14 不吉な前兆
魔族の少女を加えて三人になったアーサー達は目的地を『魔族領』に定めて歩き出した。
『ゾディアック』は『ポラリス王国』を中心にして、『ジェミニ公国』から時計回りに『タウロス王国』『アリエス王国』『ピスケス王国』『アクエリアス王国』『カプリコーン帝国』『サジタリウス帝国』『スコーピオン帝国』『リブラ王国』『バルゴ王国』『レオ帝国』『キャンサー帝国』の十二の国が囲んでいる。
中でも『魔族領』で魔王の住む城が近い『リブラ王国』側は軍事力を溜め込んでおり、反対側に位置する『アリエス王国』のように離れていると独自の文化が大きく発展している。
その違いは『魔族領』でも変わらず、『リブラ王国』側の方が魔族の力が高く、例外の『アリエス王国』を除いて反対に位置する国は比較的に力が弱いとされている。
今回は『ジェミニ公国』から『魔族領』を目指しているので心持ちは幾分かマシだ。まあそれでも好き好んで中級魔族とは会いたいと思わないが。
「それじゃあ『魔族領』まで命懸けの遠足と行きますか。……というか、そもそも結界ってどこの誰が作ったんだろうな。公王様も知らなかったみたいだし、なんかしらの魔術なんだろうけど……」
「それがよく分かんねえんだよなあ……。あの結界といい大樹の周りを覆った炎といい、どう考えても魔術の域を超えてんだよなあ……」
「それってどういう……」
話を掘り下げようとしたところで、アーサーは服の襟を弱い力で引っ張られた。
「おにーちゃん、わたしだけ除け者にして話を進めないで下さい!」
声の主は例の魔族の少女だ。アーサーの手を握り、頬を膨らませながら抗議の目線を向けている。
「ごめんごめん、じゃあそうだな……ビビのお母さんってどんな人なんだ?」
そんな顔を向けられて無下にできる訳がなかった。とりあえず適当な話題を見つけて話を振ってみる。するとビビと呼ばれた魔族の少女は先程までの不機嫌な顔が嘘みたいに明るい笑顔になり、ポケットからロケットを取り出すとそれを開けてアーサーに見せる。そこにはビビによく似た、しかしビビよりも成長している女性が写っている写真があった。
「これが?」
「はいっ! 優しくてご飯が美味しいお母さんです! 帰ったらおにーちゃんをちゃんと紹介します!」
「そうか……というかさっきから思ってたんだけど、何で手を繋いでる訳?」
「おにーちゃんだからです!」
元気いっぱいな答えで微笑ましいが、いまいち要領を得ない答えだった。
「良かったなアーサー。母親に紹介して貰えるってよ」
「アレックスもちゃんと紹介しますよ?」
「そりゃどうも。だが遠慮しとくぜ。紹介すんのはそこのシスコン野郎だけにしときな」
アレックスはそう言って適当にあしらうと、アーサーの耳元に顔を近づけてアーサーだけに聞こえる声量でいう。
「(おいアーサー。懐かれんのは結構だが自粛はしろよ? 別れる時に辛くなるだけだぞ)」
「(て言っても俺だって何でこんなに懐かれてるのか分からないんだ)」
「(そりゃあ川を流されてる所を助けたのはテメェだからな。懐かれんのも頷けんだろ。ほらあれだ、ヒナが孵った時に初めて見たやつを親と思うとかなんとかってやつだろ)」
「(それ刷り込みってやつだろ? どちらかと言うと今回のは吊り橋効果の方が近いような……)」
アーサーはそこでふと、今更ながらに思った事をビビに聞いた。
「ところでビビ、なんで俺だけおにーちゃんって呼ぶんだ? アレックスだって歳は俺と同じだぞ?」
「おにーちゃんはおにーちゃんでアレックスはアレックスだからです!」
元気いっぱいのビビの答えは、やはりいまいち要領を得なかった。
「まあ可愛いから良いけどね!!」
「……テメェのシスコンぶりにも拍車がかかってきたな」
◇◇◇◇◇◇◇
そんなこんなで、さらに数日間歩き続けて三人はようやくどこかの町に辿り着いた。ビビを母元に届けるために『魔族領』に近づいてきたここで、村ではなく町に辿り着けたというのはかなり運が良かった。
「ようやく辿り着いたか。何か当初の予定よりも大分時間食ってんなあ。数日間の内に『タウロス王国』に行けるって話じゃなかったか?」
「仕方ないんじゃないか? 公王様だって正確に距離を知ってた訳じゃないだろうし、寄り道してるのは俺達の方だ。文句を言うのは筋違いってもんだろ」
「テメェはいつも公王のやつの肩を持つよなあ。何か理由でもあんのか?」
そう言われるとアーサーはアレックスから目を逸らして、
「……『ゾディアック』ってさ、『ジェミニ公国』以外は王国か帝国で、基本的には王族の血縁者が王座に就くだろ?」
「まあな」
「だから市民の中から公王様になったあの人には、他の人達には理解できないような苦労が色々あったと思うんだよ。それを思うとこっちばっかり文句を言うのは違うかなって」
「……お人好しめ」
「そうでもないさ」
そう言いながらアーサーが見つめていた先が『ジェミニ公国』の首都のある方角だという事に、アレックスは気づいていた。かなりあっさり国を出る事を決断したアーサーだったが、何の感傷もなかった訳ではないらしい。
「ま、そういう話はもう良いだろ。さっさと食料買って行こうぜ。長居をするだけ苦労するのは俺達の方だ」
「確かにそうだな」
二人は苦労の元になる少女を見る。
「?」
当の本人は特に自覚はないらしく、可愛らしく小首を傾げているだけだ。
そう、アーサーとアレックスだけならともかくビビは魔族だ。アーサーとアレックスのような例外の馬鹿二人を除いて、普通の人間は魔族を見れば殺すか捕らえるか追い出すかの三択しかない。今は魔族特有の尖った耳は長い髪で隠しているので、注意深く見られない限りバレないと思うが、最悪見つかって追い出されるにしても最低限の食料くらいは確保しておきたい。
「で、何買うの?」
「そもそも金が無えからな、安価で最低限の栄養を確保できるものっていうと……」
「カロリーチャージだな」
即座に答えたアーサーにアレックスは心底うんざりした表情で、
「ふざけんな嫌だよもう! 村を出てからロクな飯食ってねえじゃねえか。カロリーチャージって特に味もないし、あれだけ食ってたら飽きるんだよ!」
「とは言っても肉は狩りでまかなえるし、野菜に関してもビビの知識のおかげで山菜を食ってるから問題ないだろ? ここで絶対に必要なものっていったら保存の効くカロリーチャージみたいなものか水ぐらいなものだろ」
「だーかーらーっ! 俺はもっと味気のあるもんが食いてえんだよ!!」
「贅沢言うなよ、大戦中なんてほとんどの人が食い物がなくて、今の俺達の食生活よりも酷い事になってたらしいぞ。なんて言っても山菜も動物もみんな焼き払われてたらしいからな」
「マジかよ……。俺そんな時代だったら生きていける自信がねえよ」
「まあ時代だよ。昔や今の常識がいつまでも続くとは限らないって事だ。だからカロリーチャージを買いに行くぞ!」
「お前その結果に持っていきたかっただけだろ! でも餓死は嫌だしなあーもうどうしよう!」
その後散々言い合った挙句、結局町の中で食事を取って行こうという事になった。
『タウロス王国』に着くまでの食料を買うという本来の目的とは全く別のものになっているが、ビビが食べたいと言ってアーサーがそれに乗っかるとアレックスにはどうしよもなかった。
「……大体おかしいぜ」
アレックスはハネウサギのシチューを口に運びながら恨み事のように呟く。
「何が?」
その正面でビビの口に冷ましたシチューを運びながらアーサーは聞き返す。
「この旅が、だよ。『タウロス王国』を目指せば『魔族領』に行くことになるし、少ねえ金で食品を買いに行けばその場で使う事になるし、どうにも予定通りに行かねえ。俺にはテメェが疫病神にしか見えねえんだが」
「そう言うなって。おかげでビビと会えてこうして美味い飯にありつけてる訳だろ。俺にはお前の不満が多いようにしか見えないぞ」
「そうですよ、おにーちゃんは正しいです!」
ビビと出会ってから幾度となく繰り返された会話が繰り広げられる。すでにこの三人の話し合いはアレックスが何かを言い、アーサーが対抗意見を出し、ビビがそれを全て肯定する構図が出来上がっている。そのためアレックスの意見が通る事はほとんどない。
「納得いかねえ……。他の人に聞いたら絶対俺の方が理解を得られるはずだぜまったく」
釈然としない事が多かったが、お腹も空いているしシチューも普通に美味いのでスプーンは進む。
「そういや今日の夜はどうすんだ? 残り少ねえ金を使って宿屋でも借りるか? それとも森に戻っていつも通りテントで眠るか?」
「森に戻ろう。宿屋の中に入れば安全だとは思うけど、念のためこの町に長居はしたくない」
「了解。じゃあさっさと出ようぜ、もう日も暮れてきた。明日には目的の『魔族領』に着ける頃だと信じてさっさと休もうぜ」
「そうだな」
言いつつもシチューはしっかり味わって食べた。やはり人は食欲には逆らえないらしい。
◇◇◇◇◇◇◇
「おい」
シチューを食べ終わり店を出たところで、アーサーとアレックス、勿論ビビにも見覚えのない男に声をかけられた。
「えーっと、俺達に何か用か?」
「お前ら見ない顔だな。どこから来た?」
なんとも答えにくい質問だった。仮に村の名前を出したとして、もしも万が一村の壊滅の事が知れて魔族の侵入の事実まで辿り着かれたら、それは公王との約束を反故にしてしまう可能性があった。
だからアーサーが何と答えたものか考えあぐねていると、アレックスはしれっとした顔で、
「『キャンサー帝国』だ。ここには『タウロス王国』に行く途中で寄っただけだ」
「国を横断してまで何の用だ?」
「初対面のあんたにそこまで説明してやる義理はねえな」
「……ま、そりゃそうか」
男が食い下がったので内心安堵の息をつく。こういう時に頭の回るアレックスの存在はやはり大きかった。
「つーかそっちこそ不躾に何だ? 特にこれといって悪い事をした覚えはねえんだが」
「いや、大した理由じゃない。ただそっちの女、髪を変な結び方にしてるだろ? 魔族じゃないかと思ってな」
人は驚いた時に心臓が縮み上がると表現するが、それが間違いではないと思った。バレているかバレていないかで言えばバレてはいない。もしバレていたらこんな問答はせず即座に襲い掛かってくるはずだからだ。
だが疑われているのは間違いなかった。アーサーはこれ以上不信感を与えないようになるべく平常心で、慎重に言葉を選んで返す。
「何言ってるんだ? 魔族が結界を越えて来る訳ないだろ」
「そりゃそうだが、最近妙な噂が流れててな」
「妙な噂?」
「ああ、なんでも近くの村が魔族の集団に襲われたって話だ。首都のヤツらが撃退したから問題はないらしいけど、巷じゃ結界はもう作用してないんじゃないかって噂が流れてる」
「……っ」
情報規制に限界があるのは分かっていた。魔族を倒した直後に口止めされたアーサーとアレックスはともかく、先に『キャンサー帝国』へ逃れた他の人達の口から漏れれば、魔族が結界を越えて来たなんていう大事件を隠しきれるとは思えなかったからだ。しかしその事件からまだ数日、『キャンサー帝国』から離れた『魔族領』と『タウロス王国』に近い辺境の町にまで噂が流れているのはいささか早すぎるように思えた。
まるで誰かが意図的に噂を流しているかのような……。
「……お前らひょっとして」
「悪いけど俺達急ぎの用があるんだ。話はまたいつかどこかで会えたらな」
会話を打ち切って速足にその場を離れるが、背中に突き刺さる男の視線の感覚は消えなかった。
「……バレたか?」
「分からねえ、だが何にしても森に入れば簡単には追って来ねえだろ。念のため町から離れた場所まで行くぞ」