147 停滞のその先へ Turning_Point.
ロケットを握り締める手に、熱い鼓動が伝わってきた。
誰もいなくなった草原で、光り輝く星々に見下ろされながら長い時間俯いていた。
今まで意識的に触れて来なかった心の奥底の闇へと目を向ける。誰かを救おうとすれば、別の誰かを助けられない現実。どうしようもなく当たり前の世界の法則の中で、少年はそれを受け入れがたい真実として闇の中を揺蕩っていた。
自分の内側へと耳を傾ける。弱い自分の本音を真っ向から受け止める。
諦めてしまえ、と心の中では別の自分がそう囁いて来た。
ここで足を止めてしまえ、と甘い誘惑が体にまとわりついて来た。
きっと、それは今生まれたものではなく、今までずっと自分の中に存在していたものだったのだろう。
それでも、アーサーはここまで来た。
甘い誘惑に負けず、折れそうになる心に鞭を打って、それでもここまで歩いて来た。
別に何かの強制力が働いていた訳ではない。けれどアーサー・レンフィールドという少年は、歩みを止めるという選択肢は選んで来なかった。それは一つの考えがあったからだ。
諦めてしまうのは簡単だ。ここで挫けるのも、逃げ出す事も容易にできる。全てが嫌になったなら息を止めて、血流を止めて、心臓を止めていつでも世界からリタイヤする事ができる。先にある後悔に怯えて辛い今を生きるくらいなら、ここで全てを投げ出してしまう事の方が楽だったのかもしれない。
でも、本当にそれで良いのか?
一人の少年が諦めた所で、この世界に変化が起きる訳ではない。今の状況下で言うなら、集落に対する青騎士の暴虐は続く。それはアーサーの生死に関わらず。
このどうしようもなく搾取されるだけのこの世界で、理不尽と不条理が蔓延る暗い世の中で、腐った汚泥のような希望も見えない未来しか待っていないくそったれな現実の中で、それでも僅かに残った希望にすがりつき、足掻くように生きていた人達はどうなる?
人と魔族が本当の意味で手を取り合える世界を作りたいと、実の妹と同じ夢を語った種族の壁を越えたもう一人の妹。復讐者の手で体を切り刻まれても、その夢を曲げる事なくアーサーに希望を託して逝ってしまった少女。
母の死に責任を感じ、他の全てを捨ててでも復讐に全てを燃やしていた少女。母親の最後の祈りを伝えられ、少年の一番の理解者になった今でも、復讐を止められない『魔族堕ち』の少女。
いきなり巻き込まれた身でどこまでも協力してくれ、共に『タウロス王国』の闇に立ち向かい、今までも何度もコンビを組んで戦って来たお人好しの銀髪の少女。
兄達の内戦を止めるためにいくつもの危険を犯し、人間であるアーサー達にも協力を求め、最後は自らも戦場へと赴いたエルフのお姫様。
五〇〇年間幽閉されてただの装置として利用されても、世界を救うためにどこまでも自分を犠牲にしようとしていた『一二災の子供達』の一人。
魔王である父親を殺され、勇者に命を狙われる立場になった少女。アーサーの事を兄と呼び、自分の不甲斐なさを伝えても妹になりたいと願った少女。
その他にも多くの人達と出会って来た。
アーサーが助けてきた人達、逆にアーサーが助けられた人達がいた。
自分を犠牲にする者、願いを叶えようとする者、その誰もがこの世界の理不尽に逆行するように生きていた。現状を受け入れた方がはるかに楽なのに、それでも抗うのを止めようとはしていなかった。
アーサーの周りの世界には、そんな強い人達で溢れていた。
「……ああ、そうだったんだ。俺は恵まれていたんだ。こんなにも沢山の人達が言葉をくれて、立ち直るための勇気をくれたんだから。……なんだ。あの日からずっと自分の運命を呪い続けて来たけど、これだけあれば十分に幸せって言えるじゃないか」
その少年は、俯いたままの姿勢で呟いていた。
エレインの話ではないが、自分も多くの人達に支えられてきたのだと自覚できた。
そして今、目の前には理不尽に成す術もなく蹂躙されている人達がいる。上級魔族という強敵に対して抗う手段すら持ち合わせていない人達がいる。
それを見捨てられるのか?
自分になんとかできる力があるのに、見なかったフリをするのか?
「……できる訳ないだろ。そんな事ができるなら、とっくの昔にやっている」
今まで助けられた分、今度はこちらが助ける番なのだ。
歯を食いしばり、少しずつ体に力を込めていく。
ロケットの先にある胸の内側から、熱い鼓動が体中を駆け巡る。
「……ああ。やってやる、やってやるとも。どこまでも抗い続けてやる。停滞するのはもう止めだ」
そして。
ついに。
長かった停滞を超え、少年は顔を上げる。
まとわりつく闇を打ち払い、もう一度、希望の見えないこの世界に真向から挑戦する。
自分の弱さを理解し、目を背けず直視して、それらを踏み越えてまた強くなる。
その姿こそ『担ぎし者』だった。
この瞬間の選択で逃れられない運命を背負った男は立ち上がり、背中を弓なりに仰け反って星空に向かって吠えるように、今一度、どこまでも強く宣言する。
「もう迷わない。俺は誰かが困っているなら拳を握り続ける! この手で救える限りの命を救い続ける!! 今はまだ弱くて無理でも、絶対に誰もが頼れる救済手段になってみせるッッッ!!!!!!」
彼の心の内には、もう恐怖に怯える闇はなかった。
右の拳を握り締めて、ただの村人である少年は一つの覚悟を決める。
「おい、クソッたれな運命様! どこかで偉そうにふんぞり返って精々余韻に浸ってろ!! もう思い通りになんてさせない。死を呼び込む『担ぎし者』だろうと知った事かッ!! お前が用意する運命なんて、これから先、何度だって踏破してやるからなァァァああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」
怯える時間は、もう終わりだ。
ここから巻き返す。
何度だって挑戦する。
この世界が頼れるのは、絶大な力を持つ勇者だけではない。
どこまでも理不尽なこの世界に対して、アーサー・レンフィールドがいるんだって事を見せてやる!!
ありがとうございます。
一話丸々使っての語り。久しぶりの決め台詞を引っ提げて、ついにアーサーが立ち直りました!
この章のタイトルでもある【停滞した針を動かそう】は、アーサーの立ち直りの事を意味していました。そしてフェーズ3の命題でもある【そして村人は強くなる】。これは右手のような目に見える力の獲得だけでなく、心の成長も含めての意味合いだった訳です。
正直クロノがアーサーをぶっ飛ばす所からここまでがこの章で一番書きたかった事ではあるのですが、当然問題は残ったままなのでまだ続きます。具体的にあと一七話くらいかな?
次回は一つ行間を挟み、すぐに一四八話を投稿したいと思っています。行間も行間で先への布石として重要なので、お見逃しなく。