156 ただその祈りを届けるために “Excalibur.”
青騎士から発せられた眩い光が消えていくと、そこは魔王の部屋ではなかった。
目の前に広がるのは果てなき荒野。その砂は全て銀色のものだった。太陽は見えないが、空に浮かぶ雲の隙間から黄昏時のような山吹色の光が世界を照らしていた。最初はレミニアのような転移魔法で別の場所に転移したのかと思ったが、その幻想的な風景がこの世のものではないと本能に訴えてきた。
地平線まで続く幻想的な荒野には、ガンマンのように向き合う二人の男しか立っていなかった。
「これは幻術でもない……魔法? この空間を全て掌握したっていうのか……!?」
奇妙に疼いた右手がこの世界は魔力で作られた偽物だと訴えてくる。
しかし掌握し切れない。アーサーの力ではこの世界への直接的な干渉はできない。そのどうしようもない事実も同時に突き付けてきた。
「これは俺の『固有魔術』で『断開結界』と呼ばれる心に描いた独自の世界に、自分と相手を閉じ込める物だ。正真正銘、俺の切り札だよ。まあ世界の修正力とやらのせいで本来は存在しないはずのこの世界は長持ちしない。もって数分が限度だがな」
「『断開結界』……」
博識のアーサーでも聞いた事のない単語だった。まあ数ヶ月前まで魔法の存在も知らなかったのだから当然と言えば当然かもしれないが。
アーサーは改めてこの世界を見渡す。もしこれが精神世界の具現化だとするなら、これは見ただけでは分からない青騎士の心を表しているという事になる。
砂以外は何も無い果て無き荒野。アーサーにはここから青騎士の心を読む事はできなかった。しかし今まで青騎士と交わした言葉。数は多くないがそれを思い出しながら見ると、ふと一つの疑問が湧き上がった。
「……もしかして、あんたにも大切な人がいたんじゃないか? 強者は孤独だからこそ最強なんだ。夢も理想も仲間も捨てて、ただ強者であるために力を求めろ。……その言葉の端々から、あんたが大切な誰かを守れなかったって聞こえるよ」
「……」
「教えてくれよ、青騎士。この世界はもしかして、全てを失ったあんたの心を表しているんじゃないのか?」
「……そうだな。正直、この世界を見せたら気づかれるとは思っていた」
青騎士はアーサーから視線を外し、地平の彼方を眺めながら懐かしむように言う。
「お前の言う通り、俺にも昔、仲間と呼べるヤツらがいた。大切な人も大勢いたし、命を懸けて守りたい人もいた。……けれど俺は遅すぎた。最強と呼ばれるほどの力を手に入れた頃には、もう守りたい者など一人も残っていなかった」
青騎士は視線を地平の彼方からアーサーへと戻す。
「……それがこの世界だ。俺には手の届かなかった願いの成れの果てさ」
願いの成れの果て。
この身は届かぬ願いを示す者、とそう名乗るに至った世界。
荒れ果てた荒野の中心に立ってそう言ってのける青騎士の姿が、アーサーには酷く滑稽なものに見えた。
「……こんな世界なのか」
だから思わず、アーサーはそう言わずにはいられなかった。
四人しかいない上級魔族で近接最強の魔族。それなのに精神世界は荒れ果てた荒野が広がっている。
そこには一体、どれだけの思いがあったのだろう? 最強の座に就きながら、その傍には孤独しか残らなかった誰か。そこにはきっと、何の意味も無かったはずだ。
「大切な人を守りたいと願って、力を求めて、最強とまで呼ばれたあんたが辿り着いた終着点が、こんな何も無い荒野だっていうのか……」
「ああ」
泣きそうな顔で言うアーサーに対して、青騎士は達観したような態度を崩さなかった。むしろアーサーのその姿に何か思う所があったのか、ふっと軽く笑って、
「なに、絶望するな。同じ理想を抱いても、その結末は人それぞれだ。俺に用意されていた答えはこれだったってだけで、お前の結末がこうとは限らないんだからな」
「……でも、それじゃあんたには救いが無い。あんたは頑張ったんだ! そんなに強くなるまで本当に本当に頑張ったんだって、直接戦った俺には分かる!! だったらそれに見合う成果がなくちゃ嘘だろ。努力した果てに幸せが待っていなくちゃ、この世界は本当に終わってしまうんだから!!」
「……青いな」
それは何かを懐かしむような声だった。
アーサーが感じた思いなど遠い昔に超えているのだろう。彼はそれ以上何も言わなかった。
その代わり。
「話は終わりだ。そろそろ決着をつけよう」
言葉通り青騎士は行動を起こした。
彼の遥か後方、地平線の彼方から何かが巻き上がる。空がどんどんそれに侵食されていき、それが巨大な津波のように近づいてくる。
「冗談だろ……」
そこまで至ってアーサーはようやく気づいた。
この世界にある銀色の砂の正体を。
「まさか……この砂の全てがアダマンタイト製の剣なのか!?」
「そうだ。この世界にある砂の一つ一つが俺がこれまで出会って来た者達、そしてさらにその知り合いの知り合いのそのまた先まで、数多の人々の夢、希望、祈り、そして命だ。それらを全て持ったまま、俺はこの最強の座にいる」
後方だけでなく、全方位から集まった砂―――アダマンタイト製の剣が黄昏の空を侵食して青騎士の頭上に集まっていく。
魔力ではなく圧倒的な物量に体が震えるのは初めての経験だった。ドラゴンなど比ではない、三六〇度全てに広がる凶器に絶望が広がっていく。
「これが俺の最強にして最後の技だ。この世界の総てでお前を潰す。だからお前も本当に奥の手とやらがあるなら見せてみろ」
「……っ」
その言葉に呼応するように右腕がピクリと動く。まるで自分とは別の誰かが使えと訴えかけて来るように。
「そして、この『断開結界』を使った相手に俺は必ずこう言う。もしもお前が俺に勝てるなら、俺の全てを持って行けと」
「……ああ」
俯きがちに答えたアーサーの右腕が、白く煌びやかな光を解き放つ。
それはヘルトや青騎士が集束魔力砲を使う時と同じ現象。彼の場合は体内魔力が無いので、周りにある自然魔力をありったけ右腕に集めているという違う点はあるが、それは間違いなく何度も目にした事のある、圧倒的な力を持つ集束魔力砲だった。
これがアーサーの隠していた最強の技。『カルンウェナン』の発現と同時に周りにある膨大な自然魔力まで操れるようになったことで手にした、最後の奥の手。
しかし、それを行使しているというのに、かつてない力をその右腕に携えているにも関わらず、アーサーはどこか浮かない表情だった。
「……あんたは、こんな結末しか選べなかったのか」
その言葉は迷いを表す言葉だった。
右腕に携えている力をようく理解しているからこそ、それを使う事に躊躇しているのだ。
そもそも彼は少し前までただの村人で、喧嘩の延長くらいならともかく生死を懸けた戦いを続けたいとは思わない、回避できる戦いなら回避したいと思う人間なのだ。
「問答は済ませたはずだ」
しかし青騎士からの返答は望む答えではなかった。アーサーの顔がくしゃりと歪む。
「この技は善悪関係無く全てを消し飛ばす。俺はあんたを殺したくない!」
「俺は戦いの中で死にたい。お前が俺より強く、殺してくれるなら本望だ」
「でも俺は……っ!!」
「くどい。お前にやる気が無いならそのまま突っ立ってろ。ここで俺が殺してやる」
二人の会話は成り立たなかった。
青騎士がアーサーに手をかざすと、この世界に存在する大量のアダマンタイト製の剣が一斉にアーサーへと向かって行く。その量は大剣を分解した時とは段違いだ。あの時は囲まれた後に『瞬時加速』で逃げられたが、今度は捕まった瞬間に骨の髄まで削り取られる確かな予感があった。
「……っか野郎」
力を振るうか振るわないか、最後までアーサーは悩んでいた。もしこの『カプリコーン帝国』で立ち直れておらず、流されるまま青騎士と相対していたら、きっと右手を動かさず死を受け入れていたかもしれない。
けれど今のアーサーには死ねない理由がある。
自分を立ち直らせてくれた人が守ろうとしているものがある。
必ず果たすと誓った大切な約束がある。
だから、死ねない。
こんな所で、こんな荒廃した世界で、何も言わずに出てきた自分を、きっと呆れながらも待ってくれている仲間達とも再開できずに死ぬ訳にはいかないのだから!!
「……っ!!」
砂状の剣が目前に迫る。
アーサーは迷いを背中に置き去りにし、その嵐の中へと自ら一歩踏み込む。
引き絞った拳にありったけの力を込めて、腹の底から声を上げながら拳を解き放つ。
その手は多くの者の祈りを託された、必勝必殺の剣。全ての邪悪を払い、勝利をもたらす奇蹟の聖剣。
その名は―――
「『ただその祈りを届けるために』ァァァ―――ッ!!」
突き出した右拳から集束された魔力の砲撃が繰り出される。
目の前まで迫っていたアダマンタイト製の剣を吹き飛ばし、その射線上にいる青騎士へと向かって行く。
『リブラ王国』で見た時と同じように、集束魔力砲の余波である眩い光の帯は大気中にしばらく滞留していた。
やがて集束魔力砲の閃光が完全に消えた後、そこにいた青騎士の体の半分は消えていた。
青騎士はアーサーが集束魔力砲を撃つのを知ってのだから、避けようと思えば避けられたはずだ。射線上にあるもの全てを消滅させる集束魔力砲を生身で受けた者の末路を、アーサーはようく知っている。それは同じ集束魔力砲を撃てる青騎士だって同じだろう。だからこそ避けなかった青騎士が、今更ながらにアーサーには死ぬ事を受け入れているようにも見えた。
「……すまない」
思わずアーサーはそう洩らしていた。
最強と呼ばれる青騎士に真っ向から戦って勝ったというなら快挙だ。
しかし、その相手が最初から死ぬつもりだったら? そう思ったらその言葉を言わずにはいられなかった。
青騎士はそんなアーサーを見ながら肩を震わせて言う。
「……ふっ、なんで勝ったお前が泣きそうな顔をしてるんだ」
「だって、お前は最初から死ぬ気で……」
「……いや、本気で戦っていたさ」
「そんなはずがないだろ!! お前は、だって、俺を殺そうと思えば……!!」
アーサーはまるで勝負に敗けた人間が難癖をつけるような姿勢で、それでも言わなければならない事実として叫ぶ。
「いつでも殺せていたじゃないか! この世界にある、俺の足元の砂を使えば!!」
そう、簡単な話なのだ。
この世界の説明よりも前に、この世界を展開した瞬間にアーサーの足元の砂を巻き上げて体を刻みつければ、たったそれだけで勝負はついていたのだ。わざわざ集束魔力砲とぶつかる理由もなく、彼の言っていたように奥の手らしい意識外からの必殺の一撃で。
「……いや、嘘ではない」
だがそれを指摘しても、青騎士は静かに否定した。
「手を抜いた戦いで死して何の意味がある? ……だから、俺を倒したのは、純然たるお前らの力だ。誇りに思え」
「……思えるはずがない」
涙は流さなかった。
けれどその表情は、まるで泣いているようだった。
「誇りになんて思えるか……。こんな結末に納得なんてできるものか! 諦めるなよ。そこまでの力に届いたなら、また大切なものを探せば良い!! どうしてこんな、俺に殺されるような結末を選んだんだ! 選んでしまえるんだ!!」
「ははっ……」
アーサーの必死な姿を見て、青騎士は乾いた笑いをこぼした。
それは決してアーサーを笑っているのではなく、むしろ自分を笑っているようだった。
「まったく……古い鏡を見ているような気分だな。……最期の敵がお前みたいな男とは、何か因果を感じるな」
遠い過去に同じものを見てきたような口ぶりだった。いや、まさにその男は見て来たのだろう。他でもない、自分自身の歩いて来た道の上で。
「……お前の推察通り、確かに俺はずっと死にたかった。生きる意味もなく、ただ生きているだけの屍で、俺を楽しませてくれるローグ・アインザームも死んだ。……だが、普通に死ぬのは御免だった。それではここまで強くなった意味が本当に無くなるからな。……だからこそ、俺は俺を殺してくれる強者を求めた。この世界の全てを使った俺を打倒し、この世界で殺してくれる相手を願った。……それがお前だ、アーサー・レンフィールド。心から感謝する」
それはまるで、『リブラ王国』で出会ったデスストーカーの最期の言葉のようだった。あの時の光景がフラッシュバックし、青騎士がどうしようもない死に向かっているのだと打ちのめされる。
「経験者として忠告してやる。お前はこれからも多くの命を奪うんだ。自分の正しさを貫くために、他人の正しさを踏みにじりながら。その度にいちいち共感していたら身が保たないぞ?」
「……分かってる」
絞り出すように、アーサーは返答した。
ヤツはデスストーカーの時とは違う、友人ではなく倒すべき敵だと必死に言い聞かせながら。
「だったら順番だ。先に地獄で待っている」
「ああ……」
最後の最後、アーサーは唇を噛みしめながら青騎士に対してこう言う。
「いつかまた、地獄で会おう」
死力を尽くしてぶつかった二人の会話は終わった。
彼の存在で維持されていた『夢幻の星屑』の世界が崩壊する。
そして勝者と敗者は同様に、元の世界へと帰還していく。
ありがとうございます。
今回のタイトルにもあった『ただその祈りを届けるために』。これはヘルトの『ただその理想を叶えるために』へのカウンターで、これで【?? 未来の話をするとしよう】の■の中が埋まりました。とはいえまだまだアーサーの成長は止めません。もっと強くしていきます。
そしてこの章の問題でもあった上級魔族の討伐が終わった今回の話。しかしまだ終わりません。次回、最後の敵との戦いが始まります。