは知っていたのか?」
クロノは僅かに眉をひそめて何故そんな事を訊く? とでも言いたげな顔をしていたが、睨むように見るアーサーに根負けしたのか質問に答える。
「……いや、あいつは何も知らなかったよ。お前と同じように全力で集落を守ろうとしてただけだ」
「そうか……」
こんな状況だと言うのに、アーサーはふっと息を吐いた。
それからまるで憑き物が落ちたようなスッキリとした表情で、クロノを見据えて言う。
「だったらもう、迷う事はないな。全力で殴ってやるから覚悟しろ」
「……殴る、か。それならこちらからも一つ訊いても?」
「なんだよ」
自分から先に訊いた手前、断りずらい空気の中でアーサーは返す。
するとクロノは、
「私は誰かに迷惑をかけているのか?」
突然、そんな事を言い出した。
「魔力を奪った青騎士はすでに自分の理想通りに死んでいる。集落の『魔族堕ち』は全員生きている。私の目的は大仰でも何でもない単なる自殺だ。ほら、迷惑くらいはかけたかもしれないが、誰も不幸せになどなっていない。それともなにか? お前にはこの計画の穴が見えているとでも?」
「あったよ」
一見すると不幸になった人のいない穴の無い計画。けれどアーサーはクロノの問に対する答えを、自分の疑問を解消させた時には持っていた。
それは。
「エレインに辛い決断を強いて、悲しませた。お前が俺に殴られる理由なんて、それだけで十分だろ」
「……くっ」
最初はアーサーの言葉に唖然としていたクロノだったが、やがて我慢できなかったのか噴き出した。
「くくっ……あっははははははははははは!!」
とても愉快そうに、今まで見た事も無いほど面白そうに笑っていた。
それは嘲る訳でも、道化の戯言に笑っている訳でもなかった。
クロノは本人には言っていないが、アーサーの事を認めている。だからこそわざわざ嫌われ役になってでも立ち直らせたのだ。もしかしたらそれはクロノが無意識の内にローグの代わりを求めていたからかもしれない。
「あーやれやれ、笑わせてくれる。そうだったな、お前はそういうヤツだった。三日も前には腑抜けてた男がすっかり立ち直れたようで何より」
「その節はどうも」
アーサーの方も応じるように、薄く笑みを浮かべていた。
それはもう戦いの終わりのような軽い空気だった。ただし、その空間に固く握り締められた拳さえなければの話だが。
「さて、無駄話はここまでだ」
「ああ」
クロノの合図でアーサーも腰を屈める。
『溜魔の魔石』という魔力源が無い今、アーサーには懐に飛び込んで右手で殴るという手段しかない。
圧倒的に不利な条件での戦い。
しかしそれはアーサーにとっては慣れた形だった。
それを自覚して、彼は小さく息を吐いてからこう言い放つ。
「行くぞ、缶詰頭」
「来いよ、ピエロ野郎」
互いの力を認めたうえで、なおその上から力で押し潰す。
それはどちらかしか生き残れない、真剣勝負の決闘だった。
そして始まる。
彼女とは三度目、そして二連戦となる上級魔族との戦いが。
あいがとうございます。
次回は最後の行間を挟みます。